『Lilac6』 The Lilac Time (2001)
最初に断ると、個人的なライラック・タイム作品のベストは
今回紹介する『Lilac6』である。とは言ってもライラックの作風は
多少の時勢を取り入れつつも、基本的に変わることが無いので
その時の気分によって私的"名作"が入れ替わることがあるのだけど、
少なくともこの作品は上位から転げ落ちることは無い。
前作『ルッキング・フォー・ア・ディ・イン・ザ・ナイト』リリース後
ダフィは一時音楽生活からの引退を考えていたようである。
その理由まで当方は知る由もないが、想像するならここまで孤高とも
言うべき美しい作品をライラック・タイムであれ、ダフィの個人名義で
あれ作り続け、それらはコアなファンや音楽仲間からは愛されつつも、
決して商業的成功からは程遠く、例え小さなヒットを飛ばしたとしても
その後にはすぐ彼自身にコマーシャリズムが足りないと判断され、
アルバムを作成している最中にレコード契約を切られてしまったりと、
ちょっと信じられないような不遇を囲い続けていたと言うのも遠因に
なりはしなかっただろうか。
事実、前述した前作('99)と、その前年に発表されたダフィのソロ名義
である『アイ・ラブ・マイ・フレンド』はリリース自体も紆余曲折を
経て何とかリリースされたものだった。日本の配給元が当時インディペンデント
なレーベルと言えたクアトロ・レーベルからだったことを考えても
それは間違いの無い事だと思う。
本作も国内でのリリースはBeat Recordsで、当方はこのレーベルに
ついて詳しいわけではないが、どう考えても他のコンセプトに比べて
浮いているように思えたし、渋谷のHMVのような比較的マイナーな
ミュージシャンでもプロモーションが有るような場所でもそれ程
プッシュされていたような記憶も無く、当時既に音楽のリリース情報を
必死で追うような事をしなかった当方にとって、しばらくリリースさえ
気づかないと言うような状態だった。
因みに英国でのレーベルはクッキング・ヴァイナルで、このレーベルは
当時XTCなんかも居たりした。現在ではオーシャン・カラー・シーンや
スザンヌ・ヴェガ、プロディジーなんかも籍を置いていたりしていて、
決して最先端の人気アーティストがいるようなメジャーレーベルでは
無いのだが、僕は意外とこのレーベルの作品を目にすることが多い。
そんなこんなで「気づいたら買った」と言う類のものなので、購入当時
の記憶もたいして存在せず、しばらくはなんどか聴いただけで放ったらかしていた
作品であるのだが、後ほどじっくり聴いてみると、これ程粒ぞろいで
程良いキャッチーさを持ち合わせたライラック・タイム作品というのは
他に思い当たらず、よく考えたらこのアルバムが一番素敵なんじゃないかと
そんな風に最近は思っている。
その鍵は、彼が所謂"ブリットポップ"の時代である90年代半ばから後半
にかけて行った一連のソロ活動がヒントであると思う。
この事は、前回のダフィ特集の序章に記したことと同じことなのだが、
彼にしては華やかでポップでエッジの効いたソロ活動を行ったことが、
ライラック・タイムのサウンドにも明瞭さを持ち込んだことである。
所々で気の利いた現代的な意匠を散りばめ、単に英国的でストイックな
アコースティック・フォークポップと言ったような風情では無くなり、
アレンジにも幅を持たせた結果、聴きやすさがそれ以降のライラックの
作品でグッと増したような気がしてならない。
それは前作から始まっていた事なのだけど、その明瞭さ(Clarity)は
本作で完成の域を見たと行って過言では無いと思う。
このアルバム自体の動機は引退との狭間で生み出されたと言ったような
決して明るい時期のものではないのに限らず、むしろメディアなどでも
「終わった人」的に扱われた事で、彼の強いモチベーションが芽生えた
と、そんな風に考えても良いのがこの作品の華やかさではないかと思う。
因みにこの頃は自伝を執筆していた頃のようで、それらも何らかの
作用を及ぼしたようである。確かに振り返るものは沢山ある人で。
とにかくこのアルバムはアレンジがさり気無く利いていて
そういう面で聴いていても楽しい。彼の作品の中で近いものを
敢えて探すというなら、興味深いのが98年作のソロ作品
『アイ・ラブ・マイ・フレンズ』がアレンジの質感的に一番
近いような気がする。
楽曲に目を移すと、1曲目「ダンス・アウト・オブ・ザ・シャドウ」が
アルバムのイメージを決定づける力強い名曲で、リズムなんかは
結構モダンだったりするのだが、芯の強いイントロダクションになっている。
2,3,4曲目も軽やかなサウンドで、ここ辺りでもさり気ない打ち込みなどを
効果的に利用して伝承的な部分とモダンさを上手く共有させている。
3曲目の「カム・ホーム・エヴリワン」は父の死について、4曲目の
「マイ・フォレスト・ブラウン」も絶望から希望への転化について
歌われていると言ったような、決して明るい世界観では無いのだが、
それがサウンドにわざとらしく滲み出ていると言うような事もなく
淡々としているのが逆に好印象を与えているのではないだろうか。
6曲目の「Jupe Longue」は兄のニック・ダフィが書いたインスト。
この兄のインスト・シリーズはここまでのライラック作品で必ず
1曲程度は収録されていて、いつもライラックの世界観により
引き込まれるようなミュージックホール的な作品で、いつも良い
アクセントになっているのでファンには人気だろう。
7曲目の「ジーンズ+サマー」も軽快なポップソングで、開放的な
サウンドがこのアルバムの雰囲気を象徴している。
8曲目の「ウェステッド」もマイナーなAメロからブリッジなしに
一気にサビへと開けるようなシンプルながらも力強い楽曲である。
歌ものとしては最後の楽曲になる11曲目の「ザ・ラスト・マン・オン・ザ・ムーン」
はタイトルの通り宇宙(月)について歌われたもので、イントロからして
過去作品の『アストロノーツ』を思わせる楽曲だ。
とにかく最初から最後まで楽曲の質が高く、それがかえって平坦な
印象を与えてしまう事があるので目立ちづらいのかも知れないが、
個人的にはライラック・タイムのベストに推薦したい、そんな作品だ。
こんなに爽やかなヴェールに包まれたような作品はそう無いと思うし、
それがライラック・タイムのピュアなアコースティック・サウンドと
とってもマッチしている。この辺りは聴いてみないと伝わらないかな。
「Come Home Everyone」 The Lilac Time