2011年06月24日

That Day Is Done 〜ふりむかないで〜

先週から今週は本当に色々有った。まだ終わってないけど。

18日はポールのバースデー・イベントに参加。
これは忙しいけど楽しい話だからいいとして。

先ず家庭的な話が一つ。まぁこれは取り敢えず
着地点が見えたというか、これしか無いというのか。

もう一つは仕事のこと。

ちょっと仕事で業務量と人間関係で疲れてしまった。

最も業務っていうのは忙しくて当たり前の年代で
今の時勢を考えれば特に咎められることもなく残業も
出張も容認されている環境は考えようで感謝しなくてはならない。

確かにここのところの人員整理もあり一人での業務が異常に
増えたのは苦しいのだが、それくらいではすぐにはへこたれないんだ
意外とタフだから。

だってここに来るまでの道のりのほうが遥かに辛かったもの。

それについて今書いていても長くなるから置いておくとして
やはり堪えたのはサラリーマンとしての人間関係だった。
これは経験が無い感じで。

僕がサラリーマンというか、エンジニアとして普通に会社勤め
するようになったのは20代後半からだけど、それとてもう10年近く
経過している。最もそれまでは通信キャリアであるとか、
ITベンチャーみたいな、それらしい職場に居たので余り人間を
気にする必要が無かったといえばいいんだろうか。先ずは技術が
無いと話が進まない環境なわけで。

それ比べると今の職場は一般企業(厳密には異なるけどそんな感じ)の
中のIT部門なわけだから、少し話が異なってくる。
先ずはサラリーマンとしての上下関係や人間関係がとても大事な要素。
これは真っ当に社会生活を送って来なかった自分には未知な部分も。

毎日コンビニで深夜に働いて、夜な夜な作曲して、休みは
デモ録音かバンド練習しか経験が無かった訳だから勝手なんて
知りようが無いだろう。全くもって自分のせいだが。

とは言っても基本はコミュニケーション能力が第一だから
その辺は独特の間合いを持っていると認識してるので、個性的では
あるけれどそれも良い触媒になって時間と共に溶けこんでいった。
今の職場は敵だらけどころか、程度の差は有れど皆と仲良くやってる。

ところがこの独特のコミュニケーションが逆に自分を苦しめていたと思う。
それが一部の人間関係の中で必要以上の干渉を生んでいた。

僕は基本職を辞する覚悟で今週から強引に休暇を取ることにした。
ここに来てからというもの、至って真摯に業務をこなして来たので
恐らくは現場にある程度インパクトを与えることは承知の上でだ。

病院でも以前から自立神経失調症の傾向があると言われていたし。

仲間には申し訳ないけど、これしかもう方法は残っていなかったんだ。

思えばここに来てからの3年間というのは、仕事としてはひたすら
突っ走っていたと思う。それは単純な労働時間とかではなく、
その内容である。今までに無いことの連続で、そういう意味では濃い3年間だった。

入って数カ月で前任の実質技術責任者が突如退職、しかも辞意を
表明したその日での退職劇という企業のカラーを考えると有り得ないような
辞め方で。そして引継ぎもないまま現場の技術担当を一任されて手探りの日々。
覚えては取り敢えず表にしたり、自分なりに図に起こしたりしていたものの
実質一人減っているわけだから、段々通常の業務自体が重くなってきた。

その後とある基幹のIT化プロジェクトが始まり狂騒がスタート。
途中からさすがに現場の人間が足りないだろうという機運が高まり
久々の増員枠をすかさず自分の身内を紹介して埋めることに成功。
しかし、それも思うような展開にはならず、僕のチームから相方が
外されてしまい、こちらのチームはまた手薄に逆戻り。

相方のチームもはっきり言ってユーザというか他部署に新システムを展開
する為ひたすら頭を下げているようなチームで(リーダーにも原因があるが)
人出もとても足りてるとは言えない状況で混乱をきたしていた。

こちらもその後、事務的な派遣要員が実質リストラに近い形で去って
いよいよ二人しか居なくなった。しかもそのバランスがおかしくて
次長と平社員だけのチームみたいな状態だ。課長以上を意識している
たった2人チームの長とそれ以外。こんなんで現場が回るわけはないのだが。

会社のカラーを考えれば、僕みたいにそこでは異端に成り兼ねない
人間を拾ってくれた事、この会社で無ければ学べなかったことなどは
沢山あるし、感謝もしている。そして僕が面倒みているインフラ環境は
大分老朽化しているものも有る中で結構踏ん張ってくれていたし、
時間をかけて頭に同期させた環境にも愛着が有るのは間違いない。

しかし、それを差し引いても耐え難い気分になっていた。

僕としてはボイコットは最後のカードで、そのまま休職、もしくは
退職を覚悟しての行いだった。

そうは言っても若い頃ならともかく、今の僕は30代中盤な訳で
ただ会社から逃げていても支払うものだって有るし、生活もある。
今更この暮らしのスタイルを変える訳には行かない。

だからどうなってもいいように動きながらの行為だった。

僕の中ではいくつかのシミュレーションは出来ていた。

一つは比較的退職を許容されるパターン。

うちのチームというのはとある理由から人件費がかさんでいる
しかしながら、人数は少ないのである。そこで現場の主担当である
僕が去る事により、チーム全体が不安定になることは眼に見えていた。
僕が去ればチームの責任というのは長職に向かうことになる。
そうすれば、一時運用は不安定になるものの、大幅なコスト減が
期待できる。ネットワークエンジニアなんて何処にでも居るのだから
また採用すれば良いことだし、遅くとも半年ほど時間が有ればいつかは
うちの仕組だって覚えていくものである。

もう一つは引き留められるパターン

自分に溺れているとかではないが、正直に言って今のように人件費を
削減しながらこの規模のインフラを属人的なもので賄っている現状、
僕が病んで引継ぎもなく去るというのは余り思わしい自体ではない。
少なくともそれくらいの仕事はこの3年文句も言わずにこなしてきた。

引き留めで先ずあり得るのは、引継ぎを用意し最低限の運用を
トランスファーするまでの3〜6ヶ月程度は何とか続けて欲しい。
新しい案件や人的なプレッシャーはその期間出来るだけ作らないようにする。
と言ったような、一番会社らしい折衷案である。

これは正直に言えば会社の都合でしか無いのだが、大人としては
こう言った案にも一考しなければいけないのではないかと思う。

もう一つは、原因をある程度究明した上で、チーム編成や要員等
こちらの望む業務環境に少しでも近づけてもらう案である。

これが会社を辞めないと決断した場合、一サラリーマンとしては
最も理想的な解決案だろう。

万が一僕がこの質問をされた場合、残る条件として考えていたのは

・同じネットワーク系でももう一つある別チームに移る(引継ぎまでの兼任は一考する)

・IT系の別部署、地区に移る(これは部署や地区によっては物理的に受け入れられない)

・グループ企業の方に転籍する(これだったら自分で打診か応募したほうが早いかも)

これくらいだろうか。随分な条件だが、それくらい辞める覚悟は出来ていた。

果たして、結果はどうなるのか。

それはこの週が終われば見えてくる事である。

でも、僕はこの企業に愚痴ばかりは言いたくない。
去るとしても結果論だがこれほど視野を広げてくれた事には
感謝して、少しばかりだが得も享受出来たのだから。
転職するにしてもきっと生きてくるものは有る筈。


---

ここまで書いて放置していたが、結局もう少し残ることに。
辞める辞めるとここまで何回も匂わせてきたが愛着も有ることも
吐露してきたと思う。

どういう結論になったかはまだ確定していないし
そうそう公開も出来ない話だけど、もう少し、やり残した事を
整理して、先ずは秋を待とうと思う。

仕事的には今がクライマックスだけど。
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2011年06月17日

大阪出張 Pt.3 〜Finale〜

先週は再度大阪へ。さて、4月から数えて何回目か。

最近は大抵一人で上阪し、現地のスタッフと仕事をするか
もしくは本当に単独で淡々とネットワークを構築してるかだけど
今回は東京から二人で向かった。

行きの電車は喫煙者である自分にとって今や貴重になった
喫煙車両のある新幹線で。
東海道新幹線だと最新のN700系では既に喫煙車両は存在せず
(喫煙ルームはある)、自席では吸えない。

そんなに比較的当たり前の話で、そもそもJR東日本の長野新幹線や
東北新幹線では随分前から喫煙車両なんて無くなっている。

それでも東海道新幹線はその距離の長さなども有ったのか
近年まで喫煙車両が有ったが、ついにN700系で途絶えた。
現在新幹線のぞみのほぼ9割はこのN700系で運行されており
ほとんど喫煙車両は存在しない。

何も僕だって必ずしも席で吸えないと耐えられないとは言わないし
喫煙ルームが有れば通常なら問題はないのだが、一人でしかも仕事で
乗る場合、荷物が気になってくる。PCを盗まれたらうちの企業では
大問題だし、財布は手にするとしたってやっぱり一人だとカバンとかも
心許ないでは無いか。事実新幹線って意外と置引が多いのである。

だとすると自席で吸える喫煙車両って助かる。隣も吸う人な
訳だから煙も気にしなくていいし。

先述のとおりのぞみの喫煙車両はN700系ではない車両で運行された
時のみ存在している。僕はその少ない車両を狙い撃ちしていつも
席を予約している。快適のための準備には事欠かない方が後で後悔しない。

という訳で今回同行している同僚も喫煙者なので僕任せで出張の
プランを進めた。一度彼がリードした飲み会で心底嫌な思いを味わってる
ので彼と動くときはなるべく自分で行動を考えるようにしている。

彼は新幹線で久々の喫煙車両に乗れて最初からテンション高く、
席で吸えるタバコにご満悦になりながら雑に灰を捨てて隣の人の
スーツに思いっきり灰がかかっていた。僕はそれが気になったが。。

まぁ満足しているならいいか。

早速到着早々マック(あちらではマクド)でもいいし、そうじゃなくてもいいし
と言うので、彼は久々に大阪入りなのだからそんな何処にでも有るのを
いきなり食べるのはどうかと思うので無視してお好み焼きをランチで
食べられる店に。僕は明石焼きを食べた。まぁこの店は普通って感じ
だったけど、仕事とは言え、少しは大阪の風を感じても罪は無い。
そういう気持ちで。

仕事は見事に捗らず、Forefrontの導入に全くナレッジ無しで挑んで
玉砕している(インストールすら必要な環境が整ってなく進まない)
同僚にやや言葉を失いつつ、自分はこの前残した仕事を確認していた。

仕事の話はこれくらいにしておき。

今回は移動の関係も有り千里阪急ホテルを宿にした。
千里阪急ホテルはビジネスホテルでは無く、婚礼などにも対応した
落ち着いた雰囲気のあるホテル&リゾートと言った風情。
実際チャペルなども豪華で高さは余り無いが横に広い作りは
余裕の有る感じである。

しかし、伊丹空港からのモノレールと、新大阪から来る御堂筋線の
乗り換えポイントでも有るので、平日はビジネスで利用する客も居る。
そういった層向けの少し贅沢なプランが結構安いので有難い。

出先での外食が大好きな同僚も居たので今回は夕食に食べ放題
バイキングのプランを予約した。平日ならかなりお得である。

梅田や難波に居るなら全てをホテルで賄わずとも夕食くらい
何処か出掛けたほうが大阪らしいモノが食べられるが、千里中央
付近はどちらかというと北大阪の上品なベッドタウンという感じ
なので、駅前以外に余りこれといった歓楽街は無いし、その駅前も
大阪らしいかと言われればそうでもない。

何といえば良いだろう、たまプラーザみたいな田園都市線系の
富裕層の住むベッドタウンに近い町並みなんじゃないかと思う。
実際駅前も高級なタワーマンションなんかが目に付く。

そういう訳で、今回は外にでないで美味しい物をという
コンセプトで阪急ホテルのレストラン内でバイキングを。
阪急グループは関西では安心のブランドという位置づけだし。
関東で言うなれば西武(プリンス)グループ?

早速チェックイン後食堂へ。当初あくまで宿泊代に含まれたプランだし
そこそこの物が食べられれば十分なんて考えていたけど、中身は
想像以上に豪華だった。

先ずサラダの充実は当然なのかも知れないが、おかずも肉類を
中心にかなりの充実。和食も多少は用意してあるが僕は食べきれない
からスルーした。ジャンバラヤみたいな炒めご飯も有るし
前菜もローストビーフやマリネなど大概揃っている上に取り放題。

個人的には気になるスィーツも、焦がしカラメルをあしらった
バウムクーヘンや各種ムースなんかを5種類くらい取り揃え。
これは個人的に嬉しかった。

ここの一番の売りは、言うとその場で焼いてくれるサーロインステーキ。
勿論食べ放題の中のサービスなので一回の量は多く無いのだが、
これが想像以上にジューシーで美味しかった。

何となくこういうサービスは暗黙の了解的に何度も何度も貰いに
行くものではないような気がするし、一応高級ホテルの部類に
入るので、客の品格も問われる気はするのだが、同僚は3回おかわり
していた。。。最後は気持ち悪くなっていたが。。。

hankyu001.jpg
まだ食べる前の取り始めの状態である。
僕の取ったものは手前二品である。後は同僚の。
最初からポテトが重複していたり制御不能の
バイキングの始まりを示唆している。

この後ナンカレーと寿司盛り合わせを食べて
完全に暴飲暴食の部類に突入していてく30代中盤。


まぁ冗談?はこの位にしておいて、普通に美味しいし、
食べがいも有って仕事の疲れを忘れる楽しいひと時だった。
同僚もお決まりのセリフ「こう言うの大事」と言っていた。

hankyu003.jpg
部屋は空きが有ったのかモントレに続いてツインにしてくれた。
写真では伝わりづらいがここのツインも広くて快適だった。

新しい建物ではないのでピカピカではないが落ち着いた佇まい。


hankyu002.jpg
部屋から中庭を望む。

今回はいつもの一人旅では無く、同僚と過ごしたので
いつもと違う感じで大阪の時は流れて行った。

帰りは中途な時間に電車に乗ったので、夕食をどうするかと
食べ物の話ばかりが最後まで終始したが、僕がそれなら神戸屋の
パンでも買って食べようかと言ったら
「神戸屋でなくてもいいし、神戸屋でもいいし」との
事で(別に強制したわけではなく各々買えば良いという意味だったが)
さっさと神戸屋から遠のいてしまったので僕は神戸屋を
買えず仕舞いで大阪出張は過ぎて行った。

さて、出張も一段落か。

そろそろこの職場を離れる時が近づいてきたかな。
色々お世話になったけど、そういう時期が近づいてきてると
そう感じている。
posted by cafebleu at 02:41| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

Friends

震災直前にほぼ書いていたが、それが起きて
もうそれどころで無くなったので放置していた
ものに文末を付けた物である。



オフに友人と会う事って普通どのくらい有るのだろう。

勿論僕にはバンドが有るのでそこでは間違いなく
いつも話に出てくる相方と顔を合わせる。
彼とは職種どころか仕事も一緒なので公私共に
顔を合わせているのである。彼は色々な意味で
人を愉しませる事ができる人間なので僕は飽きもせず
彼と過ごすことが出来る。性格は違うが生まれ育った
環境に多少の共通点も有って、互いの意識が共有できる感じ。

僕も彼も一人っ子だから分かってないだろうけど
兄弟とは違う意味であぁ、そうだよねというものかな。
逆に血縁だと素直に受け取りづらいことが他人なので
すっと入るときって有ると思う。更にその思想が全く同じで
無くても理解できる時が多いのである。

最も僕が一歳年上というのも有って気を遣ってくれてる
面も間違いなく有るんだろうけど。

まぁ彼の話は良くしているのでそれはそれとして、
バンドなど趣味の活動が有るのでそういう場面で必ず
友人に会う機会にはなってる。但し、バンドというのは
基本的には音楽を皆で演奏するのが大前提なので、必ずしも
普段会う時みたいに会話をしているとは限らない。
互いに忙しい中で練習に入って何時間かやれば、一日も
あっと言う間に過ぎていくので話もそこそこに帰ることが多い。
だから仕事までとは行かなくても意外とパブリックな感じも
するし、実際メンバーの個々では付き合いが浅い人だっているし
メンバー募集みたいに元の縁は遠い中で知り合うことだって有る。
(それが10年を超えたような仲間が僕は多いけど)

純粋に仕事や音楽を除いた時、友人と会うスパンってどの程度だろう。
1ヶ月に1回くらいか、もう少し下回るか。従兄弟を入れたら
もう少し上がるか、でもそれを友人とカウントしてしまうとうちの
ように偶然にも従兄弟が全て同年代かつ全員東京都に居て皆車の
ような機動力を持っているなんて例は多く無いはずなので。

それも家に来て少し話したり食事をするとか、地方の友人なら
近場まで来たので近くの駅で少し会って話そうよとかそんなのだろう。
基本酒を余り飲めないので帰りにおち合って深夜まで泥酔とか
そういう経験はほぼ皆無である。

逆に休日に友人と綿密に計画して出掛けたことは?となるともう
昨年まで遡らないと記憶にない。勿論これにいつもの相方と
ギター物色に行くという話は含まないでおいたほうが良いだろう。

昨年初夏に友人夫婦と当時乗っていた大人4人が乗るには広いと
言えないMINIのコンバーチブルに満乗りして、一日オープンドライブで
千葉やら神奈川やら行ったのが最後じゃないだろうか。
敢えて広くないMINIに満乗りして、広い空を堪能したら楽しい
のでは無いだろうかという企画は楽しかったけど、夜は
友人夫婦がサブカルカラオケを堪能したいとのことで、
(彼らは)泥酔しながら、ビョークだブラーだオアシスだのを
散々唄いまくるという、何とも90年代が少し過去になったことを
実感させる青春?のカラオケ大会になって結局20時間近くかけた
一日が終わったあとは凄まじい疲労困憊で皆ダウンしていた。

miniopen.jpg
miniopen02.jpg
こんな風に4人で乗る。足は狭いが空は広い。
当日は天候にも恵まれた。MINIの姿が懐かしい。


上記のような話は社会に出るとお互い休みのタイミングや
会社の繁忙期だって違うことが多いわけだから、中々簡単な
話ではない。むしろぽっと時間が出来たから近くで会おうよ
とか、アキバでも軽く散策しますかとか半日以内の話が
多いのではないかと思う。

ま、それでも休日の使い方って様々で、かなりアクティブな
人もいるから僕なんかは出不精の方なのかな。
同じグループの別の法人のITの人なんか職場も一緒なら
休日もやれキャンプだサーフィンだって綿密に動いてるみたいだし。

それでも近年なんかは嫌いだった旅行も少しは行くようになった。
この辺りは20台後半からようやっと車を持つようになったことも
関係していると思う。元々車に乗るのは好きなので、知らない所や
普段余り行かないところに向かうというのは楽しいものである。

話は戻るが、そんな風に大人にもなれば計画でもしないか、
生まれながらの地元にでも居ない限り中々突然友達なんて現れない
ものである。僕も現在では生まれ育ったところからそう遠くない所には
居るものの、10代後半から20代の間は色々な所を点々としていたので
地元の友達との縁と言うのは薄くなっているのが実情だ。

そんな中、定期的に家に現れる友人が一人だけ居たりする。
実はその友人が古くから知るという点では最も古い友人である。
記憶の限りでも小学校3年生頃から彼のことは知っているはず。

実は当時近所でありながら学区の関係で小学校は別々。
当時近所の塾で知り合ったのがきっかけである。
その後中学校では学区が同じになって再会、、再会という程
友情も育まれていたわけではなく、むしろ中学では当初いじめられた
記憶しかない。僕は中学入学当時おかっぱで体も弱く、小太りで色白
という典型的に劣等生っぽいカテゴリに当初居たと思うので。

とは言っても僕は個性的?なコミニュケーション能力が有ったのと
中学2年の頭に体を壊して急に痩せてから運動系も多少能力が上がったし
(今まで支えてた重い体が急に軽くなれば自ずと体を動かすのが容易くなる)
テニスでも区大会くらいは3位を取れるようになったり
(あくまで区大会なのでハッタリであるし、僕はサッカーがやりたかったが。。)
急に楽器に目覚めていち早くギターも弾くようになっていたので、そういう安易な
事で中学生というのは評価を変えるものである。子供は残酷だから。
それを悟ったのも中学生の時だった。

考えてみるとこの時からオタクな内面とそれなりのコミュニケーション(外面)
を両立させる意識が確立し始めていたのかも知れないけど。

それはさておき、この幼馴染、中学で同じクラスだったのは1年の時だけ、
しかもその当時は余り良い思い出も無いと断言できる。
(こちらとしては当初塾以来の再会だったのに、相手の態度は酷いものだった)
むしろ少し交流が出来るのは別のクラスになった2年以降で、3年の時は
団体で遊ぶときは一緒に居たような気もする。それでも二人で遊ぶなんて
言うのは記憶にないけど。ガスガン(銃)が流行って、シューティングゲームなんかを
近くの公園でやってたから、その時位からかな。

高校以降は当然学区なんてほとんど関係ないし、それは都立の話で
それとて学力で大きく分かれていく上、僕は私立校プラス家庭の事情で
生まれ育った目黒を離れることになったので、より疎遠に。

いや疎遠なんてもんじゃなく、中学卒業後彼と再会したのは27歳の時
つまり、10年以上のブランクが出来た訳である。

再会の経緯について話してると長くなるので今回は置いておくが、
それまで会うきっかけすら作る必然を感じてなかった旧友と細く長い
付き合いが始まったのがこの頃からだったと思う。

彼は当時仕事をしていなくて、この先を案じていた。
でも漠然とDTP的なる職種に就きたいと感じていたようだ。
僕はそういったデザインに近い類の職種には直接的には遠いけど
コンピュータを使った仕事はしていたので、何となく相談に乗るように。

彼と再会した頃というのは僕もネットワーク運用の仕事に就いて数年という
時代で、自分も何とかこれをモノにしたくて必死な頃だったと思う。
だから彼が20代前半を刹那に生きて、そしてふと気づいた時にこのままで
良いのだろうかと悩んでいたことには共感できるものがあった。

少なくとも当時のIT業界は努力すれば何も無い僕達にも多少の余地は
有るというのを自分なりに実感しつつ有ったので、やれるだけやってみては
どうだろうと話したら、彼は頑張り始めたのである。最もデザインの世界は
努力だけではどうにもならないだろうから、彼に元々センスがあったんだろう。

先ずはPCが欲しいとのことだったので目的がはっきりしてるなら
家電系のごてごて無駄な装備やソフトのついたPCよりはDellのBTOみたいに
自分の目的にあったスペックにお金をかけた方が良いと伝えたと思う。

その後彼はPCを買ってそこそこ独学で勉強してDTP系の仕事に就いた。
元々絵を書くセンスとかは高い子だったので会得は早かったようだ。
しかし、決して楽な業界ではないし、残業や帰りも遅い上大体環境は
粗悪だったりする。そういう意味では僕らよりタフな職種だ。
とは言っても当時の僕だって朝7時から仕事をするために朝4:50に起きたり
(会社が家から遠かったのでとんでもなく早起きが必要だった)
輪番で15時間勤務だって経験していたから大差ないというかこちらも劣悪だ。

そんな中でまだ腕も周りに劣っているだろうからオペレータの仕事と
先の見えない残業で彼の中では技術的で内に内に向かう職種というのは
少し違うと感じていたようだ。そういう切り替えもある意味早い。
それがいつだったかは覚えてないけど、DTPオペレータを始めて1年くらい
だったのではないだろうか。

そういう腰の座ってない決断は時に間違った方向にも向かうけど、彼には
正しい決断だったようだ。そしてある日彼から電話があってこう言った。

「あ、俺新しい会社に就職しました。G●Oの面接に受かったよ」

G●O?ITベンチャーから立ち上がり今や大手の一つになった
トータルIT企業のG●Oとは驚いた。

この会社はISPから安価なホスティング(ロリポップとか)からWEB作成まで
何でもやってるというか、そういった業種をどんどん買い取って気がつけば
グループ全体で2000人規模の大企業と言える所まで大きくなっている。

そんなこの企業でどんな仕事をするだろうと尋ねてみたら

「俺、電話回線の営業やるよ。お●くライン君もいかが?」

「・・・」

なんとあっさりDTPやデザインに見切りをつけて直収電話の営業と。。
しかもその会社の中で最もタフな部門に配属されてしたり顔である。
しかしよりによってあのIT企業で直収電話の営業部門に行くとは。。

ま、それでも大手IT企業だし、何が起こるか分からない。
そもそもそこまで営業経験がないのに面接を通過してしまう辺りは
彼の持って生まれた物なのかも知れない。

直収電話の営業、2006年頃は頻繁に僕の仕事先にもかかってきていた
記憶があり、全て「NT●の代理店」とか「KD●Iの取次で」みたいな事を
抜かして気づけば自分のマイラインが変わってしまうという半分悪徳
みたいな営業が横行していた。それに気づかず例えばNTTのフレッツADSLを
電話と共用回線で使っていた人がある日から直収業者が変わって
(例えば日本テレコムとか)ADSLがつながらなくなると言うとんでも無い
トラブルなんかも発生していた。

そんな噂?も絶えない電話回線の営業を彼がどうこなすのだろうと
思っていたが、なんと彼は3ヶ月目に部内で売上3位にまで躍進する。

天職だったのだろうか。。。

その後も数回売上1位になったよなんて話を聞いていた。
当時僕も目黒に住んでいたので元の地元に少し近づいたのもあり
週末に彼が訪れるようになり始めていた。そして近所のラーメン屋で
ビールを飲んでラーメンを食べ、その後は家で泥酔(これは彼だけ)という
パターンを彼がG●Oにいる間は何度か繰り返していた。

要するにストレスフルな激務だったんだろうと今振り返ると思う。
そうでなければいくら幼馴染とは言え、ビール1杯程度しか飲まない
旧友の家で毎週末にくだは巻かないだろう。

それが1年くらい続いたある日、彼から連絡が有った

「あの会社辞めたよ、一流企業で素晴らしい経験を積んだよ。だから今日から親の仕事を継ぎます、早速だけど君のMINIの保険、ウチに切り替えてもらえる?」

「・・・」

もう無茶苦茶である。

結局この車の保険は彼の代理店経由の保険にその後切り替えさせられた。
今や引越し予定先の火災保険から僕の生命保険まで彼の会社経由である。

結局僕は今でも中学時代と同じいいカモなんだろうか。

最近は保険の営業でなくても週末にご飯を食べに来てムダに
地ビールをいっぱい買ってきては適当に飲み散らかしていくのだが。。

しかし、真面目に言うと彼はある意味優秀な営業である。
車両保険も生命保険もとても効率的なプランを選んでくれている。
彼は独特の人心掌握術を持っている。それは意図しているのか
いないのか良く分からないけど。

僕が出来ることはそれくらいなのでまともに働いて、保険を必要と
している内は協力してあげようと思う。

親の仕事を急に継いだのも家庭の事情も有ったみたいだ。
20代に放蕩息子だった彼も今では両親を助けてるんだから
そのきっかけづくりに少しだけ協力できたのならまぁいいかと。

しかし、僕への仕打ちといえば二次会とは言え披露宴とセットで
同じ会場を使って行なった式の時、僕が席を離している内に
高砂の僕の席で泥酔して僕のケーキを食べて寝ていたのが新しい。

続く友人の基準って難しいものである。


「Friends」 The Beach Boys

今や90年代サブカル吹き溜まりの代名詞と言って良いBB5(ブライアン)の
お気に入り曲である。アルバムタイトルにもなった『フレンズ』自体が
サブカル輩のバイブルである。

とても美しい"出来損ない"のかけらが僅か30分足らずのLPに散りばめられた。
それが壊れたブライアン自身の断片でも有るのだから不味い訳も無いのだが。
前後に散見していた『スマイル』の残骸がここにはいないのもテンションが
無くて却って良いのだろうか。

惜しむらくは、もう少しだけ完成した姿が見たかったのが僕の本音だが
そういう未完成が似合うのもまた、ブライアン・ウィルソンと言う人。

でもね、これが『ペット・サウンズ』より重宝されてはいけないと思ってしまう。
人が知らないから、聴いてないからいいんだ的な思想は共有できないな。
「フレンズ」を祀り上げたって、この歌詞は適当だろう。


♪君は僕の彼女が不貞を働いている事を教えてくれたね
僕は無い金をかき集めて君にお金を貸してあげている

だって僕らは友達なんだ、そう友達なんだから・・・♪

何たる歌詞だろう・・・しかしそれも友達であり名曲である。
posted by cafebleu at 22:52| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

大阪出張 Pt.2 〜なんば・道頓堀〜

リアルタイムに更新しているわけではないので
日記の更新日が必ずしも直近ではないのだけど
先々週も大阪にいた。

いつもはどちらかというと淀屋橋より北側にしかいない。
それは仕事をする場所とかの関係でそうなるのだが
つまりはそれより南には中々下る用が無いという事である。

僕のような東京(関東)から大阪に赴いた場合、それが仕事であれ
何であれ、目に映る景色として期待するのは道頓堀の風景だと思う。
あれは全国的にも有名だし、そういった"オノボリさん"の望む
大阪の姿が凝縮されていると思う。

前回行ったときに案内してもらった梅田(大阪)駅付近は多少の違いは
有れど、東京や横浜でも見かけるような都会の中心駅という感じだったので
今回は何とか時間を作れたら一度はなんば・道頓堀は少しでも歩いてみようと
思っていた。

出張の最終日は何とか夕方までに仕事を片付けられたので
御堂筋線を南にもう少し下ってみることにする。

なんば駅から暫く歩いていけば道なんて大して知らなくても
道頓堀付近には辿りつけた。

早速川沿いのグリコ看板を見つけてちょっと感心。
ホントにTVで見たとおりの看板だった。35年生きてて始めて。
(幼少の時に大阪旅行に行ってるらしいのだが全く記憶にないので)

出張続きの疲れも少し忘れて道頓堀を歩いてリフレッシュした。
(客引きが凄かったけど・・)

osaka03.jpg

osaka02.jpg
絵に書いたような(まぁ描かれてると言えばその通りだが)道頓堀の風景

osaka04.jpg
ちょっと見えづらいがドン・キホーテ道頓堀店に設置されている観覧車
楕円形というのは大変珍しいようで。稼動もしているようだが
少なくとも僕が見た時には動いてなかったように見える。節電?
(その後調べたら数年前に故障してから動いていないようである・・)

kuidaore.jpg
あれ?くいだおれ太郎が居る。何か数年前に「くいだおれ」の閉店と
共に姿を消したと聞いたような気がしたけど、どうやら食のテナント
「中座くいだおれビル」に現在は居るようである。

osaka05.jpg
東京でも有って良さそうなカールの看板だが、ポイントは
カールおじさんが手にしている「カールうすあじ」。関西では
うす味がカールの本丸である。逆に東京ではご存知のとおり
「カールチーズあじ」がデフォルト。うすあじって関東圏では
中々売ってない。

今日はそれだけ。せっかく写真も撮ったし、なんばに行ったので。
まだまだ大阪出張はもう少し続くのだけど。何か面白いのが有れば。
posted by cafebleu at 22:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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