2011年09月24日

ヤマタツのつぶて 〜Pt.3 POCKET MUSIC〜

〜デジタルへの悪戦苦闘を実況化した人間らしいアルバム〜


達郎さんのライブチケットも無事当選したので
(初日市川と2週間後の群馬の両方。しかもその間には
オーシャン・カラー・シーンの振替公演も有ったりする)
引き続き"ヤマタツのつぶて"を続けていこうかと思う。

今回は少々前後のアルバムが派手なので埋もれがちな
86年作の『POCKET MUSIC(ポケット・ミュージック)』を紹介。


『POCKET MUSIC』('86) 山下達郎

このアルバムは前作(サントラの『BIG WAVE』をここでは含まない)に
収録されていた「高気圧ガール」のヒットを受けて、CM、特に自動車関係での
タイアップなどが増え、その他にもオレたちひょうきん族などでEPOによる
「DOWN TOWN」のカバーや達郎さん本人が本編でネタにされたり、
実際本作に収録された「土曜日の恋人」などもエンディング・テーマとして
採用されたりと、より一層"山下達郎"の認知度が上がってきた中での作品と
いうことになろうか。

しかし、まだまだCMなどでは匿名性の高さ故、逆にBGMとして主張しない上
自動車の疾走感と彼の楽曲のライトなソウル感がぴったりフィットしていた
という理由のほうが大きかったかも知れない。元々CM用のジングルで稼いだ
時期も有った訳だし。


「山下達郎&竹内まりや夫妻 70's〜90'sCMコレクション 」


一人アカペラなどの才能も生かしてこれだけCMに絡んでいたのかと
唸らされる映像。しかも夫婦でこれである。単に商品CMだけでなく
本人のアルバムの宣伝なども含まれている。これを保存していた方も
凄いとしか言い様がない。ある意味永久保存物だろう。
ヒットしてから自動車での起用がグンと増えていくのがわかる。
勿論JR東海"Xマス・エクスプレス"のCMも収録されている。


彼が世間的にも一気に認知されるのは89年のJR東海におけるCM
「クリスマス・イブ」からなのではないかと僕は考えている。

どちらにせよ、本作は80年代前半から続いていた『FOR YOU』「RIDE ON TIME」
「高気圧ガール」らのヒットにおける注目度の中で製作されたであろう一作だが
実際の所は録音にせよ作風にせよ大きな転換期を迎えつつ有る中で制作された
アルバムと言って良いだろう。特に録音に関しては本作から本格的にデジタル
レコーダーやPCを利用した打ち込みMIDI音源によるシーケンスを導入したのだが
それらが望むような音質や打ち込み精度を得ることが出来ず、録音の完了に
手間取り、アルバム発売日を延期するという自体にまで陥っている。

当時のPC環境はNECのPC-8801シリーズのような8ビットパソコンを
利用していたようで、これがかなり言うことをきかなかったようである。
本作録音の最中にPC-9801のような16ビット機も出てきていたのは当時僕も
自宅に音楽用ではないがNECのPCを置いていたので覚えているが、そういった
移行期の中で達郎さんは相当苦労していたようである。そもそも9801シリーズ
と言ったって、その後のPCとは思い返しても隔世の感すら有るので大変だったと
思う。また、デジタル・レコーダーも当時はマスタリングの際における音質が
低かったようで、デジタルで広がるはずのレンジも出ないような状態だったようだ。

確かにこれに関わらず当時の録音物を今聴き返してみると、何だかノイズとかは
少ないのかも知れないが、何となく曇ったような音質のものが多く、これなら
多少のヒスノイズなどは有るにしても、70年代のアルバムのほうが、
テープ・コンプレッション等による中域の充実も重なって迫力のあるサウンドに
聴こえるような気がする。ま、一概では言えないだろうけど。

そもそも86年当時ではCDは出てきていたが、まだ主要メディアがレコードや
カセットテープなどのアナログ・メディアだったのも事実である。

結局リリースが延期になる程の制作過程における苦闘は作品にも現れており、
いくつかの楽曲では実験的なアプローチも聴かれ、本人もサウンド的には
「試作品」と言うようなニュアンスの談話を残しているので、そういった意味でも
「高気圧ガール」や後に大ヒットする「クリスマス・イブ」を収録した
前作『MELODIES』や、デジタル・レコーディングやシーケンスを会得した感のある
『僕の中の少年』に比べても全体的に地味な印象は拭えない。

ジャケットも何だか地味である。可愛らしいが、本人が写ってない上、
何だかその辺りのコンピレーション盤のような匿名的なジャケットなのも
後に彼を追って聴くような人間にとっても地味な印象を与えている。

僕はアルバムジャケットというのはとても大切だと考えている。
サウンドを思い出す時に、ジャケットを思い出す時が有ると思う。
そんな時に冴えないジャケットデザインや色味だと、まるでその印象が
楽曲に乗り移ってしまうように感じるからだ。
例えば『サージェント〜』なんて、あの強烈なコンセプト感のあるジャケが
アルバムをより強烈な印象にしているのは間違い無いだろう。それを証拠に
あのアルバムは楽曲単位で捉えると、彼らにしては(あくまで彼らにしては、だ)
地味な物が多かったりするのである。

最も『ペット・サウンズ』のように、ジャケとしてはある意味アイドルグループの
それとしては普通であっても、余りに内容が凄いので、あのジャケを見ると
名作にしか見えなくなってしまう物も世の中には存在するのだが。

楽曲にも触れておくと、アルバムの最初を飾る「土曜日の恋人」は
オレたちひょうきん族のエンディング・テーマとなった楽曲。
聴き覚えが有るという人も多いかも知れない。EPOの「DOWN TOWN」や
本人の古い曲「パレード」が起用された事を受けて新曲を書き下ろし
自らひょうきん族のスタッフに売り込んだらしい。なるほど
確かに「DOWN TOWN」を80年代当時に蘇らせたようなテーマである。

中々に良い曲なのだが、思ったよりヒットしなかったようである。

タイトル曲でもある「ポケット・ミュージック」は何とも中途な感じの
作品なのだが、僕はこの曲がアルバムの中でもかなりお気に入りである。
本来打ち込み用に用意された楽曲であったが、上手く行かなかったようで
結局上原裕と伊藤広規のドラムとベースによるテイクなのだが、
それがまるで打ち込みのビートをなぞったようなかなりミニマルな
リフの繰り返しで、でもそのミニマルなリズム隊とアコギ、最低限の
キーボードで淡々としている感じが人力シーケンスのようで悪くないのである。

「MERMAID」は全面にシンセサイザーやMIDI演奏によるエレドラムを
採用したこの時代の音がする曲。Rolandのデジタル・ドラムをPCに
プログラミングして叩かせたのではないかと思われる。ドラムの音は
今のエレドラムやDTMのサンプラー音源では聴けないような音がしている。
しかし、アラン・オデイによる英詩にのる軽やかなメロディが悪くない。

「メロディ、君のために」は80年代の彼の作品で良く聴かれる
ポップな曲に伊藤広規のドンシャリなチョッパー奏法を多用したベースが
乗る楽曲である。これも近年では余り聴かれないミドルハイを多用した
ヴォーカルを含めて中々心地よい楽曲である。

「THE WAR SONG」は彼にしては珍しいポリティカルな作品で、
当時首相だった中曽根康弘が日本をアメリカの前線基地のようであるかに
例えた「不沈空母」発言を受けて書かれたものようである。
この作品辺りから詩作が明らかによりパーソナルに入り込んだ、
ラブソングの範疇から離れたような作風が増えていくのだが、
これはその中でも異例の一つと言って良いだろう。

全く個人の意見として、僕は達郎さんに政治や社会的な歌を歌って欲しくない
という気持ちが有るので複雑であるが、サウンド的に捉えると、いかにも
80sな音のシンセサイザーはともかくとして、彼にしては珍しく中途な
コードでブレイクする辺りのメロディとバックのタイトで切迫感の有る
演奏は悪く無いと思う。特にライブ・アルバム『JOY』におけるバージョンは
タイトである。

「シャンプー」はアン・ルイスに提供した楽曲のセルフ・カヴァー。
女性言葉の歌詞を男性が歌うのが結構僕は好きなのでお気に入りで、
ソウル・バラードを少しねちっこく歌うヴォーカルも秀逸。

タイトルからしてロマンティックな「ムーンライト」はファルセットを
中心とした美しい小品と言った趣向で。ここでは打ち込みによるサウンドが
こじんまりとまとまっていて、本作の中で最もデジタル・サウンドとして
完成しているような気がする。こういう作品で彼の作品に外れなしである。

「風の回廊(コリドー)」は当時スポーツ・クーペとして大ヒットした
ホンダ・インテグラのCM曲として使われた楽曲で、車が大好きだった
少年時代の僕の思い出の一曲として残っていたので、大人になって
ベスト盤で久々にこの曲を聴いたとき、少し郷愁に浸ってしまった。
ちょうど"思い出へと続く心の回廊"というテーマもぴったりである。
そういう意味で特別な一曲。彼の曲でも1、2を争う大好きな曲である。

Aメロの美しさの割に、実はサビらしいサビのない、この当時にしては
少し珍しい作曲だったりするのだが、それが噛み締めるほど良くなる
名曲である。ここでは打ち込みも曲にフィットしている。

こうして振り返ると、"中々に良い"とか"悪くない"という言葉が多く
出るのだが、僕にとってこのアルバムは聴けば聴くほどやっぱり良い作品だなと
感じているし、名作とまでは言わないのかも知れないけど、佳作なのは
間違い無いと思っている。今聴くと80年代的な音が結構するのだけど
それも次作『僕の中の少年』程ではないのでかえって聴きやすかったり。

最もデジタル機器と格闘しながらも結果として"山下達郎"という一人の
人間の暖かみを感じるこのアルバムは、忘れてしまうには勿体無い
作品だと思っている。

結局このアルバムのマスタリングには余程納得出来なかったのか
91年、このアルバム発表後5年という所でリミックスしなおして
再リリースしている。これは近年良くある最新のデジタル技術での
リマスタリングとかリミックス以前の時代における話なので、
単純に作品として納得いかずお色直ししたかったのだと思う。

その際にボーナスとして収録された「MY BABY QUEEN」が中々良い
曲だったりする。

一聴で引き込まれるようなキャッチーさや突出した楽曲やアレンジが
聴かれない"悪くなさ"こそがこのアルバムの特徴で、時折引っ張り出して
耳にすると、やっぱり変わらずに、むしろ聴く度に発見のある噛み締める
ようなこの作品は、達郎さんの名作をある程度聴きこんでから立ち寄って欲しい
そんな作品である。


「シャンプー」 アン・ルイス

アン・ルイスのバージョン。元々歌唱力の高い彼女のテイクも悪くない。

こうしてレビューを書こうと思って始めた当初、僕はやっぱり大人になって
改めて達郎さんに凝りはじめてから衝撃を受けた70年代やRCAの作品を紹介
しようと思っていたのだが、レビューのためにアルバムを聴き返していると
30代も半ばを過ぎた僕には何故だか80年代以降の作品の完成度の高さに
段々心を惹かれるようになってきている事に気づき始めた。

商業音楽としてのキャッチーな完成度の高さ、それでありながら音楽の深みは
しっかりと保っている楽曲。結局ポピュラー・ミュージックと言うのは
人にも感じ取ってもらって、ある程度商業的な成果を残せるものが正しいと
僕は個人的に考えている。そういう意味で「ライド・オン・タイム」以降の
彼の作品というのは普通に聴いても耳に残る良質なメロディだし、その
作曲というのは理路整然としていてとても合点が行くものなのである。

技巧は有っても奇をてらわない、ニーズに合わせてもベースはブレない。
そういう事って誰にでも出来ることではなく、職業作曲家としての
彼の才能というものを端的に表しているのだと思う。

時代の先を行き、ストイックなほど己のソウルを突き詰めていたソロ初期も
凄いの一言に尽きるのだが、時代がそれを理解できるようになって、自らも
時代に寄り添うようになった80年代以降を"日和った"というのは余りに
パーシャルな見方で、この美しい作品を見落とすのは勿体無い話である。

最も最近僕がそれを感じるようになったのは、僕が今30代半ばを過ぎて
彼がこれらの作品を出していた頃の年齢に近づいたからかも知れない。
誰しも若い頃のほうが物事を斜めに考えるものである。
そういう部分が自分からも少しづつ無くなってきているのは間違い無いだろう。

まだ続く、かな。。結構レビューは久々に書くとパワーを使うので
そろそろ一旦休みになるかも知れない。またライブに行けば色々
書きたくなるだろうから。
posted by cafebleu at 01:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月21日

大井町にて暴風雨

会社早めに出て、帰路に。

京浜東北線は蒲田止まりだが、僕は蒲田迄行ければ帰れる。

しかし、大井町で京浜東北線自体がキブアップ。。
大宮方面が止まって皆動けなくなったと。

そして再開を待つ内に都内が暴風域に。。。
さっき三角コーンが飛んでいた。

諦めて電車を出ても風でまともに外は歩けないので
一先ずバーガーキングに席が有ったので一息入れて少し考えてみよう。

ここからならタクシーでも然程の事では無いので天候が少し落ち着けば拾えるかな。
電車は復旧しても暫く激混みだろうな。

珍しくリアルタイムな話で。

posted by cafebleu at 17:22| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

別離と変と訣別と再会と再燃、そして当選

ヤマタツのライブ・ツアー『Performance2011-2012』が当たった。
ツアー初日の千葉市川と群馬前橋公演である。

特に初日の市川は難しいだろうということで、最初から捨て覚悟で
少々遠いが車なら十分行けるだろうということで群馬公演も
応募しておいたが、どちらも当たってしまった。

mixiなんかでは外れた人も結構いるようなので、この運を感謝して大事に。

さておき、まだ年末には少し早いけど、今年は現時点で振り返りたく
なるほど色々有ったような気がしてきた。

勿論世の中の出来事としても東日本大震災やそれに伴う
福島第一原子力発電所の原発事故という惨事も有ったけど
今回はよりパーソナルな部分の話で。

それは家庭、仕事、友人関係とパーソナルで重要な部分に関わること全てで
色々起きたような気がする。全部書いているとキリが無いが、タイトルには
その全てが集約されている。

仕事では上司も去って、これで僕が入社してからチームに居た人間が全て
去っていってしまった。企業のカラーを考えれば3年半でこれは珍しいと思う。

逆に友人はここ7〜8年の間に会えなくなっていた古い友人二人から次々と
連絡が来た。どちらにも関連は無く、その理由は全く次元の違う話なので
本人たちにとって何の共通点も無いのだが、そういう事は続くものなのだと。

以前の日記で電力系の会社作業着でうろついていた幼なじみと渋谷で
偶然再会したのは日記にも書いていたが、それはこれから始まるより
深い友人との再会へのプロローグに過ぎなかったのだ。

その第一弾は高校時代の多くを一緒にギターを弾いてバンドをやって
毎週末夢を語り合った古い友人からの突然の連絡で、今やここまでに
無いくらい普通に疎通を取っている。彼は今ITガジェットに絆されている
最中なのでそんな質問が多くを占めているが。。

これだけも衝撃で、これもブログに書いたが、更にもう一人、そうだな、
戻ってきたというのが最も適当な表現の友人から連絡があった。
最も古い付き合いの一人の友人だった。最初に彼のぎこちない挨拶を
聞いたときはさすがに理由はあるとはいえ忽然と目の前から消えて
5年間も連絡もしてこなかった彼との思い出がフラッシュバックして
いろんな思いが去来したけど、僕は努めて冷静に対応した。
でもね、自業自得とは言え苦労はしたんだろうから今は取り敢えず
小言を言うのも野暮なので「おかえり」とだけ言っておこうと思う。

数年前に同窓会が有って、その時僕は少しだけ行こうかどうか悩んだけど
下らない自慢と不倫大会が必ず何処かで繰り広げられるので僕は何だか
最後で気乗りせず、結局行かなかった。大事な古い友だちには基本的に
成人してからも付き合いが有った訳だし。

でもそれらの多くを僕はここ7〜8年間は失っていて、それは単に友と
会う、会わないとかではなく、何処かで寂しさも感じていたのかも知れない。

だからこそ僕は自分自身と向き合ってストイックに過ごしてきたのかも
知れないけど。

僕は自分にも他人にも基本的には厳しい人間だし、そういう人間って本質は
余り人には好まれないと思う。だって突っ込みようが無いだろうから。
自分への厳しさは知ってる人なら良く知ってると思うし、自分でも
マゾなんじゃないかと思うくらい苦しんで、もがいて来た。

かと言ってクソまじめかと言うと、そうでもなく、突飛もないことを
しだしたり、ふざけ始めたりするので、ある意味取っ付きづらい典型だと思う。

だから自業自得なんだけど、そんな僕でもモダプロの相方を始め
相手はしてくれる人が居るので感謝しないといけないなとは思う。
そして古い友だちも戻ってきた。隔たれた時間というのは短くなく
互いの違いに何処かで戸惑ってる時も有るのかも知れないけど
まぁそんな事も楽しみつつ、ね。

そして、色んなことが起きたら何だかまた音楽をやりたくなってきた。
それは単にバンドでカバーを歌いましょうではなく、自分の作品を
残すこと。宅録をすることである。全く及んでいるとか比較するのも
おこがましいのでそんな意味ではないが、達郎さんの新作で耳にする
パーソナルなDTMの個人録音を聴いてると、そういうことをやりたくなる。

最も、必ずしもオリジナルだけではなく、最近更に悪ふざけが進んでいる
ビートルズを勝手にソウル・アレンジにしているアイデアをちゃんと
残しておきたいなと。頭で考えるビートルズって楽しいのである。

後はモダプロ相方は済ませているけど、僕は10年ほど前、音楽から完全に
離れた時に、自分の作品をまとめきれずに終わってしまった。
だからどれも自分の曲は最後までミックスが終わってないままである。
不恰好でも良いからちゃんと残しておくべきだったと最近思うのである。

ちょうどその頃自分の歌には限界を感じていたので他の人に歌ってもらう
方向にも気が向いていたから余計自分の作品が中途になってしまった。

僕の中で最後に仕上げた作品は自分のヴォーカル曲ではなく、
その頃手伝っていた女の子にあげた曲だった。

これはDTM時代になっていたので24ビットで録音した記憶がある。
だから音のレンジも広いし、DTM時代が到来して、個人録音でも
こんなに良い音質で録れるんだと感心した記憶がある。
そして、初めてのまともな仕事に日々が追われ始めていた僕には
ここまでやったら十分なのではないかという気がし始めて
自分の作品の完成まで手が回らなくなってしまった。

そんな訳で、僕は自分が作曲し録音した曲を久々に聞き返してみた。


「カーディガン」Fish and Fingerpie(2001) Written&Arranged by Dai.Suzuki

しかし、今聴いてみると、少しいろんな音が入りすぎてる気もする。
シンプルなラブソングだったはずなのに、VSTiの実験場と化して
鐘のようなキーボードが入っているが、これではクリスマスである。

でも歌ってくれた"みったん"という女の子の歌の上手さは特筆に値する。
録音時はコンデンサーマイクも手元になく、普通のダイナミックマイクを
プリアンプで無理やり高ゲインにして録ったのだ。普通ならもっとかける
コンプレッサーも余りかけてない。しかもWトラックなども利用はしている
ものの、実はこれ、通しで3回くらい歌ったトラックを適当に重ねているだけ。
歌って単にこぶしを回すだとか、ソウルフルに歌えば上手いわけではない。
コーラスにはモダプロのベーシスト、まりさんも参加している。
ほとんどエフェクトの中に溶け込んでしまってるけど。

ベースも悪く無いかな、エレキギターは4万くらいのエピフォン・ファイヤーバード
がリアでもエッジが全然なくて、それが逆にフィットしたのでそれで録音してる。
いつもどおりちょっとラフなままだし、大したこともしてないけど
ソロはブレイク前のタイム感が悪くないんじゃないかなと思うのだけど。

また、こんなことをやりたいし、今度は不恰好でも自分のものも残したい。
そんな風に最近思い始めているのである。
posted by cafebleu at 02:07| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

ヤマタツのつぶて 〜Pt.2 COZYその2〜

〜自らの時代(80年代)が過ぎた後、模索の渦中で再評価され〜


前回は90年代の音楽背景やブーム、ナイアガラ系譜の
再評価についての話で終わってしまったので仕切り直しで。

80年代、言わば彼の時代の集大成とも言えた『ARTISAN』の後
93年に「MAGIC TOUCH」のシングルをリリースして動き始めた
達郎さんで有ったが、CMやドラマのタイアップなどを除いて
ライブ活動などはしばらく休止状態になっていた。

前編でも書いたが、80年代のサウンド的な流行が一段落し、
90年代中盤辺りから明らかにシンセ音やエレクトリック・ドラムを
全面に出したようなアレンジを世間で耳にしなくなっていく。

その反面、アメリカではニルヴァーナ等を筆頭としたオルタナティヴ
と呼ばれる退廃的かつストレートなロックが大流行するし、イギリスでは
アシッド・ジャズがブレイクした後、次は自国のカルチャーである
ブリティッシュ・ポップをよりレトロに捉え再構築していくような
バンドが次々現れていくことになる。それはブラーやオアシスのような
ブリットポップでもそうだし、ティーンエイジ・ファンクラブのような
アメリカのカレッジ・ポップとリンクしているようなグラスゴーのバンド
でも大まかにはそう言えるだろう。

そしてDJ界隈などを中心に、CD化が進んで一時消えかけていたレコードの
復活にクラブ界隈だけでなく、ポップ・ミュージックも一絡げになって
推進力になっていくことになる。それはR&Bなどで見られたような
アナログ盤でしかできない(当時は)スクラッチのようなテクニックの為
というだけではなくて、アナログ盤を集めること、それをクラブで流すことが
一つのトレンドになっていくのである。

その要因の一つに、CD化されていない、もしくは廃盤と化している
"レア"なアナログ盤を収集するのがサブカルチャーにおける一つの
ステータスと化していた気すらするのである。

最も僕は殆どそういう事には興味が無かったが。
CD時代が来たおかげでようやっとテープに落とすこと無くその場で
音楽を聴ける時代(CDウォークマン)が来たのだからあんな大きい
アナログ盤を持って歩くなんてナンセンスにしか感じなかった。

余り関係ない話だが、僕は古いものは大好きなんだけど、出来れば
現代のエッセンスも入れて欲しいというか、何といえば良いだろう、
"温故知新"に対して自分なりに拘りが有るような気がする。

古いものを聴くにするにも使うにしても便利に使いようが有るはずである。
その為に新しいことを覚えることは何の苦もない。
これが確信に変わったのはニューMINIに乗るようになってからだけど。

だから手が出ないというのもあるけど、余りオールドギターに興味が
無かったり、DTMには結構すぐに手を出したんだと思う。

閑話休題(が多いが)、こんな風にデジタルが進化していく過程で、
それが録音方法であれ、音の出し方であれ、"アンチ・デジタル"な
カルチャーも間違いなく育ち始めたのが90年代だと思う。

それは古い音楽を聴く過程の中で、例えば70年代のルーツ・ロックやSSW
におけるサウンドに深みのある音像や、生楽器の素晴らしい録音状態などが
シンセや深いエコーに埋もれた80年代の音楽に比べて、当時の若い世代に
とって明らかにリアルに、そして新鮮に響いたからだと思う。

そんな中にシュガー・ベイブやRCA初期の彼のソロ作品も含まれていたと
そう言って差し支え無いだろう。

山下達郎さんという人は、根本的な部分は全くブレない人だと思う。
サウンドやスタイルが変わっても、それは単に流行を追い回しているのではなく
自我という強い基盤の上に何をエッセンスにするかという程度の話で
彼が言うような「何年でも色褪せない音楽を作る」ことが先ず大前提なのだと
思う。基本的なベースはソウルで有ったり、ドゥ・ワップやビーチ・ボーイズ
の世界観。もっと言えば良き時代のアメリカのショービズ的なるもの。

しかし、録音や機材の新しいもの好きも顕著で、シンセやエレドラムのような
デジタル楽器、そして録音に至るまでかなり早い段階でそれらを導入している。
2011年の現在だってProToolsを使ってレコーディングを行っている。

達郎さんの70年代のソロ作品は、洋楽も含めた上で言うならば、ニューソウルの
横風を受けながらも独自のファンキー・ポップとして完成しているという点で
その頃のサウンドとしては有り得ない話ではないのだが、それを日本のミュージシャン
がやってしまっているという点が先ず凄いのである。例えばデビュー作の
『CIRCUS TOWN』は76年の作品だが、76年のヒット曲を見てもらえばわかるが
この頃の日本でこのアルバムに収録されている「Windy Lady」のようなヘヴィな
16ビートのファンクなんてやっている者は全く居ない。

「なごり雪」や「無縁坂」のような楽曲のヒットを見ると、フォークブームの
面影を感じるものである。勿論上記二曲は良質な楽曲であるが、達郎さんの
向かっている世界は余りに次元が違いすぎる。

アルバムとしてのターニングポイントは色々と言い様が有るのだが
ヒットシングルとしてのはっきりとしたものは「ライド・オン・タイム」の
大ヒットだろう。これ以降はアルバム『FOR YOU』を経て80年代的な
サウンドの牽引者となっていったのは既に触れている。

こんな風に自らも推し進めてきた80年代なるサウンドが後退して、さて
本人も90年代の自分というのはどうなるものかと模索していたように感じる。
また、詩作についても試行錯誤が有ったようで、近年作では自作詩が増えていた
のだが、その中でもやはり詩作というのは洋楽育ちの達郎さんには一つの課題の
ようで、最も頭を悩ませるものだったようである。その中で別の作詞家と
組むことを考えたようで、今作は久々に新しい作詞家と組んでいる。

それがはっぴぃえんどのドラマーにして、既に歌謡界で作詞家として
確固たる地位を確立していた松本隆だったという訳だ。
因みに達郎さんはここまで直接自分の歌の歌詞は依頼していなかったが
自らがカバーしていた大滝詠一の「指切り」、鈴木茂の「砂の女」で
彼の歌詞を歌った経験が有った。

サウンド的にも変化が見て取れる。それは明らかなシンセ・サウンドの後退だ。
Moon移籍以降特にそうなのだが、ここまで80年代の彼のサウンドはシンセや
エレドラム、シンセベースと言った要素が大きな比重を占めるようになる。

例えば前作収録の「Endress Game」なんかは作曲手法としては
ドラマ向きのマイナー・バラードという点でその後にも有るような
スタイルだが、キラキラしたシンセの音から曲が始まり、それが全体を
包むようなアレンジの中で、シンセベースらしいシンセベース音が耳に残る。

他にも前々作『僕の中の少年』や『POCKET MUSIC』辺りは80年という時代の
音が顕著で、「ルミネッセンス」「The War Song」辺りはシンセ・サウンドが
アレンジの中心に居る感じである。「THE GIRL IN WHITE」などは、楽曲の
出来は置いておいても、いきなりこれでもかという程のエレドラム音で
スタートして、そこにシンセベースがご機嫌に滑りこんでコードもシンセで
奏でられているので、さすがに時代を感じてしまう。
この楽曲のオールド・スタイルなアメリカン・ポップの雰囲気や中盤に
いきなりメランコリックになるブリッジは素晴らしいのだけど。
(まるでビーチ・ボーイズの「Do It Again」のような曲である)

今作では上記のようなサウンドは達郎さんにしてはかなり控えめになっている。
勿論録音時代が90年代初頭から後半までと幅があるので全体にまとまりが
有る訳では無いのだが、それが打ち込みにせよ生音にせよ、そこまでの
アルバムとはかなり変わってきていると思う。

前述したように詩作にも変化が有り、まずは吉田美奈子以来の作詞家、
松本隆を数曲で起用している事である。この間も一部では他の作詞家
例えば奥様である竹内まりやの歌詞なんかも有ったし英詩の歌では
アラン・オディを起用してるが、アルバムの半分程度を本人以外の歌詞が
占めるのは久々のことではないだろうか。

正直僕は松本隆の詩が余り好みではないし、達郎さんの洒落た楽曲上に
心のない詩が乗ると何となくこそばゆいような感じもするのだが、
楽曲面全体においてはそれなりに効果が有ったようである。

アルバムはその松本隆の軽薄?な詩が冴え渡る「氷のマニキュア」でスタート。
軽快なアコースティックギターのコード・カッティングにベースと
ギターのリフが裏から入ってくるイントロでいきなりファンの微笑が見えてくる
ような素晴らしいファンキー・ポップ・チューンだが、意外にも
アコギのカッティングと薄いギターのリフ、そこにピアノの控えめなコード
が乗るようなアレンジの曲って少ないのではないだろうか。
何より全体のサウンド・バランスが80年代とは全く異なる。ベースが
しっかり鳴って、そこに生楽器のアンサンブルを最低限乗せている感じ。
勿論シンセとかホーンも入ってるので全体の音が薄いわけではないのだが
とてもタイトなサウンドに聴こえる。個人的にこの歌はこのアルバムの
ベスト・トラックで、達郎さんなりの渋谷系やアシッド・ジャズブームへの
理論的な解答のような気がしている。


「氷のマニキュア」

シングルにもなった「ヘロン」は最初のカスタネットの音とエコーで
すぐにフィル・スペクターの世界観だと解る。中々良い曲なのだが
僕は余りフィル・スペクター的エコーは熱心に好きになった輩ではないので
なるほど、そうですかという感じである。僕が好きなウォール・オブ・サウンドは
『ペット・サウンズ』位なんだと最近気づいてきた。
(バンドの相方は既に気づいていたようで、「ジョンのロックンロール嫌いって言ってたからそうなんだろうと前から思っていた」とのこと)

「FRAGILE」も多分に90年代のR&B的なサウンドを感じるミニマルな展開の曲。
いきなり達郎さんの英詩のファルセットから始まる感じがかなりクール。
彼にしては展開も少なく、ほとんどAメロの繰り返しのような感じである。
R&Bっぽい打ち込みに、アナログのスクラッチ音が隠し味で入ってる。
こんな所も90年代っぽい。個人的に彼のファルセットの中でも最も美しく
聴こえる楽曲の一つだと思う。何故か中盤のサックス・ソロでスティングを
思わせるのだが、そう言えばこのタイトル。。。彼もヴァン・モリソンに
なろうとして洒落すぎてしまったブルー・アイド・ソウルだと思うが。


「FRAGILE」

「DONUT SONG」は説明不要だろう。今やこのアルバムで一番息が長く
有名な曲。ミスタードーナツのテーマ曲である。
ニューオリンズのリズムをこんなに愛らしく楽しい曲にしてしまうのは
ただただ凄いとしか言い様がない。コードだってほとんど3コードなのに。
これのライブが凄くていきなり「春よ来い」を歌い出したかと思うと
いきなりソウルフルなシャウト、後半はドクター・ジョンの「Iko Iko」の
メドレーとやりたい放題なのだが、それがとても格好良い。
この曲もニューオリンズを持ちだしている所が90年代っぽい。
本人の歌詞も素晴らしいと思う。

「群青の炎」は全編ファルセットのバラード。珍しく人の死をテーマに
したような歌詞に、達郎さんの試行錯誤を感じる。この曲は本人の詩には
大変珍しく外来語が全く入っていない。少し悲しい歌だが、コードを
そこまでマイナーにはしていないので美しいバラードとして成り立っている。
達郎さんの全編ファルセットも聴きどころ。この曲は比較的80年代から
続く達郎さんのスタイルに近いアレンジだと思う。

「BOOMERANG BABY」は何と加山雄三のカバー。僕らの世代だと
「加山雄三か。。。」となるのだが、GSブームの最中、サーフ・ミュージックを
いち早く広めた先駆者として桑田佳祐なんかも尊敬しているので
そういう人なんだと思う。こういう曲でもしっかり咀嚼してまるで
ビーチ・ボーイズの曲のように聴こえてしまうのはさすがで、彼の
レア・グルーヴ的再発見なんだろうと思う。こんないい曲有るんだよ、と。
しかし、アルバムの中では少々浮いている気もする。

「STAND IN THE LIGHT」はメリサ・マンチェスターとのデュエットによる
英語詩の曲。S.S.Wを経てソウル、ショービズへと傾倒していくメリサと
達郎さんって何処か共通点が有るような気がするのは気のせいだろうか。
楽曲は売れ線な70年代の煌びやかなモータウンのようと言うことで
僕はすぐにダイアナ・アンド・マーヴィンを想像したが。実はサビで
達郎さんが歌うパートの後半がかなりテンションっぽいメロで技巧的。

「セールスマンズ・ロンリネス」は彼の楽曲の中でも最も異色なものの
一つだろうと思う。先ずサラリーマンの悲哀を付かず離れずの三人称で
捉えているこの歌詞が異色そのものである。中々素晴らしい描写なのだけど
やっぱり音楽一筋の達郎さんが歌うと、少し他人事のように僕には
聴こえてしまう。それが良いのかも知れないけど。
楽曲的にも間だらけのエレピアノとオルガン位しかバッキングが存在しない。
こんなスカスカな達郎さんの楽曲は余り記憶にない。
これもある意味90年代的な感じかな。また僕がキーワードに上げている
"模索"も見え隠れしている典型的な曲。

「サウスバウンド No.9」は派手さはないけど優しいメロディと気の利いた
リズムの対比が心地良い佳曲で、ちょっとループ・リフっぽいリズムが
聴いているうちに癖になる。「氷のマニキュア」「ヘロン」「DONUT SONG」
と今作ではグルーヴやリズムに重点をおいた曲が多く、それが何となく
僕にはやっぱりレア・グルーヴへの解答って感じがする。

そう言っておいて何だが、次の「DREAMING GIRL」はベタな彼らしい
ミドル・テンポのメロディックなシングル向きの楽曲。
エコーは深いが、アレンジはシングルにしてはシンプルで本人も
本作のベスト・トラックと言っているようである。
しかし、何よりも驚いたのはPVにさとう珠緒を起用している事と
本人のシルエットが映ることだろう。さとう珠緒みたいな子が好きなのかな。。


「Dreaming Girl」

しかし、こじつけかも知れないが、彼女は今こそ露出は多くないが
錆びること無くエイジレスな愛らしさを保っているといえばそうである。
(キャラクターも余り変わっていない・・)
このプロモは96年頃のものだから今から軽く15年くらい経っているが
彼女はある意味普遍的な感じがする。(ブログで見て変わってなくて驚いた)
つまり、エバーグリーンなドリーミング・ガールだと見抜いてたと。

・・・考え過ぎかな。

「いつか晴れた日に」は当初弾き語りを強く意識して作曲したとか。
確かにアコギのバッキングが曲の中心になっているが、アルバムに
収録されているのはバンド・スタイルでのバージョン。
どうだろう、これとか「LAI-LA –邂逅–」辺りはアンプラグドを少し
意識したのだろうか。特にこれはエレキギターも入ってないので。
『RARERITIES』で弾き語りのバージョンが収録されている。

最後は前編で紹介した「MAGIC TOUCH」で終わる。
全体で見ると、初期の録音な分だけ、むしろアレンジは他の曲より
派手で、このアルバムの中では歌詞もいつもの達郎さんらしい
世界観かも知れない。個人的には歌詞、アレンジとも打ち込み物として
秀逸でお気に入りの一曲である。

そう言えば『ARTISAN』でリリースされなかったアナログ盤であるが、
今作の『COZY』からは再度アナログ盤も復活してリリースされていた。
しかも収録曲が異なる。繰り返すがこんな所も90年代っぽい。

その異なる曲とは「BLOW」なのだが、個人的には前作に肌触りが
近い曲で、『COZY』には合っていない気もするのでCDの曲順で
良いのではないかと思う。こちらも『RARERITIES』に収録されている。

このアルバムくらいからタイアップ曲を集めたものがアルバムという
最新作『Ray Of Hope』まで続くスタイルが確立されていくので
アルバムとしてのまとまりというのはそれほど無いのだが
時代風景を鑑みた上で耳にしてみると本当に幕の内的な名盤だと思う。

また、意外にもここで多く聴かれる80年代以降のシンセスタイルを
後退させて、ファンキーなアコギをアレンジの重要点に添えるような
サウンドは後にも先にもほとんど聴かれないという点でも貴重である。

この後、DTMレコーディングに移行していく格闘が始まるのだが
再度シンセ・ベースやシンセらしい音を時代に関係なく楽曲に合わせて
前に出していく。つまり、それは時代に沿うのではなく、自分の世界観を
より重視して行くと言う事なんだと僕は解釈している。

自分が一番音楽を熱心に聴いていた頃の作品なので、その頃の音楽文化や
背景との接点についても触れたかったので長くなってしまった。

今日には先行販売の抽選結果が発表されるのでその前に書き終えた。

さて、このシリーズは続くのか、落胆して中途で終わるのか。

次回は初期の重要作『GO A HEAD!』の予定。
posted by cafebleu at 00:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

ヤマタツのつぶて 〜Pt.2 COZYその1〜

〜レア・グルーヴと渋谷系への大人な回答〜


『COZY』('98) 山下達郎

年代順に気に入ってるアルバムを紹介しようと思ったが
個人的に本作『COZY』は先程紹介した『SPACY』などで
影響を受けたミュージシャン達が流行らせたブームに対する
達郎さんなりの静かなる回答という気がしているので
敢えて比較的近年作であるこの『COZY』を紹介しようと思う。

『COZY』は91年発表のレコード大賞受賞アルバム『ARTISAN』から7年もの
インターバルを置いて発売された待望作だったと記憶している。

この7年の間もCMとのタイアップや遂にと言って良いNHKの
連続テレビ小説主題歌を書き下ろすなど、意欲的な活動は続いていた。
また、この頃後にミスタードーナツには欠かせないBGMとなる
「ドーナツ・ソング」も提供していた。今やミスドでこれを聴かない日は
無いくらいイメージの一部になってしまった。

この楽曲をミスドの為に書いた達郎さんも見事だが、彼の古き良き
アメリカン・ポップへの深い造詣を知った上でオーダーしたと思われる
当時のミスタードーナツの担当も素晴らしいチョイスをしたと思う。

こんな風にタイアップを中心とした活動で達郎さんの楽曲はTVやお店から
聴こえていた訳だけれど、アルバム自体は一向に発売されなかった。
途中96年頃に『Dreaming Boy』というタイトルで発売されるはずだった
ようだが、それが一旦棚上げされた上でそれから2年後ようやくリリース
されたアルバムが『COZY』だったという訳だ。

この間音楽界、特にサブカルチャーを中心にはっぴぃえんど、ナイアガラ
系譜の再評価が高まった。それは当時をリアルタイムに知らない新しい世代に
よる再評価だった。また、UKソウルを中心とした洋楽界隈でもアシッド・ジャズ
のような70年代ソウルを現代的に咀嚼したようなブームも起きており、
それらは日本で"渋谷系"なるカテゴライズと共に大きな流行の兆しを見せる。

余り細かいことは僕も詳しくないし、どうでも良い部分が有るのだが、
例えばジャミロクワイやヤング・ディサイプルズ、コーデュロイ
ソロ初期のポール・ウェラーと言ったアシッド・ジャズ系譜と
日本のオリジナル・ラブや小沢健二、ピチカート・ファイヴなどの
ナイアガラ系譜を再発見していた渋谷系の系譜に直接の関わりは無くても
それらを好んで聴いていたリスナーというのは共通の部分も有ったろう。

これらミュージシャンの共通点を挙げるなら
"ソウル解釈を自分なりに出来ている人たち"かつ
"アナログ・ジャンキー"だと僕は考えている。

達郎さんに話を戻すと、90年代初頭『ARTISAN』で作家的側面として
セールス面を意識した作品で大きな成果を残した彼にとって、次の
方向性というのは、模索している部分も有ったのではないだろうか。

そうした中でシュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングル作品の
リマスター盤発売などで、それらを見つめ直す機会が訪れる。

この頃達郎さんはライブに関しても活発な時期ではなく、毎年のように
行われていた全国ツアーも行っていなかった。しかし、94年、上記作品の
再発を記念して中野サンプラザで4日間だけ行われたスペシャルライブ
『TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE』で全曲シュガー・ベイブ時代の
レパートリーを演奏したのだ。
(厳密にはシュガー・ベイブ時代への郷愁を歌った「My Sugar Babe」を除く)

この時のライブは本人にとって意義有るものだったのではないだろうか。
と言うのも、これ以降ここで披露された「こぬか雨」「砂の女」のような
他人の曲も通常ライブで時折登場することになっていくからである。
その演奏やヴォーカル、そして楽曲の素晴らしさはついこないだ
『Joy1.5』で証明されたばかりの事である。

『ARTISAN』発表後ツアー後の達郎さんのライブはこのシュガー・ベイブ
全曲演奏?の特別ライブを覗いて、ツアーという形態では7年近く全く
行われないことになってしまう。

『ARTISAN』後も先に触れたシュガー・ベイブ『Songs』のリマスター盤や
ベストアルバムである『TREASURES』、企画盤と言えるクリスマス・ソング
等を歌った『SEASON'S GREETINGS』は発表されていたし、繰り返しになるが
この間もCMやドラマへの楽曲提供は行われていたものの、ライブと
オリジナル・アルバムでこれほどのスパンになってしまったのも初めての
事だったと言えるだろう。

80年代前半「Ride On Time」で大ブレイクしてからの達郎さんの方向性は
ひとつの道を歩いていたのではないかと思う。それは70年代に蓄積した
類稀なる音楽的素地に商業的、作家的要素をより解りやすい形でトッピング
して、更にそれが結果的に80年代という時代とリンクしていったことである。
その真骨頂が『FOR YOU』や「Ride On Time」「高気圧ガール」なのだと
思う。この絶妙なブレンドが音楽玄人にも80年代らしくBMWで六本木界隈に
乗り付けましょう的な業界人のカーステレオBGMにも好まれたのである。

特にブレイク頃からソウルへの傾倒を高めて、そのクールなリズム上で
珠玉のメロディと達郎さんの唯一無二のヴォーカルが乗ってくる辺りに
"洒落"が有ったのだろう。

しかしバブル崩壊と共にそういった雰囲気は一気に後退し始め、
音楽業界も90年代を過ぎて少しした辺りから大きく変わり始めていた。

特にサウンドで顕著なのは、80年代に隆盛したこれみよがしなシンセ
サウンドやシンセベースを基調としたサウンド作りの衰退である。

これは80年代の音楽を子供ながらに耳にしつつ、90年代はリアルタイムで
熱心に音楽を聴いていた自分にとって顕著に感じたことである。

特に英米共にロックやポップ界隈ではレトロなサウンドメイキングが
この後どんどん流行っていくし、そもそもこの当時ブレイクしたニルヴァーナ
のサウンドというのは、80年代のエコーやシンセを盛ったサウンドとは
一線を画していたような印象すらある。僕はニルヴァーナのサウンドが
好きな訳ではなかったが、これが90年代サウンドの幕開けになったと
言って良いので敢えて取り上げておく。

つまり、デジタル・レコーディングは進化したが、それはデジタルな
音を使うということがデジタル・レコーディングではなく、より音を
くぐもりなく、レンジを広く収めていくという方向に向かうのだ。

逆に当時のレニー・クラヴィッツのようにデジタルに"NO"を突きつけ
敢えて6〜70年代当時のアナログ機器でレコーディングするような人も
現れていた。これは結局今に比べてデジタル技術がまだ途上で、
アナログ・レコーディングを超えられない事も意味していたと思う。

現に80年代後半『POCKET MUSIC』でデジタル・レコーディングに手を
出した達郎さんもNEC-PC8801のような8ビットコンピュータを使うような
時代のデジタル・レコーディングに大苦戦し、デジタル録音を止めようかと
思うほど悩んだという話からもその当時のデジタル事情が伺える。

懐古主義的な90年代のカルチャーとデジタルへの嫌悪感から
90年代のサウンドはジャンルを超えて「生の音」への意識的な回帰を
見せるようになった。それはデジタルですらサンプラーのような、
乱暴に言えば生音を加工して自由に再生出来るようなツールが大流行
することからも窺い知れる。

そんな中で彼は90年代をどう考えていたのだろう。

70年代シュガー・ベイブやナイアガラ・トライアングルのような
飾らない米ポピュラー・ミュージックへの憧れは90年代の
サブカルチャー達に高く評価された。しかし、その一方で彼の
80年代以降の商業的な躍進を支えた要素の中には80年代に流行した
"ソウル・フレイヴァーでエレクトリックで都会的で洒落ている"
という要素がふんだんに散りばめられていたのだ。

例えばこれは英米共にそういった傾向が有り、80年代の流行と言えば
マイケル・ジャクソンやプリンスは言うに及ばず、スタイル・カウンシル
やカルチャー・クラブのようなファッション面が強く言われるような
人たちでも、その根底に有るものはソウル・フレイヴァーだったのだ。

本人が言われることを望んでいない『FOR YOU』で揶揄された
"夏だ、海だ、達郎だ"というのはある意味80年代を象徴する表現だろう。

しかし、何かと90年代当時は悪く言われた80年代的なるものも
良質なものはいくらでも存在していたし、達郎さんの作品も80年代の
サウンドを楽曲、録音形態(アナログからデジタルへ)を含め牽引していた
人の一人だったと思う。

そんな中で90年代中盤からタイアップなどで書き溜まっていった楽曲は
アレンジ、テーマ(詩)共に微妙に変化を迎えていくことになる。


「Magic Touch」('93) 山下達郎

『ARTISAN』発表後最初の新曲シングルになった。
この時点では打ち込み主体のサウンドはここまでに近いのだが
その肌触りはその後ほどではないにしても明らかに変化している。
80年代の煌びやかさな音色に比べて重く、ダークな印象のキーボード、
いかにもエレドラム的なサウンドからR&B的な音にシフトした
ドラムの打ち込み、Aメロから不穏なテンションコードでスタートする
曲調。90年代当時のR&Bで見られたようなアコースティックギターの
使い方など、聴きこめば聴きこむ程ターニングポイントになった
一作では無かったのではないかと、そう邪推する。
そもそも日本のシングルにしては少し渋いのではないだろうか。
個人的には歌詞も大好きだ。

"それは こんな広い世界じゃ
とてもちっぽけな事 取るに足りない事"


難しい言葉を使っている訳ではないが、こういう歌詞を中々
凡人では曲にすっと入れ込めないと僕は思う。

それらの蓄積が『COZY』として発表される。

ちょっとアルバムの話の前に、当時の音楽カルチャーの
話が長くなってしまったので、内容については次回に。
posted by cafebleu at 00:23| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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