2011年09月08日

ヤマタツのつぶて 〜Pt.2 COZYその1〜

〜レア・グルーヴと渋谷系への大人な回答〜


『COZY』('98) 山下達郎

年代順に気に入ってるアルバムを紹介しようと思ったが
個人的に本作『COZY』は先程紹介した『SPACY』などで
影響を受けたミュージシャン達が流行らせたブームに対する
達郎さんなりの静かなる回答という気がしているので
敢えて比較的近年作であるこの『COZY』を紹介しようと思う。

『COZY』は91年発表のレコード大賞受賞アルバム『ARTISAN』から7年もの
インターバルを置いて発売された待望作だったと記憶している。

この7年の間もCMとのタイアップや遂にと言って良いNHKの
連続テレビ小説主題歌を書き下ろすなど、意欲的な活動は続いていた。
また、この頃後にミスタードーナツには欠かせないBGMとなる
「ドーナツ・ソング」も提供していた。今やミスドでこれを聴かない日は
無いくらいイメージの一部になってしまった。

この楽曲をミスドの為に書いた達郎さんも見事だが、彼の古き良き
アメリカン・ポップへの深い造詣を知った上でオーダーしたと思われる
当時のミスタードーナツの担当も素晴らしいチョイスをしたと思う。

こんな風にタイアップを中心とした活動で達郎さんの楽曲はTVやお店から
聴こえていた訳だけれど、アルバム自体は一向に発売されなかった。
途中96年頃に『Dreaming Boy』というタイトルで発売されるはずだった
ようだが、それが一旦棚上げされた上でそれから2年後ようやくリリース
されたアルバムが『COZY』だったという訳だ。

この間音楽界、特にサブカルチャーを中心にはっぴぃえんど、ナイアガラ
系譜の再評価が高まった。それは当時をリアルタイムに知らない新しい世代に
よる再評価だった。また、UKソウルを中心とした洋楽界隈でもアシッド・ジャズ
のような70年代ソウルを現代的に咀嚼したようなブームも起きており、
それらは日本で"渋谷系"なるカテゴライズと共に大きな流行の兆しを見せる。

余り細かいことは僕も詳しくないし、どうでも良い部分が有るのだが、
例えばジャミロクワイやヤング・ディサイプルズ、コーデュロイ
ソロ初期のポール・ウェラーと言ったアシッド・ジャズ系譜と
日本のオリジナル・ラブや小沢健二、ピチカート・ファイヴなどの
ナイアガラ系譜を再発見していた渋谷系の系譜に直接の関わりは無くても
それらを好んで聴いていたリスナーというのは共通の部分も有ったろう。

これらミュージシャンの共通点を挙げるなら
"ソウル解釈を自分なりに出来ている人たち"かつ
"アナログ・ジャンキー"だと僕は考えている。

達郎さんに話を戻すと、90年代初頭『ARTISAN』で作家的側面として
セールス面を意識した作品で大きな成果を残した彼にとって、次の
方向性というのは、模索している部分も有ったのではないだろうか。

そうした中でシュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングル作品の
リマスター盤発売などで、それらを見つめ直す機会が訪れる。

この頃達郎さんはライブに関しても活発な時期ではなく、毎年のように
行われていた全国ツアーも行っていなかった。しかし、94年、上記作品の
再発を記念して中野サンプラザで4日間だけ行われたスペシャルライブ
『TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE』で全曲シュガー・ベイブ時代の
レパートリーを演奏したのだ。
(厳密にはシュガー・ベイブ時代への郷愁を歌った「My Sugar Babe」を除く)

この時のライブは本人にとって意義有るものだったのではないだろうか。
と言うのも、これ以降ここで披露された「こぬか雨」「砂の女」のような
他人の曲も通常ライブで時折登場することになっていくからである。
その演奏やヴォーカル、そして楽曲の素晴らしさはついこないだ
『Joy1.5』で証明されたばかりの事である。

『ARTISAN』発表後ツアー後の達郎さんのライブはこのシュガー・ベイブ
全曲演奏?の特別ライブを覗いて、ツアーという形態では7年近く全く
行われないことになってしまう。

『ARTISAN』後も先に触れたシュガー・ベイブ『Songs』のリマスター盤や
ベストアルバムである『TREASURES』、企画盤と言えるクリスマス・ソング
等を歌った『SEASON'S GREETINGS』は発表されていたし、繰り返しになるが
この間もCMやドラマへの楽曲提供は行われていたものの、ライブと
オリジナル・アルバムでこれほどのスパンになってしまったのも初めての
事だったと言えるだろう。

80年代前半「Ride On Time」で大ブレイクしてからの達郎さんの方向性は
ひとつの道を歩いていたのではないかと思う。それは70年代に蓄積した
類稀なる音楽的素地に商業的、作家的要素をより解りやすい形でトッピング
して、更にそれが結果的に80年代という時代とリンクしていったことである。
その真骨頂が『FOR YOU』や「Ride On Time」「高気圧ガール」なのだと
思う。この絶妙なブレンドが音楽玄人にも80年代らしくBMWで六本木界隈に
乗り付けましょう的な業界人のカーステレオBGMにも好まれたのである。

特にブレイク頃からソウルへの傾倒を高めて、そのクールなリズム上で
珠玉のメロディと達郎さんの唯一無二のヴォーカルが乗ってくる辺りに
"洒落"が有ったのだろう。

しかしバブル崩壊と共にそういった雰囲気は一気に後退し始め、
音楽業界も90年代を過ぎて少しした辺りから大きく変わり始めていた。

特にサウンドで顕著なのは、80年代に隆盛したこれみよがしなシンセ
サウンドやシンセベースを基調としたサウンド作りの衰退である。

これは80年代の音楽を子供ながらに耳にしつつ、90年代はリアルタイムで
熱心に音楽を聴いていた自分にとって顕著に感じたことである。

特に英米共にロックやポップ界隈ではレトロなサウンドメイキングが
この後どんどん流行っていくし、そもそもこの当時ブレイクしたニルヴァーナ
のサウンドというのは、80年代のエコーやシンセを盛ったサウンドとは
一線を画していたような印象すらある。僕はニルヴァーナのサウンドが
好きな訳ではなかったが、これが90年代サウンドの幕開けになったと
言って良いので敢えて取り上げておく。

つまり、デジタル・レコーディングは進化したが、それはデジタルな
音を使うということがデジタル・レコーディングではなく、より音を
くぐもりなく、レンジを広く収めていくという方向に向かうのだ。

逆に当時のレニー・クラヴィッツのようにデジタルに"NO"を突きつけ
敢えて6〜70年代当時のアナログ機器でレコーディングするような人も
現れていた。これは結局今に比べてデジタル技術がまだ途上で、
アナログ・レコーディングを超えられない事も意味していたと思う。

現に80年代後半『POCKET MUSIC』でデジタル・レコーディングに手を
出した達郎さんもNEC-PC8801のような8ビットコンピュータを使うような
時代のデジタル・レコーディングに大苦戦し、デジタル録音を止めようかと
思うほど悩んだという話からもその当時のデジタル事情が伺える。

懐古主義的な90年代のカルチャーとデジタルへの嫌悪感から
90年代のサウンドはジャンルを超えて「生の音」への意識的な回帰を
見せるようになった。それはデジタルですらサンプラーのような、
乱暴に言えば生音を加工して自由に再生出来るようなツールが大流行
することからも窺い知れる。

そんな中で彼は90年代をどう考えていたのだろう。

70年代シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルのような
飾らない米ポピュラー・ミュージックへの憧れは90年代の
サブカルチャー達に高く評価された。しかし、その一方で彼の
80年代以降の商業的な躍進を支えた要素の中には80年代に流行した
"ソウル・フレイヴァーでエレクトリックで都会的で洒落ている"
という要素がふんだんに散りばめられていたのだ。

例えばこれは英米共にそういった傾向が有り、80年代の流行と言えば
マイケル・ジャクソンやプリンスは言うに及ばず、スタイル・カウンシル
やカルチャー・クラブのようなファッション面が強く言われるような
人たちでも、その根底に有るものはソウル・フレイヴァーだったのだ。

本人が言われることを望んでいない『FOR YOU』で揶揄された
"夏だ、海だ、達郎だ"というのはある意味80年代を象徴する表現だろう。

しかし、何かと90年代当時は悪く言われた80年代的なるものも
良質なものはいくらでも存在していたし、達郎さんの作品も80年代の
サウンドを楽曲、録音形態(アナログからデジタルへ)を含め牽引していた
人の一人だったと思う。

そんな中で90年代中盤からタイアップなどで書き溜まっていった楽曲は
アレンジ、テーマ(詩)共に微妙に変化を迎えていくことになる。


「Magic Touch」('93) 山下達郎

『ARTISAN』発表後最初の新曲シングルになった。
この時点では打ち込み主体のサウンドはここまでに近いのだが
その肌触りはその後ほどではないにしても明らかに変化している。
80年代の煌びやかさな音色に比べて重く、ダークな印象のキーボード、
いかにもエレドラム的なサウンドからR&B的な音にシフトした
ドラムの打ち込み、Aメロから不穏なテンションコードでスタートする
曲調。90年代当時のR&Bで見られたようなアコースティックギターの
使い方など、聴きこめば聴きこむ程ターニングポイントになった
一作では無かったのではないかと、そう邪推する。
そもそも日本のシングルにしては少し渋いのではないだろうか。
個人的には歌詞も大好きだ。

"それは こんな広い世界じゃ
とてもちっぽけな事 取るに足りない事"


難しい言葉を使っている訳ではないが、こういう歌詞を中々
凡人では曲にすっと入れ込めないと僕は思う。

それらの蓄積が『COZY』として発表される。

ちょっとアルバムの話の前に、当時の音楽カルチャーの
話が長くなってしまったので、内容については次回に。


posted by cafebleu at 00:23| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。福岡のクレイ好きです。実はカスタムショップ製のクレイモデルを探していまして
ネットをうろうろしていたところ、貴兄の以前の
記事(ギター遍歴編)を拝見しました。ぶしつけで大変厚かましいお願いなのですが、もし売却のご予定がございましたら、記載のメアドにご一報
いただければ幸いです。
Posted by クレイ at 2011年09月12日 20:43
福岡のクレイさん。

はじめまして、このブログの管理者です。
ロバート・クレイ、素晴らしいギタリストですね。

僕も少年時代からこのインカシルバーの
変わった色のギターをいつか欲しいなと
思ってまして、かなり苦労して入手しました。

正直に言いますと、今すぐ売る気は無いのですが
もし、そういう事になりそうでしたら覚えておきます。

わざわざコメント頂き有難うございました。
Posted by cafebleu at 2011年09月15日 02:40
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