2006年03月16日

Black Is The Colour

”ポール・ウェラー 来日前特集その7”

「素直な白人勢とコレクター魂全開の黒人勢」 by Paul weller('04)


ウェラーのカバーはいつも中々センスを感じる。
例えば「セクシー・セイディ」であったり、
「ドント・レット・ミー・ダウン」であったり
「アイ・ウッド・ラザー・ゴー・ブラインド」だったり。

そしてそれらはシングルのB面などに収められ、
ファンの間でも楽しみの一つだった。
彼のお里を知るチャンスでもあったわけだ。

彼は演奏者である前にリスナーでもある人なので
聴いている音楽量はかなりのものだろう。
事実スタカン結成前夜辺りはとにかくソウルなどの
カバーが多かった。そしてそんな中にも
カーティス・メイフィールドなどの大御所だけでなく、
シャイライツのようなマニアックなチョイスも
忘れなかった。そして僕らはそれを聴き、手がかりにして探すのだ。

逆にイメージが定着しているような有名曲でも彼はセンス良くカバーした。
上にも挙げた「ドント・レット・ミーダウン」などがそうだ。
あれはビートルズを良く知らなくてもすぐに
ジョンのシャウトが思い出されるような曲なので
色々な意味でカバーするのは難しいと思う。
それにやるほうだって気恥ずかしいし勇気もいる。
それをウェラーはややソウル寄りに解釈して軽やかに披露してみせた。
技術的にはmaj7コードを用いることによって具体的に「ソウル感」を出している。

前々からカバーには定評があり、
かつ、既に一度過去にはオアシスやブラーなどの曲も取り上げた
カバー・アルバムをリリースするという噂もあったのだが、
これはどうやら流れたらしい。もっとも僕は彼がオアシスやブラーの
曲をカバーするのは別に興味が無かったのでそれはそれで良かったのだけど。

そしてだいぶ時間が過ぎた後、
発売されたカバー・アルバムが『スタジオ150』だったと言う訳だ。
これは少々今までB面でカバーしてきた曲とは
違う趣旨のカバー・アルバムだったように思う。
ある意味B面で行われるカバーと言うのは、
彼の活動に直結するヒントみたいな位置づけだったと思う。
彼のギターが最近熱いなと思っていればニール・ヤングの
「オハイオ」をカバーしたりしてこちらも「なるほど」と
頷いてしまうようなヒントだったのだ。

それに比べると『スタジオ150』は、
確かにギルスコット・ヘロンやディランにニール・ヤング、更に
カーペンターズ、そして前々から噂のあったオアシスの曲も取り上げているのだが、
そこにあるのはオリジナリティへの敬意と尊重と言うより、
自己の中でどれだけ消化してオリジナリティのあるものに出来るか?
という部分に力が注がれているような気がする。

顕著なのがカーペンターズの「クロス・トゥ・ユー」で、
この曲のセレクト自体はバカラック作品と
捉えれば合点がいくのだが、そのアレンジはかなり砕けていて、
最初しばらく聴いていてもこれが「クロス・トゥ・ユー」だと
気付かないくらいリズムも楽器構成もアレンジされていたりする。

先行シングルだった「ウィッシング・オン・ア・スター」も
ローズ・ロイスと言う70年代に活躍した女性ヴォーカルを
フィーチャーしたファンク・ソウルバンドの曲だったので、
それ自身はウェラーらしいチョイスなのだけど、
まるでいつもの自分の曲のように聴こえる。
逆を言えばそれだけ影響があって彼は
曲を作ってると言えるのかもしれないが。
それにしたってローズ・ロイスなんて結構いやらしい選択していて、
ソウルオタクっぷりを如何なく発揮してるような気がするけど。

彼の「センスの良さ」というか、マニア的ないやらしさを
もう一つ感じたのがシスター・スレッジのカバーである
「シンキング・オブ・ユー」。これはカバーの出来も素晴らしいし、
素晴らしいセレクトだと言いたくなるけど、
まるでフリーソウルのような選曲で、彼のいやらしさが存分に味わえたりする(笑)。



そしてもう一つ重要なカバーと言えるのがトラッドに
正面切って挑戦した「ブラック・イズ・ザ・カラー」だ。
これはアルバムの中でも出色の出来で、
やはりマイナーコードが絡んで来る時のウェラーの表現力は
他では味わえない張り詰めたものを感じ取ることが出来る。
そしてこのトラッドへの挑戦は、
彼が『ヒーリオーセントリック』辺りから意識し始めた「トラッド的」なる
ものへの一つの答えだったと言うことが出来る。

編曲的には、中間のインスト・パートにおける
フィドルのソロの入り方、フレーズなどが強く胸を打つ仕上がりで、
この曲をぐっと引き締めている。前作『イルミネーション』のレヴューでは
近年のプロデューサーであるサイモン・ダインについて批判的な意見を述べたが、
今回のアルバムでは全体を通して良い仕事をしている事も付け加えたい。

それにしてもウェラーのこの手の曲の表現力の
高さは最近改めて評価している。暗い曲、メランコリーな曲は
たいがいのミュージシャンで多少なりとも聴く事が出来るものだが、
彼の真摯な表現力はこの手の曲でこそ一層輝くのではないかと
最近感じたりする。もっと言えばそれだけウェラーが
「ネクラ」な人なんじゃないかって思うのだが。

このアルバムで余計だなと思ってる部分が例のオアシスのカバーだろうか。
実際にその仕上がりはアレンジの妙もあって、
不自然無くアルバムに収まっているのだが、
出来る事ならウェラーにオアシスのカバーはしてもらいたくなかった。

せっかくシスター・スレッジなんて言う、
日本だったら下北界隈のアナログDJがやりそうな
いやらしいチョイスを見せ付けてるくらいなんだから、
安易にオアシス辺りに手を出して欲しくなかった。

ただ、格好良いようで不恰好な事もするのがウェラーだったりするのだけど。

題に書いたとおり、僕はこのアルバムの選曲傾向を
「有名な白人」と「マニアライクな白人」に
分けて捉えている。つまり、ディランはいてもマーヴィン・ゲイはいないし、
カーペンターズ(バカラック)はいてもダニ・ハザウェイはいないのだ。
ここらへんが考えようによっては面白く、やはり精神的に
モッドな人間にとっては黒人音楽、
つまりソウルこそ安易な選曲はしないよ、なんて言うプライドも
見て取れるような気がする。
出来る事ならダニー・ハザウェイの「ラブ・ラブ・ラブ」辺りのカバーでも
披露して欲しかったな、なんて思ったりもする。
あ、あとは白人だがヴァン・モリソンなんかも。
ヴァン・モリソンに至っては、自分でやる勇気が無いのか(笑)、
カーリーンに「フー・ワズ・ザット・マスクド・マン」なんていう
マニアックな曲をカバーさせてるし。
これ、絶対カーリーンのチョイスじゃないと思う。
ウェラーが選んで来たに違いない。

どちらにせよ、オリジナル・アルバムではないので
派手さは無いのだけど、じっくり振り返ると
選曲の過程、編曲など、面白い要素のあるアルバムだと思う。


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posted by cafebleu at 02:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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