2011年04月03日

未曾有

恐らく記事タイトルでも多く使われているであろう
「未曾有」という言葉以外は思いつかなかったし、
この震災の影響を実感するに従って未曾有という言葉
以外自分でも出てこなかったので。

震災は突然やってくるものだがそれにしたって
揺れもさることながら、時間の長さだ。これが恐怖心を煽った。

僕はこの地震が来た日はイレギュラーな勤務シフトで、
夜勤明けだった。10日夜から作業をしていて、それが終わったのは
11日の昼前くらいだったのだ。そして、眠い目をこすりつつ帰路に着き
帰りにゆうちょ銀行に寄って口座を作ったりしていた。ちょっと
給与系以外の普通口座が欲しかったのだけど、ゆうちょ銀行は
役所時代から口座をちゃんと持ってなかったのでこんな平日昼に
自由時間が有るときが作りどきかなと思って立ち寄っていた。

そして昼過ぎに家に着き、少し空腹を満たしたら睡魔に襲われたので
横になった。そして意識が無くなるかどうかの瞬間に最初ゆったりと、しかし
大きな揺れが来てこれはただ事じゃないと。僕はこの時
「関東大震災が来たかも・・」と言う思いが過ぎっていた。
まぁ過ぎるも何も部屋のものは倒れまくってるし、実際それよりも
部屋のエアコンが頭に落ちてくるんじゃないかと思って怖かったのが先。

とは言え、東京でこの震災を受けた時にそう思った人、多いんじゃないだろうか。

実際のところ、東日本全体で考えればそれ以上の巨大地震が起きていたのだが。

実際東京での揺れは5強から6弱程度(これでもすごい揺れだが)で
震源からも遠かったのが幸いしたのか、大きな倒壊騒ぎなどは
余り起きなかった。東京周辺では千葉がダメージが大きく、
浦安の液状化現象であるとか、市川の石油コンビナート火災とかも
十分に大きな被害では有るのだが、やはり東北太平洋沖と茨城辺り
までの津波の凄さとそれに伴う地盤沈下の映像は、映画でも
観たことの無いような凄惨な光景だった。スマートフォンやデジカメの
動画録画機能などの進化で実際の被災者が提供した映像がどのTV局の
映像よりも現実そのものであり、これは過去の震災では
見られないものであったと思う。

3分弱揺れた地震でとりあえず建物の状態も分からないので
外に出てみようと出てみたら、しばらく余震も何度も続いた。
建物は大丈夫そうなので家に戻っても余震は続いて、TVを
付けたら、「東北で大津波警報」とあり、太平洋全体がそんな感じ。
しかも岩手辺りは既に到達しているので大変危険だと言ってる。
もちろん東北でも海沿いでも無いこちらには直接伝わらないのだが
大津波警報や注意報がこれ程までに出ているのも見たことが無いし
これはただ事ではないなと思っていたものの、既にこの時未曾有の
津波が東北を襲っていたことをまだ知る由も無かった。

その後、余震は続いて奥さんも家にいるのが怖いと言うし
実際マンション自体はヒビなども入ってなかったものの、
地震の余韻からか、1階の通路付近からミシミシと音が出続けていた。

とは言っても、特に近辺も倒壊が起きているわけでもないし
避難所が設けられているとも思えないのでフラフラと移動していたら
近所のコメダ珈琲が普通に営業していた。。コメダ珈琲は平屋建てで
中に入ってみても物が落ちた程度だったようでそれらは整理されて
既に普通に営業しているようだったので(店員は顔が青ざめていたが)
とりあえずここでひと息入れようということになった。

余震はあったものの、ここで待機しつつニュースを聞いていた。
しかし、次々東北を津波が襲っていると思われるニュースが続いて
本当に大変なことが起きたなと感じていたが、地元以外の様子は
この時点では当然入ってこないので、だんだん周囲の人間が心配に
なってきた。先ず母だが、地震後すぐに家に行ってみたものの、
外出しており不在のようだったので連絡を試みるも、電話は災害で
パンクしており全くつながらない。かろうじてデータ通信はできるので
メールを何度か送ってみると、千葉の松戸にあるデパートでパートを
している最中に被災し、一先ずデパートでそのまま避難しているようだった。
既にこの時首都圏の電車は全て止まってしまい、再開の見込みが
ない状態であることを知った。たしかに外を見ると裏通りなのに
随分車の交通量も増えているように見える。

その後いつもの音楽仲間で仕事の同僚でもある相方に連絡がとれ
会社で被災し、一先ず仕事は終わりにして良いと言われたが、
電車も止まってるし、会社はパニックになってるので一段落してから
歩いて帰るつもりだとの連絡を受けて、だんだんと東京にも大きな
影響が出始めていることを知ることになる。

そんな情報を得つつも、当方も前日寝ずの夜勤明けなわけで
そろそろ体力的な限界が来ていた。少しコメダでも寝そうになったが
そういう訳にもいかないし、家に関してはこれ以上被害は無さそうなので
戻って一度寝ることにした。

寝てる間にも余震は何度かあり、余り熟睡も出来ないまま夜に起きたら
東北は津波で大災害が起きていること、首都圏は電車が止まって
サラリーマンが徒歩で帰っていること、車は都内で溢れかえって
大渋滞になっていることを知った。その時、もしかすると僕は夜勤明けで
震災前に家に戻ったのは不幸中の幸いだったのかも知れないと
思い始めたのである。

その後1〜2日は余震の揺れも強く、回数も多かったので怖かったし
寝付けない(奥さんがNHKのTVを付けっぱなしの横で寝ていて、
何度も緊急地震速報がアラーム的に流れていたので寝たくても寝れない)
日々が続いていたが、次の問題はすぐそこまで来ていた。

東京や近郊に限って言えば、今のところ余震も一時から一段落し
所謂地震による一時災害は収束をすぐに迎えて行った。
もちろん電車のストップによる足止めもあったものの、それら二次的
要素は週末の間に一段落するのであろうと考えていた。

前述のとおり、僕は平日の仕事時間だったのにも関わらず、
偶然夜勤明けで、地震後の電車パニックや自動車大渋滞パニックにも
巻き込まれなかったのは不幸中の幸いというか、相変わらず
土壇場で悪運が強いというか。間一髪で難を逃れることが多いのである。
地震は恐怖だったが、その後眠いながらも喫茶でお茶などしてる
自分に改めてそう思っていた。

しかし、実際には地震、津波に続く大きな被害が東日本に迫っていた。

12日頃から福島第一原発の原子炉が電源系統のトラブルで冷却出来ないと
言うニュースが出てきて、原子炉の弁を開放して間もなく僕は津波に続いて
今まで見たことも無いような映像を目の辺りにする。

それは原子炉建屋が爆発で吹き飛ぶ映像である。

福島第一原子力発電所の原子炉1号機の爆発は当初、情報も無かった事も
手伝い衝撃的な第一報がなされ、その時点ではTVに出て延々政府や東電と
同じように中途な安全を保証してくれる原子力や放射線の専門家と呼ばれる
先生達も映像を見た限りでは頭を抱えていたりと、そのインパクトは
凄かったし、日本人にとってみても、過去に幾度か原発やそれに伴う事故と
言うのは有ったのだが、原子炉建屋が爆発で吹っ飛ぶという映像には
お目にかかったことは無いので、巨大地震と津波に続く"未曾有"が
更に続いていくのを思い知らされることになるのである。

日本が今までどこかで対岸の火事だった原発事故と放射線。
それが時代の進化も有って今までのどの事件よりも視覚的には
生々しく伝わってくる事になって、それを肯定しようが否定しようが
全ての者がもう一度、原子力と放射線について考えさせられる事態に
直面しているのは間違いない。

対岸の火事と書いたが、日本は世界で唯一の原子力爆弾による
"被爆国"なのだから、それを軽んじてはいけないのである。
被爆国が今度は原発事故で「被曝」するなんて余りに学ばなすぎる。

一つ言うが、僕は原発の一方的な否定論者ではない。
(最も肯定論者でも無いが)
しかしそれにしてもこの危機管理の無さは楽観的すぎる。

僕はこれを果たして楽観視していて良いのだろうかといつも思う。
逃げられないからしょうがないのか、臨界してない放射線は
たいして怖くないから風評被害は止めろとかそういうレベルの
問題なのだろうか。安易な楽観論こそ人を間違った方向に進ませ
かねない、そんな思いで日々を過している。

踏み込んだのだからもう少し続けようと思う。
posted by cafebleu at 22:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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