2007年06月15日

Paul Is Live

”変態ポップ・メイカー、ポールを振り返る” その6

「ポールはライブの人」

ここまでアルバム単位で振り返ってきたのだけど、ここでは
ポールの主戦場とも言えるライブ活動について書いてみようかと。

ビートルズが64年から66年にかけて行った過密スケジュールによる
ライブ・ツアーによって、少なくともジョンとジョージにとってライブとは
トラウマになってしまったようだ。年3枚のアルバム作りのノルマとTV出演、
そしてそれに伴う全国行脚。今では良く語られているが、当時はスタジアム
向けのPAもまともでは無い時代な上、残っているライブの映像を観ても
ファンの絶叫だけがスタジアムを包み込んでいたりする。

今では先進的だったと言われているプロモ・ビデオの製作も発端は、
「ビデオを作れば世界で流れるからライブもTV出演もしなくて済む」
何て言う現実的な理由も作成された背景にはあったようだ。

映像版『アンソロジー』でもそこら辺の事は語られていて、ポールと同様に
比較的ソロでもライブを行っているリンゴですら当時の述懐では余り
良い思い出とまでは行かない様であった。

結局ビートルズとしてのライブ・ツアーは66年の8月30日、サンフランシスコの
キャンドルスティック・パークでの公演が最後のライブとなった。
これはファンにとっては有名な話だ。この公演だけの写真集が発売されていた
事を踏まえてもこの日がビートル達にもファンにとっても現在では一つの節目に
なっていると言えるのではないだろうか。

話が戻るが『アンソロジー』でリンゴとジョージが異口同音に言っているのが
「少なくともポールはライブも嫌じゃなかったし、続けたかったんじゃないかな」
と言っている事。そして続いてポールのコメントは、
「女の子が頭を振り乱してキャーキャー言ってるのは悪くなかったなぁ」

ポールはアイドルを謳歌していたようである。

ビートルズ自体がライブに消極的になっていくのは勿論上記の理由もあるし、
『リボルバー』辺りからは当時の鍵盤楽器や4人だけではその再現も難しく
なりつつあったと言うのも根底にはあるだろう。既に66年のツアーの段階で、
新作であった『リボルバー』から演奏された曲は一曲も無かった。
66年リリースの曲で演奏されたのは「ペイパーバック・ライター」1曲のみである。

その後『サージェント〜』をリリースし、ビートルズの「引き篭りバンド」具合は
ピークに達していくのでライブの終焉はある意味必然だったと言えるのかも
知れない。

ポールがビートルズ解散後もパーマネントなバンド結成に早くから拘っていた事、
それは何よりもライブ活動を定期的に出来る環境が欲しかったからと言う事だろう。
ジョンも名義上”プラスティック・オノ・バンド”という名称を使ったが、それは恒久的な
バンドではなくて、名前の通りプラスティックな物であった。

逆にウイングスはライブに始まり、(逮捕のせいではあるが)ライブで終わった
バンドである。ただし”パーマネント”なメンバー編成を得る事は、結局最後まで
出来なかったが。

考えても見ればそれは当たり前で、ポールが選ぶ人選は明らかに”格下”と言える
ような人選だった。70年代初頭、クラプトンとウインウッドのブラインド・フェイスや
マリオットとフランプトンのハンブル・パイ、名前の通りベック・ボガード・アンド・アピス
のような所謂”スーパー・グループ”と銘打たれた60年代には別個で活動していた
スターたちの集合離散が繰り返されていた。そんな一時的なセッション・グループの
ような寄り合いにしたくは無いというポールの気持ちもわからなくは無いが、タダでさえ
ビートルの中で一番エゴの強そうなポールが無名の若者たちを前にしたら
いくらウイングスと言う固有名詞を与えられたところで、それはポールの独壇場でしか
無かったと言えるだろう。また、変にメンバーもバンド名を貰えるものだから少しは
意見が言えるのではないだろうかとか考えてしまい、結果思う事は何でも出来ずに
脱退と言う事になるのだろう。誰だってライブや楽曲を残したくてバンドに加入して
いるのにいきなり「アフリカで次は録音するぞ〜」とか言われれば気が滅入る。

それはさておき、ポールは非常にライブの音源や映像が今でも豊富に残っている。
ビートルズ以降のライブ盤も、正規のリリースだけで『オーバー・アメリカ』
『トリッピング・ライブ』、『ポール・イズ・ライブ』、『バック・イン・ザ・ワールド』のような
ツアーの(ほぼ)収録盤もあるし、アンプラグドやオールディーズ中心のような企画物
もいくつか存在していたりする。勿論映像もそれは然りである。

初期ウイングスはビートルズの楽曲を取り上げないポリシーで動いていたので
レパートリーも少なく、バンドとしてもこれからの段階だったので、大学をゲリラ的
に回るツアーや欧州の近国程度までしか足を伸ばさなかった。
それでも『ワイルド・ライフ』や『レッド・ローズ〜』はライブを前提にしたような曲が
多く含まれているのでポールの中にツアーをやるというのは確固とした目標だった
のだろう。今ではボーナスなどでそれらの音源の一部を聴く事は出来るし、この
時期のブートなども結構存在していたりする。また、初期の面子は、ドラムを
除いて、無名では有るがパブロック界隈にいた所謂ケルト系の英国人が主体に
なっているので後のウイングスとは違う雰囲気があってそれはそれで興味深い。


「ザ・メス」 有名なTVショウ、『James Paul McCartney』の映像だろう。

ウイングスは中期になるといよいよワールド・ツアーを開始するので公式、
ブート共に映像、音源は豊富に残っていたりする。75〜6年の面子
(変な日本かぶれのドラマーだけすぐに交代しているが)はライブバンド
としては完成された面子なので”大陸的ロック”としてのウイングスはここで
完成している。僕はジョー・イングリッシュのやたらとライドを多用する上、
個性的な鳴らし方をするスタイルを「チンドン屋ドラム」と呼んでいる。
ポールの選ぶドラマーは個性的な人が多い。


「レッティング・ゴー」「ハイ・ハイ・ハイ」、75年のオーストラリア・ツアー。
日本で放送されたもののようで字幕付です。この年は来日許可が
降りずに来る事も出来なかったので代わりに放送されたのか?
「レッティング・ゴー」は明らかにスタジオ盤より優れている。そして
「ハイ・ハイ・ハイ」では字幕は付きません(笑)


75〜6年のメンバーを従えてウイングスは世界ツアーに挑むわけで、
その成果は『オーバー・アメリカ』として今や70年代ロックのライブ盤の
中でも好盤の一つに挙げられている訳だけど、そのバンドも程なく
2名が脱退。かくしてウイングスはまたもやリード・ギターとドラムの
面子が変わる。そして末期のウイングスはそれまでの横ノリ的な
グルーヴからニューウェイブ時代を反映した”縦ノリ”で英国的な
バンド・サウンドに変貌を遂げる事になる。この時期は後の逮捕劇も
あって英国でのツアーと年末に行われた『カンボジア救済難民コンサート』
程度の音源しか残っていないのだが、『カンボジア〜』がビッグイベントだった
事と、英国ツアーがちゃんと録音されていた事もあってか思ったよりも音、映像
共に出回っている。このツアー時の演奏、選曲もファンには人気が高い。


ビートルズ時代の人気曲「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ 」。
当時のツアーのオープニング曲である。BBを手にしたポールがタイトで
引き締まったベース・サウンドを聴かせる。素晴らしいオープニングなのだが
ビートルズの曲をトップに選んでいる辺りからもウイングスへの迷いが
有るのかも知れない。この時期のツアーは他にも「エヴリー・ナイト」
「フール・オン・ザ・ヒル」「レット・イット・ビー」
「ホット・アズ・サン」「ワンダフル・クリスマス・タイム」等
非ウイングスからの選曲が目立つ。
また米シングル『カミング・アップ』のライブ版は
ソロ名義ではあるものの、79年ウイングスのグラスゴー公演のテイクである。
79年末の『カンボジア難民救済コンサート』より。


ウイングスの消滅以降、ポールの80年代は『ライブ・エイド』のようなイベント
以外では行われることは無かった。アルバムでも今までのような固定の面子
では無く、楽曲に応じたスタジオ・ミュージシャン等を用いるようになる。
なので80年代の純粋なツアー音源は存在しないのだが、いくつかのTV出演
などでライブ演奏は行っていたりする。


サックスとかコーラスなど入るものの、「オンリー・ラブ・リメインズ」の
ピアノによるほぼ独奏。TVショウだろう。
最初に映っていたのはジュールズ・ホランド?だとすると・・・。
ここではミドルのヴォーカルが中々味わい深い。
『プレス・トゥ・プレイ』で聴けるテイクでは
過剰な装飾の中で埋もれていたポールのヴォーカルの表情が
しっかりと聴き取れる。


90年代に入るとポールは俄然ライブ漬けの生活にシフトチェンジする。
先ずはアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に伴うワールド・ツアー。
この時はようやく日本にも演奏する事が出来た。この時期からの
音源は時代が進化した事も含めて公式、非公式ともかなりの数に渡る
音源が存在する。公式映像でも『ゲット・バック』『ポール・イズ・ライブ』
など有名どころは存在するし、各種イベント・ライブ等でもポールの演奏、
ヴォーカルはそんなに苦労しなくとも目にする事は出来る。


97年に行われたチャリティー『Music for MONTSERRAT』における
”オール・スター”による「ゴールデン・スランバーズ〜ジ・エンド」のメドレー。
ドラムはフィル・コリンズだし、最後のギター・バトルはポール、クラプトン、
マーク・ノップラーという豪華さ。ベタなんだけど、結構背筋がゾクゾクする
スター集結版”アビー・ロード”メドレーである。


新作『メモリー・オールモスト・フル』におけるライブ映像も早速
目にする事が出来る。


新作収録曲の中でも如何にもライブ向きな「オンリー・ママ・ノウズ」。
65歳のポールは現在でも激しくシャウトしてみせる。素晴らしい。
『ジュールズ・ホランド・ショー』出演時のもののようだ。


posted by cafebleu at 10:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul McCartney | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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