2018年01月04日

"さよなら人類"から27年経って その2

その後、たまの楽曲を色々聴いてみた。そうしてみると、たまらしさを一番体現しているのはギターの知久寿焼さんの楽曲(らんちう、ロシアのパン、悲しいずぼんetc...)で、彼の個性的な甲高いヴォーカル、昭和歌謡の影響を色濃く受けたコード進行、ギタースタイル(流しのようなアドリブフレーズが多い)、エキセントリックかつダークな詩など、たまのコンセプトは彼によってもたらされた事が良く分かる。


「かなしいずぼん」 作詞・作曲:知久寿焼
たま流ラーガ・ロック?サイケ?若しくはたまの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」的作品。日本的情緒のせいかそれらよりおどろおどろしい。


そして、柳原さんの楽曲もたま時代はかなり個性的だし尖っているのだが(さよなら人類、ジャバラの夜、お経、満月小唄etc...)、もう少し洋楽ポップ、ロックの影響が表に出ていて、意味深だったり思わせぶりな歌詞、アコーディオン中心のノスタルジックな音の背後にカリプソだったり、ワルツだったり、ルーツ・ロック的だったり、6〜70年代的なアレンジを内包させていることが分かって来た。


「ジャバラの夜」作詞・作曲:柳原幼一郎
トロピカルな雰囲気も有るたまとしてはポップな曲。この手の曲は柳原さんが多く担ってた。歌詞は下ネタだろう。曲の最後をワルツでしめるというのはビートル・フォロワーの定番。

この二人の楽曲を中心に、アコーディオンやマンドリン、そして例の変わったパーカッションも交えてたま独特の「昭和的日本のミュージックホール」とでも言えるようなコンセプトありきでバンドは成り立っていたように思う。

揺るがない世界観と個性を持ち、バンドのコンセプトの屋台骨だった知久さんと、そこに同調し、コンセプトの幅となる役目(キーボードならではのアレンジも含め)を担いながらも、もう少し音楽的、メロディメーカー的でも有った柳原さん。そしてそこに拙い歌とやや輪郭の緩い楽曲ながらも瑞々しくて己のスタイルを貫いたベースの滝本さん、最後にムードメーカーと言うか飛び道具として、アングラな演劇からの影響も感じさせた石川さんという構成がたまとして絶妙なバランスになっていたのだと思う。

こう書くと、確かにビートルズみたいなのである。個性の知久さんと幅のありキャッチーな柳原さんというキャラクターはそのままジョンとポールみたいである。でも彼らを「新しいビートルズ」と言うよりは「ビートルズに強く影響を受けて、その上で自分たちのフィルタで再構成したフォロワーの一つ」と言ってあげた方が正しかったのではないかと思う。新しい時代を切り開くとか、そういうことではなく、もっと箱庭的なバンドだったと思うのだ。

彼らは唯一無二の個性は有るが、広がりは然程無かったと僕は考えている。何故か言うと、たまとしてのフォーマットはかなり確立と言うかルールが有ったように思える。例えばエレキギターや普通のドラムセットを使うことは殆ど有り得なかったし、キーボードも基本的にはアナログなもの、ピアノやアコーディオン主体だ。つまりこのコンセプトはブレることが無かったわけだ。

それはそれで素晴らしいことだが、要するにビートルズで例えるなら『サージェント・ペパーズ』そのものなのだ。架空の昭和ミュージックホール楽団、それがたまなわけだ。良く考えれば彼らの風貌も、大凡その辺りにいるような風情ではなく、架空のバンドのようではないか。昭和の何処かに居ないような居るようなフィクション的バンド、それがたまなわけ。ビートルズがサージェントのコンセプトのままアルバムを作り続けることが無いと考えれば分かりやすいだろう。彼らはコンセプトの世界で作品を作り続けたのだ。

そのコンセプトを生み出したのがたまならば知久さんと言うことになるだろう。彼のスタイルは首尾一貫していて、ソロになってからも、余りたまとの乖離は無い。


「セシウムと少女」 知久寿焼

それに対して柳原さんはソロになってからかなりスタイルが変わった。何というか普通のシンガーソングライターになった感じがする。勿論良い曲はソロになってからも沢山有るのだが、斜に構えていたたま時代のひねくれたポップを期待すると肩透かしを食う感じなのである。


「Bad Love」 柳原陽一郎

たまが結成されたのは84年頃のようで、後の4人が揃ったのは86年頃らしい。つまりイカ天でブレイクする結構前から活動していたのだが、柳原さんはイカ天出演前にも脱退を考えていたことが有るようだ。所が89年にイカ天に出演し圧倒的な評価でグランドチャンピオンに、90年には自身作曲の「さよなら人類」が大ヒットしてしまった。こうなると辞める云々の話ではなくなるだろう。

勝手な想像だが、柳原さんからは6〜70年代の色んな音楽の影響が透けて見える。『2001年宇宙の旅』にも以前言及していたので、そういうカルチャー自体にも造詣が深い人だ。だから本来はそういう影響をもっと素直な形で表現したかったのではないかと思う。皮肉なことにたまのブレイクから少し後、94年頃から日本でもそういう伝承的と言うか、昔の良いところを匂わせるというか、影響を素直に出すスタイルの音楽が流行っていく。それは小沢健二とかオリジナルラブ等渋谷系のミュージシャン達に代表されるような雰囲気のものだ。渋谷系のブームもあり、それ以前からその傾向が強かった高野寛さんや、たまと同じくイカ天出身のフライング・キッズは明らかにそちらの方に流れていくことになる。

特にフライング・キッズの浜崎貴司さんは、イカ天時代を振り切るように、渋谷系と呼ばれるようなミュージシャンとの交流を強めていくし(高野寛さんと仲が良いのは良く知られた所)、フライング・キッズの音楽はどう考えても「早すぎた渋谷系」とでも呼べるようなファンキーでポップなサウンドだった。

だが、たまはとても渋谷系とは言えないし、そもそもバンドとしてはそういう雰囲気とは違うことくらいはメンバーも理解していただろう。それだけなら良いのだが、渋谷系のようにカルチャーやファッションも巻き込んだブームと共に、何処か垢抜けず、イロモノも多かったイカ天時代を忘れたいという気持ちがリスナーにも有ったような感じがする。つまり、たまは最初にも言ったようにイカ天を代表するようなイロモノ扱いを受けていたと思うのだ。

本質的に音楽やカルチャーの趣味としては渋谷系の人たちとも共鳴できそうな柳原さんにとって、恐らくブレイク後のたまは何処か自分への重石みたいになってしまったのでは無いだろうか。たま的な楽曲を書くことは得意だが、そことは違う色を出そうにも難しい。アレンジの幅も限界が有る。そう考えていたようなきがする。やはり今彼のたま時代の曲を聴くと、その風情とアレンジの奥底に彼の本質ややりたかったことが既に見え隠れしているのだ。


「お経」 たま 作詞・作曲 柳原幼一郎
シュールな歌詞では有るが最早格好良いとすら思える一曲。明らかにザ・バンドの影響を感じる。ベースメント・・・



「満月小唄」 たま 作詞・作曲 柳原幼一郎
たま時代の彼の名曲の一つとされる。和的ながらもロマンチックな世界観やロックさもそこはかとなく感じさせるアレンジを聴くと、彼がソロでやりたかったことの一端が見えてくる。


そして、日本では渋谷系が、世界でもブリットポップやグラスゴー、オルタナやパワーポップなどの懐古的サウンドが席巻していた95年に彼はたまを脱退してしまう。その後の活動は先述したようにたまとは距離を置いた、スタンダードなシンガーソングライターとして、曲を紡いでいる印象だ。


「ホーベン」 柳原陽一郎

自らを世に知らしめた、たまを否定しているわけではないようだし、その1で紹介したように今でもたまの曲を演奏することは有るが、たまの解散後(柳原さん脱退後も3人で活動したが、2003年に解散した)も他の3人は折に触れて再結集する時が有るけど、そこに柳原さんが居たことはない。それは音楽スタンス的な理由なのか、もっと人間関係で何か有ったのか、それは当人達にしか分からない。

ソロになってからの柳原さんは紹介しているように普遍的で素晴らしい曲を書いていると思う。だが、どこか「お経」や「オゾンのダンス」のようなひねくれながらもポップさ、ロックさを失わない斜に構えたようなスタイルは殆ど聴かれなくなった。たまのようなアレンジでやる必要はないけど、そんな尖っていた頃の彼の楽曲には狂気じみた才能すら感じてしまうので、ちょっとそれが聴かれないのは勿体無いような気もしてしまう。良くある話だが、制約があると、その枠の中でどれだけ表現するか、若しくはその制約に対するフラストレーションなども相まって逆に素晴らしい作品を生み出すことが有るのは事実だ。ジョンやポールもそういう面が有った。

とは言え、僕もたまを改めて聴いて、思った以上に素晴らしいバンド、ソングライターに恵まれていたのだなと再評価する一方で、やはりどこかコンセプトに拘りすぎと言うか、申し訳ないけどB級劇団のような風情もあり(それも良いところなんだろうけど)、そういうあざとさとか、わざとらしさは相容れない部分も有る。昭和的ミュージックホールは良いとしても、もう少し演劇性を削いだほうがむしろ分かりやすかったのではないかなとも思ってしまう。とは言え石川さんの存在やあの「ついたーっ!」って言うインパクトが無ければあれだけの成功を収めたのかと言われればまたそれは難しい話では有る。

ただ、一つ言えるのは、良い曲というのは時代が過ぎて、また価値を見出すことも有るし、アレンジが変わってもそう簡単に魅力は無くならないものだと思う。実はバブル時代には決してジャストフィットとは言えなかったたまの世界観や歌詞は、時を経てまた考えさせられたり、響くことも有るのだ。だから音楽は素晴らしいのだと思う。


「また明日」 柳原陽一郎

また、ここでは音楽や日々を中心に少しづつ、書いていきます。
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2018年01月02日

"さよなら人類"から27年経って その1

-バブル末期には響かなかった彼らの伝えたかったこと-

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"たま" 左から柳原幼一郎(Vo,Key,G) 滝本晃司(B,Vo) 知久寿焼(Vo,G,Harp) 石川浩司(Per,Key,Vo)
1995年に柳原幼一郎さんが脱退、3人で活動を続けたが、2003年をもって解散

長らく更新してなかったが、また、日々や音楽について書いていこうと思う。

久々の音楽話で僕のブログには普段出てこない"たま"なのも何だが、最近ふとイカ天まわりの映像を見ていたのだ。最初は当時好きだったフライング・キッズの映像を探していたのだが、当然イカ天の映像を見ているとたまも登場する。いや、イカ天を代表するバンドだったと言っても良いだろう。

イカ天こと『いかすバンド天国』は、89年〜90年にTBSで放送されたバンドのオーディション番組だ。もう知らない人も多いだろう。僕は当時中2だったし、ギターを始めた頃だったので良く見ていた。言わば世代である。

ただ、当時イカ天をどう思っていたかと言うと、すごく嫌いだった。僕は小学校の頃に親の影響もあり既にビートルズやジョン・レノンにゾッコンで、中学生頃になると6〜70年代の音楽に浸かっていた。ちょうどイーグルスやらスペンサー・デイヴィス・グループ辺りに熱中していたのではないかな。昔何処かで書いたかもしれないけど、この頃「ビートルズが好きだ」とか同級生に言うと軽く馬鹿にされた恨みは今でも忘れない。

そんな高尚な音楽?に既に触れていた少年だったので、イカ天に出てくる多くのバンドは薄っぺらくて、イロモノで全く耳に入ってこなかった。それでも前述のように、当時ビートルズが好きとか同級生に言っても理解してもらえず、とは言え僕だってバンドとかをやりたい訳で、合わせるために妥協していたのがイカ天だったといえる。だからあんまり良い思い出はないのである。

高尚は言いすぎてとして、例えば耳年増な音楽でなくても、当時好きだったのが爆風スランプみたいに一見イロモノっぽくても、楽曲や演奏はかなり本格的で、もう少し音楽的なものが好きな方だったので。良く考えてみると、爆風スランプがファンクを教えてくれたし、その後比較的ファンキーなものに惹かれていくきっかけになったのだと、そんな事も思う。「えらいこっちゃ」の16カッティングに憧れたんだよね。

だから偉いとか言うつもりも無いけど、とにかくイカ天に出てくるバンドが人気が上がると共にイロモノが増えてきて、何だか目立てば何でもいいみたいな空気に感じて辟易してた。スイマーズとかカブキロックスとかさ、その辺りは振り返っても得るものは何も無いよね。

フライング・キッズは初期のグランドチャンピオンで、まだイロモノバンドも少なく、純粋にファンキーで良い曲もかけるバンドだった。何でも最近調べたらバンド名は山下達郎さんの「フライング・キッド」から来てるんだって。まぁ好きなものは繋がっていくようにできてるんだな。それでもフライング・キッズは後追いで知ったんだよね。イカ天って熱心には観てなかったので、高校生くらいの時に聴いていた。

そんな中で、たまはどんなバンドだっただろう。当時の印象で言ってしまえば、イロモノが流行りだした頂点のバンドだったと言えるのではないだろうか。水木しげるの漫画から出てきたかのような風貌、スタイルに、ドラム・セットの代わりに置いてある桶、和を感じつつも不思議な歌。変な歌詞。

そんな中でもキーボード(というかピアノやアコーディオンかな)の柳原幼一郎(陽一郎)さんの楽曲「さよなら人類」はその不思議さとポップさがわかり易く相まって90年に大ヒットを記録し、TVには引っ張りだこ、そして極めつけは紅白にまで出場してしまった。これがたまにとって空前絶後の出場となってしまうのだが。

余り深く聴いてない人にとってたまはパーカッションの石川さんやギターの知久寿焼さんの強烈なキャラクターや合いの手(ついたーっ!ってやつ)ばかりが印象に残っているだろう。僕だってそれは焼き付いている。だから音楽云々の前に単なるイロモノと勘違いしてしまう人も多かったはず。「あぁイカ天に多かったイロモノね」と。

その一方でたまはイカ天出身バンドの中でも評価が当時から高く、「日本から生まれた次のビートルズ」とか「昭和の良き時代を現代のフィルターで解釈するバンド(90年当時ですら彼らのスタイルは随分レトロな感じだった)」とも言われていた。

今思うと、この一方でちょっとヒットしたイロモノ的扱い(一発屋)と、もう一方での過剰な評価の高さが逆に反感を買い、何となくあっと言う間にメインストリームからは消え去ってしまったのかなとも思う。勿論本質的にはアングラなバンドだと思うので本人たちも余りチヤホヤされたくなかったのかもしれないし、何処かわざとらしいくらいの演劇的世界(コンセプト)を持っていたので、ずっと聴いてると鼻につくと言うのも解らなくは無い。

僕は初めてじっくり聴いたのはヒットシングル『さよなら人類/らんちう』のシングルCDを買って聴いた時だと思う。不思議な感じながらもどこかキャッチーでポップな「さよなら人類」は何度も聴いたし、確かに良く聴くとビートルズや60年代の影響もそこはかとなく感じるメロディ、アレンジだったと思う。そしてもう一方の「らんちう」は、昭和歌謡的マイナーメロディの上におどろおどろしい歌詞と少し狂気じみた知久さんのヴォーカルが乗り、これこそ水木しげる的世界観で怖かった記憶が有る。


「らんちう」 たま

その後特にたまにはハマることもなく時は流れ、イカ天と共に去ったバンドブームはしばらくすると日本でも洋楽的な世界観や根無し草ではない継承的な音楽が流行りだす。それは世界的にも何処か同時進行だったと思う。要するに渋谷系とかはっぴいえんど、シュガー・ベイブの再評価とかそういう所。メインストリームのバンドですらスピッツとかミスター・チルドレンの様に、イカ天時代と異なりもっと素養のしっかりしたバンドが継続的に活躍していくので、イカ天自体が日本のバンド史の黒歴史的に感じてた人も多いと思う。

中学時代と共にイカ天が終わり、高校初期は本当にバンドブームが下火になった後で、"モテるツール"としてギターが全く機能しなくなった時代だったと思う。僕はモテたくてバンドやギターをやったことは一度も無いのだけど、そうなってしまうと、そもそもバンドや楽器をやろうという人も減ってしまう。だからオザケンとかオリジナルラブとか、もっと言えば海外的にもオルタナとかブリットポップが流行る前の日本のバンドシーン?って、暗黒期と言うか、音楽が本来担うパートの一つである「オシャレ感」がずっぽり欠落してしまい、それでもギターを弾きたい人、バンドをやりたい人はゴリゴリの方向に行ってしまうので、メタルとかが欧米の評価と関係なく日本では一時台頭したんだと思う(ビッグ・イン・ジャパンと呼ばれたバンドの多くはこの手のジャンルだった)。要するに洒落た格好なんかどうでも良く、技術や音圧が全てであると。女子供なんか関係ないと。

僕はモテるために音楽をやったつもりは無いし、勿論高度な技術が支える音楽と言うのも当然有って良いと思うので否定する気は無いけど、カルチャーサイドからファッションやフィロソフィとリンクしたアピールが出来ないのはポピュラーミュージックとして違うと思う人間なので(ポップは商業かつカウンターカルチャーだからね)、その頃は肩身の狭い思いをした記憶が有る。

それはさておき、たまだ。「さよなら人類」大ヒット後のたまは、TVやメディアには出なくなったが、地道に活動していた。所が、95年末にその「さよなら人類」の作者であり、知久さんと共にたまのブレーンの一人と言って良い柳原幼一郎さんが脱退してしまうのである。今回は彼の話が中心だ。

95年当時、何となく柳原さんが脱退したことは記憶の片隅に有るのだが、僕は解散したような記憶違いをしていた。だって、たまを大して知らなくても「さよなら人類」とか「オゾンのダンス」を作り、歌ってた人が辞めるって聞いたらそりゃ後が無いと思うものである。そして、時代は渋谷系やブリットポップのブームを迎えていて、僕のようなレトロな音楽を愛していた人間がそれを間違っていなかったと承認されたような気になり熱中していた。

それにギタリストでありながら何だけど、本当にギターオリエンテッドというかソロとかギターばかりが前に出てそれを10分も20分もやるような音楽には辟易としていて、ブラーやティーンエイジ・ファンクラブのような3分でポップでキャッチーな世界観こそが音楽の本質だとのめり込んでいたものである。やっぱり僕にとって少年時代の"ビートルズへの理解のなさ"と中高時代の"メタルがはびこり、その視点で先輩からモノを言われる"感じは本当に恨みを持っていたんだと思う。だからブラーの「フォー・トゥモロー」のPVを始めてみた時、「こっちのほうが正しいだよ、ざまあみろ!」って思ったもん。それが今でも僕は続いてるんだと思う。結構根に持つタイプなんだよね。

で、イカ天関係の映像を観ていてたどり着いたのが、MXでやっているフォークシンガー、小室等がホストの『音楽夜話』だった。小室等が彼から見て比較的若い世代のシンガーソングライターと語らって、歌も披露する渋い番組なんだけど、フォーク系だけでなく、高野寛さんやスターダストレビューなんかも登場している。そこに元たまの柳原幼一郎(今は陽一郎)さんが出た時の回を観た。

この時自分の好きな音楽の話(ディランやビートルズとか)や好きなカルチャー(2001年宇宙の旅がさよなら人類に影響を与えているとか)の話をしていたので、はぁ、やっぱりそうなんだと思うところも有り。そして、ソロで「さよなら人類」を披露したのだが、こうやってシンプルにピアノで聴かされると、改めて良い歌だし、何故かノスタルジックで胸が締め付けられるような気持ちになった。


「さよなら人類(ソロ・バージョン)」 柳原陽一郎


メロディもさることながら、秀逸だと感じたのは歌詞で、バブル末期だった当時は響かなかったようなことが"失われた20年"を経て、何処か閉塞感の有る現代に響く所が有ると思う。

歌い出しの「二酸化炭素を吐き出して〜曇天模様の空の下」と続く辺りは現在まで続く環境問題を揶揄しているのだろうし(今でも中国やインドではCO2やPM2.5が環境を悩ませている)、「アラビヤの笛の音響く、街のはずれの夢のあと」というくだりは終わりつつあるバブル、若しくはバブルに疲れた様子を表しているようだし、「あの子は花火を打ち上げて、この日が来たのを祝ってる 冬の花火は強すぎて、ぼくらの体はくだけちる」はそのまま核時代への警鐘や冷戦の事と捉えても良いだろう。

結局ここで歌われたことは、今でも解決してないことが多いし、むしろ悪化した部分も有る。東西冷戦は表向き終わったようで、結局第三国を巻き込んで代理戦争をしている状態だ。北朝鮮問題だって結局アメリカ側と中国、ロシア側の緊張感は確実にあるわけだし。

ただ、気持ちは理解できても、そういうことをただ明け透けに歌うのは余り個人的には好きではないのだけど、柳原さんの歌詞は実にノスタルジックに、それでいて切実に響くような詩だと感心させられた。

詩的な部分だけでなく、音楽的にも、たまの強い個性(アク)を取り除いて聴いてみると、如何に楽曲を大事にしていたかこれを観ていると良く分かるし、逆にこれを聴くことで、たまのアレンジが時代を先取りとまではいかなくても、和洋折衷のミュージックホールとでも言うべき箱庭感を醸し出していたことを感じたのだ。

つづく
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