18日はポールのバースデー・イベントに参加。
これは忙しいけど楽しい話だからいいとして。
先ず家庭的な話が一つ。まぁこれは取り敢えず
着地点が見えたというか、これしか無いというのか。
もう一つは仕事のこと。
ちょっと仕事で業務量と人間関係で疲れてしまった。
最も業務っていうのは忙しくて当たり前の年代で
今の時勢を考えれば特に咎められることもなく残業も
出張も容認されている環境は考えようで感謝しなくてはならない。
確かにここのところの人員整理もあり一人での業務が異常に
増えたのは苦しいのだが、それくらいではすぐにはへこたれないんだ
意外とタフだから。
だってここに来るまでの道のりのほうが遥かに辛かったもの。
それについて今書いていても長くなるから置いておくとして
やはり堪えたのはサラリーマンとしての人間関係だった。
これは経験が無い感じで。
僕がサラリーマンというか、エンジニアとして普通に会社勤め
するようになったのは20代後半からだけど、それとてもう10年近く
経過している。最もそれまでは通信キャリアであるとか、
ITベンチャーみたいな、それらしい職場に居たので余り人間を
気にする必要が無かったといえばいいんだろうか。先ずは技術が
無いと話が進まない環境なわけで。
それ比べると今の職場は一般企業(厳密には異なるけどそんな感じ)の
中のIT部門なわけだから、少し話が異なってくる。
先ずはサラリーマンとしての上下関係や人間関係がとても大事な要素。
これは真っ当に社会生活を送って来なかった自分には未知な部分も。
毎日コンビニで深夜に働いて、夜な夜な作曲して、休みは
デモ録音かバンド練習しか経験が無かった訳だから勝手なんて
知りようが無いだろう。全くもって自分のせいだが。
とは言っても基本はコミュニケーション能力が第一だから
その辺は独特の間合いを持っていると認識してるので、個性的では
あるけれどそれも良い触媒になって時間と共に溶けこんでいった。
今の職場は敵だらけどころか、程度の差は有れど皆と仲良くやってる。
ところがこの独特のコミュニケーションが逆に自分を苦しめていたと思う。
それが一部の人間関係の中で必要以上の干渉を生んでいた。
僕は基本職を辞する覚悟で今週から強引に休暇を取ることにした。
ここに来てからというもの、至って真摯に業務をこなして来たので
恐らくは現場にある程度インパクトを与えることは承知の上でだ。
病院でも以前から自立神経失調症の傾向があると言われていたし。
仲間には申し訳ないけど、これしかもう方法は残っていなかったんだ。
思えばここに来てからの3年間というのは、仕事としてはひたすら
突っ走っていたと思う。それは単純な労働時間とかではなく、
その内容である。今までに無いことの連続で、そういう意味では濃い3年間だった。
入って数カ月で前任の実質技術責任者が突如退職、しかも辞意を
表明したその日での退職劇という企業のカラーを考えると有り得ないような
辞め方で。そして引継ぎもないまま現場の技術担当を一任されて手探りの日々。
覚えては取り敢えず表にしたり、自分なりに図に起こしたりしていたものの
実質一人減っているわけだから、段々通常の業務自体が重くなってきた。
その後とある基幹のIT化プロジェクトが始まり狂騒がスタート。
途中からさすがに現場の人間が足りないだろうという機運が高まり
久々の増員枠をすかさず自分の身内を紹介して埋めることに成功。
しかし、それも思うような展開にはならず、僕のチームから相方が
外されてしまい、こちらのチームはまた手薄に逆戻り。
相方のチームもはっきり言ってユーザというか他部署に新システムを展開
する為ひたすら頭を下げているようなチームで(リーダーにも原因があるが)
人出もとても足りてるとは言えない状況で混乱をきたしていた。
こちらもその後、事務的な派遣要員が実質リストラに近い形で去って
いよいよ二人しか居なくなった。しかもそのバランスがおかしくて
次長と平社員だけのチームみたいな状態だ。課長以上を意識している
たった2人チームの長とそれ以外。こんなんで現場が回るわけはないのだが。
会社のカラーを考えれば、僕みたいにそこでは異端に成り兼ねない
人間を拾ってくれた事、この会社で無ければ学べなかったことなどは
沢山あるし、感謝もしている。そして僕が面倒みているインフラ環境は
大分老朽化しているものも有る中で結構踏ん張ってくれていたし、
時間をかけて頭に同期させた環境にも愛着が有るのは間違いない。
しかし、それを差し引いても耐え難い気分になっていた。
僕としてはボイコットは最後のカードで、そのまま休職、もしくは
退職を覚悟しての行いだった。
そうは言っても若い頃ならともかく、今の僕は30代中盤な訳で
ただ会社から逃げていても支払うものだって有るし、生活もある。
今更この暮らしのスタイルを変える訳には行かない。
だからどうなってもいいように動きながらの行為だった。
僕の中ではいくつかのシミュレーションは出来ていた。
一つは比較的退職を許容されるパターン。
うちのチームというのはとある理由から人件費がかさんでいる
しかしながら、人数は少ないのである。そこで現場の主担当である
僕が去る事により、チーム全体が不安定になることは眼に見えていた。
僕が去ればチームの責任というのは長職に向かうことになる。
そうすれば、一時運用は不安定になるものの、大幅なコスト減が
期待できる。ネットワークエンジニアなんて何処にでも居るのだから
また採用すれば良いことだし、遅くとも半年ほど時間が有ればいつかは
うちの仕組だって覚えていくものである。
もう一つは引き留められるパターン
自分に溺れているとかではないが、正直に言って今のように人件費を
削減しながらこの規模のインフラを属人的なもので賄っている現状、
僕が病んで引継ぎもなく去るというのは余り思わしい自体ではない。
少なくともそれくらいの仕事はこの3年文句も言わずにこなしてきた。
引き留めで先ずあり得るのは、引継ぎを用意し最低限の運用を
トランスファーするまでの3〜6ヶ月程度は何とか続けて欲しい。
新しい案件や人的なプレッシャーはその期間出来るだけ作らないようにする。
と言ったような、一番会社らしい折衷案である。
これは正直に言えば会社の都合でしか無いのだが、大人としては
こう言った案にも一考しなければいけないのではないかと思う。
もう一つは、原因をある程度究明した上で、チーム編成や要員等
こちらの望む業務環境に少しでも近づけてもらう案である。
これが会社を辞めないと決断した場合、一サラリーマンとしては
最も理想的な解決案だろう。
万が一僕がこの質問をされた場合、残る条件として考えていたのは
・同じネットワーク系でももう一つある別チームに移る(引継ぎまでの兼任は一考する)
・IT系の別部署、地区に移る(これは部署や地区によっては物理的に受け入れられない)
・グループ企業の方に転籍する(これだったら自分で打診か応募したほうが早いかも)
これくらいだろうか。随分な条件だが、それくらい辞める覚悟は出来ていた。
果たして、結果はどうなるのか。
それはこの週が終われば見えてくる事である。
でも、僕はこの企業に愚痴ばかりは言いたくない。
去るとしても結果論だがこれほど視野を広げてくれた事には
感謝して、少しばかりだが得も享受出来たのだから。
転職するにしてもきっと生きてくるものは有る筈。
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ここまで書いて放置していたが、結局もう少し残ることに。
辞める辞めるとここまで何回も匂わせてきたが愛着も有ることも
吐露してきたと思う。
どういう結論になったかはまだ確定していないし
そうそう公開も出来ない話だけど、もう少し、やり残した事を
整理して、先ずは秋を待とうと思う。
仕事的には今がクライマックスだけど。