2015年10月03日

『日々のつぶて』URL変更

このブログはSeesaaブログを独自ドメインで
利用しているのだけど、諸事情で今まで使っていた
"blog.cafebleu.me.uk"が利用できなくなったので
致し方無く

http://blog.cafebleu.tokyo/

とさせてもらったので念のため報告する。

恐らくブックマーク等だと急にアクセスできなく
なっただろうし、検索からも引っかからなくなってしまった。
もしかしたら閉じてしまったの?と思ってる人も居るだろう。

ここで書いても辿りつけないのだから意味が無いかも
知れないけど、徐々に検索は戻ってくるかもしれないので。

今回はそれだけ。
posted by cafebleu at 01:11| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

まだ書くことはあるけれど

おそらく、前身である『音楽のつぶて』を始めて以来、最大の更新ブランクと
なってしまったような気がする。だいぶ見てくれる人も減ってしまったようである。
(過去のビートルズ研究記事は今でも検索経由で見てる人が居るけれど)

もうここ数年は毎年言ってる気もするけれど、それにしても今年も忙しい。
それは仕事であり、そういうのが当然な年代なのかもしれないけど
特に今年は出張が多く、いつもよく話にでている大阪や名古屋と言った都市圏だけでなく
北は盛岡から南は長崎までめぐるような全国行脚が初夏からこの初秋まで続いたことも有る。

ある月の二週間ほどを切り取ると、島根県からスタートして、長野は松本、
そして盛岡など東北行脚をした後は数日後には岐阜に行って途中寄った名古屋で一つ
打ち合わせをしたら大阪に移動なんて言うスケジュールも有った。

こうなると、自分の時間が中々持てないのでゆっくり長めのブログを書く気もしなくなる。
実はここまでも書き途中の他の記事は何個か有ったのである。一つは昨年後半に
続けていたオーシャン・カラー・シーンのアルバム・レビューと、もう一つは
久々に車の話を書こうと思っていた。その車話もオーシャン・カラー・シーンや
最近のバンド活動が徐々に自分の原点であるモッドなもの、90年代英国的なものに
回帰しつつ有ったので、そんな自分の立ち位置が生んだMINI Cooperへの愛情について
という話だ。他にも自分の仕事について色々想うこととかも途中まで書いては時間が
無くなって続かないという状況だった。

前にも言ったけど、忙しさや時間の中もこういう長めのブログを更新できなくなる
大きな原因だけど、もう一つはSNSが個人に浸透しつつ有ることも大きいと思う。

古くはミクシィから、よりグローバルなFacebookは言うに及ばず、今だとスマホとの
相性の良さもあり、LINEなんかは殆どの人が少なからずアカウントを持つような状況だ。

だから「〜が美味しかった」「〜に行きました」「出張に来ています」みたいな話は
SNSで十分事足りてしまうのである。リアルタイム感もあるし、最近のSNSはアプリ化
されているわけで、写真や動画もサラッとアップ出来てしまうわけだから。

そういう短文文化?に当初馴染めず、SNSも余り使いこなせなかったけど、人間というのは
慣れるもので、自分みたいに不要に回りくどい文章を書く人間でもいつの間にかSNSも
普通に更新できるようになっていた。そしてそれに慣れると。"文章"を意識している
このブログを書くことが段々面倒になって来て、筆不精になる。

因みに年別の更新数を確認してみたらこんな感じだった。

2005年 → 12記事
(12月に『音楽のつぶて』としてスタート、最初は1曲紹介みたいな感じで実は短文だった)

2006年 → 49記事
(アルバム単位のレビューが増え、段々長文化していく、特にウェラー来日特集あたりから)

2007年 → 68記事
(この年から『日々のつぶて』に移行、CMSの勉強のためMTを使った"自作ブログ"になる。ビートルズ楽器論はこの年に書いている)

2008年 → 36記事
(段々と技術的なネタのほうが多くなる。今の職場に入った頃なので段々ペースが落ちる)

2009年 → 9記事
(今の職場業務でメイン担当になり始めた頃なので一気に更新が減る)

2010年 → 33記事
(音楽レビューがまた増えてきて、更に自作ブログを止めて今のSeesaaブログに移る)

2011年 → 22記事
(東日本大震災もあり、大阪出張が増え始めるのでそういう記事も。この手の記事は後にFBに移っていく)

2012年 → 15記事
(11年の後半に愛猫が亡くなり、更新が滞りがちになるのでまた減り始める)

2013年 → 17記事
(内省的な記事が多くなる。音楽レビューも多少)

こう見てみると、2006〜8年辺りまでがピークで、それ以降は
徐々に減っている。特に後半は出張や仕事でのちょっとした記事が
段々とSNSに移行していくので更に減っていく傾向が。

だからもうこの自分のブログみたいなフォーマットがいよいよ限界なのかもしれない。
書きたいことはあるけれど、それを紡ぐ時間も無ければ、書いたところで誰が見るの?
そんな思いを強くし始めている。

ただし、少し前(更新上は結構前だけど)に書いたとおり、このブログは前身も含めば
2005年に初めて書き始めて、間もなく9年を超えるところである。時間も有った
昔に比べれば、遥かに更新が減ってしまったけど、僕としては丸10年は辞めないで
いようとは思っている。10年経ったらその時考えるけど、細々続けるか、この体裁での
更新は終わりにして("日々"のつぶてにしてから幅が大きすぎてある意味見る人が減った)
一旦10年自分が何を紡いできたのかゆっくり考えたほうが良いのかもしれない。

まぁそれを決めるのは来年のことかな。

取り敢えず、今年も僕は生きてるし、仕事もしてるし、音楽もやってるし、相変わらず車も
好きだし、ワインも少し嗜んでるし、ビールも飲んでるし、日々を模索している。

まずは書き途中の幾つかの記事を終わらせる予定。
posted by cafebleu at 01:43| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月29日

習作を屡々描くとき 〜その1〜

ワイン好き気取りは休んでブログらしく。

最近バンドの方向性をがらっと変えた。
それはビートルズやその周辺をカバーすることに一段落してしまったから。

アイデアはまだ出ると思う。でもそれを聴いてる人が望んでないのが
ビートルズ・イベントの宿命だと思う。「アイル・ゲット・ユー」の
コードを下地にスタカンの「ロング・ホット・サマー」のアレンジを合わせる
なんて自分しか思いつかないモッド解決だと思うのだけど、じゃあそんなの
一体誰が聴きたいのかって言うことになる。

ビートルズを演れるハコでアレンジしまくって何度か聴いてる人を凍らせた
事は有る。特に大塚ウェルカムバックのビートルズイベントはコンサバな人が
多いから、僕らがソウル風にアレンジした「オンリー・ラヴ・リメインズ」を
演った後なんて拍手すら無かったものな。まぁ原曲自体もかなりマニアックだけど
それを全然違うリズムと楽器編成で演ったら余計に分からないだろうからね。

下北沢Breathに今はメインで出させてもらってるけど、流石に90年代サブカルの街
下北だから当初はもう少し理解してもらえてたと思う。サイケでトラッドな
「コールド・ターキー」を凄く褒めてくれた人も居たし。

でも2010年に開店して、だんだんとビートルズのハコとして知名度が上がるにつれ
他のビートルズイベントで観たなって言う人がどんどん増えてきた。
で、何となくイベントの時は完全にコンサバな雰囲気が覆うようになってきて。

勿論そうやってビートルズのハコとして知れ渡ってくれることがBreathにとっては
良いことだからこれからもいろんなビートル・カバー・バンドに出てもらうべきだけど
そうなってくると僕らの役割はお役御免だなって思うようになってきた。

それにアレンジはやっぱり勝手なエゴだと言われたらそうなのかもしれない。
他人の土俵からベース(基礎)を持ってきて勝手にいじくり回して悦に浸ってる
そんな風に思われても仕方ないかも知れないとは思う。僕だってオーディエンスとして
観ていて、アレンジしまくるバンドが出てきて、もしそのアレンジの方向性が自分の
世界と合わなかったら気分悪いもん。

僕はアレンジすることで他のコンサバなバンドさんとかビートルズのレコードよりも
クールだろ?なんて言うつもりは少しも無くて、むしろそのまま演ることが出来ないから
僕なりにビートルズとそこから枝葉が繋がっている人達のエッセンスを混ぜてみたら
30代のビートルズ好きとして、90年代サブカル育ちとしては素直なスタイルなんじゃないか
って思っていたのだけど、最後はやっぱり僕らの力不足も有るだろうけど、余り良い反応は
帰ってこなくなってきて、自分たちも「どうせ分かんないだろう」って気持ちが音に
乗ってたと思う。

その後、バンドをどうやって行くかとメンバーと話していた。
メンバーったって、ベースもパーカスも含めたフルバンドでは結局2度しかライブを
出来なかった。2011年2月のマクレーンズさんとのライブ、2012年10月のハロウィンライブ。

2011年のライブは直後に大震災が起きて暫くの間はバンドどころではなくなってしまった。
僕は仕事で大阪に行ったっきりだった。2012年はこの時期に僕が体調を崩して休みがちな頃
ライブ直前までとても調子が悪く、ギリギリの所でようやっとやったライブだった。

こんな風にフルメンバーの時は何となく間が悪く、後が続かない。結局モダン・プローブを
名乗ってからというもの、ライブの回数は軽く10回を超えてきたけど、その9割は相方と
二人でアコギを鳴らしてしっとり歌うような"アコースティック・デュオ"形式が殆ど。

元来アコギでコードを弾きながらしっかり歌うってスタイルが好きだし合ってると思うけど
正直それしか出来ない状態が続いて自分ではもううんざりしてしまってる。
僕がリズムギターでテンポ作って、で、朗々と歌うって何か精神的に疲れるんだわ。
僕は自分がリズム・ギタリストとは思ってないの、実は。普段は間違いなくそういうタイプだけど。

で、構成からどうしようって話になった。
ドラムのCoRingoがようやく活動に復帰できると。とは言えベースレスで
ドラムが有ってもホワイト・ストライプスとかじゃないんだから無理がある。

相方のRYOはバンドで一番k器用だからベースもキーボードもこなす。
僕も一応ひと通りはできるけどキーボードは途中からコンピュータ頼りに
なっていったしほとんど今では弾かないので心許ない。

まぁ3ピースならギター・ベース・ドラムって構成が普通だからキーボードは
ともかくとして、ギターとベースは一先ずライブごと位に担当を決めて僕とRYOで
とっかえひっかえで良いかと。どちらもベースでバンド演った経験は有るし
昨年ウイングスのイベントに出演した時はドラムに幼馴染で高校生の時から
散発的にバンドやセッションをやっている仲間と一緒にベースがRYO、ギターが
自分という編成で「ソイリー」や「レッティング・ゴー」のようなソリッドな
ナンバーを中心に披露した。僕にとってはハードロックと言って良いスタイルだ。
このくらいソロとギターサウンドを中心に縦ノリでやるのは高校生以来だった気がする。

という訳で3ピースでモダプロは出直すことになったわけだけど、最初に書いた通り
僕らは大分お世話になったビートルズからは一旦距離を置くことにしたし
(思えば前身のWater Lane Westを含めば2007年から2013年まで、少なくとも
僕とRYOは散発的に何らかの形式で6年もビートルズ関連のカバーイベントに出続けたことになる)
何をやろうって話から始まった。

僕らの青春はビートルズだけではない。その周辺の60年代やザ・バンドとか70年代の
ルーツ・ロックと言われるものやニューソウル。そういうレトロブームの真っ只中に
多感な年頃だった訳。

その空気も有って輩出されるバンドもそんなレトロなカラーを纏った人達が多かった。

言わずもがなの"ブリット・ポップ"や"パワー・ポップ"若しくは"グラスゴー"とか
"ネオ・ネオ・モッズ"なんて括りはレトロなものがクールという雰囲気が作り出した
サブカルチャーの一つであった。あ、"スウェディッシュ・ポップ"なんかもそうだと思う。
日本だったら"渋谷系"。僕はこの括りが大嫌いだったけど、今聴くとオリジナル・ラブなんて
かなり良い音楽を演ってるななんて改めて思ったりもする。

そういう所をもう一度、再発見したい。そんな勿体ぶった言い方でなくとも
自分たちの青春はそんな所に有ったのだからそういうのをカバーするのって有りなのでは?

実際90年代に活躍したバンドの再結成が目立つ。グラストンベリーのブラーは感動的だったし
ドッジーやキャスト、スウェードだって再結成してる。こんな再結成も時計が一周り
したんだなと、そんな感じがしている。


「Country House」('95) blur 全盛期だね、調子にのってるなぁ(笑)


「Girl Friend(TV Live)」('92) Matthew Sweet ロックな演奏。マシューがまだアイドルっぽい!

じゃあ90年代のカバーから始めようかって方向性だった。

でも、Co-Ringoの一言で少し方向が変わっていく。


長くなったのでまた次回。最近昔ほどゆっくり書いてられないし
前より文を書くスピードが落ちたな。。書いてないからだろうけど。
posted by cafebleu at 22:31| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

何かを使い果たして、そしてこれからどうしようか

すっかり寡作になってしまったが。

いやはや、ここ数年毎度書き出しは仕事が忙しいとかそんなのだけど
それにしても今期は物理的な移動や課された件が重かったし、それは
単に技術力やコミュニケーションでカバーできるものでも無かったので
本当に疲弊感のある1年を過ごしている。

もう一つは自分が改修したり、一から作りこんできたものへの決別というか
それをどうやって人に手渡すことが出来るのか、正直仕事の疲れと別の次元で
大きなストレスを最近感じている。

正直自分がやって来たことは得意な分野だし、6年近く同じ職場にいれば
勝手も分かりきっているので、少なくとも今の会社で自分より担当している
パートに詳しい人間なんて居ない。伊達に遊ばないで20代後半に努力して来てないからね。
いや、遊ばないのではなく、遊んでるの、一人で機器とね。

そうでもしなきゃこの先が見えなくなる位の危機感も有ったし
(まぁ好きに生きてきたから自分のせいだけど)
やはり義父の死去が僕に与えた影響って大きいような気もする。

とは言え、僕は自分の仕事が大好きなので、暇が有れば家のルータのConfigだって
気が向けば変えたりしてる。趣味なんだよね、ITそのものが。
だからそれを下手の横好きにしないよう最低限のレベルは保っているはず。
いつも情報を集めたりしてる、と言うか無意識にそういう事が
頭に入るようになってる。そこは音楽と一緒。余程今となっては音楽で敢えて
得意じゃないジャンルとか聴くほうがしんどい。昔は勉強と思ったけど
音楽なんて人の勝手、好きなものしか聴きたくなくなってしまった。

やっぱりデレク・トラックスのギターに感心することは有っても無理して
ジャーマンプログレとかメタルを僕が必死に漁ることは無いし
最近流行りの何かを無理して知ろうとも思わない。
それはそれを好きな人達がちゃんと居るのだから僕が無理することではない。

僕は高野寛さんとライブで対面して、少し本人と会話が出来れば十分音楽を愛してきて
良かったと満足できるし、達郎さんのライブで圧倒的なヴォーカルに感極まれる
そんな感動が有れば音楽は事足りる。

でも、会社がそれを求めてない。人を操作しなさい、俯瞰しなさいと。
それは社会人の生き方としては至極真っ当で、年齢的にも当然の範囲か。
技術屋だけで生きているのも悪くないけど、そういう人材だけを求めるような企業でもないし
僕の年代に求められるのはここに居なくてもそういう事になる。

僕は立派な学歴がある訳でもなく、社会人になったのも20代後半から、
しかも最初はバリバリIT現場系だし、その後はベンチャーで好き勝手に。
技術なら自分次第でいくらでも磨けたかもしれないけど、社会人としての
研修とか、勉強とか皆無に近い。立派な人を迎えて受けるような社会人としての
人心掌握術を学んできたわけでは無いわけ。

だからここからは真にセンスで乗り切らなければならない。
センスというのが正しいかわからないけど、とにかく自分なりに解釈するしか無い。

だから僕なんかホントは何にも持ってないの。人の上に立てる人間でも
立ちたいわけでも無い。本当は孤高で友達も少ないし、一人でフラフラしてるような
そんな寂しい人間なわけで、一人っ子らしいひとりぼっちの視点を常に持っている。
そんな人間がこういう事になるのは何だか皮肉でも有る。

僕より才能や教育を受けた人間はいくらでもいるんだから。

でも、そんな自分に期待をかけてくれる人は居るのだから出来る限りは
全力を尽くすし、そこに公私もへったくれも無い。
大体僕は公私の境がそもそも周辺見渡しても曖昧な人間だし、趣味を
仕事にしたんだから覚悟はできてる。

それに最近私の上司になった人達は公私関係なく連絡する方なので
そこに合わせるというのがサラリーマンってもんだろう。
そもそも公私は別でと言いたいのなら余程大学前後で努力しないと
そんな事言っても周りは相手にしないし僕も認めない。
それを言えるのは自分自身が何処かで集中して努力した人なのである。

後は僕が苦労人だから努力したと言う人もいるけど、それもホントは言われたくない。
何かそう言われると、まるで僕が家庭に恵まれずひもじく育ったみたいだよね。
そういうの失礼だと思う。結局上から見てるのかと、そう思ってしまう。

昔身内にも「大学行ってない割にまともな考え方してる」って言われた時は
ショックだったし、そもそも大学行ってないとまともじゃないって失礼だよと
そう思った記憶だけが今でも心の奥で鈍く残り続けている。

家庭的に最後は色々有ったけど、僕は少なくとも子供の頃は両親の愛情を
受けて育って色々好きにさせてもらったし、バブル時代の事業主の子供だから
それなりに贅沢もさせてもらったと思ってる。小学生でモトクロスやらせてもらって
毎年スキーも連れて行ってもらって良い子供時代じゃないなんて親にも失礼だ。

ビートルズとギターを好きにやらせてくれた父親、離婚後の不安定期に
色々と面倒を見てくれた母親、義父に感謝している。

僕の生い立ちはさておき、人に何かを伝えるほどもどかしい事は無い。
引き継ぐと言うのにも範囲がある。僕は教師ではないので一から十まで
教えるのも正直ストレスを感じる。「そんなの自分でやる範囲でしょうが」と
言う部分はいくらでも有る。

でも、教えるのは好きではないのだけど、説明は得意なので、それがある意味
仇となってる。そんなのが人に評価されるのならSEではなくて、プリセールスとか
コンサルタントにでもなった方が良い。だってそれでお金が発生するものだから。

説明や準備をちゃんとするのは音楽時代の名残。音楽ではイニシアティブを取らないで
やってもつまらないので、僕は自分のやりたい方向性やスタイル、カルチャーから
アレンジまでいつも一本筋を通してた。つまり友人がくれた歌じゃないけど
エゴイストなのである。

音楽はそれで良い。そのエゴが有っても一緒に演ってくれる人はそのコンセプトに
のってくれる人なんだから。音楽でもエゴ、職人、アーティストとか色々属性が有るし。

でも僕は今の仕事のことも音楽も誰かに何かを教わったわけではない。
と言うか、ロックとかポップなんて普通教わらなくても出来るでしょう。
好きな人の真似をしている内に己のスタイルだってそれなりに出来てくる。

そう考えれば仕事も同じ。教わる事が悪ではないけど先ず自分で考えてみないと
血肉になる訳が無いのである。それが出来ないのならこの世界は向いてない。
モノ作りとは違うのだけど嫌いな人には出来ない世界、はっきりそう思う。
専門職とはそういう世界だと思う。

前も言ったけど、嫌いで音楽演る奴なんて居ないし、嫌なら辞めなさいと
誰もそんな音楽期待してないんだから。ITも嫌いならやらない方がいい。
毎日新しいことが出てきて苦痛になるだけ。

そういう意味で、僕のスタンスは音楽をやっていた頃と余り変わらない。
好きだから努力して解決策を考えてみたり、もう少し上達したいと思うこと
そういうアタリマエのことを考えている。そこに苦労人も何も関係ない。
苦労人だけがハングリーだとか努力するってのもある意味差別的だし
それはそれできちんと教育を受けて能力を発揮している人に対しても失礼。

要するに立場はどうあれ余り低い所に意識を置かないこと。
そこに生まれや育ちは関係ないと思う。

何だか仕事はやっぱり純粋に技術に向かってるよりはストレスがあるのか
こんな愚痴っぽいことばかりになってしまう。だからブログにも残し辛く
なってきているのだろうけど、こと仕事に関して言えば、僕が現場で右往左往
する最後の案件も終わった。皆の協力も有って無事にノートラブルで終えれた。

詳しい内容は言えないけど、今回の案件は物理的にも大きい話で
聞いた時から大変だなこれはと思っていたし、ノートラブルは難しいのでは?
と思うくらいだったのだけど、すんなり終わった。

手前味噌だけど、ベンダの選定も上手く行ったと思うし、何度も慎重に抜けがないか
確認したり作業をするため、東京と大阪を自由に行き来できた、またそれだけの時間や
金を与えてくれた事にも感謝している。

正直終わって半月くらい仕事をするのがしんどくて、初めて味わうような心境に陥った。
やれること、僕が得意な見落とさない部分を最大限使ったと思う。

仕事をやってきて初めて味わった「からっぽ」な気持ちを持て余しつつも
まだ次のことにアグレッシブに向かえるほどのモチベーションも無い。

そういう事自体が初めてだから戸惑いも有るけど、余り何もしないようにしてる。
実際はそこまで行かないけど、でも敢えて仕事も手を出さない。
まぁ人がどう言おうがそれくらいの構えで暫く過ごす権利は有ると思うけどね。

今までは転職した方が良いのでは?とか、今の仕事をどうやって効率よく
こなしていくの?と言う、言わばアグレッシブな疑問はいつも持っていたけど
今は転職とかも考えつつもそこまでしっかりとしたビジョンも持ってない。
さりとてこのままの気持ちで良いはずもなく、次は何をするべきなのか、何が
自分を駆り立てるのか、そんな事を思っている。

結局ここまでやってきたことをリセットして新しい環境にでも行かないと
もうそういう物は得れないのかもしれない。でもそういう時期なのか?と。

まぁ組織的に色々有りそうなので先ずは静観してみようと思う。
書いていてもやっぱり気の利いたフレーズも出て来なかった。

つまり、そういう時期ってことなんだろう。
posted by cafebleu at 03:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月10日

独りと向き合う年齢

2013年も明けた。
(書き始めたのは1月頭だったけど忙しくて放っておいたら2月になった)

このブログも一時的にやっていなかった時期は有るし
アメブロ〜自力(MT)〜Seesaaブログと場所を移してきた
中での事だけど、それでも最初の投稿が2005年12月だから
もうこのブログも細々8年目を迎えている。

僕の中には「10年続けると、結果が出ようが出まいが自分には何らかの成果になる」と
いう考え方が有る。そういう意味では区切りの10年まで後2年は少なくとも
時折文を綴ってみようと思うのである。

所で年頭にいつも何を書いてるのだろうと、ふと過去を見返してみると
去年は愛猫の事もあり1月は更新がなく、一昨年はその少し前に参加していた
初のWingsfanイベント参加後で少しジョンやポールのソロ作品の再発やポール作品が
ユニバーサルにレーベルが移ったことを記している。

2010年の最初は、年末に車が壊れて遠出が出来ない正月になったので
猫と寝正月を過ごしてるとか、エスプレッソマシンを買ってどうだとか
他愛もない感じである。

まぁそれ以上深追いしても仕方ないので止めておくが、やはり切り取った日々を
見返してみると、その時自分がどういう方向性を向いているかだとか
どんな事にこだわっていたか等が見えてくる。

そもそもが音楽の私的レビューから始まったブログだけど、途中から日々も
書くようになって、その頃といえば自分が技術的にどうすれば自分なりに秀でた
部分を持てるかというのに力を割いてるし、実際自分も技術的な事が一番の興味
だったのかなと思う。音楽もやってるけど技術課題の話が目に付く。

そこから少し経つと最近ではまた音楽熱がそこそこ高まっているのか、昔からの
レビューや、ライブを見てきたという話が増えていく。最も仕事の方で重きを
置かなければならないことが技術的なことから管理的な部分へとシフトしてきている
と言うのも有る。特に1年半前に上司が諸事情で退社してからは実質の後を担う人材が
居ないので残った人間でやり繰りしているという実情も有るからだけど。

しかし、最近はTwitterやFacebookのようなSNSの多様化も進んでいる中、自分も
それらを利用するようになってきて、特に短文での日常表現にはそちらの方が
具合も良いし、周囲とのコミュニケーションも図りやすいことから、ちょっとした
日常や想いはそちらで、ここは完全に長文の私小説的世界観になりつつ有るので
更新も少しつづ間隔が空くようになってきている。

実際仕事が忙しいと中々長文で日々を切り取るとか、音楽のレビューを書くのは
難しくなってくるものである。

個人的には震災以降、業務的にも人の配置的にも大きな変動が続いて
仕事を取り巻く環境にも変化が起こり続け、特に昨年は何度も土壇場に
追い込まれる中での仕事が続いて正直体調まで崩すほど精神的、肉体的に
追い込まれ続けた。

それはどちらかと言うと、仕事自体の拘束時間も有るけど、前のように
単純に技術的な作業をするだけでなく、その変更や導入を行った際の
責任者が立場云々の前に自分しか居なくなったというのも有るし
矢面に立つ局面が増えたというのも有る。でも結局技術的なコアも
引き続き自分であるわけだから、両面のプレッシャーは途中から相当な
もので、単純な仕事量とは別の次元で常に何処かで追い詰められていた。

それが現在も治療中の内臓疾患に繋がったのは間違いないんだろうとは思う。

とは言えピンチは常に次へのチャンスに成り得るので、今はそこで得た
失敗や今後の人材育成の課題をどう処理していくかにかかってると思う。

大体スポーツとかもそうで、ランナー背負って急に登板させられたとして
そのまま打ち込まれればもうこいつは使えないって話になるわけだし
逆にそこで一人もランナーを返さなければピンチを凌いだと評価されるわけで。

別に今のところ会社での立場が急に昇進したわけでも無いのだけど
それは30代もいよいよ最後半に差し掛かっていく年齢と、今の職場に来て
既に5年の月日が経ちつつ有る中で、否が応にもこれから僕は人やタスクを
管理すると言う事を、意識せざるを得なくなっている。

ある意味それは僕が得意とすることではない。自己管理はともかくとしても
実際僕は団体行動を常に子供の頃から苦手としてきたし、一人っ子で常に
自分の内面にある部分と向き合ってきたような者だからである。

技術的なことも、自分が興味を持ったわけだし、それで生きていけそうだと
踏んだというのも有るけど、元々は研究肌だと自分では思っているしいまだ
チームの誰よりも研究心や新しいことへの意欲というのは高いのが実情だ。

僕は最初からIT業界で生きていくのを決めた時に、この業種で生きれること自体
"2番目に好きなことで食えている"と言う意識を持っていた。
つまりこういう業種が好きなのである。

世間ではIT業界の就業形態の悪さや多重派遣、出向等が問題になっていて
そこに付随して"ITインフラのコンビニエンス化"が顕著になって、エンジニアや
オペレーターは24時間365日苦しめられていると言うような実情も有る。
開発現場でも過酷なプロジェクトを"デスマーチ"なんて表現する時が有る。
エンタープライズのインフラSEだって一つのシステムのライフサイクルが
どんどん短くなっている中で、ようやっと一つのシステムをリリースして
初期のバグや問題をFixしている内に次世代の構築準備は始まっているのである。

それを苦しいといえばそうなのかも知れないし、僕のようなネットワーク系の
人間にとって、それが企業であれ個人であれユーザの欲求は日増しに高まっているし
早くて快適に使えてるのが当たり前の時代である。スマートフォンやタブレットの
普及でユビキタス化はその言葉が多少陳腐に聞こえる現在でも浸透し続けてるし
実際に大げさなコンピュータなど持って歩かなくても誰でもITインフラを意識的で
あれ無意識的であれ利用している時代になったからこそわざわざユビキタスなんて
言葉を持ち出す必要も無くなったと言えるだろう。誰でも動画やSNSをやるのに
そこにネットワークをつなぐ準備なんて不要になっている。

その分だけユーザは我儘になっていくし、僕も一企業の中で、何も僕一人で
全てを賄っている訳ではないにせよ、ユーザの飽くなき欲求へ何処まで
答え続けないと行けないのかは時折疲弊を感じる時が有る。

それでも僕が就業している環境はブラック企業でもないし、多重派遣されて
居場所が落ち着かない訳でも無い、一企業のサラリーマンとしてその企業内で
腰を据えてネットワークインフラの面倒を見れている立場なのだからそれに
関してはまだ恵まれている方だし、確かにとても忙しいけど、構造改革以後の
格差社会の中で、少なくとも明日はもう仕事が無いかもとか、仕事自体が
見つからないと言う不安を抱えている人は沢山いるわけで、そういう事には
無縁な中で働けている事、そういう環境には感謝しないといけないと思う。

勿論会社にもいくらでも不満は有るし、転職だって全く考えてないわけではない。
今僕が居るところは旧態然とした格差社会の構図そのものでも有る訳だけど、
物事は差し引きしてプラスになるかどうかだとは思うので。

でも何よりも僕はロクな学歴も職歴も無く、音楽だけが自分の救いで
コンビニでバイトしながら休みもシフトも滅茶苦茶の中、薄給で20代後半まで
働いていた訳で、そこには明日なんて見える訳が無かったし、毎日
倉庫で重いペットボトルがたくさん詰まったダンボールを出し入れしていた
そんな時代のほうがある意味では余程苦しかった。最近の人はちょっと過酷だと
ブラックだの何だの文句を言い過ぎだと思う。賃金を稼ぐというのはそれだけ
簡単なことでは無いものじゃないかな。

何だか説教臭くなったけど、元々僕は好きこそものの上手なれという考え方を
特に技術職では重要視している。当たり前だけどギターを嫌いで弾く奴なんて
先ず居やしないし、嫌いなら楽器なんてやらなければ良い。それと同じである。

ネットワークが意図した通り、もしくはそれを超えて効率的なルートを辿った
時の感動や自分で初めてDNSやメールの仕組みを理解してそういったインフラを
構築できた時の喜びっていうのは好きだからこそ有ったわけだから。

実際今は好きと言うよりは現実の苦労も有る訳で、自分の生活を支えるための
ビジネスだとは思う。特に管理なんて言うのは正にそう。僕はそんな事が夢や
やりたい事ではなかった。僕は自分の立場やお金が許すのであれば研究や
勉強を続けている方が好きだったんだけど、またしても気が付いてみると
自分が意図した方向と少し違う所に来ている気がする。今の僕はサラリーマンとして
何処までやっていけるのかみたいな方向になってる。

ま、それも人生なんだよね。そう思える所は強くなってきた。諦めが良いというか。

でも、これからの課題は独りと向き合えること。自分が人やプロジェクトを管理
していくのならそれは避けて通れないんだろうと思う。同僚や後輩を集めて
仲良くやってきた自分に分岐点がもう数年先に訪れるんだろうなと。

独りには強いけど、誰しも孤独は寂しいもので、それをどうして行くのかが
40代や中間管理職の課題なんだと思う。

まぁまだどうなるか分からないけどね。

また音楽も綴るつもり。
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