2006年03月14日

English Rose

”ポール・ウェラー 来日前特集その6”

「変化は”意欲”か否か?」


ここまではアルバム毎にレヴューを書いたけど、
アルバム『イルミネーション』以降に関してはまとめて書きます。
個人的に聴いてる度合いや愛着も過去作に比べてそれほどは
無いのでそんなに文字も埋まらなそうだから。

『ヒーリオーセントリック』の後、
それに伴うツアーの後に彼はまたライブ活動を行う。
それは今までのようにバンド形態ではなく、
彼がアコースティック・ギターを抱え一人で
演奏するという趣向のものだった。完全なるソロ・ツアーである。

『ヒーリオーセントリック』のレヴュー時に書いたが、
この時期のウェラーは、ある程度目標と言うか、
すべき事を達成してしまったので、
次なるアイデンティティを模索してたのではないかと思う。
そういった意味で、今までに無い試みとして、
彼は一人でギターを持って世界を回ることにしたのだと
予想することが出来る。それ故か、
イレギュラーなツアーであるにも関わらず、ファンがいる割に
あまり来たがらない日本にも訪れた。

このツアーでは、勿論アコギ一本で今までの代表曲を
演奏すると言う点で今までと趣向が異なったが、
それ以上に僕はある変化を感じ取った。それは選曲だった。

彼はソロになってから、それ以前に遡る曲、
つまりスタカンやジャムの曲(特にジャム)を演奏することが
特定の曲を除いてほとんど無かった。もっともごく初期には、
ソロ曲だけではレパートリーが足りないので
スタカンやジャムの曲は演奏していたが、
『ワイルド・ウッド』に伴うツアー辺りからは楽曲も充実し始め、
過去の曲も無理に引っ張り出す必要が無くなっていた。
それ以後はやるとしても特殊なイベントや
TVショーで「マン・オブ・グレート・プロミス」をアレンジしたり、
「リバー・バンク」を大幅にリメイクしてやったりするくらいだった。
(「リバー・バンク」は後にスタジオ録音もしているが、歌詞や構成が原曲とかなり異なる)

それがこのアコースティック・ツアーでは
ジャムやスタカンの人気曲を結構取り上げたのだ。
「イングリッシュ・ローズ」「バタフライ・コレクター」
「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」
「タウン・コールド・マリス(悪意と言う名の街)」
「ザッツ・エンターテインメント」などなど・・・。

いくつかの曲はギター一本で演奏するのに
適してると言うのもあったのだろうが、
それにしてもここに来て、しかもジャム時代の曲を
演奏すると言うのはウェラーの中では
大きな変化があったのでは無いかと推測できる。

実際のところ、それが何なのか僕はわからないのだが。
この辺りから彼を深く考察する事を僕はしなくなり始めたので。

このアコースティック・ツアーの模様はライブ・アルバム
『デイズ・オブ・スピード』で聴くことが出来る。



興味が薄れたと書いておいてなんだが、このアルバムは
シンプルながらも中々聴き所がある。
「イングリッシュ・ローズ」のようなジャム時代の曲を
成熟した今のウェラーが奏でることによって、
より聞き手にこの曲の良さが伝わったりする。
青きパンクスだった彼は地道に成長を重ね味わい深い
ミュージシャンになったのだと、この曲を聴いて僕は思う。

このツアーを経て、リフレッシュしたウェラーは
次のアルバム『イルミネーション』では今までと
音響的スタッフを一新することになる。
ソロ開始当初から二人三脚でアルバムを製作してきた
ブレンダン・リンチと別れ、
新たなプロデューサーとしてサイモン・ダインを起用した。

サイモン・ダインは2000年代のアブストラクト系
スタイル・カウンシルとも言うべきユニット、
ヌーンデイ・アンダーグラウンドのサウンド・クリエイターで、
ウェラーは彼らのアルバムにもゲスト参加していた。
そういった意味では妥当な人選と言えるだろう。

そして出来上がったのが『イルミネーション』と言うわけだが、
僕はこのアルバムが一番聴かないアルバムだったりするので
余り多くは語れないような気がする。
結局ウェラーに合わせた音作りの出来ない
サイモン・ダインの硬質なプロデュースが
ウェラーの楽曲に合わない気がしてどうも好きになれない。
別に音響的な効果やサンプリングを導入してくれるなと
言ってる訳ではない。そんなのはブレンダン・リンチが
プロデュースしていた頃からそうだったし、
そういうのがアクセントになっていたので。

僕は元々録音の音響などに昔から興味があったので
気になるだけなのかも知れないが、
先行シングル「リトゥン・イン・ザ・スターズ」は
再びスタカンを思わせるような意欲的な面を
感じたりもするのだが・・・。

楽曲そのものはそんなに悪くないし、
今までに無いヴァリエーションを感じたりもする。
しかしながら、サイモン・ダインにはウェラーのある意味
古臭い作曲手法を生かす術を心得て無かったようにも感じる。
どんな音にでもやたらにコンプレッサーをかけるのはどうかと思う。
これに関しては次の『スタジオ150』以降プロデュースの
仕方が変わってくるので、サイモン自身も気付いたのだろうか?



余り良いことは書けないが、「フー・ブリングス・ザ・ジョイ」や
「バッグ・マン」のようなアコースティック曲が今までの趣向と違い、
よりトラッド的になってきているのは注目すべきところか。
トラッド的というよりは「ニック・ドレイク」的と
言った方が良いだろうか?前作でのとの出会いが
何処かで関係してるのではないかと思ったりする。

あと、ステレオフォニックスのヴォーカルと
「コール・ミーNo.5」で共演している。
僕はステレオフォニックス自体は余り知らないので
多くは避けるが、ゴリゴリのロック曲で、
しかも「俺を”No.5”と呼んでくれ!!」なんて
シャウトしてるのを聴いて、これじゃまるで矢沢永吉の
ようだな・・・と思ってしまった。
ロック親父ってやっぱりこうなっていくもんなんだろうか?

なんか、こう「サンフラワー」とは違うんだよな、と。

何にせよ音楽的には今までに無い部分も多く
「意欲的」なはずなのだが、それを作ったウェラー本人が
どれだけ「意欲」を持って取り組んでいたのかが見えてこない気がする。
世間、特に日本での評価は高いようだが、
僕は本当のウェラー・ファンとして敢えてこのアルバムには
苦言を呈したいと思う。

もしかしたら、僕の音楽趣向が
この辺りから変わりだしただけかもしれないが。


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posted by cafebleu at 10:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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