2008年12月03日

Rock Montreal

”ライブバンドとしての絶頂期を捉えた貴重なフィルム”

『Rock Montreal(ライブ・イン・モントリオール'81)』



以前から言ってたように、満を持してクイーンのレビューと言うかコラムを。

敢えてアルバムではなく、去年リリースされたこのライブ映像からで。
クイーンは、映像的なバンドであり、ライブアクトとしても素晴らしかった。

このDVDは名前の通り81年のツアーからカナダ・モントリオール公演を
収めたもので、そういった点では普通のライブ映像である。
時期的にはもっとも北米地域で商業的に成功した時期で、アルバムとしては
『ザ・ゲーム』に伴うツアーと言える。このアルバムには「愛と言う名の欲望」と
「地獄へ道づれ(アナザー・ワン・バイト・ザ・ダスト)」と言う2曲の全米No.1ソングが
収録されていた。

また、これ以外にも初の南米への大規模ツアーも成功させ、ブラジル公演では
13万人と言う、ちょっと想像もつかないような人数を動員したライブを行っている。

そのツアーの締めくくりとして、北米ツアーのファイナルの様子を切り取ったものが
本作と言う事になるだろうか。

そして、この公演は最初から劇場での公開等を想定していたようで、
35mmフィルムで撮られている。この部分が他のクイーンのライブ映像と
大きく異なるところで、そのフィルム独特の映像の雰囲気も含めて素晴らしく、
最初から作品を意識していたこと、アルバムが商業的に成功したこと、
直前までの南米公演を成功裏に終えてることで、彼らのテンションも非常に
高いと言える。

こういった要素が重なり、ライブ作品としても最高の作品となっている。

最もこの作品はずいぶん前から流通していて、僕も10数年前にVHSビデオで
この作品を持っていたのだが、その時は映像のピッチがかなりおかしくて、
全体的にかなり早く、キーも一音近く上がってしまっていた上、時折ピッチが
揺らいでいて、急に遅くなったりしている上、やや全体の楽器ミックスのバランスも
おかしくて、音楽作品としては厳しい状態となっていて非常に残念なものだった。

この手の問題はフィルム作品には多く、ウイングスの『ロック・ショウ』もピッチが
早めだったし、逆に90年のツアーを捉えた『ゲット・バック』はピッチが遅かった。

しかし、今回のリマスタリングで映像も磨かれたのは勿論の事、ピッチの問題も
丹念に修正したようで通常のキーで聴ける様になっている上、揺らぎも解消。
更にはサウンドのリマスタリングが素晴らしく、実はマスターの状態も良かったようで、
ライブ音源としては極上の音質で丁寧なリマスタリングが行われている。
もっと言えば、CDより元々の再生音質が高いDVDの利点を最大限利用しているとも言える。

元々ファンにとって、80年代前半におけるライブ音源の質が高いことは知られた話で、
ブートなどでは各種流出していたが、正式な作品としては余り残っていなく、
そういった意味でもこの作品のリイシューと、既にブートでは有名だった翌年の
ミルトン・キーンズ公演が収録された『ライブ・アット・ボウル』が立て続けにリリース
されたのは本当に嬉しい話ではあった。

映像は、当時のオープニング定番であった「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の
バンド・バージョンからスタートする。
テンポも速く、ハードなアレンジが特徴だが、クイーンのオープニングとしては
ストレートだなとも思う。

そして、続いてこれも当時はよく演奏されていた「レット・ミー・エンターテイン・ユー」
へと続くが、これもかなりハードに演奏されており、特にドラムもヘヴィーである。
この辺りがクイーンのハードすぎないハード・ロック感覚で、それは万人にも
聴き易いし、彼らのバンドとしてのグルーヴが堪能できる部分である。

続いて、当時の新作『ザ・ゲーム』からのナンバーでアルバム・タイトルにも
かかった「プレイ・ザ・ゲーム」が登場。フレディ作曲らしいピアノ主体のバラード
ではあるが、スタジオ盤よりも力強く、ファルセットを用いずに歌いきってしまう
フレディの歌唱がかなり格好良く、この曲は明らかにライブの方が出来が良い。
また、この辺りでこのライブでのフレディの声が凄まじいコンディションである事が
良くわかる。


「Play The Game」(Freddy Mercury)

続いて代表曲の一つ「サムバディ・トゥ・ラブ」もオリジナルを遥かに凌駕するヴォーカルで、
若い頃のようなややナルシスティックな歌唱法から、より声の張りを生かした
力強い歌い方へとシフトしていることが聴いていると良くわかる。
そして、それはこの曲の持つゴスペル的要素をスタジオ盤より強く印象付けている。

ライブならではの曲と言うならば、「ゲット・ダウン・メイク・ラブ」が出色の出来では
無いだろうか。正直『世界に捧ぐ』ではその艶かしさ?は感じつつもそれほど
重要な楽曲とは思ってなかったが、ここでのテイクは、長年のバンドの呼吸も
素晴らしいし、息が合ってないと非常に難曲ではないかと思う。
また、曲としては”クイーン流サイケ・ファンク・ブルーズ”と言ったような誰にも
頼まれてないような新境地なのだが、非常にライブ映えのする曲である。
フレディのヴォーカルの”切れ”の部分を堪能できる一曲である。


「Get Down Make Love」(Freddy Mercury)

後は「セイブ・ミー」だろうか。これは以前の日記でも紹介したが、ある意味屈託の
無い最強のロッカ・バラードで、フレディのヴォーカルの美しさ、表現力が堪能できる。

この曲に限ったことではないが、クイーンの面々と言うのは、ブライアンを除いて、
ある意味凄く自分たちの演奏を過小評価していると言うか、それは80年代と言う
時代も有るのだろうけど、凄くスタジオでは冷静な判断を下せる人たちである。
例えばそれは、ドラマーであるロジャーの代表曲「ラジオ・ガ・ガ」が好例で、
あれだけライブで自己主張の激しいドラムを叩く人が、あの楽曲に合ったアレンジを
考えた場合、レトロモダンとも言えるような趣に向かい、メロディックな楽曲に
敢えて16ビートの淡々とした打ち込みを採用し、本人はドラムすら叩いていないのだ。
この辺はジョンやフレディにもある傾向で、フレディもスタジオではかなりヴォーカルに
エフェクツをかけたりすることがある。ブライアンのギターはそれ自体がクイーンの
サウンドの特徴なので、『ホット・スペース』以外ではそれ程音色にもいつも
変化が無いのだが(そこが強いて言うとクイーンの苦手なところではある)、それにしても
作曲者が自らの楽器を入れないというのは大胆と言うか、冷静な判断力だろう。

ロジャーは特にそういう傾向があり、もう一つの彼の代表曲「ア・カインド・オブ・マジック」
でも打ち込みを採用している。

でも、彼らの演奏力というのは、単に上手いとかそういうところを通り越したところで
非常に稀有なグルーヴを持っており、そこが「楽曲はキャッチー、演奏はハード」と言う
クイーンならではのマジックを生み出しているので、実はライブではまったときは
遥かにスタジオのテイクを凌ぐ力が有るのではないかと思っている。
その辺りが英国の大衆的なバンドとしての存在をビートルズから受け継ぎつつも、
明らかにビートルズとは異なる要素なのである。それは70年代以降のバンドと言う
ライブで魅せる部分が無いと生きていけない時代だったと言う背景もあるだろうが。

話は戻って「セイブ・ミー」では、彼らならではのマルチ・プレイヤーぶりが伺える。
ブライアンのピアノでスタートし、フレディはヴォーカルのみで最初は始まるのだが、
途中のギターに変わるところからフレディがピアノをバトンタッチし、
”魅せる楽器交代”を披露している。この辺りが、精神的にビートルズの影響を
クイーンに感じると思うのは僕だけであろうか。

しかし、掛け値無しに美しい楽曲で、何度も言っているがこの曲が僕は彼らの中で
一番好きだし、こう言った楽曲を書けるブライアンの才能はギタースタイルこそ
余り好きではないのだが、改めて認めるべきところであろう。


「Save Me」(Brian May)

中盤はお得意の「ナウ・アウム・ヒア」を主体にした長いメドレーがあり、その中で
各自のソロ・タイムなど、ライブならではの長尺な構成がある。この辺もクイーンの
ライブではお馴染みの所か。

途中でデビュー当時の「キープ・ユア・セルフ・アライブ」がタイトな演奏を聴かせるが、
この曲や後のツアーで取り上げた「輝ける7つの海」辺りを聴いていると、クイーンが
グラマラスなハードロックバンドとしてデビューしつつも、この時点からそう言った
カリスマ性よりもキャッチーな要素を併せ持っていたのだなと改めて感じたりする。
やはりクイーンは総じて”ポップ”なバンドなのである。


「Keep Your Self Alive」(Brian May)

当時のヒット曲「愛と言う名の欲望」以降は代表曲を畳み掛ける構成となり、
そのままラストの「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」へと雪崩れ込む。
これは当時のライブのお決まりの流れであるが、爽快である。

この中でも「ボヘミアン・ラプソディ」のこの時代ならではの若い頃より
マッチョなパワー?の増した力強い歌唱であるとか、「地獄へ道づれ」の
彼ららしいへヴィーなグルーヴによるファンク解釈は聴き所である。


「Another One Bites The Dust」(John Deacon)

音源的には80年当時のものとは思えないほどマスターの状態も良かったようで、
多少チャンネルへの回り込みは有る様だけど、これほど抜けの良いライブ音源も
そう無いので、それだけでも良かったし、これだけバンドを褒めておいてなんなのだが、
やはりフレディのヴォーカルと言うのは唯一無比の力強さと美しさを両立させている、
他では絶対無いオリジナリティのあるものである。
彼が歌うことによって平凡な曲を佳曲クラスにしてしまったことは決して少なくなかっただろう。
やっぱりクイーンはフレディなのである。彼の表現豊かなヴォーカルも有ったから
他の三人も素晴らしい楽曲を書き上げられたと言うのは言いすぎだとしても、一因としては
有り得る話ではないだろうか。

また、フレディやバンドの年輪なども一番若さと円熟のバランスが良い頃だった様で、
これ以前やこれ以降では見れなくなるバンドとして、ヴォーカリストとしての絶頂を
捉えている点でも本当に素晴らしいライブ盤である。これを聴くと、正直この数年前に
ライブ・アルバムとして正式にリリースされた『ライブ・キラーズ』って一体何だったんだ
と言う気持ちにさせられるほど出来には差があると言わざるを得ない。

そして彼のポジティブな歌声は、落ち込んでいる人や思い悩んでいる人に力強く
響く、大衆性も持ちえている。それは素晴らしい事である。

僕がいつも思うのは、通り一遍の精神性を醸し出しているような音楽よりも、
音楽が音楽で有る事にこだわるような、山下達郎であるとか、ポール・ウェラーの
ような人たちは、逆にその表層的でその実、商業的な精神性よりも遥かにリアリティを
感じるときがある。音楽は商業なのだから、そこが成り立った上で、多くの人を
感動させられると言うのはショービズとして最適だし、彼らやフレディが人を感動
させられるのは単に売れ線の楽曲を書いているからと言う訳ではないと思う。
商業的だから、音楽的だからこそ深みのある人間性が醸し出されるのも音楽である。

映像としても改めてフィルム録画の良さを痛感できるし、スタジアム・バンドとしての
クイーンの醍醐味が、自由に稼動する照明効果辺りからもうかがえる。

僕らの時代と言うのは、グランジ以降というか、とにかくそういった物に対して否定的な
時代で、せいぜい世代を伝えているバンドで大仕掛けを施していたのはU2くらいの
物であった。ペイヴメントが見せるような、平気で演奏途中にチューニング音を聞かせて
しまうようなアマチュアリズムがいけないとは思わないが、敢えて言えばそんなものは
アマチュアのライブを観に行けばいつでも見れる類のものである。
それに対して、これでもかと言うような演出をし、「僕は貴方達を楽しませますよ」と
歌いきってしまうような”ショー”だって否定する必要は全く無いのである。

スケールの大きいプロのバンドでしか見られない”ショー”だって素晴らしいものだし、
本当にクイーンにはそれが良く似合った。

これだけごたくを並べても彼らを生で観れなかったのは、今でも心残りである。
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2008年08月27日

The Show Must Go On

"ある意味フレディの遺言通りになってしまったのが悲しい"

僕はクイーンが大好きである。
僕だけでなく、ポップファンやマニアの多くはクイーンが大好きだろう。
そして月9とオリコンのヒット曲しか知らない人だって今ではクイーンは有名人だ。
野球などスポーツ好きなら「伝説のチャンピオン」が胴上げシーンのBGMに
よく使われたりして知ってたりもするだろう。

本当にストレートでベタな展開をするバラードやロックソングに
枯渇したら間違いなくクイーンを聴けばそれは満たされる。

オペラティックな所やフレディの特異なキャラクターばかりクローズアップ
されるのだけど、その実はとても優れたグループで、以前も書いたが
4人とも趣向の違う作曲をしつつも各々代表曲を書いている辺りは
才能に他ならない。そのようなグループはほぼ皆無だ。

クイーンのファンというのは二つに分かれると思う。
一つは耽美的、英国的ハードロックの代表格としてのクイーンである。
サウンド的にはブライアン・メイのギターや楽曲が好きだろう。
アルバムで言うなら何は無くとも『クイーンU』、他には
『オペラ座の夜』と『イニュエンドゥ』辺りが好みだろうか。

もう一つは愛すべきポップメイカーとしてのクイーンのファン。
時折見せるふざけたような楽曲も、ストレートなポップソングも好みである。
実はジョン・ディーコンの楽曲が楽しみである。好きなアルバムは
『ジャズ』『華麗なるレース』『ゲーム』辺りなんてどうだろうか?

僕は間違いなく後者である。

この幅広いファン層こそクイーンの凄みで、ビートルズ亡き後、
少なくとも英国においては国民的バンドの座をクイーンが得ていくことを
踏まえても、クイーンはある意味深いのである。

「ビートルズの後釜なんて・・・」と思う向きも有るかも知れないが、
EMIがパーロフォン・レーベルを復活させたときに、最初にそのレーベルを
与えたのがクイーンだったのが何よりもの証だと思う。これは功労的な意味も
あるだろうが、パーロフォン復活第一弾は88年発表のアルバム『ミラクル』だった。
(後にパーロフォンを冠するのはレディオヘッドやブラーである)

もう一つ付け加えると、英国チャートにおいて、ビートルズの次にアルバムの
チャートで1位を多く送り込んでるのはU2やストーンズではなく
クイーンであることも忘れてはならないだろう。

アルバムにして9枚のチャートNo.1獲得を記録している上、ベスト5まで
と言う事になるならコンピも含め20枚ものチャートインを記録している。
更にはシングルでも23枚ものベスト10入りを果たしているモンスターぶりである。

勿論ビートルズの活動期間はわずか8年ほどで、その後コンピの数を
含めてもクイーンの実働年数である20年強には及ばないのでそれを加味する
必要があるが、例えば同じく20年以上の活動履歴を誇るストーンズでも
実際はこれほどの商業的成功は収めていないのだ。

別に音楽はチャートだけでは決して無いけど、そんなスケールの大きな話が
良く似合うバンドだったし、実際にスタジアム・ライブで見栄えのする人たちであった。
ライブ・エイドでは今でも語り継がれるパフォーマンスを披露したし、結果的に
彼らのラストツアーとなった86年のウエンブリーでの勇姿は今でも観る事が出来る。
中期以降は明らかに「芸術」よりも「ゲイ芸能」に徹しているのもある意味潔かった。

明らかにロックレジェンド的な要素よりも商業的な成功面が強いせいか、逆に
コアに語られることが少なかった彼らにとっての転機となったのは皮肉にも
フレディの病であった。

88年発表の『ミラクル』が比較的ストレートな作品であったにも関わらず、それに
伴うツアーを行わなかった辺りから”噂”は本格化しつつあったようだ。

それはフレディがHIVに感染し、発症しつつ有ると言う噂である。

そして、その噂は誰の目から見ても、耳に入る音からも明らかになる。
そのアルバムがフレディ生前最後の作品で、オリジナル・アルバムとしては
最終作と言って良い91年作『イニュエンドウ』である。



このアルバムは実質上前作『ミラクル』から1年強しかリリース期間が離れていない。
これはこれほどの大御所のリリースサイクルとしてはとても短い。

そう、急がなければいけないのには訳があった。

フレディの体はHIVの発症によってどんどん蝕まれつつあったのだ。

それはプロモーションビデオ等、誰の目から見ても明らかになっていた。
こけた頬、決して大柄では無いものの、しっかりとした体系を維持していたはずの
体が本当に細く、小さく見えた。何よりもあれだけ生気にあふれたオーラを失いつつあった。

正直ファンにとって『イニュエンドウ』は冷静な評価を下しづらいアルバムである。
サウンド的には良く言われるように初期を髣髴とさせるような耽美的ハードロックが
久々に随所で聴かれる。そしてそれ以上にアルバム全体が重苦しく、それは
フレディが諦めと希望の狭間で戦っている姿そのものにも思えてくる。

正直僕の好きなクイーンのサウンドが満載のアルバムとは違うのだが、
やはりこのアルバムを耳にすると、万感に駆られる。

楽曲もさることながら、このアルバムで聴かれるフレディの歌声は人生の最期が
迫っているとは思えないほど透明感があって美しいのだが、その反面どこか
ここまでの力強い彼の歌声と比べると、明らかに線が細く感じる。

僕はこの一枚のアルバムを通して彼は遺書を残したのだと思っている。
これは優れた音楽家にしか出来ない物凄い遺書であり、音楽作品である。

こんな事を言って良いのかわからないのだが、彼の死は突発的なものではなく
徐々に彼を追い込んで行くタイプのものであった。だからこそ彼は壮絶な生き様を
作品に閉じ込めることが出来たのだとも言える。

「ショー・マスト・ゴー・オン」は『イニュエンドゥ』リリース後、シングルとしても
リリースされている。発売日が91年10月で、これはフレディ死去の1ヶ月ほど前だった。
勿論生前最後のリリース作品となったわけだが、この曲をラスト・シングルとすることを
フレディやメンバーの中で既に決めてあったのではないだろうか。

既にここまでアルバム『イニュエンドゥ』からはタイトル曲「イニュエンドゥ」の他に
「アイム・ゴーイング・スライトリー・マッド(狂気への序曲)」「ヘッドロング」がリリース
されていたのだが、結果的に彼の壮大な遺書のようになってしまったこの曲を
最後に回したのはバンドの意思だったのではないかと感じる。


「The Show Must Go On」('91) Queen

プロモ・ビデオ自体もここまでの彼らの映像がふんだんにコラージュ
されたもので、それがまた走馬灯のようで、観る者の心を打つ。
恐らくは既にプロモを撮影できる状態ではなく、結果的にそうなったのだろうが。

楽曲自体は、比較的ステレオタイプな欧州的歌謡ハードロックテイストの
コード進行とアレンジなのだが、やはりこの曲を感動的にしているのは
フレディの砕け散ってしまいそうなそのヴォーカルに尽きるだろう。

そして、自らの現在と重ね合わせられるその歌詞である。
”ショー”を続けなければならない、もしくは続けたかったのは誰よりもフレディ
本人だっただろう。しかしながら、それは既にかなわぬ願いとなりつつあった。
その最中に揺れながらも力強い歌声を、僕は何度聴いても込み上げる物がある。

皮肉にも、”ショー”を今でもやり続けているのは、フレディではなく、ジョン・ディーコンを
除いて、残されたほかのメンバーだった。しかもポール・ロジャーズと言う
有り得ないような選択肢を用いて、である。

僕はフリーが大好きだし、そこでのロジャーズのヴォーカルは素晴しいと思うが。
晩年のドサ周り歌手のような風情の彼を起用する安っぽいセンスに呆れてしまった。

結局のところ、フレディの遺言通り、ショーは続けられて、残されたものは食扶持を
得ているわけである。でもフレディはそれで良いと思っているような気がする。
クイーンは偉大なる”商業芸能”バンドだったのだから、それで良いのだ。
しかしながら僕は今のクイーンを耳にしたいとも全く思わないが。
その点でここに合流しなかったジョン・ディーコンが彼の楽曲同様とてもクールに思える。

僕はこの曲の一番のハイライトは後半に差し掛かる前のCメロ部分だと思っている。
ハードなギター・ソロに導かれ、ややサイケな音響で、他の重苦しいパートから
一瞬解き放たれたかのように聴こえるこのパートの美しさこそ、
この曲を崇高な物にしているような気がするのだ。またこの部分の歌詞も美しい。

空に羽ばたく蝶のように彩られた僕の魂は
昨日のおとぎ話のように色あせることは無い

友よ、僕は飛ぶことが出来るんだよ


僕の好みの音楽の中ではやや異質なクイーン、最初はまぁ音楽的に
自分にも好きなところがあるな、なんて部分から聴くようになったのであるが、
今となっては素晴しい生き様を見せてくれたフレディに対して畏敬の念を持っている。

正直お世辞にも格好良いとは思えないし、余りにもなその風貌にも当初は
嫌悪感すら感じた記憶もあるのだが、彼と言うのは稀有な人で(言うまでもないか)、
その存在で人に希望を与えられる人だったような気がする。

今回このコラムを書くために久々にYouTubeなんかでビデオなんかを観ていたが、
改めて彼の生き生きとしたライブでのパフォーマンスを観るにつけ、彼が亡くなってから
もう17年ほどの年月が経っているのが、何だか今でも信じられない感じもする。
それくらい彼の生前の姿は”生”の躍動に溢れていたのではないかと思う。

正直今観ていると、切れたマイクスタンドのような物を持っている不可思議な
パフォーマンスや”レロ〜”と言って観客を煽るわけのわからない盛り上げも、
上手いが異様にタッチの強いピアノ演奏も、”俺たちは世界のチャンピオンだ”
と言うどうしようも無い歌詞を力強く歌い上げる姿も、
何故だかもうこれを観ることが出来ないと言う気持ちに支配され、
どうにもセンチメンタルな気分になる。

彼はそんな想いにさせてくれる千両役者でもある。
ファンを悲しませ続けることが出来るのはこんな去り方をした
フレディくらいのものだろうと改めて思ったりもした。

またいずれ機会があればクイーンのアルバムについても。


「Somebody To Love」('82 Live At Milton Keynes)
長らくブートでは名演として有名だった82年のミルトン・キーンズにおけるライブでの
「サムバディ・トゥ・ラブ」である。元々ゴスペルの薫りがするこの曲であるが、
スタジオテイクよりも力強く、ソウルフルに熱唱するフレディのヴォーカルが素晴しい。
posted by cafebleu at 23:34| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Queen | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

Save Me

「名曲らしい名曲を書ける芸達者なバンド」 by Queen('79)


音楽の横道に入りだすと「クイーン好きだな」って言うのはある意味禁句。
言ってみたところで嘲笑されたり「へぇ〜」とか言われる。
かく言う自分もレイザーラモンHG観てたらフレディ思い出したり。

まぁセンス云々で語るバンドで無いのは事実。ライブとか観てもムチムチのタイツに
稲妻のマークの入った格好とかしてるし。

それでもクイーンの音楽はポップとして優れてるところがいくつもある。
フレディを始めメンバー4人がちゃんと作曲が出来、各々志向も違うので
バラエティにも富んでいる。そして4人それぞれがちゃんと代表曲クラスの楽曲を
書いているのも他のバンドではあまり考えられない。

ともすれば色々な方向に行き過ぎて散漫になりそうなところをフレディの唯一無比の声と
強烈な個性で抑え込み、結果として「クイーン」になる。そんな感じだろう。

彼らの全部を愛してるとは言い難いが、ストレートで美しい楽曲には元気付けられる
時もある。ギタリストのブライアン・メイ作の「セーブ・ミー」もそんな一曲。

これ以上無い美しい静かなイントロからど真ん中のサビに突入してある意味カオス。
ロッカ・バラードのお手本のようなこの曲、思い出したようにたまに聴くとやはり背中を押される
ように少しだけ元気が出る。クイーンがいなければジェリーフィッシュもベン・フォールズも
レイザーラモンHGも生まれてはこなかっただろう。

アルバム『ザ・ゲーム』に収録。


ザ・ゲーム (紙ジャケット仕様)

posted by cafebleu at 16:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Queen | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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