2007年09月21日

Black Summer Rain

「英国人クラプトンからザ・バンド、特にリチャードへの憧れを純粋に描いた楽曲」

近日ヲタレンでセッションを予定している。

詳しくはまた機会が有れば綴ろうかと思うけど、今までの自分たちのレパートリーと
違う曲も含まれているので日々通勤車中のカーステレオから、もしくはiPodなどで
繰り返して聴いていたりする日々である。

そんな時に息抜きがてら聴いている内の一つがこの曲である。
76年発表のアルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』はクラプトンがクリーム解散後、
デラニー&ボニーなどとのセッションを経てどんどん”ダウン・トゥ・アース”志向に
走って行き、デレク&ザ・ドミノス〜ソロ活動の中で模索していた集大成と言える
作品であろう、もしくは「そうなるはずだった」としても良いかもしれない。



ダウン・トゥ・アースに対する憧れを露にしたのは1stソロである『エリック・クラプトン』で、
ここでは先述したデラニー&ボニー他、スワンピーなミュージシャンが多数参加して
ファンキーなサウンドを提供した。ややクラプトン本人が肩に力を入れすぎているきらいも
あるのだが、ここで聴かれる「レッド・ワイン」のようなサウンドがそのまま次の
デレク&ザ・ドミノスの『レイラ〜』に繋がっていくし、「レット・イット・レイン」「イージー・ナウ」
のように、クラプトンがようやっと作曲にも本腰を入れ始めたのがわかるような佳曲も
含まれていた。

実際にドミノス結成でこの世界観は花開き、アルバム『レイラ・アンド〜』はルーツ・ロックと
称されるジャンルの中でも名盤の一つと言ってよいだろう。

その後、ドラッグによる迷走が数年続いてしまうのだが、そう言った諸々を乗り越えて
作られた74年の復活作『461オーシャン・ブールバード』はよりリラックスした、そして
ダウン・トゥ・アースな雰囲気をサウンドだけでなく、精神的にも会得したような少し
ルーズで時にファンキーなクラプトン的”レイド・バック”サウンドの完成形と言うべき
アルバムに仕上がった。

更にこのアルバムからのシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の大ヒットで、彼の70年代
の路線はほぼ決まったと言っても良いだろう。

翌年の『安息の地を求めて』ではさらにダルになって、余りに非商業的になり過ぎたのか
ヒットはしなかったようだが、このアルバムの緩いグルーヴが好きだと言うルーツ・ロック好き
の人は意外と多いだろう。僕もこのアルバムが70年代のクラプトンのアルバムでは一番
好きである。最初は寝てしまうくらい緩いのだが。クラプトン作の
「ベター・メイク・イット・スルー・トゥデイ」は名曲だと思うし、ミドルのソロも短いながら
素晴しい。

アメリカ的ルーツ・ロックへの憧れが始まったのはクリームで活動している頃にザ・バンドの
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を聴いて衝撃を受けたからだとクラプトン本人も良く
語っているが、このアルバムが少なくとも当時のミュージシャン達に与えた影響は
計り知れないほどだろう。それくらい当時の、少なくともメジャー・シーンでは耳にしない
ようなサウンドだっただろうと言うのは容易に想像が付く。

話が逸れるが、いつだか『レコード・コレクター』誌でビートルズの
『レット・イット・ビー』特集が組まれた時に、
「このアルバムはどこかでザ・バンド的なニュアンスも狙おうとしていたのではないか?」
と言うような事が書かれていたのを思い出した。
このアルバムでやりたかった「ライブ感のある、そのままのビートルズを伝える」と言う
コンセプトにおいて完全に失敗してしまい、結局フィル・スペクターに体裁を整えてもらう
事になるのでそんな風情は一聴すると感じられないのだが、近年どういう理由かは
知らないが、突然『ネイキッド』が発売された事で、そんな説にも耳を傾けてみたく
なるようなヒントは感じられたと思う。但しビーヲタならわかっていると思うが、『ネイキッド』
はネイキッドでも何でも無く、現代編集技術を駆使して極めて巧妙に”エディット”され、
素晴しいイコライジングを施された編集版に過ぎないのだが。

ビーヲタの話は置いといて、ザ・バンドへの傾倒によりルーツ・ロック的な世界に進んだ
クラプトンであるので、その到達点として彼らとの共演と言うのは自然な流れだったと
言えるだろう。事実『ノー・リーズン・トゥ・クライ』のオープニングは、最も彼がファンだったと
思われるリチャード・マニュエル提供のナンバー「ビューティフル・シング」で幕を開ける。

「集大成となるはずだった」と最初に書いたのがどういう意味かと言うと、このアルバムは
ザ・バンド他多数のゲストが参加して、クラプトンのルーツ・ロック路線に華を添え、
ソロ以降のキャリアの到達点と言っても良かったのだが、実際のところは思うほどマジックは
起きておらず、少々散漫な印象も拭えない作品という見方もできるのだ。

確かに渋いがマニュエル的世界を味わえるタイトル曲も悪くないし、リック・ダンコとクラプトン
で共作した「オール・アワ・パスト・タイムズ」はロマンティックな作品である。
オーティス・ラッシュのマイナー・ブルーズをカバーした「ダブル・トラブル」も迫力がある。
しかしながら、バック・バンドであるマーシー・レヴィ(マルセラ・デトロイト)が丸々歌う曲が
クラプトン名義のアルバムに必要なのかとか、ディランと共演した「サイン・ランゲージ」が
到底両者の良い面を表してるとは思えないとか、上手く行っていない試みも散見している
のである。

今、改めて流して聴いてみるとやっぱり悪くないかなとも思うのだが、やはり前2作ほど
個性的なクラプトンの世界観は通底出来ていない気がするし(セッション色が強いから
当たり前かもしれないが)、単に「ザ・バンドとディランが好きだから一緒にやった」と言う
程度の理由しかここからは推し量れないような気もするのである。

じゃあこのアルバムが嫌いなのかと言うとそんな事は全く無くて、むしろサウンド的には
好きなほうなので本当に評価に困るのではあるが。

一番の理由はもしかすると、本人の楽曲がイマイチだからかもしれない。ザ・バンドや
ディランはどんなにダウン・トゥ・アースになろうとも、本人たちの楽曲ありきでその世界観
が成り立っているのだ。それに比べるとこのアルバムは楽曲提供やカバーが主な曲に
なっていて、本人の姿が余り見えてこない、そんな気もしてくる。どう贔屓目に見ても
「ハロー・オールド・フレンド」がザ・バンドに匹敵するような楽曲だとも思えない。

と、トータルだと何とも評価しづらいアルバムではあるのだが、僕はこのアルバムの最後
(オリジナル盤での話。現行のCDはボーナスがある)に入っている「ブラック・サマー・レイン」
がクラプトン作曲の楽曲の中でもベスト3に入るほど大好きな曲である。

楽曲、アレンジ、クラプトンのヴォーカル共に明らかなザ・バンドへの憧れを体現したかの
ようなナンバーである。イントロのギターの音でほぼこの曲は決まりだろう。

フェンダーのギターとフェンダー・アンプのリバーブでしか成し得ないトーンがはっきりしつつも
潤いのある「贅沢な音」。恐らくはロビー・ロバートソンが弾いていると思われるピッキング
ハーモニクス音もここでは決して耳障りに聴こえない。これこそが本当の意味で
「良いギターの音」と言える物、少なくともギタリストの端くれである僕はそう思う。

楽曲もロマンチックかつメランコリー、クラプトンのリチャード・マニュエルそっくりなヴォーカル。
そのどれも中々味わい深い。そしてそんな彼らの演奏をハモンド・オルガンがふわりと包む。

最後の控えめな二人のギターにおける語らい(バトルでは決して無い)も捨てがたい。

本当に良い曲である。ほとんど何処でも語られていないし、本人も取り上げないので
忘れ去られたようになっているが、間違いなく「影の名曲」である。

このロマンチックさが後に「ワンダフル・トゥナイト」のような英国人らしくある意味歌謡的な
バラードへも発展していくところがクラプトンらしいなとも思う。

実際このアルバム以降クラプトンはすこしづつ自らの原点と言うか、英国的な所に回帰
していく事になり、バンドの面子もアメリカ人主体から英国人主体へと移って行く。

そんな話の続きはまたクラプトンの事を綴る機会が有れば。
posted by cafebleu at 01:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Eric Clapton | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月01日

Little Wing

「同志への静かで熱い追悼」 by Eric Clapton


クラプトンのクリームとは違った意味で黄金時代といえる
70年代のライブを収めたBox『クロス・ロード2』は
中々好編集盤だったと言える。

70年代のクラプトンはただギタリストであると言う前に、
一人の作曲家としても本格的にスタートを切った
時代でもあった。そしてそんな作家性のインスピレーションには
デラニー&ボニーやザ・バンド(特にリチャード・マニュエル)、
もしくは同じ英国人で同様に当時の英国的
「様式美的ハードロック」に背を向けていたスティーヴ・ウィンウッドや
ローリング・ストーンズなどもあったかもしれない。

「リトル・ウィング」は説明も不要なジミ・ヘンドリックスの
名バラードである。僕はジミヘンの熱心なファンとは言い難いのだが、
彼の書くバラードの多くは他の誰にも真似の出来ない美しくて
少し特殊なコード展開が素晴らしい。

この曲は以前、デレク・アンド・ドミノス時代にスタジオ盤でも
カバーされてるのだが、この『クロスロード2』に収められている
ヴァージョンは出色である。



レイドバック時代らしく、アレンジやテンポはかなり緩い。
ぐっとテンポを落とし、ギターの音数を減らして
その空間にはハモンドの音が広がる。
そしてクラプトンらしくオリジナルよりも
一層メランコリーにこの曲を解釈している。
そしてメランコリーな曲では先ず間違いなく
素晴らしいソロを弾く人でもあるのでこのギター・ソロも素晴らしい。

本来アウトテイクなのでややプレイにミスや
雑なところも無くは無いのだが、
そんな生々しさも含めて息遣いを感じるようなソロに心を惹かれる。

クラプトンは極めてオーソドックスなスタイルのギタリストだ。
基本の中の基本でギターを弾く人。ギミックも無い。
それでありながらポピュラー・ミュージックの歴史の中で
大きな足跡を残した事は特筆に価することだと思う。
ミック・テイラーやピーター・グリーン、もしくは
デイヴ・メイスンでは辿り着けなかったところまで行った。

だからこそ晩年はただの商業音楽になってしまったとも言えるのだが。

でもこのBoxやデレク・アンド・ドミノスのライブで
ワウ・ギターを16で引っ掻き回すクラプトンは
確かにクールな英国青年だった。
posted by cafebleu at 02:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Eric Clapton | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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