2010年06月18日

Lilac6

"踊ろう、影から出る時だから"



『Lilac6』 The Lilac Time (2001)

最初に断ると、個人的なライラック・タイム作品のベストは
今回紹介する『Lilac6』である。とは言ってもライラックの作風は
多少の時勢を取り入れつつも、基本的に変わることが無いので
その時の気分によって私的"名作"が入れ替わることがあるのだけど、
少なくともこの作品は上位から転げ落ちることは無い。

前作『ルッキング・フォー・ア・ディ・イン・ザ・ナイト』リリース後
ダフィは一時音楽生活からの引退を考えていたようである。

その理由まで当方は知る由もないが、想像するならここまで孤高とも
言うべき美しい作品をライラック・タイムであれ、ダフィの個人名義で
あれ作り続け、それらはコアなファンや音楽仲間からは愛されつつも、
決して商業的成功からは程遠く、例え小さなヒットを飛ばしたとしても
その後にはすぐ彼自身にコマーシャリズムが足りないと判断され、
アルバムを作成している最中にレコード契約を切られてしまったりと、
ちょっと信じられないような不遇を囲い続けていたと言うのも遠因に
なりはしなかっただろうか。

事実、前述した前作('99)と、その前年に発表されたダフィのソロ名義
である『アイ・ラブ・マイ・フレンド』はリリース自体も紆余曲折を
経て何とかリリースされたものだった。日本の配給元が当時インディペンデント
なレーベルと言えたクアトロ・レーベルからだったことを考えても
それは間違いの無い事だと思う。

本作も国内でのリリースはBeat Recordsで、当方はこのレーベルに
ついて詳しいわけではないが、どう考えても他のコンセプトに比べて
浮いているように思えたし、渋谷のHMVのような比較的マイナーな
ミュージシャンでもプロモーションが有るような場所でもそれ程
プッシュされていたような記憶も無く、当時既に音楽のリリース情報を
必死で追うような事をしなかった当方にとって、しばらくリリースさえ
気づかないと言うような状態だった。

因みに英国でのレーベルはクッキング・ヴァイナルで、このレーベルは
当時XTCなんかも居たりした。現在ではオーシャン・カラー・シーンや
スザンヌ・ヴェガ、プロディジーなんかも籍を置いていたりしていて、
決して最先端の人気アーティストがいるようなメジャーレーベルでは
無いのだが、僕は意外とこのレーベルの作品を目にすることが多い。

そんなこんなで「気づいたら買った」と言う類のものなので、購入当時
の記憶もたいして存在せず、しばらくはなんどか聴いただけで放ったらかしていた
作品であるのだが、後ほどじっくり聴いてみると、これ程粒ぞろいで
程良いキャッチーさを持ち合わせたライラック・タイム作品というのは
他に思い当たらず、よく考えたらこのアルバムが一番素敵なんじゃないかと
そんな風に最近は思っている。

その鍵は、彼が所謂"ブリットポップ"の時代である90年代半ばから後半
にかけて行った一連のソロ活動がヒントであると思う。

この事は、前回のダフィ特集の序章に記したことと同じことなのだが、
彼にしては華やかでポップでエッジの効いたソロ活動を行ったことが、
ライラック・タイムのサウンドにも明瞭さを持ち込んだことである。
所々で気の利いた現代的な意匠を散りばめ、単に英国的でストイックな
アコースティック・フォークポップと言ったような風情では無くなり、
アレンジにも幅を持たせた結果、聴きやすさがそれ以降のライラックの
作品でグッと増したような気がしてならない。

それは前作から始まっていた事なのだけど、その明瞭さ(Clarity)は
本作で完成の域を見たと行って過言では無いと思う。

このアルバム自体の動機は引退との狭間で生み出されたと言ったような
決して明るい時期のものではないのに限らず、むしろメディアなどでも
「終わった人」的に扱われた事で、彼の強いモチベーションが芽生えた
と、そんな風に考えても良いのがこの作品の華やかさではないかと思う。

因みにこの頃は自伝を執筆していた頃のようで、それらも何らかの
作用を及ぼしたようである。確かに振り返るものは沢山ある人で。

とにかくこのアルバムはアレンジがさり気無く利いていて
そういう面で聴いていても楽しい。彼の作品の中で近いものを
敢えて探すというなら、興味深いのが98年作のソロ作品
『アイ・ラブ・マイ・フレンズ』がアレンジの質感的に一番
近いような気がする。

楽曲に目を移すと、1曲目「ダンス・アウト・オブ・ザ・シャドウ」が
アルバムのイメージを決定づける力強い名曲で、リズムなんかは
結構モダンだったりするのだが、芯の強いイントロダクションになっている。

2,3,4曲目も軽やかなサウンドで、ここ辺りでもさり気ない打ち込みなどを
効果的に利用して伝承的な部分とモダンさを上手く共有させている。
3曲目の「カム・ホーム・エヴリワン」は父の死について、4曲目の
「マイ・フォレスト・ブラウン」も絶望から希望への転化について
歌われていると言ったような、決して明るい世界観では無いのだが、
それがサウンドにわざとらしく滲み出ていると言うような事もなく
淡々としているのが逆に好印象を与えているのではないだろうか。

6曲目の「Jupe Longue」は兄のニック・ダフィが書いたインスト。
この兄のインスト・シリーズはここまでのライラック作品で必ず
1曲程度は収録されていて、いつもライラックの世界観により
引き込まれるようなミュージックホール的な作品で、いつも良い
アクセントになっているのでファンには人気だろう。

7曲目の「ジーンズ+サマー」も軽快なポップソングで、開放的な
サウンドがこのアルバムの雰囲気を象徴している。

8曲目の「ウェステッド」もマイナーなAメロからブリッジなしに
一気にサビへと開けるようなシンプルながらも力強い楽曲である。

歌ものとしては最後の楽曲になる11曲目の「ザ・ラスト・マン・オン・ザ・ムーン」
はタイトルの通り宇宙(月)について歌われたもので、イントロからして
過去作品の『アストロノーツ』を思わせる楽曲だ。

とにかく最初から最後まで楽曲の質が高く、それがかえって平坦な
印象を与えてしまう事があるので目立ちづらいのかも知れないが、
個人的にはライラック・タイムのベストに推薦したい、そんな作品だ。

こんなに爽やかなヴェールに包まれたような作品はそう無いと思うし、
それがライラック・タイムのピュアなアコースティック・サウンドと
とってもマッチしている。この辺りは聴いてみないと伝わらないかな。


「Come Home Everyone」 The Lilac Time
posted by cafebleu at 01:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Duffy[Lilac Time] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

Memory & Desire 30 Years in the Wilderness with Stephen Duffy and The Lilac Time

「英国の湿り気を存分に含んだイノセントで孤高で誇り高き30年間」

"Memory & Desire: 30 Years in the Wilderness"
 Stephen Duffy & The Lilac Time


僕なりに書いている音楽評論、実はこの5年の間でも
書き途中で手付かずになってるものがかなりある。

それは忙しかったからとか、どうも文章でまとめられないとか
そう言った理由で未完のままなのだが、それが完成する事は
余り無かったりする。まぁその時書きたいものを書くものだからと
言えばそれまでだから。

しかし、大概において思い入れの強いミュージシャン程かえって
あれこれと伝えたい事が有ってまとまらなくなりやすい。

シリーズ物で書くのを宣言しといて一番大事な確信に触れずじまいで
終わったブライアンの『"SMiLE" とサブカルチャーと淡夢の終わり』
シリーズなんていうのも移行していたら見つけたり。

まぁこれはある意味スマイルらしいからこれで良いと思うけど(笑)。

そんなこんなで眠っているものを訂正加筆して少しづつ上げていこうかと。


僕にとってスティーヴン・ダフィと言う人は特別なのと、
つい最近彼の30年における足跡をまとめた、"ベスト"と言うには
余りに可憐でささやかな編集盤が発売されたので、僕なりに
彼のレビューを何回かに分けて記してみようと思う。


Introduction from the feature film "Memory & Desire,"('10)
Inc.「The Kite and The Sky」



『Memory & Desire』(2010)
30 Years in the Wilderness with Stephen Duffy and The Lilac Time


「追憶と欲望 〜孤高の30年間〜」と題されたこのコンピレーションは
アルバム・タイトルでもある「メモリー・アンド・デザイア」から
スタートする。2008年頃の楽曲のようだが、何時頃の楽曲であるかと
言うのは余りダフィにとって重要ではなく、近年のライラック・タイム
の活動と大きく剥離する事の無い穏やかだが芯のあるアコースティック
ソングと言って問題無いだろう。

2曲目から時代を追うように79年のDevils名義作品「アズテック・ムーン」や
ソロ初期の名曲「サンデー・サプリメント」なども登場するが、
選ばれた楽曲は全て"ライラック・タイム"サイドから彼を見た姿に
近い楽曲が殆どで、80年代カラーの強い「キス・ミー」や
ブリット・ポップ時代に(彼にしては)華やかに決めてみせた
アルバム『DUFFY』からのヒット・チューンである「ロンドン・ガール」や
「シュガー・ハイ」と言ったようなポップ・ナンバーは一切
含まれていない。
(「キス・ミー」はサイケ・フォーク調にリアレンジされて収録されているが)

全てライラック・タイムで再演してもおかしくないような、
アコースティックでジェントリーな彼の作曲の原点と
言えるような楽曲が中心である。だからこのアルバムは
ライラック・タイム・ファンへの贈り物と呼んで差し支えない。
最も彼の場合はソロ名義の方が華やかで、ライラック・タイムの方が
彼の本質を思わせるアコースティックな世界観、つまり本当の
彼らしい姿と言う逆転現象が有る訳だけれど。

確かにどんなスタイルの時代でもダフィが忘れること無く忍ばせた
楽曲はこう言った繊細なアコースティクな要素だったので、それこそが
彼の本質であると、50代を迎えたダフィは感じるだろうし、それは
ファンも納得する部分で有る。

最も僕は彼に潜むささやかな華やかさも大好きではあるが。

しかし、このように彼の歩みをまとめたものに耳を傾けてみると
愛する者にとって、彼のアコースティカルで本質的にはきらびやかな
サウンドは正に珠玉のものであると思う。
バラエティに富んでいるわけでも無く、彼の歌声もいつもの通り
なのだが、どの楽曲も美しくギターの伴奏も歌って、彼のメロディも
派手さはないけど一緒に美しいメロディを紡ぎ出している。

アルバム別の収録曲数だが、1999年作の
『ルックング・フォー・ア・デイ・イン・ザ・ナイト』から
多く収録されている(5曲)。これは個人的には納得である。



ブリット・ポップの横風を受けたソロ活動が一段落して、再度
ライラック・タイムの世界に戻ってきた彼の再出発作と呼んで
良い作品だったが、ポップな活動が彼にもたらした物と言うのは
決して小さくなかったように思う。それが具体的に何かと言うと
「明瞭さ(Clarity)」のように思える。アコースティックな世界観に
ポップ・ソングの明瞭さが加えられたこの作品は会心の作品で、
ライラック・タイム作品中でも名作の一つだと個人的には思っている。
それについてはまた別の回に時間を裂くつもりだけれど。

逆に近年作では04年の『キープ・ゴーイング』からのチョイスは
少なめか。このアルバムはライラック作品の中でも最も暗いというか
何か有ったのではないかと思われるほどダークなトーンで統一された
異色作と言って良く、ライラック特有の軽やかさが良くも悪くも
失われている作品なので、何となく理解できる。

どちらにせよ、アコースティックで英国的なサウンドを聴きたいと
思っている人にも推薦出来る素晴らしい編集盤で、その変わることの無い
佇まいは、彼を愛するうちに30代半ばになった自分にとっても
当時以上に深く響きわたるようにもなって来たような気がする。

ずっと愛せるもの、そんなものは簡単には無いと思うし、
そういう考え自体が陳腐なんじゃないかと普段は感じてるけど、
スティーヴン・ダフィの作品にはそれがいとも簡単に存在している。

そんな彼を信じていて本当に良かったと思うのである。

いつか、いつか彼をこの目で観れる日が来ることを願って。
もう待つのではなくこちらから英国の外れに赴く、そんな年頃なのかも。

次回からはオリジナル・アルバムについて。
posted by cafebleu at 23:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Duffy[Lilac Time] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

The Nursery Walls

「あの夏と 広がる田園風景と」 by Lilac Time


このブログではここまで余り触れてないけど、
僕はスティーヴン・ダフィというシンガー・ソング・ライターの
大ファンである。
その熱はファンクラブに入るほどだったのだから尋常ではないのだ。

彼のソロ以上に私的なユニットだったライラック・タイムで聴ける、
「ネオアコ」と括るには余りに孤高で、非商業的で、
伝統的な英国フォーク・スタイルはある意味ニック・ドレイク直系の
「ケルティックなフォーク」スタイルとも言えたかも知れないし、
逆にソロやライラックの3rdアルバムで見せるコテコテの「箱庭ポップ」は
アンディ・パートリッジの遺産を地味なりに受け継ぐものだったのかも
知れない。そしてそのどちらもこよなく愛する僕としては
ダフィとは色々な意味で憧れの存在だった。

元々商業的に恵まれた人では無いので情報源はそう多くない人だが、
近年は更に活動の噂も少なくなり、本当に音楽とは何が基準なのか
色々考えさせられてしまう。

「ナーサリー・ウォールズ」はライラックの5枚目にあたるアルバム
『ルッキング・フォー・ア・デイ・イン・ザ・ナイト』収録の
緩やかで美しいワルツ。カントリーの要素をこんなに
「土臭さ」ではなく「草の薫り」に変えてしまうのは彼と
プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンくらいなものだろう。

たまたまこれを長野の立科という田園風景が綺麗な場所で
車を運転しながら聴いた時、僕はこの曲の持つ美しさの
真意に気付いたような気がした。



少し話がそれるが、96〜7年に来日した時行かなかった
(行けなかったというのが正しいが)のを今でも悔やんでいる。
その時はポール・ウェラーのサポートでも知られる女性ベーシストの
ヨランダ・チャールズ、クールと言う言葉がぴったりハマるモダニスト、
ジョージー・フェイムの息子を引き連れて来日したのだ。
こんなレアな組み合わせを見損ねた事は今でも後悔しきりだ。

どうかこんな不出世のシンガー・ソング・ライターに
もう少し機会を音楽界は与えてくれないものだろうか?
posted by cafebleu at 01:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Duffy[Lilac Time] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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