2006年03月10日

Frightened

”ポール・ウェラー 来日前特集その5”

「やがて訪れた内省の美しさ」 (2000)


最初に言っておくと、僕は個人的に良く聴いてしまうという点では
2000年に発売されたアルバム『ヒーリオーセントリック』が
一番好きだ。最も当時の評価は決して高くなかった記憶があるが。

そしてこれが僕にとっては懸命に追いかけた
最後のウェラーのアルバムでもあった。

先に『ワイルド・ウッド』が一番好きと書いたのに
矛盾しているが、それは音楽的な観点で、
有名曲や意欲的な試みという点では
他のアルバムに劣るであろうこのアルバムは
また違った意味で好きだったりする。
それはポール・ウェラーという「人」を感じられる気がするから。

『ワイルド・ウッド』から『ヘヴィー・ソウル』まで続いた
力強い英国的ロックスタイルは彼に再び
成功を与え、得るものも大きかった事だろう。
手探りで始まったソロ活動はやがて大きな成果を残した。

そしてその目標を達成した後に来るものとは、
「内省」であるのもわかりやすく、ウェラーらしい。

彼をリスペクトしたミュージシャンが多かった英国的な
ブームはやがて終焉を迎え、時代はまた
進んでいた。この頃になるとおきらくで斜に構えたポップを
得意としていたペイヴメントですらナイジェル・ゴドリッチに
プロデュースを依頼するような時代になっていた。

ムーヴメントの精神的支柱から少し離れたウェラーは
当時どう考えていただろうか?
「30代半ばを過ぎても貧欲な音楽の吸収」も
「自信から来る己のソウル」もやってしまったのだ。
「何も無い」事、それが彼が表現する事だった。
そしてそれは自然に内なるものに向かっていく。

音楽的で無いとは言ってもそれはウェラー、
先ずは音楽面での転換を図る。ハードからソフトへ、
わかりやすい話だ。そしてニック・ドレイクの曲を
ストリング・アレンジしていたロバート・カービーを
呼び寄せ、ほぼ全編にストリングスをあしらった。
これによってより一層憂いを際立たせる。
この出会いは大きかっただろう。
この後ウェラーはアルバム毎に必ず1曲はニック・ドレイク的な
アコースティック・ソングを入れていくようになる。

そして力強かった楽曲、ヴォーカルは
内省と共にメランコリーにシフトしていった。

この変化のヒントは前作のラスト「マーメイズ」にある。
いつになく優しいヴォーカル、繊細なストリング・アレンジ。
ここで思いのほか上手く行った事がこのアルバムに直結する。

地味だったし、時代とも向き合わなくなっていたのか、
先に書いたとおりこのアルバムへの評価は
高くないが、今改めて聴いてもこんな憂いのある
ウェラーのアルバムというは貴重で、
楽曲やアレンジも美しく、力の抜けたウェラーの
「素」を堪能できるという点でも素晴らしいと僕は思う。
これが代表作とは言えないのだけど、
やることが無いという素直なスタンスも僕が彼を
何処かで追い続けてる理由だ。

「ザ・キーパー」はこのアルバムの発表前に亡くなった
スモール・フェイセズのロニー・レインへの追悼曲。
曲自体は『ヘヴィー・ソウル』後すぐに出来ていたので
この曲は比較的力強いが他はどれも繊細だ。

先行シングルになった「スウィート・ピー・マイ・スウィート・ピー」は
娘への愛情を歌った軽やかなカントリー・フォーク・ソングと言った
趣だが、はっきりいってこんなに地味な曲が先行シングルで
良いのかと思ってしまう。

「バック・イン・ザ・ファイア」はブレンダンのダブ的な音響こそ
効いてるものの、曲自体はかなり
ダルな曲で、僕は好きだがつかみ所がまるで無い。

「ウィズ・タイム・アンド・テンパランス」はアルバムの中でも
美しいメロディの曲で、Bメロの展開に妙があるが、
僕が言っている「内省」を体現したようなやや暗い曲でもあったりする。

ラストを飾る「ラヴ・レス」はオーシャン・カラー・シーン(当時)の
デーモン・ミンチェラの素晴らしいベースが聴けるが、
曲自体はやはり突き抜けるようなものとは無縁だったりする。
最後のドラムのフェイジングはブレンダンらしくて
聴いてて心地良いカオスを味わえるが。



「フライトゥンド」はやや重さもあるこのアルバムの中では
比較的軽やかな一曲。 今までどおり?のややアーシーな
イントロからスタートするのだが決して力強いわけではなく、
ストリングスなども加わって徐々に華やかになっていき、
サビでタイトル通り空に広がっていくような 展開が美しい。
それにしてもロバート・カービーによる弦アレンジの美しさといったら無い。
もう一つ、この曲でのデーモン・ミンチェラのベース・プレイは
素晴らしい。派手ではないが 耳を澄ませば
すぐにわかるので是非聴いてもらいたい。

人間はいつでも同じではなく、確信をもって進めるときもあれば、
立ち止まって思い悩む事だってある。 ファンを納得させる傑作を
作る時もあれば、どうしようもないアルバムだって
多数あるポール・ウェラー。 だからこそ僕は彼をどこかで
信頼しているのかも知れない。 但し、このアルバムに伴う
ツアーの出来は前回とは対照的に良いものではなかった。
まぁテンションは緩めだろうというのは想像できたが、
それ以上に連れてきた名前も知らない若いベーシストの腕も
音作りも酷く、それが気になってかなりイライラしてしまった。
ハモンド奏者を連れてきたのは良かったのだけど。
この時はツアーバンドが悪すぎた。
前回はベースはアシッド・ジャズ界隈のヨランダ・チャールズ
だったし、ギターはマザー・アースのマッド・ディドンだったので
文句の付け様が無かったのだ。後は東京国際フォーラム
自体も何だかウェラーの雰囲気と合わなかったのかも知れない。


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2006年03月08日

Mermaids

”ポール・ウェラー 来日前特集その4”

「深遠なる自己のソウルへの確信」 ('97)


ソロとしては4作目にあたるアルバム『ヘヴィー・ソウル』は
前作『スタンリー・ロード』にも増して
贅肉を削ぎ落としたようなエッジの立ったサウンドが目立つ。

先行シングルとして発売された「ピーコック・スーツ」は
オーシャン・カラー・シーンやリーフ、もしくはマザー・アースなど、
彼のソロ活動に触発された後輩たちに対しての返答のような
ソリッドなモッド・ロック・ナンバーと言える仕上がりで、
PVも存分にモッドな雰囲気を思わせるような映像であった。

恐らくはスタカンの失敗で失意の中にいたウェラーが、
もう一度原点に戻り始めたソロ活動は、『ワイルド・ウッド』
『スタンリー・ロード』と、アルバムを追うごとに評価、
セールスを高めていき、もう一度表舞台に
返り咲いたと言って良い状態だった。
その中で彼は己の活動に対して徐々に
自信を深めていったのは間違いないだろう。

そしてその自信が確信に変わったポイントが
この『ヘヴィー・ソウル』ではないかと思う。
このアルバムでは今までのような「〜的である」とか
「〜のサウンドを取り入れて」という部分以上に
「自らのソウルを体現」する事に重きが置かれている。
それはアルバム・タイトルにもなった
1曲目「ヘヴィー・ソウル」からしても明らかだ。
この曲はウェラーお得意のマイナーを基調とした
パワフルなロックなのだが、
実際そのサウンドは所謂「ソウル」でも何でも無かったりする。
ここで使われる「ソウル」と言うのはジャンルとしての
ソウルではなく、「自らのソウル」と言う意味、
いや、もっと言ってしまえば「俺の奏でる音楽がソウルそのものだ」
という確信的な精神を強く感じたりする。

「ピーコック・スーツ」なんかも同様だ。
そもそもピーコック・スーツという言葉自体がモッド的なニュアンスを
含む言葉なので(モッズは孔雀のように着飾ってるという風に言われた)、
そういった意味でもこの曲は「ウェラー流モッズ宣言97年版」
とでも言えるような歌だと思う。

「アップ・イン・ザ・スージーズ・ルーム」や
「ドライビング・ノーウェア」のような比較的
アコースティカルな曲も有るにはあるのだが、
それ以外もソリッドで力強い曲が多い。

「ブラッシュド」はプロデューサーである
ブレンダン・リンチの特徴がよく出た曲で、
かなり音響的な処理が施してあったりするが、
楽曲自体はゴリゴリのロックだったりする。
ブレンダン・リンチ自体がポール・ウェラーや
オーシャン・カラー・シーン辺りの「ざっくり」とした
プロデュースを中心に有名になったが、
元々はダブ的な処理を得意とするプロデューサーなので
そういった面が段々表に出てきているのも興味深い。
因みにブレンダン・リンチはこの後プライマル・スクリームの
ダブ的アルバムや、エイジアン・ダブ・ファウンデーションなどの
プロデュースを担当することになる。

「〜的」という要素は薄まっているが、
このアルバムでの「熱さ」というのは精神的には
スティーブ・マリオットを意識しているようにも思える。
それらは「サイエンス」や「ゴールデン・サンズ」
のような曲でより明らかに感じ取ることが出来たりする



全体的には力強いブリティッシュ・ロックとして
捉えても優れた作品だと思う。 けっこう力んだ
感じがするのだがそれもウェラーなので悪くない。
そして、『ワイルド・ウッド』『スタンリー・ロード』と
続いてきた彼の「英国的ロック3部作」の
トリを務めるニュアンスも感じる作品ではある。
少しやり過ぎなこのジャケットも嫌いじゃない。

このアルバムに伴うツアーで日本にも久々に
来日したのだが(『スタンリー・ロード』時には来日せず)、
このライブは彼の観たライブだけでなく、
僕が観てきたミュージシャンのライブの中でも
記憶に残る素晴らしいライブだった。
一曲目の「サンフラワー」演奏中に何故か照明が全て消えて
しまうというアクシデントがあって、ウェラーが苦笑いしていたが、
それでテンションを落とすことも無く、 充実した彼の
現在を存分に堪能できる素晴らしいステージだった。
ここまで書いたように、『ヘヴィー・ソウル』は
力強いアルバムではあるのだが、どこか内省的な面も
見え隠れし始めてるのが興味深い。
それを端的に表しているのがこのアルバムのラストを飾る
「マーメイズ」だ。この曲、この時期のウェラーとしては
珍しいポップな手触りの楽曲で、 リズムなんかは
初期ビートルズのような感じだったりする。
ストリングスなんかも使われている。
そこにややつぶやくようなウェラーの力の抜けたヴォーカルが入り、
淡々と曲が進んで行く。 全体的にテンションの高い
アルバムなだけに、この「マーメイズ」の軽やかさと憂いは一層
際立っていたりする。そしてこの雰囲気は次作
『ヒーリオーセントリック』に続いていく。

良くディランがアルバムのラストで次のアルバムを
予見するような曲を入れているなんて
言われたりしたが、ウェラーもそういうものを
狙ったのではないかと僕は思ってしまう。
この手法はストーンズなんかもやっていて、
『イッツ・オンリー・ロックンロール』の最後に収録されていた
ファンク・ナンバー「フィンガープリント・ファイル」は
そのまま次作『ブラック・アンド・ブルー』での
ソウル・ファンク路線に繋がっていく。

話が戻るが、来日公演の時に「マーメイズ」を披露した際、
日本ではこの曲は評判が良いのか、大きな歓声を
呼んだのだが、それにウェラーが少し動揺してほくそえんでいたのが
何故か心に残っている。 とにかく素晴らしいライブであった。
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2006年03月07日

Porcelain Gods

”ポール・ウェラー 来日前特集その3”

「心・技・体、充実のウェラーとニューオリンズ巡礼」 ('95)


ウェラーのソロ3作目にあたる『スタンリー・ロード』は、
彼が若き日から発表してきたジャムや
スタイル・カウンシルの作品を並べた上でも
一番評価の高いアルバムの一つであり、
かつセールス的にもその渋い内容に
関わらず大ヒットを収めた一枚だ。

確かに彼がソロになってから目指していた
「ダウン・トゥ・アース」の辿り着いた場所と考えても
素晴らしいアルバムだし、
その先にはやはりニューオリンズがあったという事を踏まえても
納得の作品なのだが、
先行シングルの「チェンジング・マン」はともかくとしても、
その内容は決してキャッチーとは言えなかったし、
ブリット・ポップ狂想曲の最中にあった
英国の音楽シーンにマッチしてるサウンドとも思えなかった。

しかしそのブリット・ポップの連中が憧れた
サウンドやスタイルには間違いなく彼のジャムでの
姿があった訳で、そういう意味でウェラーは
ブラー、オアシスのように先頭に立っていた者から
果てはスタイル、楽曲までジャムそっくりだった
60ftドールズのようなマイナーなミュージシャンたちから
多大なリスペクトを受けることになる。
それが結果として大ヒットにも繋がったのだろう。

個人的にも好きな方に入るアルバムだ。
ドクター・ジョンのダイナミックなカバー、
「ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ」
お得意の暗いメロディが印象的な
「ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー」
再びスティーブ・マリオット的な「アウト・オブ・シンキング」
スティーブ・ウィンウッドが遂にピアノで客演した
「ピンク・オン・ホワイト・ウォール」など
どれも渋みのある味わい深いロック・チューンで、
ウェラーが若い頃から努力を重ねて行き着いた
地点と言う感じがファンとしても感慨深い。

普通であれば間違いなくソロの
最高傑作と言ってよいのだろうが、僕はこのアルバムにはいくつか
不満点もあったりする。それは「リズム隊の限界」である。
特にスティーヴ・ホワイトだ。
彼はスタカン時代から今現在までウェラーを支えるドラマーであるが、
この頃は顕著にウェラーの方向性を理解しきれて
無い気がしてしまう。特に「ウッドカッターズ・サン」だ。
この曲は本来ウェラーなりのニューオリンズ・サウンドを
醸し出したくて作られた曲なのであろうが、
そこで叩かれるあまりに平坦なドラムには正直閉口してしまう。
出来ることならこういう曲こそ跳ねがあって
締まったドラムを叩ける人を起用して欲しかった。
これではクラプトンの「クロス・ロード」の
だらしない模倣ヴァージョンのように聴こえてしまう。

僕は元々あまりスティーヴ・ホワイトのドラムが
好みではないので厳しくなってしまうところがある。
確かにジャズ上がりらしく、
レギュラー・グリップを生かしたロール多用など、技術はそこそこ
有るのかもしれないが、その小手先の技術を
使いすぎて彼のドラムは僕にはくどく感じる。
それといやに平坦なアタックも気になる。
これはプロデュースの方かもしれないが。

こういった「食い足りなさ」はリズムに
重きを置いたこのアルバムこそ気になってしまった。
この時期くらいになればウェラーもさすがに各方面から
ゲストは呼べるだけの存在になっていただろうから、
出来れば適材適所でドラマーを起用して欲しかった。
実際にスティーヴ・ウィンウッドやノエル・ギャラガーなど
先輩、後輩も参加していた訳だし、ベースなどはマルコ・ネルソンから
ヨランダ・チャールズ、果てはドクター・ロバートまで参加していたのだから。

まぁそれを差し引いたとしても英国人の見つめる
「ダウン・トゥ・アース」としては素晴らしいアルバムで、
その完成度、意欲の高さは、70年代のストーンズや
トラフィック、クラプトンやフリーなどにも劣らないと思う。



因みにジャケット・デザインは『サージェント〜』の
ピーター・ブレイク。これらを含めてウェラー自身が
蓄積したものへの総決算的な
意味合いもあるアルバムだと言えるかもしれない。

「ポーセリン・ゴッズ」は何とも言えず不思議なナンバー。
曲の終わりからそのままドクター・ジョンのカバーに
繋がる辺り、『グリ・グリ』のヴードゥー的な
雰囲気を狙ったのかもしれない。あんなに怪しくは無いが。

それにしたって特別盛り上がる部分も無いし、
何だか構成が中途半端で最初はかなりどうでも
良い曲だったのだが、ジュールズ・ホランドの
TVショーに出演したときに、彼が珍しくテレキャスターを
掻き鳴らしながらこの曲を弾いていた様が
何だか格好良くてだんだんこの曲にはまってしまった。

これ以後、彼の作品は音楽的な部分より
「ウェラーである」と言う部分が目立つようになっていく。
posted by cafebleu at 08:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

All The Pictures On The Wall

”ポール・ウェラー 来日前特集その2”

「辿り着いた俺流スタイル評議への長き道」 ('94)


ソロ・アルバム一枚づつ振り返る予定です。
ちょっと後半は端折るかもしれないけど。

ソロ・アルバムとして2枚目になる『ワイルド・ウッド』は
色々な意味で重要作だろう。ここから現在まで続く
彼の「ウェラー流ロック」が確立されたと言ってよいし、
プロデューサーであるブレンダン・リンチと共に、
彼のソロになってからの特徴である「骨太」な
アナログ感のあるサウンド作りを二人三脚で始めたのもここからだろう。

リリースこそ日本より遅れたが、
お膝元の英国でも彼のデビュー・アルバムは結局リリースされ、
チャートのベスト10に入ると言う、
カムバックとしては上々の結果となった。
そんな自信もあってだろうか、
ソロ2作目となる『ワイルド・ウッド』は
より自らの現在を表すような音楽となった。

そのキーワードは「ダウン・トゥ・アース」、
キャッチーさや派手な装飾を控え、生楽器の響きを
生かした往年のロック・サウンドのような、
70年代のレコードのような音作り。
それがより一層表に出たのがこのアルバムであり、
これ以降ウェラーはほとんど方向性が
変わらないといって良い。
このアルバムのトップを飾る「サンフラワー」から
新作『アズ・イズ・ナウ』の1曲目
「ブリンク・アンド・ユー・ウィル・ミス・イット」までの
中で感じる変化は余り無い。

『ワイルド・ウッド』、今でもファンの間では
評価の高い一枚に入るだろう。
僕個人としても彼のアルバムの中で
一番好きなアルバムはこのアルバムだと思う。
音楽の熟成度や熱さでは次作『スタンリー・ロード』に
譲るが、ここにある静けさと力強さが同居した佇まいが
僕はとても好きだ。そう、このアルバムのジャケット
そのままの世界が『ワイルド・ウッド』にはある。

楽曲的にも彼のシングル的なチューンでは
最高の部類に入るであろう、疾走感を煽るような
リフが印象的な「サンフラワー」やトラフィック的というか
結構モロなんだけど悪くない。フォーキーな
「ワイルド・ウッド」、本人のピアノが印象的な
「キャン・ユー・ヒール・アス」スワンピーな仕上がりの
「5thシーズン」、多分スティーブ・マリオット的な
「ザ・ウィーバー」など渋い中にも聴き所の多い佳作だと思う。



輸入盤と再発盤では、
「フット・オブ・ザ・マウンテン」と「ハング・アップ」が
収録されているのでこちらの方がお得かもしれない。
(追記:2010年現在ではデモやDVDのついたスペシャル・エディションがお薦め)

そして「オール・ザ・ピクチャーズ・オン・ザ・ウォール」。
アコギの静かなリフから淡々とリズムを刻んでいく渋い曲。
最初はそんなに僕の中でも目立つ曲ではなかったが、
『ヘビー・ソウル』に伴う来日の際に
披露されてから大好きになった記憶がある。
このライブは自分が少なからず観てきた色々な
アーティストのライブでも5本の指に入るくらい素晴らしい
ライブだったが、熱い演奏が続く中、アコースティックのコーナーで
当時のツアー・メンバーだった女性ベーシスト、
ヨランダのコーラスを背に歌っていたこの曲が今でも
記憶の片隅に残っている。このライブについてはまた『ヘビー・ソウル』の
レビューで触れるつもり。

淡々としていて凛としたこの曲が好きだ。
posted by cafebleu at 08:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

Amongst Butterflies

"ポール・ウェラー 来日前特集その1"

「スタイル・カウンシルの到達点と現在への出発点だったファースト・ソロ」 ('92)


今月末にモッズ界の御大(笑)とも言うべきポール・ウェラーが
来日するので少しソロ活動の足跡を追ってみようかと思う。

以前ここでも書いたし、
他でも近年の作品については余り高い評価はしていないのだけど、
やはり来日と聞くと行かずにはいれない
自分は彼が好きなんだろうなぁと思う。

80年代末期、
スタイル・カウンシルの活動はセールス的に下降線を辿る。
実際極端に当時のブラコンを模したような
『コスト・オブ・ラビング』はセールスこそ良かったが
その内容は評判が良くなかった。
そして彼らのアルバムとしては最後になった
『コンフェッション・オブ・ポップグループ』は
セールス的にもUKチャートのベスト10入りを逃し、
実際にその内容も散漫で彼らの活動は
明らかにテンションが落ち始めていた。

そして『コンフェッション〜』でのセールス失敗が響き、
この後に作ったハウスのアルバムを
レーベル側に発売拒否されスタカンは解散に追い込まれていく。

そして、数年の沈黙の後、
ポール・ウェラーの1stソロアルバムは発売されたのである。
当初イギリスでの配給レーベルが決まらず、
日本だけで先行発売されたのだ。
英国を代表するカリスマ的、アイドル的存在であった彼にも多少、
不遇の時期はあったということだろう。

紆余曲折を経て発売されたこのアルバムであるが、
今となっては評価も良いし、ここで聴けるピュアな
サウンドは時間が経ってもあまり色褪せたりしない類のものだと思う。

僕はこのアルバムをその後のソロには
無い感触も含んでいると言う点で貴重だと思う。
ちょうど時代がアシッド・ジャズなどで
賑わっていた事も関係しているのだが、このアルバムでの
ポール・ウェラーは今ほど重厚な音作りをしていない。
簡単に言ってしまえばこのアルバムはウェラーなりのニュートラルな
「ブルー・アイド・ソウル」と言えるかと思う。

マーヴィン・ゲイを意識したと思われる「アバヴ・ザ・クラウズ」、
いかにもアシッド・ジャズ期のソウル・サウンドっぽい
「リメンバー・ハウ・ウィ・スターテッド」などがそうだろう。
そしてそういうホワイト・ソウル・スタイルは
スティーヴ・ウインウッドが70年代中頃、
トラフィックの『ジョン・バーレイコン』辺りで
志していたものと何処か通じるものがある。
『ジョン・バーレイコン』実はオーシャン・カラー・シーンも
『マーチング・オールレディ』での
インスト「オール・アップ」でそのままリフを利用
しているモッズには基本?のアルバムである。

そんな肩肘張らないブルー・アイド・ソウルは
本来スタイル・カウンシルで目指していたものでも
あっただろう。スタカンは後期になると必要以上に
黒人的な「ブラコン、ファンク」に対等する
所へ拘り過ぎて、本来の目的を失っていたような気がする。
そういった意味ではこのアルバムは
ウェラーが本来スタカンで目指していたものへの
到達点の一つだったような気がする。

もう一つは「イントゥ・トゥモロウ」に象徴されるような
「白人である」ウェラーなりのR&Bやソウルの
吸収の結果だ。この曲で確立した部分を
ウェラーはこの後のソロ活動で今でもベースにしている。
それは6〜70年代のスティーブ・マリオットや
エリック・クラプトン、もしくはフリーやトラフィックが
志していた「アーシー」なロック・サウンドだ。
そしてこのようなアーシーな路線は次のアルバム
『ワイルド・ウッド』で更に顕著になっていく事になる。
そういった意味でこのアルバムはソロ活動の出発点でもある。

色々な意味でまだ明らかな色が付いていない
このアルバムはピュアに聴こえる。
そしてそういうサウンドは意外と彼からは
聴けないものなのでその部分でも貴重な感じがするのだ。
音楽的なアイデンティティと精神的なアイデンティティの
狭間で生まれたピュアなウェラー流ソウルが
ここにはあるんじゃないだろうか?



「アマングスト・バタフライズ」はこのアルバムの中でも
大好きな曲の一つだ。軽やかなソウル風の
カッティング・ギターのイントロで僕は気に入ってしまった。
今回多用している「肩肘張らない」
感じが良く出ている一曲だと思う。

この後の活動ではまた今まで違う意味で
重厚かつ力強いサウンドを彼は志していくので
その点でもこんな軽やかなソウル・ロックは
余り聴けないので未だ僕のお気に入り。
posted by cafebleu at 08:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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