2012年08月15日

CUEの時代とAWAKENING

"トッドも認めた僕らの世代の素晴らしきポップ・マニア"

『CUE』('90)『AWAKENING』('91) 高野寛



ブリット・ポップ特集と言っておきながらいきなり反れてしまって
何だが、僕がポップ好きになったきっかけを辿って行くと、この人も
重要なキーパーソンであり、最近彼の古めの作品に改めて耳を傾けているので
少し書き残しておこうかと思う。


「LOV」(2009) 高野寛

近年のアルバム『Rainbow Magic』に収録されていたカラフルでキャッチーな
ポップナンバー。ファンにとってはこれぞ高野寛って感じの会心の一曲である。

ここ10年くらいのアルバムではアコースティックなアプローチが増えていて
それはそれで良いけど、カラフルでポップな世界も誰よりも似合うのである。



高野寛さん(以下略称)は80年代後半から現在まで表舞台から裏方まで
幅広く活躍している音楽家と言って良いだろう。

実際一般的には今を辿ること約23年前!のヒット曲「虹の都へ」「ベステン・ダンク」が
有名では無いだろうか。他にも90年代前半まではCMソング「泡の魔術」や本人も
ドラマ『揺れる想い』に出演したりと、音楽の枠を超えてメインストリームで
活動していた時期も有った。

その後は本人の作品自体は寡作になっていくけれど、プロデューサーを中心に次世代
音楽家の発掘役的な役目を担っている。その最たる例が自らも参加したナタリー・ワイズで
有ったり、プロデュースしたスーパー・バター・ドッグ(ハナレグミ)やクラムボンと
言った2000年代のサブカルチャーを支えたミュージシャンを後ろから支えたと言うのも
比較的有名な話だろう。

自身も師で有る高橋幸宏が参加しているYMOのサポートや、彼の呼びかけで原田知世を
アイコンに据えたpupaにも正式メンバーとして参加している。

こんな風に活動のエリアや役割には都度違いは有れど、長年にわたって一線で活躍
しているのが高野寛という人で、文で書くと一件節操が無さそうに見えるのだが
彼の道は基本的にトッド・ラングレンや高橋幸宏に見出されてから一本の道で
繋がっていると、そう思うのである。

そもそもが若い世代(当時)のミュージシャンからのリスペクトが有ったからこそ
コラボレーションが行われていた訳で、彼を表舞台の評価だけでなく好んだ輩が
僕らのような90年代前半に多感な時代を過ごした者たちという事になるだろう。

という訳で、高野寛は89年のシングル「虹の都へ」でオリコン2位と言う
大ヒットを飛ばして一気にメジャーシーンに駆け上がるのだが、当時彼のシングルを
購入した者の内、どれだけの人がこの曲のプロデュースがトッド・ラングレンと
認識したのであろうか。

当時中学生だった僕は当然ながらそこまでの情報が無いままこの歌を耳にしていたのだが
最初から彼を追いかけていたわけではなかった。

この頃巷ではバンドの公開オーディション番組『いかすバンド天国』(通称:イカ天)が
一大ブームを巻き起こしていた。当然ながら僕もそれを観るには観ていたのだが
既に小学生時代にはビートルズの深みにハマっていたので
(アビイ・ロードのB面を聴きこむ小学生は深みにハマってる)
イカ天のキワモノばかり持て囃される雰囲気には心の底で拒絶感すら感じていた。

当然周りの仲間で音楽や楽器に興味のあるものはこぞってイカ天を話題にしたものだが
僕はその頃本心を隠して話をしていたと思う。何故かといえば、当時の雰囲気で
ビートルズを好きだという中学生が共感されるわけが無かったからである。
実際に中学くらいまでは「ビートルズみたいな音楽がやりたい」と言うとやや馬鹿に
されていた記憶が有る。バンドやろうぜとかイカ天にほだされているようなガキに
なんでビートルズを馬鹿にされなければいけないんだと今でも少し恨んでいる位だ。

とは言えビートルズが好きなだけでは仲間とバンドが出来ない、、そういうわけで僕も僕なりに
当時の日本の音楽を聴くようにしていたが、特にイカ天で流行ったバンドは苦手だった。
最初期のフライング・キッズはソウル・ポップとして完成度が高かったので別格だったけど。

そんな訳で、直接イカ天とは関係ないが、サザンを少し深く聴いたり、山下達郎さんの
『僕の中の少年』に衝撃を受けたり(この出会いは後々大きな意味を持つがそれは別の機会に)
という後に繋がる邂逅も有ったけど、やはりこの時点で山下達郎さんは相応にベテランなので
同級生とのバンド会話に入っていける要素とは異なっていた。少年にとってはビートルズと
ある意味等しい大きな畏敬の念を持つような存在ではある。

こんな風に、ビートルズやイーグルスに舌鼓を打っていた耳年寄りな当時の僕にとって
巷の話題に合わせるために迎合していたのがこの時代で、上記の人達とは別に
僕の耳に何処かフックがかかっていたのが高野寛だったのである。

それが確信に変わるのが次のヒット曲「ベステン・ダンク」である。

この独特のシンセ・コーティングに包まれつつも楽曲としては非常にキャッチーな
所に心を惹かれて行った。確かスキー関係のCMで起用されていたと思う。

そうこうしている内に高校生になった僕は、トッド・ラングレンがプロデュースした
『CUE』と『AWAKENING』に耳を傾けていた。

その頃僕はまだ余りトッド・ラングレンを聴いていたわけではないのだが
一聴して何故だか当時を彩った日本のミュージシャンよりすんなり耳に馴染んだ。

何度も書いてる通り僕にとって音楽とはマイケル・ジャクソンで初めて音楽というものに
ハマって、その後ビートルズとの出会いで本格的に音楽に入れ込んでいくので
バンドブームも少し収まった高校の時点ではかなりの洋楽志向だった。
最も今でもそのベースは変わってなく、例えば僕らの世代が再評価したはっぴいえんどなどは
その評価より前に親なんかにザ・バンドを叩きこまれていたので、その影響下にある
日本人の音楽としか聴こえず、歴史的価値はともかくとしても余り好きではない。

要するに逆に追うのは結構難しいのである。

シュガーベイブなんかも山下達郎さんという不世出な才能の虜になったからこそ聴ける
という感じで、単純に日本人の70年代バンドとしては、時代を鑑みれば凄いとは思うけど
その時代の米ルーツ・ロックを聴けばほぼ満足してしまえるという感じはする。

僕にとって山下達郎さんはソロになって日本的情緒を超絶なソウル・ファンク解釈で
聴かせてしまうという方がむしろ好みなのも彼のレビューで触れていると思う。

そういう典型的な洋楽至上主義な僕にとって、高野寛は当時から特別に聴こえた
一人だったと言う訳。勿論当時はその理由を論理的に捉えていたわけでも無いが
それは彼の洋楽的な志向とこの時代のトッド・ラングレンがプロデュースで得意と
していた"ハイパー・ビートル"なサウンドがかえって僕には聴きやすかったのだと思う。
このサウンドとは後にXTCの『スカイラーキング』で再会することになるのだが。

閑話休題、トッドがプロデュースしたこの2枚のアルバムはチャート的にも彼の
全盛期を捉えた作品で、そういう意味でのテンションも高い作品である。

トッドというある種の狂人的な異彩と高野寛のキャッチーな楽曲が奇跡的に
マッチして「虹の都へ」のような大ヒット曲を産んでしまったのは、今考えると
かなり貴重な事だったようにも思える。

高橋幸宏プロデュースという鳴り物入りで80年代後半にデビューした彼であるが
自らが尊敬するトッド・ラングレンのプロデュースという勝負に出て商業的にも
成功できたのは幸せなことのように思える。勿論トッド・ラングレンと言う人は
とても難しい人だろうから、2作もアルバムを作ることは容易成らざる作業で
有ったことは想像に難くないが。

根底に非常に似た部分を持つXTCですら『スカイラーキング』で大喧嘩になり
二度と顔を見たくないと今でも言ってる位なのだから。ま、作品が出ただけでも奇跡か。

「虹の都へ」のヒットも関係したのかもしれないが、既に2作目でセルフ・プロデュースも
行なっていた彼にとっては敢えて敬愛するトッド・ラングレンと正対することによって
得た成果は小さくなかっただろう。そこに「虹の都へ」の大ヒットも舞い込んできて
予算の確保とか同じ路線でヒットを続けて欲しいなんて言う事情も相まったのかもしれないけど
それにしてもそこまで大きなヒットを持たなかった日本人のミュージシャンが海を渡り
トッド・ラングレンと2作も相見え、それが商業的にも成果を残したのだから苦労も有ったかも
知れないけど、一音楽家としては幸せなことのように思えるのである。

実際にアルバムの内容も充実している。この時期のトッドらしいいシンセサイザーの
過多とも思えるほどの多用と、もはや生ドラムという感じもしないほどコンプレッション
されたサウンドは一見人の心が伝わってないようにも感じるかもしれないが、そのシンセの
ちょっと今聴くとチープにすら思えるほどの執拗な単音のメロディ追っかけや、多数の音色とか
ジェリー・マロッタ(『AWAKENING』に参加)辺りの曲調を問わない容赦無いパワーヒットっぷり
とかはシュガーコーテッドされたサウンドの中からでも生々しく聴こえてくるのである。

XTCの『スカイラーキング』は録音時期も近いのでやはりプロデュースやアレンジ面で
似ている部分があるが、アンディがトッドと大喧嘩してでもエゴを通そうとしたこちらに
比べると、高野寛はもう少し従順?だったのかある意味好き放題にやっている感も有る。

アルバム単位で少しレビューしてみると『CUE』は序盤で「虹の都へ」が登場。
サビを単音ユニゾンで執拗に追い回すところやパーカッションの使い方など
トッドらしさが実はよく出ている一曲で、XTCの「ミーティング・プレイス」辺りと
アレンジ・アプローチが良く似ているように思える。

3曲目「やがてふる」は彼の楽曲でも5指に入るほどお気に入りの楽曲である。
当時らしいキーボードが主旋律を叩き、その周辺をメロトロン的なサウンドが
まとわりつく箱庭らしい箱庭ポップのアレンジに日本人らしい旋律が乗る。
このサウンドが嫌いならポップは嫌いなんじゃないかと思えるほど王道箱庭系?

高野寛を最初に聴いた中学時分に、この曲が最初からお気に入りで、その理由なんて
特に当時は考えても無かったけど、今聴くと、このアレンジの中のメロトロン風サウンドが
ビートルズ・オタク扱いされ、実際中期のビートルズに絆されていた僕には聴きやすかった
のではないかと、そんな風に回想するのである。

5/4拍子のピアノに導かれ始まる「一喜一憂」も変拍子なのに親しみやすいワルツの
変形曲で、少しサイケな音像にも包まれて心地良い一曲である。静かな曲でも
色々な音が出てくる辺りがトッドらしいのかな。

9曲目「人形峠で見た少年」はサウンド的にはいきなりユートピアのような
ギターで始まる曲なのだが、サウンド以上に歌詞も興味深く、タイトルでピンと
来る人も居るかも知れないが、この「人形峠」というのはウラン鉱山の有った
岡山・鳥取県境に実在する「人形峠」を題材にした歌である。

ウランは既に日本に居るものなら知らない人は居ない原発のエネルギー源になる
あのウランで、この人形峠の鉱山では試験的に採掘も行われていたが、今は
もう行われていない。彼が当時から原子力に何らかの意見を持っていたことを
伺わせる。しかしながら曲調はそういうシリアスさの前にトッド主体?の
ユートピア風味なアレンジが目に付くような気がする。

9曲目「友達について」はメロディも歌詞の内容もメランコリックなんだけど
中々良い曲である。


「友達について」 AWAKENINGツアー '91/7/18 NHKホール

10曲目「大切な「物」」も80年代のトッドらしい如何にもなサウンドなんだけど
僕は結構好きである。コードを弾くキーボードの音が何処にも無さそうな音がする。
でも延々弾いている、それがクドくて良いのである。シンセベースの音も良い。

13曲目「9の時代」はアルバムの実質ラストトラックで(次の「October」はボーナス的な感じだろう)
彼がこの作品を録っている時に迎えつつ有った90年代への歌だろう。

何といえば良いのか、この曲の歌詞を聴いていると、タイムカプセルを開けたような
気分になるのである。ここで歌われている「9の時代」は希望に満ちてるし、楽観的にも
聴こえるのである。それは80年代という日本がある意味幸せな時代に書かれたものだから
その視点から未来をポジティブに捉えているように映るのである。

残念ながら90年代はそんなにキラキラと夢に満ちた時代とは成らなかったのだけど。
でも、皆80年代はそう思ってたんだよね、とそんな郷愁にかられるのである。

さて、トッドプロデュースの2作をまとめて書こうと思っていたのだけど
やはり20年前を振り返ると、色々出てくるので長くなってしまった。

個人的には『CUE』も良いアルバムだけど、好きという点では次作『AWAKENING』のほうが
普通のヒットメーカーの振りをして相当ポップ狂的な部分が有るので好みだから
またその内紹介したいと思う。

追伸

8/24、吉祥寺キチムで行われる『高野寛+伊藤大助』に赴くことに。
個人的に大好きで後のポップ感に少なからず影響を与えられた一人と
言っておきながら彼のライブは観たことが無かったので楽しみである。
かなりニッチな場所でやるのだな、とは思うのだが。。

てっきりクアトロとか恵比寿ガーデンホールとかそういう所でやるのかと思っていた。


posted by cafebleu at 02:59| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 高野寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
松山のライブはもっと驚きの場所でしたよ。
な・なんと、幼稚園!

もっと驚いたのが、数年前にそこでクラムボンもライブをしたんだとか。
Posted by 大岩圭司 at 2012年08月15日 10:50
コメントありがとうございます☆

しかし、幼稚園か〜、凄いですね。中々そういう所でプロの演奏は聴けないですね。
高野寛さんはそういう所にはコダワリはないのか、むしろそれがコダワリなのかな。

過去にヒット曲が有ってそれ以降は玄人志向って言うと、国内で近いところですと、オリジナル・ラヴとか思い出しますが、彼らでも渋谷AXとかそういう音楽の"ハコ"らしいハコでやってますものね。

吉祥寺キチムも全然知らなくて、調べてみたら演奏できる食堂って風情で過去にはギャラリーだとかオーガニックな食品なども売ってたみたいですが、今は無いようです。

確かにカフェ・ミュージックは定着したし、変に汚いライブハウスでやるよりかこういうジャンルの人には良いのかもしれないけど、関東には色々ハコが有るのでは?とも思ってみたり。。

でも、キチムは経営にクラムボンの原田郁子さんが関わってるみたいですね。それも有っての高野寛さんライブなのかも知れないなって。

クラムボンとかキセルとかハナレグミって下北的、中央沿線的サブカルチャーの最後の世代なのかなと、だからこそ、アキバがサブカルと言われる前の、僕らの世代のサブカル的なスタイルにこだわってるのかなと、そんなふうにも思いますね。ハナレグミは声だけでご飯食べれる人なので結構メインストリームにも顔出してますが。

でも、間近で子供の頃から好きだったミュージシャンを観れるっていうのは有難い事なので楽しんできます☆
Posted by cafebleu at 2012年08月15日 21:18
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