2011年09月15日

ヤマタツのつぶて 〜Pt.2 COZYその2〜

〜自らの時代(80年代)が過ぎた後、模索の渦中で再評価され〜


前回は90年代の音楽背景やブーム、ナイアガラ系譜の
再評価についての話で終わってしまったので仕切り直しで。

80年代、言わば彼の時代の集大成とも言えた『ARTISAN』の後
93年に「MAGIC TOUCH」のシングルをリリースして動き始めた
達郎さんで有ったが、CMやドラマのタイアップなどを除いて
ライブ活動などはしばらく休止状態になっていた。

前編でも書いたが、80年代のサウンド的な流行が一段落し、
90年代中盤辺りから明らかにシンセ音やエレクトリック・ドラムを
全面に出したようなアレンジを世間で耳にしなくなっていく。

その反面、アメリカではニルヴァーナ等を筆頭としたオルタナティヴ
と呼ばれる退廃的かつストレートなロックが大流行するし、イギリスでは
アシッド・ジャズがブレイクした後、次は自国のカルチャーである
ブリティッシュ・ポップをよりレトロに捉え再構築していくような
バンドが次々現れていくことになる。それはブラーやオアシスのような
ブリットポップでもそうだし、ティーンエイジ・ファンクラブのような
アメリカのカレッジ・ポップとリンクしているようなグラスゴーのバンド
でも大まかにはそう言えるだろう。

そしてDJ界隈などを中心に、CD化が進んで一時消えかけていたレコードの
復活にクラブ界隈だけでなく、ポップ・ミュージックも一絡げになって
推進力になっていくことになる。それはR&Bなどで見られたような
アナログ盤でしかできない(当時は)スクラッチのようなテクニックの為
というだけではなくて、アナログ盤を集めること、それをクラブで流すことが
一つのトレンドになっていくのである。

その要因の一つに、CD化されていない、もしくは廃盤と化している
"レア"なアナログ盤を収集するのがサブカルチャーにおける一つの
ステータスと化していた気すらするのである。

最も僕は殆どそういう事には興味が無かったが。
CD時代が来たおかげでようやっとテープに落とすこと無くその場で
音楽を聴ける時代(CDウォークマン)が来たのだからあんな大きい
アナログ盤を持って歩くなんてナンセンスにしか感じなかった。

余り関係ない話だが、僕は古いものは大好きなんだけど、出来れば
現代のエッセンスも入れて欲しいというか、何といえば良いだろう、
"温故知新"に対して自分なりに拘りが有るような気がする。

古いものを聴くにするにも使うにしても便利に使いようが有るはずである。
その為に新しいことを覚えることは何の苦もない。
これが確信に変わったのはニューMINIに乗るようになってからだけど。

だから手が出ないというのもあるけど、余りオールドギターに興味が
無かったり、DTMには結構すぐに手を出したんだと思う。

閑話休題(が多いが)、こんな風にデジタルが進化していく過程で、
それが録音方法であれ、音の出し方であれ、"アンチ・デジタル"な
カルチャーも間違いなく育ち始めたのが90年代だと思う。

それは古い音楽を聴く過程の中で、例えば70年代のルーツ・ロックやSSW
におけるサウンドに深みのある音像や、生楽器の素晴らしい録音状態などが
シンセや深いエコーに埋もれた80年代の音楽に比べて、当時の若い世代に
とって明らかにリアルに、そして新鮮に響いたからだと思う。

そんな中にシュガー・ベイブやRCA初期の彼のソロ作品も含まれていたと
そう言って差し支え無いだろう。

山下達郎さんという人は、根本的な部分は全くブレない人だと思う。
サウンドやスタイルが変わっても、それは単に流行を追い回しているのではなく
自我という強い基盤の上に何をエッセンスにするかという程度の話で
彼が言うような「何年でも色褪せない音楽を作る」ことが先ず大前提なのだと
思う。基本的なベースはソウルで有ったり、ドゥ・ワップやビーチ・ボーイズ
の世界観。もっと言えば良き時代のアメリカのショービズ的なるもの。

しかし、録音や機材の新しいもの好きも顕著で、シンセやエレドラムのような
デジタル楽器、そして録音に至るまでかなり早い段階でそれらを導入している。
2011年の現在だってProToolsを使ってレコーディングを行っている。

達郎さんの70年代のソロ作品は、洋楽も含めた上で言うならば、ニューソウルの
横風を受けながらも独自のファンキー・ポップとして完成しているという点で
その頃のサウンドとしては有り得ない話ではないのだが、それを日本のミュージシャン
がやってしまっているという点が先ず凄いのである。例えばデビュー作の
『CIRCUS TOWN』は76年の作品だが、76年のヒット曲を見てもらえばわかるが
この頃の日本でこのアルバムに収録されている「Windy Lady」のようなヘヴィな
16ビートのファンクなんてやっている者は全く居ない。

「なごり雪」や「無縁坂」のような楽曲のヒットを見ると、フォークブームの
面影を感じるものである。勿論上記二曲は良質な楽曲であるが、達郎さんの
向かっている世界は余りに次元が違いすぎる。

アルバムとしてのターニングポイントは色々と言い様が有るのだが
ヒットシングルとしてのはっきりとしたものは「ライド・オン・タイム」の
大ヒットだろう。これ以降はアルバム『FOR YOU』を経て80年代的な
サウンドの牽引者となっていったのは既に触れている。

こんな風に自らも推し進めてきた80年代なるサウンドが後退して、さて
本人も90年代の自分というのはどうなるものかと模索していたように感じる。
また、詩作についても試行錯誤が有ったようで、近年作では自作詩が増えていた
のだが、その中でもやはり詩作というのは洋楽育ちの達郎さんには一つの課題の
ようで、最も頭を悩ませるものだったようである。その中で別の作詞家と
組むことを考えたようで、今作は久々に新しい作詞家と組んでいる。

それがはっぴぃえんどのドラマーにして、既に歌謡界で作詞家として
確固たる地位を確立していた松本隆だったという訳だ。
因みに達郎さんはここまで直接自分の歌の歌詞は依頼していなかったが
自らがカバーしていた大滝詠一の「指切り」、鈴木茂の「砂の女」で
彼の歌詞を歌った経験が有った。

サウンド的にも変化が見て取れる。それは明らかなシンセ・サウンドの後退だ。
Moon移籍以降特にそうなのだが、ここまで80年代の彼のサウンドはシンセや
エレドラム、シンセベースと言った要素が大きな比重を占めるようになる。

例えば前作収録の「Endress Game」なんかは作曲手法としては
ドラマ向きのマイナー・バラードという点でその後にも有るような
スタイルだが、キラキラしたシンセの音から曲が始まり、それが全体を
包むようなアレンジの中で、シンセベースらしいシンセベース音が耳に残る。

他にも前々作『僕の中の少年』や『POCKET MUSIC』辺りは80年という時代の
音が顕著で、「ルミネッセンス」「The War Song」辺りはシンセ・サウンドが
アレンジの中心に居る感じである。「THE GIRL IN WHITE」などは、楽曲の
出来は置いておいても、いきなりこれでもかという程のエレドラム音で
スタートして、そこにシンセベースがご機嫌に滑りこんでコードもシンセで
奏でられているので、さすがに時代を感じてしまう。
この楽曲のオールド・スタイルなアメリカン・ポップの雰囲気や中盤に
いきなりメランコリックになるブリッジは素晴らしいのだけど。
(まるでビーチ・ボーイズの「Do It Again」のような曲である)

今作では上記のようなサウンドは達郎さんにしてはかなり控えめになっている。
勿論録音時代が90年代初頭から後半までと幅があるので全体にまとまりが
有る訳では無いのだが、それが打ち込みにせよ生音にせよ、そこまでの
アルバムとはかなり変わってきていると思う。

前述したように詩作にも変化が有り、まずは吉田美奈子以来の作詞家、
松本隆を数曲で起用している事である。この間も一部では他の作詞家
例えば奥様である竹内まりやの歌詞なんかも有ったし英詩の歌では
アラン・オディを起用してるが、アルバムの半分程度を本人以外の歌詞が
占めるのは久々のことではないだろうか。

正直僕は松本隆の詩が余り好みではないし、達郎さんの洒落た楽曲上に
心のない詩が乗ると何となくこそばゆいような感じもするのだが、
楽曲面全体においてはそれなりに効果が有ったようである。

アルバムはその松本隆の軽薄?な詩が冴え渡る「氷のマニキュア」でスタート。
軽快なアコースティックギターのコード・カッティングにベースと
ギターのリフが裏から入ってくるイントロでいきなりファンの微笑が見えてくる
ような素晴らしいファンキー・ポップ・チューンだが、意外にも
アコギのカッティングと薄いギターのリフ、そこにピアノの控えめなコード
が乗るようなアレンジの曲って少ないのではないだろうか。
何より全体のサウンド・バランスが80年代とは全く異なる。ベースが
しっかり鳴って、そこに生楽器のアンサンブルを最低限乗せている感じ。
勿論シンセとかホーンも入ってるので全体の音が薄いわけではないのだが
とてもタイトなサウンドに聴こえる。個人的にこの歌はこのアルバムの
ベスト・トラックで、達郎さんなりの渋谷系やアシッド・ジャズブームへの
理論的な解答のような気がしている。


「氷のマニキュア」

シングルにもなった「ヘロン」は最初のカスタネットの音とエコーで
すぐにフィル・スペクターの世界観だと解る。中々良い曲なのだが
僕は余りフィル・スペクター的エコーは熱心に好きになった輩ではないので
なるほど、そうですかという感じである。僕が好きなウォール・オブ・サウンドは
『ペット・サウンズ』位なんだと最近気づいてきた。
(バンドの相方は既に気づいていたようで、「ジョンのロックンロール嫌いって言ってたからそうなんだろうと前から思っていた」とのこと)

「FRAGILE」も多分に90年代のR&B的なサウンドを感じるミニマルな展開の曲。
いきなり達郎さんの英詩のファルセットから始まる感じがかなりクール。
彼にしては展開も少なく、ほとんどAメロの繰り返しのような感じである。
R&Bっぽい打ち込みに、アナログのスクラッチ音が隠し味で入ってる。
こんな所も90年代っぽい。個人的に彼のファルセットの中でも最も美しく
聴こえる楽曲の一つだと思う。何故か中盤のサックス・ソロでスティングを
思わせるのだが、そう言えばこのタイトル。。。彼もヴァン・モリソンに
なろうとして洒落すぎてしまったブルー・アイド・ソウルだと思うが。


「FRAGILE」

「DONUT SONG」は説明不要だろう。今やこのアルバムで一番息が長く
有名な曲。ミスタードーナツのテーマ曲である。
ニューオリンズのリズムをこんなに愛らしく楽しい曲にしてしまうのは
ただただ凄いとしか言い様がない。コードだってほとんど3コードなのに。
これのライブが凄くていきなり「春よ来い」を歌い出したかと思うと
いきなりソウルフルなシャウト、後半はドクター・ジョンの「Iko Iko」の
メドレーとやりたい放題なのだが、それがとても格好良い。
この曲もニューオリンズを持ちだしている所が90年代っぽい。
本人の歌詞も素晴らしいと思う。

「群青の炎」は全編ファルセットのバラード。珍しく人の死をテーマに
したような歌詞に、達郎さんの試行錯誤を感じる。この曲は本人の詩には
大変珍しく外来語が全く入っていない。少し悲しい歌だが、コードを
そこまでマイナーにはしていないので美しいバラードとして成り立っている。
達郎さんの全編ファルセットも聴きどころ。この曲は比較的80年代から
続く達郎さんのスタイルに近いアレンジだと思う。

「BOOMERANG BABY」は何と加山雄三のカバー。僕らの世代だと
「加山雄三か。。。」となるのだが、GSブームの最中、サーフ・ミュージックを
いち早く広めた先駆者として桑田佳祐なんかも尊敬しているので
そういう人なんだと思う。こういう曲でもしっかり咀嚼してまるで
ビーチ・ボーイズの曲のように聴こえてしまうのはさすがで、彼の
レア・グルーヴ的再発見なんだろうと思う。こんないい曲有るんだよ、と。
しかし、アルバムの中では少々浮いている気もする。

「STAND IN THE LIGHT」はメリサ・マンチェスターとのデュエットによる
英語詩の曲。S.S.Wを経てソウル、ショービズへと傾倒していくメリサと
達郎さんって何処か共通点が有るような気がするのは気のせいだろうか。
楽曲は売れ線な70年代の煌びやかなモータウンのようと言うことで
僕はすぐにダイアナ・アンド・マーヴィンを想像したが。実はサビで
達郎さんが歌うパートの後半がかなりテンションっぽいメロで技巧的。

「セールスマンズ・ロンリネス」は彼の楽曲の中でも最も異色なものの
一つだろうと思う。先ずサラリーマンの悲哀を付かず離れずの三人称で
捉えているこの歌詞が異色そのものである。中々素晴らしい描写なのだけど
やっぱり音楽一筋の達郎さんが歌うと、少し他人事のように僕には
聴こえてしまう。それが良いのかも知れないけど。
楽曲的にも間だらけのエレピアノとオルガン位しかバッキングが存在しない。
こんなスカスカな達郎さんの楽曲は余り記憶にない。
これもある意味90年代的な感じかな。また僕がキーワードに上げている
"模索"も見え隠れしている典型的な曲。

「サウスバウンド No.9」は派手さはないけど優しいメロディと気の利いた
リズムの対比が心地良い佳曲で、ちょっとループ・リフっぽいリズムが
聴いているうちに癖になる。「氷のマニキュア」「ヘロン」「DONUT SONG」
と今作ではグルーヴやリズムに重点をおいた曲が多く、それが何となく
僕にはやっぱりレア・グルーヴへの解答って感じがする。

そう言っておいて何だが、次の「DREAMING GIRL」はベタな彼らしい
ミドル・テンポのメロディックなシングル向きの楽曲。
エコーは深いが、アレンジはシングルにしてはシンプルで本人も
本作のベスト・トラックと言っているようである。
しかし、何よりも驚いたのはPVにさとう珠緒を起用している事と
本人のシルエットが映ることだろう。さとう珠緒みたいな子が好きなのかな。。


「Dreaming Girl」

しかし、こじつけかも知れないが、彼女は今こそ露出は多くないが
錆びること無くエイジレスな愛らしさを保っているといえばそうである。
(キャラクターも余り変わっていない・・)
このプロモは96年頃のものだから今から軽く15年くらい経っているが
彼女はある意味普遍的な感じがする。(ブログで見て変わってなくて驚いた)
つまり、エバーグリーンなドリーミング・ガールだと見抜いてたと。

・・・考え過ぎかな。

「いつか晴れた日に」は当初弾き語りを強く意識して作曲したとか。
確かにアコギのバッキングが曲の中心になっているが、アルバムに
収録されているのはバンド・スタイルでのバージョン。
どうだろう、これとか「LAI-LA –邂逅–」辺りはアンプラグドを少し
意識したのだろうか。特にこれはエレキギターも入ってないので。
『RARERITIES』で弾き語りのバージョンが収録されている。

最後は前編で紹介した「MAGIC TOUCH」で終わる。
全体で見ると、初期の録音な分だけ、むしろアレンジは他の曲より
派手で、このアルバムの中では歌詞もいつもの達郎さんらしい
世界観かも知れない。個人的には歌詞、アレンジとも打ち込み物として
秀逸でお気に入りの一曲である。

そう言えば『ARTISAN』でリリースされなかったアナログ盤であるが、
今作の『COZY』からは再度アナログ盤も復活してリリースされていた。
しかも収録曲が異なる。繰り返すがこんな所も90年代っぽい。

その異なる曲とは「BLOW」なのだが、個人的には前作に肌触りが
近い曲で、『COZY』には合っていない気もするのでCDの曲順で
良いのではないかと思う。こちらも『RARERITIES』に収録されている。

このアルバムくらいからタイアップ曲を集めたものがアルバムという
最新作『Ray Of Hope』まで続くスタイルが確立されていくので
アルバムとしてのまとまりというのはそれほど無いのだが
時代風景を鑑みた上で耳にしてみると本当に幕の内的な名盤だと思う。

また、意外にもここで多く聴かれる80年代以降のシンセスタイルを
後退させて、ファンキーなアコギをアレンジの重要点に添えるような
サウンドは後にも先にもほとんど聴かれないという点でも貴重である。

この後、DTMレコーディングに移行していく格闘が始まるのだが
再度シンセ・ベースやシンセらしい音を時代に関係なく楽曲に合わせて
前に出していく。つまり、それは時代に沿うのではなく、自分の世界観を
より重視して行くと言う事なんだと僕は解釈している。

自分が一番音楽を熱心に聴いていた頃の作品なので、その頃の音楽文化や
背景との接点についても触れたかったので長くなってしまった。

今日には先行販売の抽選結果が発表されるのでその前に書き終えた。

さて、このシリーズは続くのか、落胆して中途で終わるのか。

次回は初期の重要作『GO A HEAD!』の予定。


posted by cafebleu at 00:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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