2012年09月29日

高野寛 Live at VACANT Harajuku 2012.9.27

"肩肘を張らないことにこだわり続ける姿勢と裏原宿から聴こえた90年代の残り香"

さて、秋も少しづつ深まり始める中、そんな季節にふさわしいと
思えるような温かみの有るライブを行った高野寛さんの話を。

実は8月24日に吉祥寺キチムで行われた"高野寛+伊藤大助"のライブにも
行ったのでその時にレビューを書こうと思ったのだが、残業が思うよりも
長引いた上、当日飯田橋に居たのでそこから急いで吉祥寺まで向かったものの
残念ながら開演から1時間近く遅れてしまい、余り全貌までは捉えられなかった
のでそれで一回分を埋めるほどの情報を得れなかった。

その後、今度は彼のソロ名義でのライブが原宿VACANTにて有るのを知ったので
今回は地理的にも近いし、オフィスでの仕事だったので何とかデスクワークを
調整して平日の18:30という中々ストイックな開演時間にも間に合わせることが出来た。

僕はVACANTに行ったのは初めてだったのだが、相方によるとここは元々DEPTだった
所のようで、今はライブスペース+ギャラリーと言ったような、如何にも裏原宿や
表参道らしいアート・スペースといった趣の様子。

ミュージシャンのライブも時折開催されているものの、メインストリームからは
一歩も二歩も距離を置いたような、そんな一筋縄では行かない人たちが出演している。

高野寛さんの近年のスタンスというのは基本的にライブハウスやホールでライブを
演ると言うよりは、こういったギャラリーで有るとか、ライブも出来る洒落たカフェなど
が多くて、それは8月のキチムでもそうだったし、その間にゲストとして出演した時も
渋谷の伝説的ロック喫茶、『BYG』でのライブだったりした。

僕は彼を「虹の都へ」で知った典型的な世代なので、そういう意味では彼がアリーナで
やっていた時代も知っている訳だし、高橋幸宏に見出され、トッド・ラングレンに2枚も
プロデュースされているという経歴からも、ポップ・ミュージシャンとしては明らかに
エリートな彼とこんなに近くで気軽にふれあえるものなのかと
未だ良い意味で腑に落ちないで居る。

さておき、ライブはふらっとカリンバを手にしながら登場し95年の名作『Sorrow And Smile』
収録の「On And On」からスタートした。うーん、サブカルである。

その後アコギを持ち最近亡くなったバート・バカラックの作詞パートナー、ハル・デイビッド
の追悼として、「Me, Japanese Boy」を披露した。英語の曲が苦手なので余り歌わないと
言っていたが、十分に美しい発音だし、バカラックの難しいコードをさらりとギター一本で
弾き語ってしまう辺りに彼の器用さを感じるのである。ハーパーズ・ビザールで有名な
曲なのでこれもサブカル的である。

その後途中からパーカッションとして近年のアルバムでドラムを叩いている宮川剛さんも
加わり、引き続きカバー多めで進行していく。

途中カエターノ・ヴェローゾのカバーなんかも演る辺りはやっぱり90年代的サブカルチャー
を強く感じたし、僕もそんな時代を過ごしてきた人間なので何となく時が少し戻ったような
そんな感じを受けながら暖かい感じでライブは進行していった。

オリジナルでは現時点の新作『カメレオン・ポップ』から「君住む街へ」やFacebookでも
公開していた残暑の気怠さを表現したような新曲「ここでサヨナラまた明日」などの他に
過去の代表曲とも言える「Blue Period」「虹の都へ」やデビュー曲
「See You Again」なども演奏された。勿論?裏原宿サブカルチャーが良く似合う
アンニュイな「相変わらずさ」も演奏された。

「Blue Period」はオリジナルだとかなりキーボード主体の音作りなのだけど、
アコースティックにコードを鳴らすとまた響きも異なってくるし、やっぱり彼は
シンガー・ソング・ライターなんだなと思ったりもした。

途中ヴァイオリン奏者の方も加わって名曲「夢の中で会えるでしょう」を披露した辺りで
観客の雰囲気はピークに達した感じだったかな。やっぱりこの曲は凄い曲。
何か100人に満たない会場でサラッと本人に披露されるにはある意味名曲すぎるような
感じがするのである。ここではヴァイオリンでリフのメロディを奏でていたのも良かった。

本編のラストはこちらも評価の高い『確かな光』収録の「美しい星」のアコースティックな
バージョンで終わった。その後アンコールではタイトル曲「確かな光」も披露された。
「美しい星」は8月の"高野寛+伊藤大助"でも演奏されていたのでやっぱりこの曲は
特別な曲なんだなと改めて思ったり。

アンコールでは定番「ベステン・ダンク」等を披露しつつオーラスにはファンに
「ガット・ギターも弾いてよ」と促されて
(当日ガット・ギターも置いてあったがここまで使っていなかった)
初期の名曲「夜の海を走って月を見た」を弾き語りで披露して終演。

他にもモンキーズ(むしろ忌野清志郎が率いたタイマーズかな)やボブ・ディランの
カバーも有ったけど、全体ではそんな感じの進行だったかなと。

個人的な感想だけど、カバーも勿論ミュージシャンの人となりと言うかルーツや
興味を知る上でとても大切だと思うのだけど、高野寛さん程活動歴も長いと
良質なオリジナルでありながらも中々陽の目を見なくなっている曲も少なくないので
もっとオリジナル中心でも良いかななんて思ってしまう。

「やがてふる」「友達について」「一喜一憂」「Our Voice」「Time and Again」
「迎えに行くよ」「君といたいな」「フルーツみたいな月の夜に」「Everlasting Blue」

ぱっと思いつくだけでシングルや有名曲でなくてもこれだけ素敵な曲が出てくる訳だし。

威光を発するようなスタイルではないし、先述の通り近年は会場もライブハウス的な
所よりはカフェやギャラリーのようなところでの演奏が多いので、特別な照明が有るとか
ステージが高いと言う訳ではなく、そのまま同じ目線で観るような感じだった。

事実ドラムセットなんかもなくて、近年彼の作品でドラムを叩いている宮川剛さんの
器用なパンデイロやキックシンバルとかがかなりのアクセントになっていたけど
基本は愛用のハミングバードを抱えたアコースティック形式だから距離も近かった。
(最も席の置き方は最悪で、高野寛さんが立ち上がったらPAスピーカーの死角になり
全く見えなかったのはいくら同性でヴィジュアルだけ追いかけている訳ではない僕でも
へこんだけど。こういう所はやっぱり市民ホールとかのほうが見易いなとか思ったり。。)

それでもやっぱり彼を間近に感じられるのは、90年代から彼を知っているものとしては
何だかおいしいような、有難いような気持ちにさせてくれる。

この日はサイン会も有ったので実際アルバムにサインもしてくれて、握手もしてくれた。
僕は普段は相手を遮ってでも口から屁理屈が出るタイプ、特に音楽の時は。
でもね、この握手の時に一杯質問してみたいことが有ったのだけど、本人を前したら
頭真っ白というか、中学生の時『CUE』で彼を知ってからの時間がフラッシュバックして
「20年ファンです」って言うのが精一杯だったわ。ファンってそういうもんなんだね。

でも若いし細いし、男が見ても良い歳の重ね方してるよ、高野さんは。

比較的リアルタイムで追っていた時期や、少し離れた時期も有るのだけど
せっかくの縁でまたここ2ヶ月で2度も観る機会に恵まれたので、これからも
ちょくちょく顔を出させてもらおうかなと思う。

またライブハウスでバンドなんかもやってほしいな。彼のエレキギターも
素晴らしいのだから。

あ、エレキといえばエレクトリックシタールの名手でも有るね。
これもいつか見てみたいな。


「僕が言えることすべて」 浜崎貴司・高野寛

フライングキッズの楽曲もさる事ながら、高野寛さんのシタールとコーラスも名演。
posted by cafebleu at 02:37| 東京 ☁ | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

Kameleon Pop

"難しい時期にリリースされてしまったけど、作品としては純粋に好作"

『Kameleon Pop』(2011) 高野寛



既に前作やここまでレビューで個人的な想いや高野寛さんの活動については
触れていたりするので、ここでは早速レビューに移ろうと思うが、少しだけ。

現在のところのソロ最新作である『Kameleon Pop』は2011年4月に発売されている。

僕は彼の全てを追いかけている訳ではないのだけど、ソロのスタジオ・アルバム
くらいは大概押さえていて、すぐに買わないことも有るけど、情報くらいは知ってるし
実際リリースされて遠くない内に購入している。

ところが、2009年の前作『Rainbow Magic』から1年半と言う彼にしては短いスパンで
発売された今作について情報を知ったのは比較的最近で有った。

何故、最近彼の情報を追ってなかったのかとふと考えてみたが、それは間違いなく
このアルバムの発売時期に有るのかなと。

2011年4月と言えば大概の人なら覚えているだろうけど、東日本大震災の直後で
実際4月くらいの頃はまだその余波も収まってなく、続く余震や原発事故に伴う
不安などが蔓延している頃で(それらはまだ決して終わっていないけど)
本当に各自が今まで経験したことのないような焦燥感に駆られていた頃ではなかったかと。

僕個人のことだが、この頃は震災による状況変化もさることながら、それに伴い
仕事にも変化が起きていて、震災対応的に出張が頻発していた時期だった。
この頃のブログにもそれについては触れているが、改めて自分の文を読み返しても
生々しい感じがする。

震災のような社会的な事も有れば、仕事も出張だの家は引越しだの色々有ったのが
この時期で、何となく音楽をリサーチしようという時期で無かったのは確か。

そんな時期にリリースされたのが『Kameleon Pop』である。実際震災直後ではあるが
特に震災をテーマにしたような様子は無い。実際マスタリングも震災前に殆ど終わって
居るだろう時期だし。

山下達郎さんは『Ray Of Hope』のレコーディング中に被災したので、後にそれを
反映したと言うし、震災前に書かれていた「希望という名の光」という曲が
この震災後に大きな意味を持つようになったので、当初の予定を変えて、この曲を
コンセプトの中心に置くアルバム編成に変えたというのは比較的有名な話だろう。

そんな事も有り、本当に激動の時期にひっそりとリリースされた感の有る今作だが
一聴した感想は「前作のメジャー感はまた一段落して、少し落ち着いた感じに戻ったかな」
という感じではあった。しかしそれは一面的な聴き方で、このアルバムは名作だということも
長くなる前に伝えておこう。

実際前作『Rainbow Magic』の頃に既にほぼ完成していたり、イメージが出来ていた
マテリアルからが中心のようでそういう意味では兄弟的な性格のアルバムのようだが
部分的には相似点を楽曲からは感じるけど、音作りや、全体的なアルバム制作は前作で
久々に見せたようなメジャー・シーンを意識した感じではなく、DAWを前に高野寛本人が
作りこんでいった様子が伺える、そんな宅録感の有る作品である。

なので、自分的には好作なれど地味目かなと思っていたけど、やっぱり高野寛さん
何度か聴きこむとメロディが染み渡ってくる。心に響くものが有る。

さて、アルバムについてだけど

1曲目の軽快な「On The Timeline」でアルバムはスタート。
Twitterからインスパイアされての楽曲のようだ。なるほどタイムラインね。
ちょっとエレクトリック・ポップな感じなのはpupa影響との事。


「On The Timeline」('11)

2曲目の「Time Drop」は本人曰く"元はプリファブ・スプラウトのようなイメージだった"
とのことだが、もしかすると彼らの2009年作『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ミュージック』
を聴いてインスパイアされたのかな。特にパディの楽曲に似ているわけではないけど
何となく楽曲のアレンジに上記のアルバムを思わせるところが有る。アルバムの中でも
キャッチーな感じで良い楽曲である。

3曲目は何をいわんやトッド・ラングレンの名曲「アイ・ソー・ザ・ライト」のカバー
しかし、ただのカバーではなく、日本語詩でのカバーである。

ちょっと最初聴いたときはたまげたけし、大概こういう事を普通の人がすると
とても痛いことになりがちだけど、このカバーはいやらしくなく、すんなりと流れる。
サウンドも余りいじりすぎずという感じかな。トッドの曲をやっても違和感が無いのは
やっぱり初期のコラボレーションと彼がトッド・マニアで有ることの証左なのだろうか。

4曲目「雪どけ」はウクレレでレゲェのリズムを奏でつつも楽曲としては冬や
クリスマスを思わせる優しくて少しだけ切ない佳曲だが、この曲のベースになってるのは
スティングの「イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク」では無いだろうか。
とっても優しくて良い曲である。

6曲目と7曲目のみブラジルのミュージシャンとの共演による作品のようである。
「Skylove」は宇宙ファンなら御存知の通り70年代に稼働していた宇宙ステーションの
事で、実際サウンドもスペーシーな感じだけど、余りエレクトロニカに頼らず
バンドやグルーヴでそういう事を表現している。心地良いグルーヴである。

「壊れそうな世界の中で」は時期的には震災に関係が有るのかと思うが
そうではなく、ダムで消えゆく故郷をテーマにした楽曲だそうだ。
タイトル程重いサウンドではなく、ボサノバ調のリズムの小品と言った趣。

8曲目「Magic Days」はドラムンっぽいリズムが全体を貫く楽曲で、2004年
『確かな光』収録の「声は言葉にならない」でも聴けたようなアプローチか。
楽曲自体は普通にメロディに溢れているのもそうかな。

9曲目はタイトルを見ただけで誰でも解るYMOのカバー「君に、胸キュン。」である。
最初ジャケットを見た時"高橋幸宏との関係はわかるけど、この曲をカバーするのか・・・"
と不安になったけど、出来は中々良くて伊達に彼らの薫陶を受けてないなと思う。
ヴォーカルがいいよね。

10曲目「GLOW」は本人のエレクトリック・シタールが冴え渡るアルバムのハイライト。
マイナーという訳ではないけど、何処か憂いのあるメロディと心なしかメランコリックに
響く名曲で、サビのハーモニーも美しい。シンガー・ソング・ライターとして
ここまで20年以上活動してきた深みを感じる一曲だけど、何故かとても切なくなる。
何でだろう、僕も歳を取ったのか、こういう回顧的な世界観に懐う物が有るのかな。

11曲目の「十字路に降る雪」は本人もクリスマスソングと思ってもらって構わない
との事で。ワルツのゆったりとしたリズムが大きく包み込んでくれるような美しい曲。
クリスマスなんてある意味この歳になると陳腐に感じる時が多いのに、この曲は
そういう所で聴きたくなる、純粋なクリスマスソングって感じがする。

そう、それは何処かプリファブ・スプラウトの世界と通底してはいないだろうか。

12曲目「君住む街へ」はこのアルバムに伴うアコースティックツアーのタイトルにも
なった楽曲。"君住む街へ、カバンを転がして〜"という歌詞は中々出てこないかな。
メロディも何処かノスタルジック。

13曲目はちょっとしたボーナスって感じかな。

しかし、こうやってレビューを書くために何度かリスニングしながら書いてるけど
このアルバムは素晴らしい作品だと思う。前作のような派手さには欠けるかもしれないけど
全体の楽曲のレベルの高さは半端じゃなく、もしかすると前作以上かもしれない。

何だか発売時期で少し大変な時だったのでもう一歩話題が少なかった感も有るのだが
近年の活動の充実ぶりを伝える一作であると、そう思うし、ポップ・ミュージックが
好きな皆にも是非聴いて欲しい、そんな想いのする一作である。

ヒットだけがミュージシャンを測るモノサシではないことはニック・ドレイクや
スティーヴン・ダフィがいつも教えてくれるけど、89年の「虹の都へ」が無かったら
中学生の僕には彼に出会う術が無かっただろう。その頃に知れなければ今は名前は
知っていても聴いていなかったかもしれない。

あの曲から23年余り、いつも熱心にと言うよりは断続的に彼を追い続けてきたわけだけど
毎度とは行かなくても時折彼の作品だけでなく活動をもう少しチェックして
これからも変わらぬ良質な歌を聴かせて欲しいと、少なからず長く応援している
者として素直にそう思う。
posted by cafebleu at 00:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

Rainbow Magic

※当初UKポップ特集に戻ろうと思い、途中まで手を付けていたUKポップ特集用のレビューも
2バンド分夏休み中にまとめたのだけど、せっかく"高野寛+伊藤大助"の東京公演も
8/24に近づいており、僕は観に行くので引き続き彼の作品について少し続けたい。


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"久々に伝家の宝刀を抜いた会心のカラフル・ポップ・サウンド"

『Rainbow Magic』('09) 高野寛



UKポップと交互のように高野寛さんを特集してるけど、
いよいよ8/24のライブも近いので自分的に盛り上げてる。

前回は初期の2作を紹介したので、彼の近年のアルバムも
ここで取り上げてみようと思う。

最新のところでは2011年の『カメレオン・ポップ』というアルバムが
リリースされているけど、近年の重要作としては2009年の『レインボー・マジック』かなと
思うので、これについて書こうかと。

2004年の『確かな光』以降、ベスト盤を除くとオリジナル・アルバムのリリースから
しばらく遠ざかり、ソロ名義での活動はほとんどしていなかったと思う。
実際は細野晴臣やYMO(HAS)のサポートや、大きなものでは高橋幸宏と原田知世が集った
pupaへの参加もあった。しかしながらソロとしては比較的ブランクが空いていたのが
この時期だったと思う。

『確かな光』辺りまでは、打ち込み系のサウンドを取り入れつつも、どちらかと言えば
肩肘を張らない大人のサウンドメイクで、サウンドの中心にはアコースティックギターが
配されてるような、そういうポップの一線からはやや退いたような落ち着いた佇まいの
アルバムが続いていたのだが、デビュー20周年で久々にメジャーレーベルに移籍したことも
関係したのか、2009年の『レインボー・マジック』では久々にカラフルな高野寛サウンドが
散りばめられている。

先ず予告シングルとなった「LOV」が秀逸で、pupaから持ち帰ったようなスイートなシーケンスと
高橋幸宏による鋭いリズム、そして本人楽曲によるポップなメロディが渾然一体となって
素晴らしいポップ・サウンドを奏でている。


「LOV」('09)

それに続いてリリースされたのがこのアルバム『レインボー・マジック』という訳だが
アルバム全体も内容は非常に充実している。

ゲストにはpupaから師匠でもある高橋幸宏、お馴染みクラムボンの原田郁子、ハナレグミ、
コトリンゴ、そして細野晴臣に忌野清志郎(昔の二人のデモからマスターまで起こした)と
先輩後輩が20周年に合わせて集っているような印象だ。

アルバム全体に触れていくと、

1曲目の「Hummingbird」はアルバムの序章を飾るインストで、少しスピリチュアルな
印象の聖歌隊のようなコーラスにコトリンゴのピアノが音響的に利用されている。
そしてそれが導入になって先述の「LOV」に続いていく短い小品だが印象的である。

3曲目「道標」はカルテット位のストリング編成のリフに導かれて始まる優しい
メロディのポップ・ソング。サビ前のつなぎのメロディが高野寛の定番的な感じがして
ファンには嬉しい一曲。

4曲目「Timeless」もストリングがアレンジの主体にある楽曲。
打ち込みやギターは少しファンキーにまとめてるが、メロディやアレンジ全体は
柔らかめで彼らしい印象で、個人的にお気に入りの一曲である。

6曲目「each other」は恋人との距離や別れを抽象的に描いたと思われる
メランコリックな作品で、少し悲しげなウクレレからサウンドが徐々に
フルバンドになっていくような構成で、サビでアレンジが開けていくような感じだ。
こういうラブ・ソングの描写の上手さや、それに乗るメロディやアレンジの切なさは
彼にしか出来ない世界観で、彼の作品の中でも名曲の部類に入ると思う。

因みにドラムは坂田学である。

7曲目「CHANGE」は全編でクラムボンの原田郁子とオクターブのユニゾンで
歌う、ふんわりとした音響が包む抽象感の強い楽曲で、細野晴臣がベースを
弾いている。何となく90年代サブカルチャーを強く感じる一曲で、中々
良い曲では有るが、後輩である原田郁子の存在感のほうが強い感じがする。

8曲目「今日の僕は」が忌野清志郎との共作曲で、実際は92年の作品『tha@nks』の
頃のアウトテイクを素に作品化したもののようである。このアルバムリリースの
時点で既に忌野清志郎本人は他界していたので、貴重なテイクとなった。
忌野清志郎本人も12弦ギターとコーラスで参加している。

9曲目「小さな"YES"」は派手な曲ではないが、彼らしい良質のメロディが
包み込む楽曲である。

12曲目「PAIN」はアルバム後半のハイライト的な存在のスケールの大きな楽曲で
彼らしいシンコペーションの多めなAメロから始まるが、サビ自体はジョンの
『マインド・ゲームズ』のようなアレンジで、ジワジワと盛り上がっていき
後半のサビのパートを繰り返していくパートは感動的な展開である。

13曲目「明日の空」は彼にしてはラフなアレンジのシャッフル・ポップだが
一聴してそれと解るコーラスを歌うのはハナレグミである。
高野寛本人が弾くベースがもろにビートリーだったりと聴き所は有るのだが
少しハナレグミとのハーモニーにマジックが起きていないかなと思ってしまう。
ちょっとハナレグミのパートが雑すぎる気がする。忙しいのかな。

15曲目「Black & White」は本作からの2ndシングルになった、彼にしては
ロックな雰囲気の有る楽曲である。しかし、ロックとは言ってもそこは高野寛
マイナー系のメロディで始まりつつもメジャー系コードへの進行の妙も味わえる
気の利いたシングルらしい楽曲で、こういうシングルっぽい曲でのキラメキが
近年のアルバムでは聴けなかったので「LOV」と共にこのアルバムで主役級の楽曲
として重要な役割を果たしている。


「Black & White」('09)

そして最後の16曲目にはボーナス的に「虹の都へ」のセルフ・リメイク・ヴァージョン
が収録されている。結構音を出したりする楽器やリズムは変わっているのだが
基本的なアレンジの素は変えてないのか、大きな違和感なく、この曲の基本的な良さは
変わらないといった印象である。

レコード会社の意向も有ったのかもしれないけど、それにしてもメジャーレーベルに
戻ってきて、敢えて自分をそのシーンに引き上げたこの楽曲ともう一度向きあったことは
彼の意志であると、そう僕は感じている。

相変わらずアルバム全体の粒ぞろい感は相変わらずで、僕は時にこの平均的な
レベルの高さがかえって突き抜けて聴こえないので、彼を"玄人志向"にして
しまっているのではと邪推する時が有るのだけど、今回はそれに加えてメジャー
シーンも意識したような楽曲のカラフルさや、多彩なゲストによるバラエティも
有るのでポップな玉手箱的としても聴きやすく、かつ理想的な作品のようにも思える。

ここまでの彼の作品ではベスト3に入るような、そんな力作だと感じている。

サウンド云々ではなく、流れとしては、やはりゲストが多数参加して多彩な感じに
映った95年の『Sorrow and Smile』に雰囲気が似てる感じもする。
この時は「夢の中で会えるでしょう」という後に多くのミュージシャンにカバーされる
名曲を生み出している。

僕個人の感想だけど、高野寛という人は玄人好みとか、僕らの世代のように90年代に
サブカルチャー・ブームが有って、その中で彼を先人的に評価し、尊敬した人達によって
ミュージシャンズ・ミュージシャンとしては常に高い評価を得てきたと考えている。

しかしながら、彼は好事家のコレクションに留まるような才能ではなくずば抜けたモノを
持っている。それは逆にそういったサブカルチャーのミュージシャンとの共演の中で
やっぱり強く感じるのである。だからもっともっと幅広い支持を得ても不思議ではないと
思うし、これからも歳相応に枯れていくだけでなく、もっとカラフルでポップでキャッチーな
世界観を聴かせて欲しいと、長く彼を応援してきた者としてそう願っている。

いよいよ8/24は彼のライブなのでその日が今から楽しみである。
posted by cafebleu at 23:55| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

CUEの時代とAWAKENING その2

さて、続きを書こうかな。今が比較的時間が有るので。



先に書いた通り、90年の『CUE』と91年の『AWAKENING』は
双方ともトッド・ラングレンが連作でプロデュースしており
内容的にも兄弟作と言えるかと個人的には思っている。

実際この時期のライブでは上記のアルバムからの選曲が
主になっている。

恐らく『CUE』収録の「虹の都へ」の大ヒットも有ったので
レコード会社等の保守的な意志も働いての連続でのトッド起用と言うのも
有ったのかもしれないが、そのヒットも功を奏して『AWAKENING』には時間も
お金も割かれている、そんな風にも感じる。

そういった意味でもトッドとのコラボレーションということでは
このアルバムではより深化しているとも言えるのではないだろうか。

このアルバムでの大きな違いを上げるのなら、インスト曲が多いことだ。
全14曲中、実に5曲がインストである。それらは同じメロディを異なるアレンジで
聴かせたりと、全体のコンセプトをまとめるような働きをしているのも特徴だ。

1曲目の「Proteus March」はかなりユートピア風味なインストで、ちょっと
クロスオーバーのようなサウンドなのも特徴だが、この時代らしいと言えば
そうなのかもしれない。そして、ここで出てくるメロディがアルバムを通底する。
いきなりトッド色が強く打ち出され、ヒットの自信も得てかこのアルバムでは
ある意味やりたい放題トッドの魔法が炸裂する。

2曲目「目覚めの3月」に合間なく繋がり、コンセプト感も高い構成である。
この曲も比較的有名な楽曲だろう。少し癖が有りつつもこの頃の彼らしく
比較的キャッチーにまとまっている。

3曲目「Smile」は大凡この当時の日本人が作るとは思えない洋楽的なセンスの
楽曲で、かなり風変わりな変態ファンク・ポップと言った趣向である。
ギターのサウンドがトッドっぽいなぁと最近聴いて改めて思ったりする。
なんだろう、もしかして二人はビートルズの「タックスマン」のような曲を
やっているつもりなのでは無いだろうか。そうだとしたら恐ろしい。。。
個人的にはかなりお気に入りだが。

5曲めもファンキーに始まりながらおかしなベルのようなキーボードが炸裂して
錯乱状態の楽曲である。で、歌詞も「テレパシーが流行らないのは理由がある」
みたいな感じで、好き放題やってるが、ポップとしては完成してる。

8曲目「エーテルダンス」はファンにも人気のワルツな名曲である。
タイトルなんかも含めて彼にしか生まれ得ない一曲だと思う。

9曲目「Our Voices」はキーボードのイントロを聴いた瞬間にポップ好き(トッド好き)なら
ニヤッとしてしまうだろう。明らかにトッド・ラングレンの「Fade Away」を思わせるピアノの
イントロから始まる。最も曲としてはもう少しメロディアスで美しい楽曲で、そこには
完全なオリジナリティが有るけれど。


「Our Voices」('91 Live)

11曲目「ベステン・ダンク」は引き続きミズノのスキーウェアCMに起用された代表曲で
詳しい説明は不要だろう。キャッチーなサビとシュガーコーテッドされたサウンドが
耳に馴染みやすく、個人的には彼の楽曲で最も好きな曲の一つである。

この曲が彼を深く知りたいきっかけになった曲なので。
子供の頃の記憶力も手伝って、この曲のCMは比較的鮮明に覚えている。
こういうスキーを洒落て楽しもうみたいな文化が流行っていた頃で、バブルの
影響も有って派手にCMも展開されていたなと、そんな事を想い出す。

文句なしにキャッチーなサビから始まって、途中のブリッジ辺りまで含めて
完璧な楽曲なのだが、今聴くとトッドのシンセ重ねも炸裂していて好き放題な感じ。
でも、そんなサウンドが冬のCMにピタっとハマってヒットに繋がったのかなと思う。

13曲目「こだま」でこの時代にしてはかなりアンビエント的な世界観を提示して
アルバムは終わっていく。でも、何処かブライアンの『ラブ・ユー』のような
サウンドにも聴こえるのはこの二人の趣味だろうか。

ラスト「船に乗った魚」はノスタルジックな感じのインストで、このアルバムを
静かにクローズしていくような役割を果たしている。今聴いてもこの曲はほとんど
印象が変わらない。そして切ない気持ちになるのだが、それは歳のせいかより多く
感じ取るようになっている。

全体としては純然たるヴォーカルのある曲は9曲で、後はテーマメロディをアレンジしながら
聴かせるインストが入っている構成なので、もしかしたらヒット後の
アルバム制作スパンを少しでも縮めるために急いでレコーディングに入ったのかも知れない。

そういう意味で楽曲数は意外にも多くないのだが、それを埋めるためであれ、
全体をリンクさせているインスト曲にも効果が有るし、予算やヒットに支えられ
サウンドには全体的に余裕を感じられる気がする。彼ららしさも前作以上に強く
出ていると、そんな風にも邪推できるのがこの『AWAKENING』なのである。

これを最後にトッドとは袖を分つので、そういう意味でも貴重な一作だし
ここから先の彼は徐々にメインストリームから離れていく印象も有るので
自身がヒットやサウンドメイカーとしての才能だけではなく、存在としても
アイドル的な感じを持ちながらバリバリのフロントマンとして活動していた時期の
一つの頂点としても、このアルバムはそんな高野寛の瞬間をパッケージしたアルバムだと思う。

時代を感じるが、時代を感じるから今が有る訳で、その中にある楽曲の芯は
少しも錆びれていないし、今の彼に続いていく道のように思えるのである。
それが有るから2000年代以降、僕らの世代のミュージシャンにリスペクトされたのだと
僕はそんな風に思いたい。


「夢の中で会えるでしょう」高野寛+坂本龍一

また、機会を見て、彼の最近作なんかも触れていきたいと思う。
posted by cafebleu at 00:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

CUEの時代とAWAKENING

"トッドも認めた僕らの世代の素晴らしきポップ・マニア"

『CUE』('90)『AWAKENING』('91) 高野寛



ブリット・ポップ特集と言っておきながらいきなり反れてしまって
何だが、僕がポップ好きになったきっかけを辿って行くと、この人も
重要なキーパーソンであり、最近彼の古めの作品に改めて耳を傾けているので
少し書き残しておこうかと思う。


「LOV」(2009) 高野寛

近年のアルバム『Rainbow Magic』に収録されていたカラフルでキャッチーな
ポップナンバー。ファンにとってはこれぞ高野寛って感じの会心の一曲である。

ここ10年くらいのアルバムではアコースティックなアプローチが増えていて
それはそれで良いけど、カラフルでポップな世界も誰よりも似合うのである。



高野寛さん(以下略称)は80年代後半から現在まで表舞台から裏方まで
幅広く活躍している音楽家と言って良いだろう。

実際一般的には今を辿ること約23年前!のヒット曲「虹の都へ」「ベステン・ダンク」が
有名では無いだろうか。他にも90年代前半まではCMソング「泡の魔術」や本人も
ドラマ『揺れる想い』に出演したりと、音楽の枠を超えてメインストリームで
活動していた時期も有った。

その後は本人の作品自体は寡作になっていくけれど、プロデューサーを中心に次世代
音楽家の発掘役的な役目を担っている。その最たる例が自らも参加したナタリー・ワイズで
有ったり、プロデュースしたスーパー・バター・ドッグ(ハナレグミ)やクラムボンと
言った2000年代のサブカルチャーを支えたミュージシャンを後ろから支えたと言うのも
比較的有名な話だろう。

自身も師で有る高橋幸宏が参加しているYMOのサポートや、彼の呼びかけで原田知世を
アイコンに据えたpupaにも正式メンバーとして参加している。

こんな風に活動のエリアや役割には都度違いは有れど、長年にわたって一線で活躍
しているのが高野寛という人で、文で書くと一件節操が無さそうに見えるのだが
彼の道は基本的にトッド・ラングレンや高橋幸宏に見出されてから一本の道で
繋がっていると、そう思うのである。

そもそもが若い世代(当時)のミュージシャンからのリスペクトが有ったからこそ
コラボレーションが行われていた訳で、彼を表舞台の評価だけでなく好んだ輩が
僕らのような90年代前半に多感な時代を過ごした者たちという事になるだろう。

という訳で、高野寛は89年のシングル「虹の都へ」でオリコン2位と言う
大ヒットを飛ばして一気にメジャーシーンに駆け上がるのだが、当時彼のシングルを
購入した者の内、どれだけの人がこの曲のプロデュースがトッド・ラングレンと
認識したのであろうか。

当時中学生だった僕は当然ながらそこまでの情報が無いままこの歌を耳にしていたのだが
最初から彼を追いかけていたわけではなかった。

この頃巷ではバンドの公開オーディション番組『いかすバンド天国』(通称:イカ天)が
一大ブームを巻き起こしていた。当然ながら僕もそれを観るには観ていたのだが
既に小学生時代にはビートルズの深みにハマっていたので
(アビイ・ロードのB面を聴きこむ小学生は深みにハマってる)
イカ天のキワモノばかり持て囃される雰囲気には心の底で拒絶感すら感じていた。

当然周りの仲間で音楽や楽器に興味のあるものはこぞってイカ天を話題にしたものだが
僕はその頃本心を隠して話をしていたと思う。何故かといえば、当時の雰囲気で
ビートルズを好きだという中学生が共感されるわけが無かったからである。
実際に中学くらいまでは「ビートルズみたいな音楽がやりたい」と言うとやや馬鹿に
されていた記憶が有る。バンドやろうぜとかイカ天にほだされているようなガキに
なんでビートルズを馬鹿にされなければいけないんだと今でも少し恨んでいる位だ。

とは言えビートルズが好きなだけでは仲間とバンドが出来ない、、そういうわけで僕も僕なりに
当時の日本の音楽を聴くようにしていたが、特にイカ天で流行ったバンドは苦手だった。
最初期のフライング・キッズはソウル・ポップとして完成度が高かったので別格だったけど。

そんな訳で、直接イカ天とは関係ないが、サザンを少し深く聴いたり、山下達郎さんの
『僕の中の少年』に衝撃を受けたり(この出会いは後々大きな意味を持つがそれは別の機会に)
という後に繋がる邂逅も有ったけど、やはりこの時点で山下達郎さんは相応にベテランなので
同級生とのバンド会話に入っていける要素とは異なっていた。少年にとってはビートルズと
ある意味等しい大きな畏敬の念を持つような存在ではある。

こんな風に、ビートルズやイーグルスに舌鼓を打っていた耳年寄りな当時の僕にとって
巷の話題に合わせるために迎合していたのがこの時代で、上記の人達とは別に
僕の耳に何処かフックがかかっていたのが高野寛だったのである。

それが確信に変わるのが次のヒット曲「ベステン・ダンク」である。

この独特のシンセ・コーティングに包まれつつも楽曲としては非常にキャッチーな
所に心を惹かれて行った。確かスキー関係のCMで起用されていたと思う。

そうこうしている内に高校生になった僕は、トッド・ラングレンがプロデュースした
『CUE』と『AWAKENING』に耳を傾けていた。

その頃僕はまだ余りトッド・ラングレンを聴いていたわけではないのだが
一聴して何故だか当時を彩った日本のミュージシャンよりすんなり耳に馴染んだ。

何度も書いてる通り僕にとって音楽とはマイケル・ジャクソンで初めて音楽というものに
ハマって、その後ビートルズとの出会いで本格的に音楽に入れ込んでいくので
バンドブームも少し収まった高校の時点ではかなりの洋楽志向だった。
最も今でもそのベースは変わってなく、例えば僕らの世代が再評価したはっぴいえんどなどは
その評価より前に親なんかにザ・バンドを叩きこまれていたので、その影響下にある
日本人の音楽としか聴こえず、歴史的価値はともかくとしても余り好きではない。

要するに逆に追うのは結構難しいのである。

シュガーベイブなんかも山下達郎さんという不世出な才能の虜になったからこそ聴ける
という感じで、単純に日本人の70年代バンドとしては、時代を鑑みれば凄いとは思うけど
その時代の米ルーツ・ロックを聴けばほぼ満足してしまえるという感じはする。

僕にとって山下達郎さんはソロになって日本的情緒を超絶なソウル・ファンク解釈で
聴かせてしまうという方がむしろ好みなのも彼のレビューで触れていると思う。

そういう典型的な洋楽至上主義な僕にとって、高野寛は当時から特別に聴こえた
一人だったと言う訳。勿論当時はその理由を論理的に捉えていたわけでも無いが
それは彼の洋楽的な志向とこの時代のトッド・ラングレンがプロデュースで得意と
していた"ハイパー・ビートル"なサウンドがかえって僕には聴きやすかったのだと思う。
このサウンドとは後にXTCの『スカイラーキング』で再会することになるのだが。

閑話休題、トッドがプロデュースしたこの2枚のアルバムはチャート的にも彼の
全盛期を捉えた作品で、そういう意味でのテンションも高い作品である。

トッドというある種の狂人的な異彩と高野寛のキャッチーな楽曲が奇跡的に
マッチして「虹の都へ」のような大ヒット曲を産んでしまったのは、今考えると
かなり貴重な事だったようにも思える。

高橋幸宏プロデュースという鳴り物入りで80年代後半にデビューした彼であるが
自らが尊敬するトッド・ラングレンのプロデュースという勝負に出て商業的にも
成功できたのは幸せなことのように思える。勿論トッド・ラングレンと言う人は
とても難しい人だろうから、2作もアルバムを作ることは容易成らざる作業で
有ったことは想像に難くないが。

根底に非常に似た部分を持つXTCですら『スカイラーキング』で大喧嘩になり
二度と顔を見たくないと今でも言ってる位なのだから。ま、作品が出ただけでも奇跡か。

「虹の都へ」のヒットも関係したのかもしれないが、既に2作目でセルフ・プロデュースも
行なっていた彼にとっては敢えて敬愛するトッド・ラングレンと正対することによって
得た成果は小さくなかっただろう。そこに「虹の都へ」の大ヒットも舞い込んできて
予算の確保とか同じ路線でヒットを続けて欲しいなんて言う事情も相まったのかもしれないけど
それにしてもそこまで大きなヒットを持たなかった日本人のミュージシャンが海を渡り
トッド・ラングレンと2作も相見え、それが商業的にも成果を残したのだから苦労も有ったかも
知れないけど、一音楽家としては幸せなことのように思えるのである。

実際にアルバムの内容も充実している。この時期のトッドらしいいシンセサイザーの
過多とも思えるほどの多用と、もはや生ドラムという感じもしないほどコンプレッション
されたサウンドは一見人の心が伝わってないようにも感じるかもしれないが、そのシンセの
ちょっと今聴くとチープにすら思えるほどの執拗な単音のメロディ追っかけや、多数の音色とか
ジェリー・マロッタ(『AWAKENING』に参加)辺りの曲調を問わない容赦無いパワーヒットっぷり
とかはシュガーコーテッドされたサウンドの中からでも生々しく聴こえてくるのである。

XTCの『スカイラーキング』は録音時期も近いのでやはりプロデュースやアレンジ面で
似ている部分があるが、アンディがトッドと大喧嘩してでもエゴを通そうとしたこちらに
比べると、高野寛はもう少し従順?だったのかある意味好き放題にやっている感も有る。

アルバム単位で少しレビューしてみると『CUE』は序盤で「虹の都へ」が登場。
サビを単音ユニゾンで執拗に追い回すところやパーカッションの使い方など
トッドらしさが実はよく出ている一曲で、XTCの「ミーティング・プレイス」辺りと
アレンジ・アプローチが良く似ているように思える。

3曲目「やがてふる」は彼の楽曲でも5指に入るほどお気に入りの楽曲である。
当時らしいキーボードが主旋律を叩き、その周辺をメロトロン的なサウンドが
まとわりつく箱庭らしい箱庭ポップのアレンジに日本人らしい旋律が乗る。
このサウンドが嫌いならポップは嫌いなんじゃないかと思えるほど王道箱庭系?

高野寛を最初に聴いた中学時分に、この曲が最初からお気に入りで、その理由なんて
特に当時は考えても無かったけど、今聴くと、このアレンジの中のメロトロン風サウンドが
ビートルズ・オタク扱いされ、実際中期のビートルズに絆されていた僕には聴きやすかった
のではないかと、そんな風に回想するのである。

5/4拍子のピアノに導かれ始まる「一喜一憂」も変拍子なのに親しみやすいワルツの
変形曲で、少しサイケな音像にも包まれて心地良い一曲である。静かな曲でも
色々な音が出てくる辺りがトッドらしいのかな。

9曲目「人形峠で見た少年」はサウンド的にはいきなりユートピアのような
ギターで始まる曲なのだが、サウンド以上に歌詞も興味深く、タイトルでピンと
来る人も居るかも知れないが、この「人形峠」というのはウラン鉱山の有った
岡山・鳥取県境に実在する「人形峠」を題材にした歌である。

ウランは既に日本に居るものなら知らない人は居ない原発のエネルギー源になる
あのウランで、この人形峠の鉱山では試験的に採掘も行われていたが、今は
もう行われていない。彼が当時から原子力に何らかの意見を持っていたことを
伺わせる。しかしながら曲調はそういうシリアスさの前にトッド主体?の
ユートピア風味なアレンジが目に付くような気がする。

9曲目「友達について」はメロディも歌詞の内容もメランコリックなんだけど
中々良い曲である。


「友達について」 AWAKENINGツアー '91/7/18 NHKホール

10曲目「大切な「物」」も80年代のトッドらしい如何にもなサウンドなんだけど
僕は結構好きである。コードを弾くキーボードの音が何処にも無さそうな音がする。
でも延々弾いている、それがクドくて良いのである。シンセベースの音も良い。

13曲目「9の時代」はアルバムの実質ラストトラックで(次の「October」はボーナス的な感じだろう)
彼がこの作品を録っている時に迎えつつ有った90年代への歌だろう。

何といえば良いのか、この曲の歌詞を聴いていると、タイムカプセルを開けたような
気分になるのである。ここで歌われている「9の時代」は希望に満ちてるし、楽観的にも
聴こえるのである。それは80年代という日本がある意味幸せな時代に書かれたものだから
その視点から未来をポジティブに捉えているように映るのである。

残念ながら90年代はそんなにキラキラと夢に満ちた時代とは成らなかったのだけど。
でも、皆80年代はそう思ってたんだよね、とそんな郷愁にかられるのである。

さて、トッドプロデュースの2作をまとめて書こうと思っていたのだけど
やはり20年前を振り返ると、色々出てくるので長くなってしまった。

個人的には『CUE』も良いアルバムだけど、好きという点では次作『AWAKENING』のほうが
普通のヒットメーカーの振りをして相当ポップ狂的な部分が有るので好みだから
またその内紹介したいと思う。

追伸

8/24、吉祥寺キチムで行われる『高野寛+伊藤大助』に赴くことに。
個人的に大好きで後のポップ感に少なからず影響を与えられた一人と
言っておきながら彼のライブは観たことが無かったので楽しみである。
かなりニッチな場所でやるのだな、とは思うのだが。。

てっきりクアトロとか恵比寿ガーデンホールとかそういう所でやるのかと思っていた。
posted by cafebleu at 02:59| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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