2011年08月28日

伊勢志摩天体観測と『Ray Of Hope』そして『Joy1.5』と創作海鮮料理に舌鼓 Pt.2

"伊勢志摩の晦冥に映る月"

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プロヴァンス屋上に設置された天体望遠鏡にカメラを取り付けて撮影。
置いてある望遠鏡も普通のアマチュアに購入できるシロモノでは無いのだが
それにしてもこういう月を間近で見てしまうとやっぱり僕らは荘厳な宇宙に
生かされているのだと改めて思う。


前半はてんこ盛りの山下達郎さん話になってしまったので後半は旅行と
その中でもハイライトの天体観測を中心に。

伊勢志摩で泊まった宿はプロヴァンスという場所だった。
正直に言って南仏と海辺の街である伊勢志摩をイメージしての事とは
思うのだけど(スペイン村もそういうことなんだろう)、余りに周りが
長閑かつ普通の住宅街の真ん中に有ったのでそういう感じは余り無く。

とにかく行った時期が暑い時期だったのも有ったけど、伊勢志摩は
海からの湿気と照りつける太陽のせいか暑く感じた。

海鮮をフランス風にアレンジした創作料理は評判通り凝ったもので
味も中々美味しかったけど、やっぱり鮮度の高い海鮮は和食のほうが
よりダイレクトに伝わるのかなとも思ったり。少し創作技巧に走り過ぎてる
感じもした。それでも美味しかったのは間違いないのでそこは伝えておきたい。

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人の食べた料理を見てどれだけ楽しいのかとはいつも思うけど
ブログだから。上から伊勢海老のグリル、松阪牛の鉄板焼き、あわびのグラタン
普通に松阪牛、美味しかったかな。あわびは大好きなので逆に普通に食べたいかも。


朝食はこの手のホテルには珍しく部屋に出来たてのパンなどと一緒に
運んでくれた。こちらはパンとかサービス自体は嬉しかったけど
全体に味付けが何でも海鮮的になっていてそこまで拘らなくて良いかなと。

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手前のサラダのドレッシングが海海苔たっぷりのお手製だったけど
ちょっとサラダは普通に食べたいかなぁ。ヨーグルトに最初から
ハチミツたっぷり。。僕ハチミツ苦手なので食べれなくなってしまう。
なんかスープももずくみたいな味がして少し残念。洋風は洋風らしくて
良い時もあるので。こういうメニューなら普通にホテルのバイキング
とかのほうが好きなもの取れていいかな。。パンは美味しかった。


到着の当日はスペイン村の遊園施設『パルケエスパーニャ』へ。
夕方くらいだったけど、ナイター的な営業があるし、別に遊園地を
制覇しなくては気が済まない歳でも無い。雰囲気を味わおうかな位で。

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入口から続くアーケード。はて、何処かで見たことのあるような。。

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"エスパーニャ・カーニバル"と題された夜のパレードの様子。
これも激しく既視感が有るのだが。。


コンセプトは明らかにディズニーランドのスペイン村バージョンで
勿論その徹底っぷりという点では前者に明らかに劣る感じ。

アトラクションも微妙なものが多い。ジェットコースターが多めで
一つ凄いのが有って人気みたいだけど僕は余り得意ではないので。

感想もそこそこに戻ってきたら今度はホテルで期間限定イベントとして
行われている天体観測が始まっていた。

僕は当初屋上テラスのあるこのホテルの空へのアクセスの良さと伊勢志摩の
海に近い地理や高層物の無いロケーションを利用してちょっとしたアマチュア用の
望遠鏡で月を少しリアルに見てみましょう程度の話かと思っていた。

しかし、そこで天体観測を案内してくれたのは松阪市天文台で普段は活動されている
天文家自前で用意された、数百万は下らない専門的な望遠鏡を使っての観測ショーだった。

初めの写真に写っているように月の姿を露にするのはいとも容易い事で、実際は
相当なアップ画像でクレーターの深さまで解るような写真もある。

更に肉眼やちょっとした望遠鏡では見ることの出来ない天王星、海王星まで
捉えることが出来る代物だった。

星の検索はコンピュータと接続され、天体情報をシミュレートしたソフトと
望遠鏡の自動制御を同期させる。GPS等緯度経度を合わせた上でこれら機能を
使うと、例えばPC上の天文シミュレーションソフトで木星を指定すれば自動で
木星を探しだしてくれる。その際に望遠鏡も自動的に動き出すのである。
この辺り天体観測を経験してないものには圧巻である。

jupiter01.jpg
この方の天体観測システムにかかれば木星もこんな感じになる。
さすがに地球との距離が10億キロ近く離れているので宇宙探査機で
撮ったような写真にはならないが、それでもこれを目前にすると
宇宙の神秘を感じる。因みに太陽と地球の距離は1.5億キロ位。
そう考えると"水・金・地・火・木"なんて言うけど、火星と木星の間は
そこまでの惑星とは大きく距離が有り、太陽との距離の5倍以上離れている
遠くの星なのである。


月が夜中まで出ている日は逆に遠くの銀河などは月の明るさで見つけづらい
らしく、今回は銀河を見ることが出来なかったのが残念であったが、それにしても
深夜2時過ぎまで続いた観測ショーは多くの宿泊客が遅くまで残って宇宙の神秘を
堪能していた。木星の衛星(木星にとっての月だと思えば良い)まで見えてしまった
瞬間は改めて宇宙観や宗教観が変わるほどのインパクトだった。

そして、木星はやはりあのベージュのマーブルだった。

明けて次の日は最近パワースポットとして人気の伊勢神宮の方へ。
最も僕個人としてはパワースポットとかそういうものは全く興味が無い。
伊勢神宮自体は観光として観ておいたらと事だったので向かおうと
思ったら、この日は雲ひとつ無いお天気で、ヤマタツさんの歌う
こぬか雨のような状況には程遠く、気温も明らかに35度前後有った。

だから着いて車を降りた瞬間から目眩がする程だったのでまず赤福の
店に寄って先にあかふく氷を食べることにした。

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名物"赤福氷"。僕、実は抹茶などのお茶系甘味が苦手なのだが
赤福氷の抹茶シロップはさらっと上品で美味しかった。
要注意?なのは、赤福の餅とあんが別れて中に埋もれていること。
先に餅だけ白玉のように食べてしまい、あんの塊だけ残っていて
これが赤福のように見えるので中に餅が入ってるかと思いきや入ってない!
あんだけ残してしまうと正直くどいのである。


その後、おかげ横丁を歩いて内宮を目指すのだが、とにかく暑いし
汗っかきでも無いのに汗が止まらない。そして途中の香具屋に寄った
辺りからいよいよ調子が悪くなりだし、日陰でしばし休んで考えた。
この日の内に当方は帰京しなければならない。これから少なくとも
4〜5時間の運転が待っている。

「もう戻ろう」

ぶっ倒れたり、脱水症状起こしたり、熱中症にハマったら
まともに帰れない。赤福氷と天体観測が出来ただけでも良かったと。

結局信仰心の無い自分に神社は縁が無いようである。

その後伊勢を離れて東京へ。

渋滞は当初ほとんど無く、盆も越えていたので昼下がりのスタートでも
それほどの混雑には巻き込まれないだろうと踏んでいたが、残念ながら
400Kmを超える道中には何が待っているか分からないものである。

二度の大きな事故渋滞に巻き込まれ、家につくまで10時間近くかかってしまった。
やっぱり車の長距離移動は深夜に限る。。。

まぁサービスエリアで休みながらの長旅もたまには悪いものでは無いということで。

8月は休みもイベントも多かったので更新も多かったかな。
posted by cafebleu at 13:33| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

伊勢志摩天体観測と『Ray Of Hope』そして『Joy1.5』と創作海鮮料理に舌鼓 Pt.1

夏休みが終わる。

今年は久々長めに休めたが、途中伊勢志摩一泊二日旅行の
強行軍も有ったし、ライブも有ったので結構忙しなかった。

伊勢志摩への道は電車だと三重の中でも交通が良い方ではない。
特に関東から向かう場合にはそうだろう。
新幹線で名古屋まで行って近鉄に乗り換えてまた1時間以上だ。

そもそも今回はプロヴァンスという名の宿泊した宿が駅からも遠い上
スペイン村や伊勢神宮(おかげ横丁)への移動などもこなすため
車で行くことにした。まぁ電車移動は出張が多くて少し飽きて
来ていたし、僕の夏休みは盆の終わりからなのでラッシュにも
ぶつからないだろうと、そういう算段。

行きは盆の終わりの夜に東京から出たので快調。
東名高速を順調に飛ばしていく事になる。

そして今回車中のお楽しみは山下達郎さんの新作
『Ray Of Hope』と初回ボーナスの『Joy1.5』
電車の窓広告で出ることを初めて知るほど最近音楽鑑賞音痴
なのだが、それでも休み前は9月頭に予定されている大きな仕事の
事で正直頭がいっぱいで、関係各所への調整に神経を尖らせて
いたので何となく音楽を散策する気にすら最近なってなかった。

でもいつもどおりモダプロの相方が先に入手していて、
教えてくれたのでその経由で。

現在のヤマタツ・バンドの名演が詰まった『Joy』は既に名ライブ盤の
誉れが高い逸品で、濃いヤマタツ・サウンドを満喫できる名盤だが
ここ数年そろそろ続編が出るのではないかと囁かれ始めていた。
特に『Joy』がリリースされた以降のライブにも評判のツアーや演奏曲が
どんどん追加されている状況なものだから。

今回の『Joy1.5』はそんなコアなファンへのちょっとしたプレゼントで
8cm時代の現在では入手困難なシングルCD時代のB面等にそっと収録されていた
トラックを中心にライブトラックをミニ・アルバムにまとめたもの。

それがボーナスで収録されているものだから、ファンの間では最初から
こちらの話題がヒートアップ状態だったようで。

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達郎さんの愛機がただジャケットになっているだけでも
「アァ」としか言いようのないボーナスCD『Joy1.5』

今回はシュガー・ベイブ時代の"はっぴぃえんど"人脈な楽曲の
ライブ・テイクが収録されているというだけでも皆大満足だろう。
「こぬか雨」「砂の女」を高音質のライブ・テイクで聴けるだけでも
胸が一杯になる人も多いのではないだろうか。

実際このボーナス・ディスクのテイクは素晴らしく、聴いてると
達郎さんのライブに行きたくなって落ち着かなくなるくらいなのだが
(車で移動しながら最初に聴いたのもあって余計ライブが心地よかった)
新作である『Ray Of Hope』も2011年、現在の達郎さんをしっかりと
映し出しているという点で素晴らしいアルバムだと思う。



前作『Sonorite』と同様に基本はドラマやCMのタイアップを中心とした
アルバムとなる訳だけれど、それは現在の商業音楽にとって欠かせない
大事な要素とも言えるので、それはそれで良いのではないかと思う。
勿論アルバムで初めて耳にする曲がもっと多ければいいのにという考えも
有るには有るのだけど、それは音楽を聴くこと自体を相応に好きでないと
現在のように趣味趣向の多様化が広がった現代では通用しないのだとも思う。

もはや音楽なんてアルバム(CDやLP)を有難く買う時代では無くなり、
普通にMP3プレーヤーやスマートフォンで音楽を聴いてるものは
ダウンロードで好きな曲だけ買ったりどこかから探してきたりというのが現実である。

さておき、アルバム内容だが、前作でDTMと格闘している達郎さんの姿が
浮き彫りになった感じがしたし、本人もそのようなコメントを載せていたが
今作ではそのデジタルツールをより消化しているのがよく分かる。

固くデジタルなのは間違いないのだが、そのレンジの広さはデジタルならではの
ダイナミックさだし、そこに不思議と暖かみも感じる。それは結局
人間が作るものだからと言えば簡単かもしれないけど、そんな気持ちになる。
そして達郎さんのメロディや歌声のリアルさがそう思わせるのかもしれない。

逆にデジタルでないとこれほど生々しい"こえ"というのも中々記録できない
というのも事実で、そのデジタルに潜むくぐもりの無い"記録"のされ方を
達郎さんがコントロールしているようにすら感じる。これは凄い事である。

最も僕なんかみたいにとうに録音なんかしてない人間が偉そうに云々
言う必要もなく、ハイファイで艶かしい歌声とサウンドを堪能すれば
良いのではないかと、簡単にはそう思う。

アルバムはタイトルの日本語である「希望という名の光」のアカペラ
ヴァージョンからスタートする。ここで最初に聴かれるブレスも聴きどころだろう。
ちなみに『Ray Of Hope』というタイトルは3.11の東日本大震災を受けて
当初予定だったものから変更したとのこと。社会性をほとんど織り交ぜない
達郎さんでもさすがに今回の震災と原発事故はかなり想うところが有ったようで。

映画の主題歌だった「希望という名の光」が結果的に東日本大震災を
受けたあとの人々にとって意味のあるメッセージになっていると言えるだろう。
そう考えて聴いてみると改めて壮大で重いメッセージを持つバラードである。

個人的にベスト・トラックに上げたいのは久々に"伝家の宝刀"を使った
「街物語」である。タメのあるソウル・フレイヴァーなリズムに達郎さんの
メランコリックなメロディが乗るだけでも贅沢というものだろう。

「プロポーズ」はコード展開の妙が楽しめる佳曲。
最初にコードを余り鳴らさないので意識させないように同じコードで
メジャーからマイナーに進んでいくのが妙である。
最初の少し不穏なメロディからサビは堂々のマイナー鉄板コード展開
に進んでいくのがまた作曲として格好良い。音が少ない(ように聴こえる)のも
また良い。マイナーの使い方で作曲家のセンスって出るなと改めて。

「俺の空」はもうコアなファンなら皆喜んでいるだろう。僕も最初これに痺れた。
久々のストレートかつブルージーな骨太ファンクナンバー。歌詞も最高。
本人の弾くリード・ギターもAutoTuneの効果に全く負けない図太いヴォーカルも
ここでは逞しい。個人的には『For You』収録のこれまた個人的内容を歌った
ぶっといファンク「HEY REPORTER!」をすぐに思い起こした。

「ずっと一緒さ」「愛してるって言えなくたって」は月9や日曜劇場などの
主要ドラマの主題歌を担った売れ線なバラード群で、本人もバラードを
期待されるので、何曲もアルバムにバラードが入ってしまうと言っていた。

売れ線といえば売れ線だけど、やっぱり達郎さんのバラードは素晴らしい。
それだけは事実だと思うし、これは売れるだろうと思う。ドラマを見てないけど
そのドラマの質を2割くらい高めてくれる、そんな重要な役割を果たしてると思う。
クライマックスシーンでこれくらいの曲が流れば印象に残るだろう。
既に「売れて何が悪い、それが商業音楽だ」という貫禄すら感じる。

「HAPPY GATHERING DAY」は軽やかなシャッフル・ポップ。
僕は何となく「パレード」を想像してしまった。文句なく名曲の域。
ライブでも聴いてみたい。

「いのちの最後のひとしずく」はタイトルから胸に来る文語的な表現。
僕は達郎さんや、彼の楽曲に提供した歌詞が好きなのだが、それはとても
文学的だからである。そういう歌詞であれほど音楽的で洋楽の横風を受けた
楽曲に溶け込ませているのは美しいと思ってしまう。

僕は幼少の頃から洋楽を聴いて育ったので、ある歳まですごく邦楽から
聴こえる日本語が苦手であった。やっぱりポピュラー音楽は英米からの
借り物のフォームだと考えてしまっていた。

だけど、それを一番解消してくれたのは間違いなく山下達郎さん。
美しい表現を素晴らしいメロディに載せれば楽曲も歌詞も決して
褪せることは無いのだなと強く思った。

桑田佳祐さんも全く逆の手法で邦楽の中に日本語を丸め込んでしまったが
その手法は全く逆なのが面白い。

まるで英語を聴いてるかのような錯覚にすら陥る桑田佳祐さんの楽曲と
口語では使わないくらい文語的で、少し古臭いくらいの文学的な表現を
しっかりとメロディの中で歌い込んでしまうのが達郎さんなのである。

それが出来なければ、伊藤銀次氏の曲だが「こぬか雨」なんて表現で
あれ程格好良く決めてしまうことなんて出来無いと思う。

だから僕は達郎さんの楽曲は日本語の歌のほうが好きである。

閑話休題、「いのちの最後のひとしずく」なんて表現を歌に入れるのは
やりたいと思っても中々出来ないものである。女性的な視点の曲を男性が
歌うスタイルも古典的で僕は結構好きなのである。
ちょっとAORっぽい雰囲気なのもこのアルバムのスローな雰囲気に合ってる。

このアルバムを聴いていると改めて歌を日本語で歌ってみたくなる。
日本で僕が最も美しいと思うところは、"ことば"そのものである。

『Joy1.5』についても少し。

「素敵な午後」のスローで濃密なバージョンで始まるのだが
もう大半の信者(あえてこう書く)はノックアウトだろう。
ここではスタジオ盤の数倍濃ゆい達郎さんのヴォーカルを堪能しよう。

「ビッグ・ウェイブのテーマ」では最初の神経質で不穏な緊張感溢れる
イントロから少しづつ開けていくところが楽しい。

「こぬか雨」と「砂の女」については前述したとおり
多く書く必要も無いだろう。シュガー・ベイブ時代の名曲を
素晴らしい演奏と音質で。「こぬか雨」、改めて素晴らしい曲だなと。
70年代の夢に溢れたアレンジとサウンドである。
「砂の女」のヤマタツ・バージョンでお馴染み「冗談は〜顔だけに〜♪」も
勿論健在。この曲近年のライブでもやっているようで聴けたら卒倒してしまいそう。

最後は色んな意味で意味が有りそうな「アトムの子」の超絶テイクで。
ドラムの凄さもさることながら、歌の後半のMCがしゃべりなのに
リズムに乗っていて、達郎さんのリズム感は恐ろしい。

アルバムの話だけでこれだけ書いてしまったので旅行と天体観測の
話はまた、そのうち。

明日は初日から大きな案件の準備が始まる。
posted by cafebleu at 01:34| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 山下達郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

縁(えにし)

縁とは偶然でもあり、必然でも有ると思う。

まぁ宇宙的な見方をすれば全てが偶発的で必然的なのだ。

休みの初めは遂に長らく逢うことの叶わなかった旧友との再会から
始まった。彼のことは以前ここでも題材にしている。

最後に会ったのは間違いなく2003年。それ以来ぷっつりと連絡が途絶えた。
こちらからたまにメールはしてみるものの返事はなしのつぶてだったので。

それから随分と時は流れ、去年唐突に彼からメールが来てからも既に1年近く。
車でどこかに出掛けたいので車で遊びに来ないかという一言からようやっと
再会が実現した。

ちょうど休みの始まりだし、良いタイミングだ。僕は車を走らせ江戸川区まで。
僕は大田区在住なので、東京の西から東へ横断するような感じ。
ま、それは珍しいことでもない。僕の友人は下町在住も少なくないので地理も
さっぱりと言うことは無い。

そして8年ぶりに会った彼はそう変わらなかった。相変わらず痩せていて。
喋りが以前よりぶっきらぼうでは無くなったような気もするが、それは
僕らがいい大人になったからだろうし。

彼からのリクエストはとにかく車で遠くに行ってみたいとの事だった。
江戸川方面から簡単に遠くに行くなら、得意の神奈川横浜方面よりは
千葉のほうが近いし真当な感じがする。

という訳で、これもドライブの定番コース?と言われる海ほたるまで向かうことに。
普段車に乗らないのなら比較的貴重だろうし。

道中色々仕事や私生活で思うことなどをお互い話しつつ。

でも段々懐かしい話に向かうもので。高校時分は毎週末家に遊びに来て
一緒にギターを練習したことや、僕がバイトしていた喫茶店の裏で
音楽やバンドについて語り合ったこと。そんな事を話していた。

彼はヴェセルズの原型と言えるバンドに参加していたし、初期のライブにも
1,2回参加していたのだが、色々な事情で途中からは離脱した。
その後も途中まではライブにも顔を出してくれていたりしていた。

人生とは偶然ながらも不思議に思うのは、彼が離脱せずにウチのバンドの
リードギタリストを続けていたら、僕は今の相方と出会わなかったかも
知れないということだ。最もドラムの子が掛け持ちしていたバンドの
ギタリストが今の相方なので、会っては居たかも知れないけど
バンドにギター3人は有り得ないだろうし、その後の作曲や宅録を含めて
濃密な音楽的繋がりが有ったから、今の同職種での仕事という公私混同まで
極まったわけだから、人生とはとても数奇なものなのである。

この幼馴染の動向次第で僕も、今の相方の人生も大きく変わっていたのかも知れない。

そして、ここで再会したことで、また僕やこの幼馴染の人生観は変わっていくのである。

ギターも全然弾いてないと言っていたが、僕の家で猫に気を取られながらマーチンで
奏でていたギターの音色は、相変わらずスクイーズ・スタイルの影響が感じられる
ショートセンテンスなリード・ギターだった。
ギターは一度弾いたら弾けなくなることはそう無いから。

彼は当時貴重なギターを沢山持っていた。ひとつはカスタム・ショップが限定で
出した'57ストラトのカスタム仕様である。このギターはソフトVのメイプルネックに
3トーン・サンバーストのアルダーボディと言う、知る人ぞ知る、
デレク・アンド・ザ・ドミノズ時代のクラプトン仕様、"サンバッキー"である。
これは本当に良いギターで、カスタム・ショップのロゴも古いバージョン。

あとはES-335や175と言ったギブソンの定番Fホール系ギター等

その後335や175はギターも余り弾かなくなったので手放してしまったそうだが
その代わりと言っては何だが、ホロウ・ボディのギターが欲しくなって
エピフォン・カジノの中古を手に入れたそうだ。

ビートルズにもウェラーにも余り興味のない彼がカジノという選択は意外な
気がしたのだが、335のサイズで175のようなフルホロウ・ボディを持ち
P-90のピックアップを装備しているのはカジノかES-330辺りだろうから
そういう実践的な意味で購入したということになるだろうか。

まぁカジノはそのルックスの良さと音色からジャズ系の人にも好まれる傾向が有るが。

そのカジノ、中古というせいもあって、弦のビビリとネックの反りが気になると言う
話になり、ちょっと診てもらって直せたら直してよなんて話になった。

彼はギターのメンテは奏者がやるものではないという考えなので。
まぁ最も僕はリペアよりは演奏のほうが専門だが、フレットの打換以外はほとんど
自分でやるほうなので診てみましょうと。

そして預かったカジノを見て違和感を。

友人から日本製のカジノだと思うとの話を聞いていたので僕は当初てっきり
80年代後半から90年代半ばにかけて製造された、寺田楽器製のカジノかと
思っていた。僕もこの時期のカジノを高校時分には所有していたし。

しかしケースを開けてみると、まずサンバーストの色味が近年のカジノと異なる。
端の黒い部分が近年のカジノ(韓国製やElitestカジノを含む)に比べて薄い。
よって、濃色の部分からも木目が見えるのである。最近のカジノのサンバーストで
こういう色味のものは無いと言ってよいだろう。

casino01.jpg
赤みががって明るいサンバーストなのが写真からも解る

そしてネックを見て更に驚いた。本来カジノはネックが濃くて木目の見えないような
色で塗装されているのだが、このカジノはネックが透けるような塗装。
しかもその木目から明らかに本来カジノで採用されているマホガニーでは無い。
恐らくメイプルネックな上、3ピース構成である。

casino04.jpg
まるで使い込んだギターのようなフィニッシュに見えるが、触ると全くそういう事もない

またそのネックは近年の所謂「'65カジノ」をモチーフにしたようなナローネック
ではなく、かなり太めのネックである。

この独自で定番からかなり外れた仕様は恐らく70年代後半から80年代半ばまで生産されていた
マツモク工業製のカジノと見て良いだろう。

マツモク工業製のカジノは今から見るとだいぶ独自仕様が多く、ギンギンの
キルテッド(バーズアイ?)メイプル仕様のカジノなんかも流通していたようだ。

「ギター弾き.com(guitarhiki.com)」
ここで紹介されているマツモクカジノは既にカジノらしさから程遠い煌びやかさ

何故この時代のカジノがシェイプや木材にこれほど個性的なのかと考えると
時代のせいではないだろうか。このようなライセンスを借りて別の国で生産
する場合、近年なら詳細のスペックシートや寸法などはきちんと渡されているだろうが
70年代当時だとその辺りが曖昧だったのかも知れない。
特に色味なんかは最たるもので、借りたカジノの明るいサンバーストなんかは
間違いなく当時のビートルズの東京公演の色味の強いカラー映像なんかがモチーフに
なっているのではないだろうか。

ネックの3ピースメイプルは謎だが、当時のカジノの中にはわざわざメイプルなのに
マホガニー風の濃色塗装がされているモデルも有ったようなので、もしかしたらコスト的
な理由で当時はメイプルのほうが安価だったのかも知れない。特にこのカジノは3ピース
仕様なのでそういう推測が成り立つ。このネックが3ピースなのはネック強度を考えた
とかそういう物では無いような気がする。

しかしマホガニーとメイプルでは大分音色が異なるだろう。実際軽く弾いてみると
出音は大きいけど、ネック周辺は音が結構硬い感じ。ギブソン系特有のネック周りの
柔らかい音の立ち上がりではなく、硬質な感じといえば良いだろうか。

さっそくビビリを調べてみるが、まず異常に弦高が低くセッティングされていて
これでは致し方ないかなという感じ。低音弦と高音弦の高さがほぼ一緒だし。
後はネックはメイプルだったことも幸い?して、思ったよりは反ってないのだが
(もしマホガニーネックで弦をチューニングした状態で放ったらかしていたら大体アウト)
やはり低音弦のテンションが強いのでねじれ反りを起こしていた。

その証拠に、オクターブピッチを合わせてみると、6弦がだいぶフラットしていて
それを合わせると5弦より駒が手前に来てしまうほどのねじれである。

これはまずトラスロッドを少し回して、しばらく弦のテンションを与えないようにして
徐々に直していくしか無いかなと思う。僕のES-335と似たような症状である。

あと、このカジノはリフレットされた可能性が有る事も記しておこう。

正直マツモクカジノはカジノというギター自体を愛するものにとっては魅力に溢れた
個性的な仕様なのだが、近年出ているElitestやUSA製の'65カジノやレボリューション・カジノ
に比べてるとスペックはカジノらしくない、マツモク独自仕様なのである。
特に韓国製のカジノはともかくとしても、近年はジョンやポールが使っていたカジノの
詳細というのは細かく伝わっているし、ビートルズはマニアの中のマニアが多くいるので
そういった人達の尽力も有って、例えば一番仕様が異なるポールのモデルだって
Withから限定発売されているわけだから。その辺りは4年ほど前に僕が書いた
「ビートルズ楽器論」でも色々と書いているので。

しかし、何よりもこのカジノはルックスが良い。明るいサンバーストがこれほど
似合うとは思っていなかった。しかもこの色味が僕にはビートルズ云々というより
むしろポール・ウェラーのカジノのように思える。ウェラーの愛用するカジノは
サンバーストだが経年による退色のせいか明るめで、マツモクカジノと近い。
最もウェラーがマツモク工業の日本製カジノを使っている事は無いだろうけど。

PW_Casino.jpeg
90年代以降のウェラーを好んでいるならカジノと言えばウェラーだろう。
正直Jam時代のリッケンより遥かに長くメインギターとして愛用している。


どちらにしても古い友人から思いがけず渡されたギターなので、ステージで使えるくらいの
コンディションに直してあげて、一度くらいステージで使ってあげたいと思っている。
一番は本人がステージに戻ってこのギターを弾いてあげることなんだろうけど。

しかし、僕はカジノと縁が有る。最初のカジノは父親が何処かに持って行ってしまったし
二度目のElitestカジノはお気に入りだったけど、諸事情で売却。後は僕のではないけど
相方だって一時期レボリューション・カジノを持っていてステージで僕が弾いたこともある。
そのどれも音が結構違うのもカジノらしいのだが、またしても個性的なカジノが登場だ。
自分のものかどうかはともかく、離れても戻ってくる、カジノはそんな楽器なのである。

しかし、アコースティック・ユニットでは僕がアコギでしっかりリズムを作るのが
大きな役割なので、すぐには難しいかな。ベースとパーカッションの夫婦コンビが
戻ってくるのを待ってからにしようか。

今回は友人のギターの話で。
posted by cafebleu at 12:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月13日

大坂上と日産生命、或いは代官山にて

夏休みが始まる。

ここまで忙しかった。

今年が僕のパートのクライマックスでは有るのだけど
そんな時に限って基本一人でやっている訳だから。

僕は小さな会社だろうが大きな法人だろうが結局
独立独歩な方向性に行くのだなと改めて思う。
それは自薦、他薦問わずという感じである。

子供の時分から仲が悪い人は少なかったけど
何かをする時は集団には居ないで一人でと言うのが多かった。

仕事の場合は好きで一人でやる(やらされる)というのは少なく
大体企業の都合というか、近年の景気の芳しくない時勢を反映
して結果として少ない人的リソースでやらされるというのが実情である。

前から書いている通り一先ず夏までの退職騒ぎは収まったけど
未だ僕の心の中では燻っている、煮え切らない感情が有るのは確か。

それでも残っているのはきっとここに何かが有るからで、
それはリーダやマネジャー不在の状態が結果として部署の平職員の中で
最も放任されているという自由も手にしているとか、企業のカラー的に
寄らば大樹の陰的な安心感、つまり手にする物は大した事でもないが
その収入は働いていれば間違い無く手にすることが出来るという安堵も
有るかも知れない。

しかしながらウチの業界で長く続く不況の煽りをいよいよ強く受け始め
比較的ドラスティックな人事制度のネガティブな改革が行われ始めた。
だから後者の話はそろそろ旨みも無くなりつつ有るし収入も減る。
肩を叩かれ去って行く者も増えるだろうし、自分だって他人事では無い。

ただ以前も書いたが何よりも愛着を持っているのは間違いなく自分が
3年半に渡って面倒を見てきたネットワーク・インフラそのものだと思う。

その話は繰り返しになるけど、僕が担当になってから3年半の間
機器は比較的老朽化しているにも関わらず、大きなトラブルもなく
良く動いてくれていた。そして間もなくようやっと全体的な
リプレイスを行う。例えこの先ここに居るのが長くなくてもこれだけは
一番気がかりだったので僕が居る内に良くしてあげようと思っていたというか、
このリソースの有る場所は僕にとっても特別というか。

ネットワーク(ルータやスイッチ)とが思えば僕をこの世界にいざなって
くれた訳だし、技術者としての自分は機械にも愛着を持っている。
だからこそ居る内に良くしてあげたいというのは少々幼稚な考えなのかも
知れないけど、この技術に曲がりなりとも携わってきた人間として理に叶うと
思っている。

でも、ここへの愛着というのはそれだけだったろうか。

実はこの施設から100mも無い処に幼稚園が有った。有ったというのは
当たり前だが既に無い事を意味する。僕はこの幼稚園で育った。
言わば思い出の地なのである。

幼稚園時代というのは、記憶が明瞭になってくる小学生時代に比べれば
曖昧な事も多いかも知れないし、実際自分もそうなはずだが、この
幼稚園時代の記憶と言うのは大変楽しく、充実した時代だったようで
断片的ではあるがそこかしこに記憶が住み着いている。

年中から入ったので年月にしてたったの2年だったのだけど、
幼稚園での生活というのは本当に楽しかったと記憶している。
初恋(というか、こう小さい頃は女の子の方がおませさんなので強引にと言ったほうが良い)
の相手は幼稚園児なのに(だから?)積極果敢で僕は恥ずかしくて逃げてしまうので
良く追い掛け回されていた。この子はとあるきっかけから細く長く20歳前後まで
文通のようなものを続けるのだが、それはまた別の機会に。

でもここでの楽しさというのは友人もさる事ながら、園長先生との記憶である。
この園長先生、個性的な中年紳士と言った風情で、仏教制の幼稚園だったので
恐らく和尚だったと思われるのだが、ギンギンにチューンナップされた
三菱ジープを愛車にしており、それが園の入り口に停められていて
僕はそれを眺めるのが大好きだった。派手なカラーリング、幌仕様、
B.F.グッドリッチのホワイトレターなど、子供が見ても分かりやすい?
ルックスが今でも忘れられない。

勿論いつもはスクールバスで通っているわけだけど、僕はこのジープで
何度か送ってもらったことが有った。それは単に帰りのバスに良く乗り遅れて
気がつくと園内に一人取り残されていると言う自分のマイペースさが生んだ産物なのだが。
蝶々や草花に気を取られるとすぐに団体行動を忘れてしまう子供時代だった。
(この頃から意外と団体行動が苦手であることを示唆している)

それから園長先生とも大変仲良くなり、卒園後も親子ぐるみで付き合いがあった。
家も父の趣味が高じてアウトドア好き家庭だったし、幼稚園の最後か小学生の
初めには子供用のモトクロスバイクを利用した少年モトクロスなんかも
やらされていたし、家にもジムニーが有ったし、
従兄弟の父親(叔父)もランクル、ハイラックスを乗り継いでいる有様だった。
(ジムニーは悪路だとその軽量さも相まって、向かうところ敵なしのNo.1なのである)

だから園長先生のジープと一緒に富士山の林道なんかを走りに行ったものである。
因みにランクルとハイラックスに乗っていた叔父はこの前亡くなり、日記でも紹介した。
家は後にダットサンのWキャブ4WDなんかにも乗っていた。何気にアウトドアな家族である。

これだけの思い出が凝縮されていた幼稚園が廃園になったと聞いたときは
とっても残念であった。結局小学校高学年からはあまり会わなくなっていたので
それっきりになってしまったのも未だに心残りである。

家の家族模様も紆余曲折経て変わり、幼稚園も無くなり、叔父も亡くなった。
直接関係ないが、この付近のシンボルだった日産生命も無い。

時間が過ぎたものである。その中で僕は今の職場がきっかけで再度この場所に
訪れることになった。

世間で見ればだからどうしたという向きも有るだろうが、僕個人にとって
思い出の場所の近くで仕事が出来るのはノスタルジックな想いが時折
心を巡るという点で悪く無い話である。僕は色んな事情で故郷を無くした
人間だから、失ってからよりそういう物が大事に思えるようになったのだけど。

今日は会社の愚痴かと思いきや、思い出話で。

さて、夏休みが始まるな。今年は長くとれた。一人(と猫)で何をしようかな。
posted by cafebleu at 03:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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