2006年01月31日

Billy Jack

「社会派と愛の歌の狭間で」 by Curtis Mayfield


カーティス・メイフィールド、誰もが認めるソウルの殿堂であり、
60年代の商業的ソウル・ブームではインプレッションズで。
70年代、ソウルが社会を憂いた時には「ムーヴ・オン・アップ」で
ニューソウルを代表するオピニオン・リーダーでもあった。

「ムーヴ・オン・アップ」が収録された
『カーティス』や『スーパーフライ』の印象が強く、
またその時代が一番注目されていた事もあって、
彼はマーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーと
比べても「社会派ソウル」という印象が強かったようである。
この頃は「セックス・シンボル」と言われたマーヴィンでさえ
「ホワッツ・ゴーイン・オン」「マーシー・マーシー・ミー」と社会に
語りかけていたのだが、
やはり彼はセクシーな愛の伝道師の側面も既に目立っていた。
スティービーは天才肌で楽曲も難解なものになり、
既に「ミュージック・クリエイター」としての側面が強く出始めていた。
更には楽器も多彩にこなしてマルチ・プレイヤーっぷりを発揮していた。

カーティスは一連の社会的なアルバムの後、
徐々に彼本来のスウィートなヴォーカルを生かした
ラブソング主体のアルバム作りに移行しつつあった。
『スウィート・エクソシスト』なんかがそうだろう。

しかしながら社会派から離れたカーティスのセールスは下降し始める。
ファンはカーティスが一人の人間として
愛を語る事を快く思わなかったのだろうか?

彼には「フレディーズ・デッド」のような
直接的な社会的メッセージを期待したのだろうか?

僕は当時を知らないので全てはわからないし、
僕らの世代になると「ムーヴ・オン・アップ」を
ポール・ウェラーがジャム、スタカン時代と彼らの
「姿勢」を表すかのようにカバーし続けたので
確かにカーティスとはそういう社会派スタンス
なのだろうという認識があったりもする。




75年に発表された名作の誉れも高い
『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』は
ラブソングにシフトしていたカーティスが再び社会に向かったアルバムである。
名作なのは間違いが無いのだが、
どうやらこのアルバムの社会性はセールス的にややプレッシャーを
受けていたカーティスが敢えて持ち出したコンセプトだったらしい。
つまり、商業的な理由で「社会派」に戻ってきたのだ。何て皮肉な話だろう。

しかしどういう経緯でこのアルバムが
作られたにせよ、そのサウンドは素晴らしい。
そぎ落とされたシンプルなインストとミニマルでダルなビート。
社会派とは言ってもどこかできらびやかだった
『スーパーフライ』の頃とも違うタイトな音は聴き込むほどに好きになっていく。

更に皮肉なのはこのアルバムからのヒット曲は
この中で唯一と言って良いメロウでスウィートな
「ソー・イン・ラブ」だった事だろう。
確かに後の「トリッピング・アウト」などにも通じる
美しきソウル・バラードである。

最後に遺作となった96年の
『ニュー・ワールド・オーダー』についても触れておきたい。
不慮の事故により下半身不随になった
カーティスが病床で作り上げたアルバムだ。



このアルバムは素晴らしいと思う。単なるカムバック作ではない。
楽曲も歌も力強い、そしてスウィートさも健在だ。

ここで復活を強く印象付けたが残念ながら99年に亡くなっている。

カーティス・メイフィールド、モッズやソウルマニアだけのヒーローではなく
彼は本当に素晴らしいアーティストだった。
posted by cafebleu at 02:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Curtis Mayfield | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。