2006年03月21日

Brink And You'll Miss It

”ポール・ウェラー 来日前特集その9”

「既に揺るぐキャリアでは無くなった彼の集大成」 ('05)


いよいよウェラーのレヴューを勝手に続けてるうちに
来日も間近になり、最新アルバムまで辿り着いた。
書くことに困らないくらいの情報は持ってる人でも
継続するのは意外と大変なものだ。

先ず最初に書いておきたいのが、
これはこれからウェラーに触れる人には良い作品だと思う。
ある意味で彼がジャム〜スタイル・カウンシル〜ソロと
気づいてきたキャリアの集大成的なアルバムでも
あるので、その点においては
彼の特徴が良く出ているアルバムだと思う。

逆に長きに渡って彼を聴いて来た人間としては、
いささか散漫な印象も持ったのは事実だったりする。
そう、集大成と散漫と言うのは紙一重なものだ。
ある意味僕自身がウェラーに飽和しているのも
あるのだろうが、一聴した感じでは、
どれも何処かで聴いた様な気がしてしまったし、
既出感の方が僕には強く残ってしまった。
確かに先行シングル「フロム・ザ・フロアボーズ・アップ」は
いつに無いアップテンポで、歯切れの良いそのリフと
テンポはまるでストーンズを思わせるところもあったというのは
今までに無いものだったかもしれないが、
ストーンズ的なるもの自体が彼の音楽の中で「想定外」とは
考えにくく、むしろそういう要素は余り表立って
今まで出さずに消化していたのではないか、と
僕は思うので、逆にストレートな表現に
違和感を感じたりはしたのだけど。



トップを飾る「ブリンク・ユー・ウィル・ミス・イット」は
ソロ以降のアルバムのトップに良く出てくる所謂
「マイナー系ロック」で、もうこれはウェラー・ロックの
雛形的な作品と言えるようなスタートだ。
似た曲を探せと言えばいくらでも思いつく。
正直最初聴いた時は格好よさは認めつつも
「またか・・・」という思いもよぎったのは事実だったりする。
まぁ聴き込んでいくといつもと楽器や音作りの
チョイスが少々違ったりもするし、彼のこの手の曲に
外れは無いので嫌いではないのだけど。
単に「サンフラワー」を聴いた時のような感動が無いのは、
こちらもそれだけ聴いてきたからだろう。

セカンド・シングルにもなった「カモン/レッツ・ゴー」は
中々の佳曲だ。テンポや曲想自体はジャム時代を
思い起こさせるがここにある渋みはその頃には無かったもの。

「ヒアズ・ザ・グッド・ニュース」はちょっとビートリーな曲。
どの歌という程の物は無いのだけど、
近年の彼には珍しくやや牧歌的でこの曲は聴いていて楽しい。
ここらへんのソフトな路線は『ヒーリオーセントリック』
辺りから徐々に現れているかもしれない。

「パン」と「ペベル・ザ・ボーイ」は古いファンなら
誰もがスタカンの『コンフェッション・オブ・ポップ・グループ』
を思い起こすほぼピアノだけをバックに
歌われるシリアスな仕上がりの曲。
何故、今になって不遇を囲った『コンフェッション〜』
なんだという気もするのだが、まぁ
「オレは間違っていなかった」と言いたかったのだろう。
自身がコアなファンゆえこんな斜に構えた表現しか
出来ないが、楽曲自体は中々に素晴らしい。
ただ惜しむらくはウェラーのヴォーカルが
年齢を重ねたせいもあって、ややこの手の曲には渋すぎる気もする。

「オール・アロング・サマー」はこれもスタカン時代の
フレンチ・ワルツを思わせるような曲。
近年のライブでは「ダウン・イン・ザ・セーヌ」
なんかもやっていたのでそういう流れでこの曲に至ったのだろう。

アルバムで一番のお気に入りは「ブリング・バック・ザ・ファンク」。
ご丁寧に「パート1&2」なんて付いている辺り、
ソウル・ファンをにやっとさせる。
この曲は「マネー・ゴー・ラウンド」の
現代版と言っても良いのではないだろうか?
それを別にしてもソロになってから、
これほどソリッドなファンク・ナンバーを披露したのは初めてで、
これは素晴らしい出来だ。
7分の長さも気にならず心地良いグルーヴに引き込まれる。
アコースティック・ギターでコードを鳴らしておいて、
細かなミュート・リフでファンク感を出す感じ、
アレンジのお手本はアイズレーのような開放的なもの。
そこに白人的情緒のある歌メロ、
最高のブルー・アイド・ソウルに仕上がった。

カバー・アルバム『スタジオ150』の時にも書いたが、
彼はやはりソウル・フリークとしてのセンスは
只ならぬものをいまだに持っていて、
個人的には彼にそういうサウンドで固めたアルバムを
作って欲しいと願っていたりする。
渋みのあるウェラー的なソウルを聴きたいのだ。

「そんなのいつでもやってるじゃん」という声も
聞こえてきそうだが、実はスタカンの頃は雑多な方向性を
意図としていたのでアルバム単位でそういったものを
探すのは難しく、強いて言えば87年の
『コスト・オブ・ラヴィング』がそうなのだが、
これは80年代的ブラコン臭が強いので、出来れば
今のニュートラルな状態でそういう
「ソウル・フリーク」っぷりを見せ付けて欲しいのだ。

もう一つはファースト・ソロであった『ポール・ウェラー』も
比較的ソウル寄りなサウンドだが、
やはり「全編ソウル」と言うわけでは無い気がするので、
そういった意味では個人的にはウェラーが
「ソウルにこだわる」事を、
ジャムやスタカンを再現する以上に待望していたりする。

それをやってくれなければ、わざわざシスター・スレッジや
ローズ・ロイスのような「B級ソウル」ですら、
気品ある作品にアレンジしてみせた
彼のいやらしさの確信に僕は触れられない。

『スタンリー・ロード』以降、
意欲的な挑戦が見れなくなっている。
それはそれでいいのだけど、
時にオールド・ファンが参ってしまうような「マニアっぷり」を
見せ付けて欲しいと思うのは僕のわがままなんだろうか?

ソウルを追い求めすぎる余り、
スタカン時代のウェラーはジレンマに陥ってしまったようだ。
でも、今の彼なら、もう一度正面きってソウルと対峙しても、
真の意味で「彼のソウル」に成り得るんじゃないか?
僕はそう感じている。

このアルバムは優れている。
余りここまで褒めてないがそれは事実だ。活気のあるウェラーの姿が
透けて見えるアルバムだ。ただ長らく同じ人を追っていると、
こちらだってマンネリしてしまう。勝手なものだけど。
大好きだった人なのにいつからかときめかなくなる、そんな感じだろうか?
僕も彼に感動した最初は10代だったのが今では30代だ。
その間に価値観なんて変わるもの。
同じ人間と同じ関係を保つのにマンネリしたら、
時にはいつものではなくて、変態的な部分なんかも
披露して欲しい、そんなことを思ってしまう
勝手なファンの勝手な妄想なのかもしれない。


これで僕のウェラー・レヴューは一応ひと段落です。
ソロのオリジナル・アルバムを中心に
一気に振り返ってみました。
こうやって振り返ってみると、彼と共に僕も歳を重ね、
そして紆余曲折あって今に至ると言う事を
改めて感じたりしました。

何度か書いてますが、僕はウェラーを
ポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソン、もしくは
スティーヴ・ウィンウッドのような「天才」と思ったことは
一度もありません。また、だからと言って
アンディ・パートリッジのような職人でもなければ、
コステロやニック・ロウのような奇才でも無いと思います。
酷い言い方をすれば格好良くってセンスが抜群。
それだけです。
でもジャムの最初からここまでの彼は筋道が通っていて、
かつ地道な努力と類まれなるセンスで
成長を続けてきた人です。
僕はそんな彼が色々な意味でお手本になっています。

それ自体が悪いことではありませんが、
通り一遍の精神的な音楽世界を醸し出すのではなく、
「音楽的」な事にこだわり続けることによって
「精神的」にも共感を得たこと。これが彼の凄いところなんです。
モッズというのが単に下らないB級モッズバンドを
探し当てるとか、R&Bしか聴かないという意味では
無いことを教えてくれた彼に畏敬の念を抱くのです。
例え、斜に構えた意見を僕が口にしていたとしても。


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posted by cafebleu at 10:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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