2006年02月13日

You're My Drug

「完膚なきまでの”67年”に対するオマージュ」 by Dukes


そもそもデュークスとは、XTCがアンディ・パートリッジの
精神障害によってライブ活動を止め、
スタジオでしか作品を作らないバンドになった事が発端にあるだろう。
そこまでニューウェイブの波に乗り、
はっきりいって気色悪いくらいの音楽とステージ・アクションで
人気を集めていた彼らだが、
皮肉な事に「センシズ・ワーキング・オーバータイム」の大ヒットで
本来ポップ・スターという性分ではない
アンディの中で何かが壊れてしまったのだろう。
タイトなスケジュールや絶え間なく続くツアー生活は
決してアンディには耐えられなかった。

その後XTCはアルバムこそ『ママー』など悪くない作品を作り上げるが、
ニューウェイブという時代が終焉を迎えつつあったこと、
そして何よりやっとヒット曲が出始めた矢先にアンディがツアーを
行わなくなった事が災いしてXTCは「カルト・バンド」として
セールスからは遠のいていく事になる。

ただ一つだけ言えるのはアンディ自身が恐らくは
もう一度自分を見つめなおした事だろう。
そして彼は自らのルーツである「67年」に向かい始める事になる。

デュークス〜はそんな時期に企画されたXTCの変名ユニットである。
コンセプトは、架空の
「今発掘された、60年代の伝説的サイケデリック・バンド」とでも書けばよいか。
そう、架空の何たるやみたいなコンセプト自体が
まるでビートルズが『サージェント』でやったことへ
対するオマージュのようではないか。

もう何書いているのか良くわからなくなってきた。

まぁこのアルバムの拘り様は半端なものではない。
60年代サイケの豊富な引き出し、「〜風」で決して
「〜そのもの」ではないオリジナル感、わざわざ悪い音質や古臭いパンニングを
使ってまで醸し出した「60年代感」。
私的な話しだが、僕は友人に「60年代サイケポップのベストを」と頼まれて、
こっそりデュークスの音源を混ぜておいたのだが、全く気付かないどころか、
「デュークスが良かった!あんなバンドいたんだね」という始末である。

音質へのこだわりならば、90年代にリリーズという、
何でも60年代のレコードの音域をオシロスコープを使って解析し、
再現していると謳っていたバンドがいた。
確かにリリーズのそれも偏執的なのだが、
デュークスの凄いところは音質以前に楽曲も
60年代のサイケポップとして捉えても(本来は違うが。もうわけわからん)
勝るとも劣らない所だ。
その点でリリーズの音楽はスノップな60年代マニアに過ぎない。
本当に書いていて混乱するが、
彼らはお遊びで「本物の67年」を作り上げてしまったのだ。

とにかく僕がわかる範囲で聴こえてくるのは
『ロジャー・ジ・エンジニア』であったり
『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』であったり
『マジカル・ミステリー・ツアー』であったり・・・。
アーティストで言えばヤード・バーズやマンフレッド・マン、
スモール・フェイセズとかゾンビーズにホリーズ。
いやそんなメジャーな物だけではない。
バブルガムな匂いも漂う。レモン・パイパーズを始め
『ナゲッツ』で聴けそうなチープなもの。
そしてそれら一発屋より作品的なクオリティは高い。

そんなに変わらない時期にトッド・ラングレン率いる
ユートピアが突然ビートルズへのオマージュと言える
アルバム『ミート・ザ・ユートピア』をリリースしたが、
これもアンディの偏執さにはとうてい適わない
作品かも知れない。音楽は悪くないのだが、
60年代風の精度?という点でトッドの拘りは
アンディほど変態的に僕には思えない。

そもそも60年代風に精度もクソも無い気がするが・・・。

この時期、この手の「ビーヲタ」ミュージシャンは
「真似?」の時期に入っていたのかもしれない。
考えてみればやはりそう変わらない時期に映像と音楽込みで
「ラトルズ」というビートルズへのパロディをやっていたではないか。
「ラトルズ」はモンティ・パイソンのエリック・アイドルが中心に
なって進められたビートルズ・パロディの映像作品だ。
まぁビートルズの事が好きならかなり面白い内容なのは間違いない。
そしてここで音楽を担当したのがニール・イネスだ。
ニールについても色々書きたいが、
そんなのまでフォローしてるとこの話しが終わらないので
それはまた今後機会があれば。

デュークスは先ず最初に6曲入りの
ミニ・アルバム的形態で最初の作品をリリースした。
これらは現在CD化されている
『チップス・フロム・チョコレート・ファイヤーボール』の
1〜6曲目にそのまま収録されている。
そしてその後に発売されたフルアルバムは
7曲目「バニシング・ガール」以降の曲という事になる。



僕の聴いた感じとしては最初のミニ・アルバムの方が
かなりコアなサイケ・バンド的味付けで作られているような気がする。
どれもかなりマニアックなサイケデリック感だ。
それに対して2枚目になるフル・アルバムの方では
アンダーグラウンドな匂いや匿名性よりも
「XTCがやったサイケ・オマージュ」というのがわかりやすい形で出ているのだ。
勿論サイケ時代への目配せ?も忘れてなく、
『オグデンズ』のようなナレーションの後に
歌が来る様な構成などはあるのだが、どこかわかりやすい。

このミッシング・リンクを埋める鍵がこの時期の
XTC本体の活動ではないだろうか?
デュークスが1stミニ・アルバムを出した後、
本体のXTCはついに米国のビーヲタである
トッド・ラングレンをプロデューサーに迎え
名作『スカイラーキング』を制作する。
この事については以前の日記で書いたので
詳しくは書かないが、アンディとトッドによる
必然の衝突?等は避けられなかったものの、
ここでアンディがある意味開き直ったのは
間違いなく、このアルバム以降XTC自体も
危ういニューウェイブという雰囲気から脱却して
自らのルーツにどんどん近づいていくのだ。
実際に『スカイラーキング』も今までのXTCのアルバムでは
直接的に見受けられなかったポップ感が
ひねくれ感を追い抜いて行ってる感じがある。

そしてそれを受けて制作されたのが
デュークスの2ndにあたるフル・アルバムということになるのだ。
ここで聴かれる音は直接的ではないが、
『スカイラーキング』で得た60年代への開き直りが
以前より多く感じられるのだ。
その最たるものがアルバムのラストを飾る「ペール・アンド・プレシャス」
だろうか。この曲は明らかに『スマイル』時のブライアンへ
対する愛情溢れるオマージュである。声質が全く同じというわけでは
無いが、ここでのアンディはまるでブライアンのような雰囲気で
歌っている。そして何よりもこの曲のクオリティの高さは半端なものでは無い。

この後XTC本体は更にポップにシフトし、
89年にはアルバム・ジャケットからして雰囲気たっぷりの
アルバム『オレンジズ・アンド・レモンズ』をリリースする。
ここでのXTCはもう単に60年代へのオマージュを超えて
キャッチーなポップ・ソングを惜しげもなく披露しており、最後の
「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」では
再びブライアンへの明らかなオマージュを披露している。
そしてこのアルバムは後にアメリカのカレッジ・シーンから
輩出されるパワーポップ系のミュージシャンから
多大なリスペクトを受ける事になる。

とても長くなってしまったが、つまりデュークスの活動の背景には
同時期のXTCの活動を追う事も欠かせないのだ。
一見関係ないようで見事にリンクしているデュークスとXTCの表裏、
ここらへんを同時に味わう事によって得れるXTCと60年代の
愛憎?関係も楽しい聴き方ではないか?




実は何でXTCについてになったのかというと、
貴重なブートDVDを多数所有している友人が
XTCのDVDを貸してくれたのだ。このDVDは70年代後半、
XTCがほんの少しの間売れっ子だった時代のスタジオ・ライブ映像で、
アンディがこの映像から少しした後、ステージフライトなどによる精神障害
によって一切のライブ活動を停止してしまう直前を捉えた貴重なものである。

当時の代表曲がライブで惜し気もなく披露される様子は
後追いでファンになった当方としては羨ましい限りなのであるが、
この映像を見る限り、アンディは見るからに神経質そうで、
何だか奇妙というのを超えてやや「キモチワルイ」位の
ステージ・アクションも披露?してくれていて
これでは後のナーバス・ブレイク・ダウンも致し方ないかなと思ってしまう。
それにしたって、こんな奇妙な雰囲気がそれなりに
チャートでも受けていたのは、ワイヤー、ポップ・グループ、
ジョイ・ディヴィジョンなど何処か「キワモノ」的な匂いのするミュージシャンが
それなりに評価されていた時代ならではのものだと思った。
聴く方も演奏する方もみんな新しい空気を必死で掴もうと試行錯誤していた、
それもニューウェイブだったのかもしれない。
posted by cafebleu at 08:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | XTC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

The Meeting Place

「XTCとトッド・ラングレンが交差した必然の場所」 by XTC


ビートルズというのはとても商才に長けたグループである。
いやとてもどころか実質のプロ生活8年程度の活動と
いう点でのセールスならば右に出るものはいない。

だってほぼ全てのシングル曲を英国チャートの1位に叩き込んだのだから。
そしてそれはアメリカでも同じ事。
ビルボードの1位から5位までを一つのグループ、もしくは
アーティストが独占するなんて事は正に「空前絶後」の事となった。

しかしながら現在のビートルズ・オタク
にとって大事なのはそんなことではない。
彼らは商業的かつ先鋭的、実験的でもあった。
そしてそれらのバランスの良さも絶妙であった。

彼らのちょっとしたセンスの良さと
「少し先を行ってますよ」的なアピールの上手さ。
売れ線である事も十分に意識していたはずである。

1968年、世が前年に発売されていた
『サージェント』シンドロームに酔い、ストーンズはもとより、
同時期のバンドたちが「カラフル」で「実験的」な
コンセプトアルバムをこぞって競っていた頃、
ビートルズは「ただ」曲が詰まった真っ白なジャケットの
アルバムを発売した。そこにはざらついた音像と、
メンバーの不和を前面に出したような曲が無造作に放り込まれていた。

メンバーの軋轢すら商業的な魅力に
変えてしまう彼らは実にクールだったと思う。
そういう運命にある人たちでもあったのだと思う。

「芸術」と称したオナニーに浸る事も
ほとんど(ほとんど、だ。多少はある)無く、
必要以上にショービズ臭も感じなかった。
間違いなくショービズなのだが。

現在のビートルズ・マニアにとっての
「ビートリー」とは中期ビートルズがサイケの海の中で
延々作り出していた作品辺りを指すことが多い。
勿論初期のようなものにも使ったりするが。

その中期ビートルズの箱庭的な部分に
とり憑かれた最初のフォロワー世代がイギリスとアメリカで
そんなに時を変えることなく生まれた。

トッド・ラングレンとアンディ・パートリッジである。

ビートルズ経由のシンガー・ソング・ライターという
今ではエリオット・スミス辺りに通じるスタンスで
デビューしたトッドと、パンク・ニューウェイブが
吹き荒れる70年代中頃にデビューしたXTCとでは
明らかに音楽的違いがあるが、
それはやがて少しづつ近づいていく。特にアンディが自らのルーツに
対して徐々に赤裸々になって行き加速する。
そして先にビートルズ・フォロワーとして
『サムシング・エニシング』などで大きな仕事をしていたものの、
じょじょに方向性を失いユートピアでビートルズへの完全なる
オマージュを捧げたりして自分の方向性を模索していた
トッドと交わる時がやってくるのである。

「ミーティング・プレイス」とはそんなトッドと
XTCの出会いを象徴した歌のように聴こえる。

因みにこの歌はコリン・ムールディング作曲。
彼が熱烈なトッド・ファンであったことも
名作『スカイラーキング』での出会いに関係しているようだ。

結局プロデューサーだったトッドとアンディが大喧嘩して、
険悪なムードでレコーディングが続いたのは有名な話だが、
そんなことを微塵も感じない見事な「箱庭」ポップとして
このアルバムは完成した。

両雄並び立たずとは良く言ったものだ。
英米の「ビーヲタ」少年は決して交わりあう事は無かった。

それは裏を返せば「似たもの同士」だからだろう。

その証拠に彼らは自分を突き詰めれば突き詰めるほど
セールスが悪くなると言うところも良く似ていた。
ビートルズの「箱庭」だけを追う事とは何ともストイックなゲームだ。


posted by cafebleu at 01:56| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | XTC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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