2010年12月26日

友を待つ

のっけから何だけど僕は友達が多いほうじゃない。

別に卑屈になってるわけじゃないんだけど、冷静な自己判断。
元々休みは篭ってたり、一人で出かけたりするのも好きなので。
酒も余り飲めないからそういう気負いのないコミュニケーションが
出来ないっていうのもあるだろうな。

でも人前出ると"普通の自分"って言うのを作りこめているので
表層的ではないけどそれが僕の真実なのかというと違うんだよね
って感じのスタイルになってしまった。まぁ今更治らないし。

だから人から離れて一人になるとスイッチが切れて心底ホッとするというか
そんな人間なものだから友達なんて多いわけない。

若い頃は「何とかしたいなぁ」とか「友達どうすれば増えるかな」なんて
思い悩んだ?事も有っただろうけど、今となっては正直どうでも良くて
僕は僕自身の世界を楽しんでいるので気にしてなかった。
まぁ周りから見たら可哀想な子みたいな感じなのかも知れないけど
意外に風評を気にしない図々しさが身に付いたといえば良いのかな。

後は14〜5歳から家庭の事情などで引越しとかも多くてその後成人に
なっても流転の人生だったから人と長く付き合うことが難しかったという事情も。

ただ、そんな不器用な自分でも少なからず構ってくれる相手はいたし
友人となれば細く長く接してきたと思う。だから皆友達は古いし。

ただ、最近改めて友達少ないなーって思う時があって。
それは僕がどうこうではなくて、時の流れで皆人生模様が変わってきたって事。
それはそうだろう、だって35歳だもの。中学だの高校だのその辺りなんて
人生の半分以上前の事になりつつあるんだから。

僕の本当に古い友達と言えば、相変わらず髪を切ってくれる美容室の経営者の
友人が先ず居るわけで、正に細く長くなのかも知れないけど、僕の人生の
大半は知ってる人だと思う。悩める学生時代だとか、音楽に全てを捧げていた
10代後半とか、病んで長野に行ってしまった自分とか、戻ってきてやっぱり
音楽を諦められなかった僕とか、そういう青い時代を大体知ってる。

そんな彼ともお互い大人になっても髪を切ってもらったり、彼からPCやら
ITガジェットの色々について相談を受けたり、もしくは時折音楽も一緒に
やったりと、持ちつ持たれつの仲である。小学生になった彼の長女と遊んでいる時
時間の流れを感じつつも"幼なじみのおじさん"として彼の家で娘さんと
じゃれているのも考えようでは幸せで微笑ましい話だと我ながら思うのである。

会うのには理由が有るのだけど大人ってそれで良いのだと思う。
理由があるから糸も簡単には切れないし、時折は飲んだり食事したりして
昔について話したりもする。それって十分な理由。
理由があるというならヲタレン元リーダーもそうだ。彼とはむしろ一緒に何かを
やる理由が有ったから友情も育まれた。で、気がついてみると全然違うはずの
僕らは意外に似たような面も有ったりするのだから人間って面白いもので。

上の彼とほぼ同じ付き合いの年数を数える友達はもう一人いたのだけど、
大人な諸事情で会えなくなってしまった。喧嘩してるとかじゃないのだが。
例えるなら、外国へ行ってしまった上その国は日本とは国交が無いので
普通には疎通が取れないって感じなのかな。そんな国はこの時代には
さすがに限られているけど、例えるならそういう事なんだろうな。
もしかしたら彼とはもう再会することはそう無いのかも知れないと最近は
覚悟している。そういうシビアな事情なんだよね。
彼は20代半ばくらいまでは一番近い友人でもあったのでこれは痛かったかな。

更にもう一人、僕には古い友達が居るのだけど、彼とももう随分音信不通だった。
音楽にどんどんのめり込んでいった高校時代、僕はギターを弾いていたわけだけど
この彼もギターを弾いていて、同じクラスで学校に満足感なんて無かったという点で
良く二人で過ごしたと記憶している。一緒にギターを家で練習したり、クラプトンを
きっかけに二人でブルーズの世界の扉を開いて若年寄みたいに三大キングや果ては
戦前ブルーズなんてものについても語り合っていたのではないかと記憶している。

一時期ではあるが僕と上記の今は美容室の経営者の子とやっていたバンドにも
参加したりしていたしね。1回だけライブにも参加したと思う。西荻窪だったかな。

つまり幼なじみや学生仲間で大人になってからも付き合いが有ったのは
ここに挙げた人たちくらいしか居ないということである。
一人はのっぴきならない理由で直接会うことは難しい感じに、
もう一人は彼の中で思うところもあってもう7年近く音信不通の状態。

まぁ年数って言うのは会わなくても過ぎていくので何も幼なじみだけが
深い付き合いとは限らないし、実際に誰よりも時間という点で共に長く
過ごしているのはヲタレン元リーダなのは間違いない。彼と厳密には
幼なじみではないのかも知れないけど、彼が大学出て1年前後の内に知り合ってる
筈なので、それをそのまま換算すれば12〜3年は過ぎている。若き日は音楽の
パートナーとして練習後は毎週家で作曲やら録音して過ごしていたし、
30歳を過ぎたあたりから今度は同じ職種になったので、練習がアキバ行きや
勉強会的なものに変わって、ここのところは仕事も一緒にしている。
バンドもカバー中心とは言え近年は活発なわけだからもう趣味も仕事も一緒。
自分たちでは気づいてない時があるけど、僕らはアイコンタクトで会話してるらしい。
ま、バンドの息合わせってもの自体がアイコンタクトなのでそうなったのか。

10年濃密に付き合ってればその辺の幼なじみよりディープになるさ。
それはきっと人からみてもそうだろうと思うし。

幼なじみの基準はともかくとして、僕が公私はともかく定期的に顔を合わせるのは
リーダーや美容師の彼、そしてこちらも17歳の時からの付き合いである
ベースの女性くらいのものだろう。この人は付き合いは長いのに僕はさっぱり
未だに彼女の本質的なものを理解出来ていない気がするのだけど。。。
それはそれでまた何かバンドメンバーについて話す機会があれば。。

あ、後は従兄弟ね。僕は従兄弟も同じ都内に
いるし、世代も近いのが多いのでその辺りは定期的に会ってると言える。
それは友達のカテゴリに入るのかと言われると違うような気がするけど。。
親族はともかくとしても、こう考えるとホントに限られた人にしか会わない上
コアな友人二人を失って、あぁ友人少ないなぁと今更ながら思うのである。

今日の主役の彼の話に戻るが、高校時代を過ぎてもしばらくは時折連絡も
取り合っていたし、会ってもいたと思うのだが、僕が調子を崩して長野に
療養に行った辺りからは段々と機会が薄れた。まぁ元々僕が能動的に連絡を
とっていたと思うので、その自分が弱ればそうなっていく。
その1年半後に戻ったあとも多少はコンタクトをとっていたし、東京復帰後のライブにも
当初は来てくれていたのだが、お互い段々と忙しくなり疎遠にはなっていったね。

そこからしばらくして僕が仕事まともにしだしたのが20代中後半で、その頃PCを
買うとかで相談を受けて会ったのが直接顔を見た最後だったと記憶している。
2003年か、正しく27〜8歳だから記憶と年代も一致してる。

そこからの7年はほとんどまともなコンタクトをとっていなかった。

その後も何度かメールとかでコンタクトは取ろうとしたが、返事はなかった。
返事がないのは元気な証拠なのかも知れないし、その逆に色々と思うところも
あって返事をしたくない時だって人間は有るわけだから余りしつこく連絡を
取ろうとは思わなかった。メールアドレスが止まってないのは分かっていたので
何とかやってるだろうとは日々思っていたのだけど。

今年に入って久々に彼にコンタクトを取ろうと思った事があった。
自分ごとだけど結婚もあり、式がささやかながらあったので、さすがに
ここには来てもらいたいなという気持ちが有ったので。

何せ彼が来れば彼を知ってる仲間だって少なくない。僕の古い友達はここに
出した人でなくても、音楽を共にやってきた人間なら大概彼を知っている。
そういう人達とも再会してもらいつつ、自分も久方振りに会うきっかけに
良いのではないかと、そんな風に感じていた。

しかしながら、そこには彼は現れなかったし、事前に連絡はしたものの
連絡を貰うことは遂に無いまま当日は過ぎて行った。

まぁね、僕とのブランクも有る上にまとめて何人も十数年振りで会うのも
疲れる話かもしれないし、結婚式では僕もゆっくり話は出来なかっただろうから
これはこれでしょうがないのかなとも思ったけど。

そんな式からもすでに半年以上経って、僕はとある事象が心に留まっていた。

つい半月くらい前のことであるが、仕事で相手先に行く用事があり、
僕は営業ではないので相手先に行く機会はそう多くはないのだけど、
気分転換も兼ねてこちらから赴くことにした。

そこは僕が苦悩して過ごした高校の坂を少し下ったところの高層ビル内に
会社を構えていて、僕は地下鉄の出口を出た瞬間に自分が高校時代の風景を
思い出した。17年ぶりの下車だったという訳だ。

その会社の会議室からちょうど僕の母校は見えて、校舎は一部を除いて
当時のままであることが分かった。仕事もそこそこに色々な思いが交差するものである。

打ち合わせ後、僕は高校の門の前まで向かってみた。
僕にとって高校生活というのは必ずしも楽しかった思い出だけではなく
その後しばらく続く苦悩の時代のきっかけでも有ったので当時以降
足を踏み入れたいと思うことは無かった。

でも、何も悪い思い出ばかりではなくて、仲間にも巡り合えたし、何よりも
その頃の仲間と音楽漬けで過ごした日々は忘れることはないだろう。
毎週末は僕のバイト先の裏側にたむろして、仕事もそこそこに音楽を
語り合うような毎日は本当に良い思い出である。

意図せず僕は母校の前に引き寄せられて、今日話している彼のことを
改めて思い出していたところだった。彼とはクラスも同じだったので
休み時間や昼休みに会話している風景がフラッシュバックしたり。

それから2週間くらい経った有る週末、僕は珍しい相手からメールが
届いていることに気がついた。それが彼からのメールであった。

元々迷信じみた事は信じない上、最近天文学に凝り始めてからより一層
人間が創り上げたような迷信や宗教的世界観は自分には深く響かなくなっていた。
僕にとっては、人類まで生物が辿り着いた50億年っていうのは広大な宇宙の中で
地球に与えられた奇跡の一つなわけで、その"宇宙"そのものが大きすぎて
とても人間云々の世界観で物事が完結しているとは思えないのである。

そう言いながらも翻すようで申し訳ないのだがこう言うのを予感と言うのか
「何かに導かれてる」って言えば良いのか。

連絡では彼も色々あれど日々を過ごしていたようで本当に良かった。
僕にとっては数少ない友人なのでこれからも時折よろしくと、そんな
思いを込めて今日は彼と自分の為に昔話を。

彼からのメールが来たときに僕の頭に流れた曲はストーンズの
「友を待つ(Wainting On A Friend)」だった。別に彼がストーンズの
熱狂的ファンだったというわけでも、僕が好きな曲というわけでも
無かったのだが、自然と脳裏に浮かんだのがこのタイトルだった訳で。



でも、何となく無骨で素っ気ない友情って感じもするのでストーンズなのかな。
なんか未完成の曲みたいな楽曲なんだけど、ミックは気に入ってるようで時折
ライブでも演奏されている。『刺青の男(タトゥー・ユー)』の最後を飾る曲。
何度も聴いていると、何となくギクシャクしている演奏やラフなヴォーカルも
含めて心に引っかかるものがある。

このアルバム自体は超のつく代表曲「スタート・ミー・アップ」が有名。
一般的には名作の評価も。個人的にはそこそこで正直印象は薄かったり。
ファンク、ディスコへの傾倒が続いた時期だったので、その時代の作品の割に
保守的なR&Rって感じなんだけど、それもそのはず、マテリアルの多くは
70年代前半に選から漏れた楽曲が中心なのだそうである。


「Waiting On A Friend」('81) The Rolling Stones

『音楽のつぶて』時代からほとんどストーンズって取り上げていないのだけど
実は全てのアルバムを聴いているし、同じアーティストのライブとして観た回数では
ポール・ウェラーやクラプトンを超えてトップなのでその内私的なレビューでも。
凄い偏ってると思うけど。

因みに12月は更新が今年一番の数に。このブログをリニューアルした時期も
久々に更新が多かったし、9〜10月は車シリーズが続いたけどそれを超えた。
まぁ単純に12月になると年末進行になり始めて祝日などで休みも多くなるし、
仕事も一段落の時期だから時間が有るのかも知れないけど、それでも今月は
出張1回、ライブ1回、伯父の葬儀も有った。時間たっぷりという程ではない。
まぁ取り上げる話題が多いというのも有るのだけど、僕が更新が多くなり始める
時はある傾向が有るのである。それはきっと来年以降に明らかになる。私事だけど。

そもそもブログやソーシャル・ネットワークなんて会社のでもない限り
私事か自己妄想の固まりでしか無いか。
posted by cafebleu at 11:31| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

This Christmas

クリスマス・ソングって子供の頃は大好きだったのに、大人になると
物を斜めにしか見れない大人になってしまい、あまり好きじゃなかった。

何だか商業臭ばっかりするんだよね、まぁポピュラーミュージックなんて
そんなものだし、それを否定するつもりもないんだけど。

それでもやっぱりヤマタツの「クリスマス・イブ」なんて紛う事無き名曲だし、
アカペラのカノン的パートは彼の偏執的なこだわりを感じてしまう。

もちろんビーヲタ的にはジョンの「ハッピー・クリスマス」とポールの
「ワンダフル・クリスマス・タイム」はどちらも素晴らしい曲な上、二人の
スタイルが見事なまでに対照的なのはさすが。
(何故か歌い出しを聴いた瞬間涙腺が緩みそうになる神降臨系のジョンと
手作りで可愛いけどこだわりの有る音響でアットホームに楽しく盛り上がるポール)

他には米国ショービズ界のスターらしくクリスマス・ソングだけのアルバムを
リリースしているビーチ・ボーイズの「リトル・セイント・ニック」も定番。
ブライアン・ウイルソンはそもそもいつも楽曲に鈴系の鳴り物が入ってることが
多いので聴き様によっては何でもクリスマス・ソングに聴こえてくる時がある。
「僕を信じて」とか普通にクリスマスの歌みたいだもの。

さておきソウルのクリスマス・ソングと言えばやっぱりダニー・ハザウェイの
「ディス・クリスマス」が大定番。オリジナルは力強いホーン・リフに導かれて
始まり、骨太だけどしなやかなダニーの歌声が美しい日和の無いクリスマス・ソング

カバーもかなりの数があるけれど、やっぱりダニーのオリジナルは素晴らしい。
彼独特のゴスペル的な歌唱を意識したソウル系のミュージシャンはここまでも
数多く輩出しているけど、期待される割には伸び悩んでいたり。

やっぱりオンリーワンってのは中々後継も難しい。

モッドな視点で言うならばこれが最高のクリスマス・ソングと言うべきかな。


「This Christmas」('70) Danny Hathaway

へ、変な映像だな。。

久々に「音楽のつぶて」な感じ。メリー・クリスマスクリスマス
posted by cafebleu at 23:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Donny Hathaway | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

Band On The Run 〜40th Anniversary〜

12/18はライブだった。

とは言ってもいつものようにヲタレンのビートルズイベントやヴェセルズでもなく
比較的急遽参戦したイベントへのゲスト参加をさせて頂くという形だった。

ポール・マッカートニーやウイングスのファンなら知らない人は居ないであろう
ポールの情報サイト『つれずれなるままにWINGSFAN』の主宰者の方からイベントの
お誘いを受け、有難く参加させていただくことになった。

主宰者の方が活動しているバンド、"The McClaines"が今回『バンド・オン・ザ・ラン』
の発売30周年記念のトリビュート企画として、所謂「アルバム全曲演奏」を行うと
言うことだったのでその引き立て役として、僕にも声がかかったのであった。

出会いは昨年末に大塚ウェルカムバックで行われた第52回ビートルズ大会で
たまたまブッキングされたのがきっかけだったのである。
その時ヲタレンで僕らは出演したのだが、このライブ自体も大会で突然の
キャンセル者が出て急遽穴を埋めてくれないかという打診からのものだった。

本番まで2週間強でそれもかなり厳しかった上、ジョージ役のMakiMakiさんが
出張でライブ当日まで帰って来れないという状態だったので急遽僕のもうひとつの
バンド、ヴェセルズにも声をかけ、当日参加できるのがベースのまりさんと
パーカッションのえぐっちゃんだったので、ギターとヴォーカルの自分と、
ドラムのコリンゴ☆を加えればちゃんとバンド構成になるのに気づいたので
急ごしらえの合同バンド"ヲタレン特別編"で出演したのだった。

その時の最後に「恋のアドバイス」をちょっとソウルポップ風なアレンジで
やったのだが、最後に大好きだった「グッドナイト・トゥナイト」のサビを
ちょこっとつけてメドレーにした。ちょうどコード進行が同じなのである。

そしたら、そのメドレーでポールの今となってはマニアックな曲を取り上げた
事をMcClainesのメンバーの方が気に入ってくれて声をかけてくれたのである。
その時はいつか共演しましょうねと話しつつも時は流れていた。

しかし、一年経とうかという月日が流れていたのに、彼らが僕らの演奏を覚えて
いてくれて、連絡をくれたのが今回のきっかけである。

だので急遽ヲタレン元リーダーと二人で参加させていただくことにした。
最初はバンド形態を考えたが、当日までの日数や、それ以上にコリンゴ☆が
他のセッションのライブ参加が既に同日に決まっており、バンドでの参加が
難しい状態だった。また、ウイングスを中心としたポール曲のストックが
バンドとしては多く無いので、本番までにまとまるのが難しい状態だった。

そうなると、ポールやウイングスのオフィシャルな曲ならほとんど頭に
入っている僕とヲタレン元リーダーの二人で参加するのが一番早いという
事になったのである。

McClainesさんが『バンド・オン・ザ・ラン』の全曲演奏をするというので
僕らはそこからなるべく選曲を外す形でセットリストを考えた。
但し、「ノー・ワーズ」だけはヲタレン初期から良く演奏していたし、今回の
ようなフォーク・デュオの形態だとコーラスが多い曲が心地良いだろうから
これだけはリストに入れることにした。それ以外はウイングスやポールの
ちょっと気の利いた選曲とアコースティックで出来るアレンジを二人でスタジオで
試行錯誤しながら考えた。

最初に浮かんだのがウイングスのファーストに入っている
「サム・ピープル・ネバー・ノウ」だった。全体的に冗長だが何処をとっても
美しいメロディとハーモニーがデュオにぴったりだろうと考えた。


「Some People Never Know」('71) The Wings
垂れ流しみたいな曲なんだけど、ポールのメロディの大事な部分が一杯詰まった歌。
「ビートルズは好きだけどポールの甘い曲が嫌いなんだよね」とか言う人は
どうかビートルズなんか聴かないで欲しい。この要素が無いビートルズなんて
ビートルズでも何でも無いから。ジョンもポールも「エボニー・アンド・アイボリー」
の如く調和を保っているのがビートルズ。


発売当時は酷評も、いまや90年代サブカル馬鹿に奉られて飾らない名盤。
ラフで緩いけどポールのメロディは美しいの一言。


他にはウイングスの曲でも個人的に五指に入る大好きな曲
「デイタイム・ナイタイム・サファリング」もこの機会だからこそやってみたかった。
(これと「グッドナイト・トゥナイト」のカップリングシングルは最高だと思う)

そんなふうに適当にピックアップしてスタジオで色々やっていたのだが、
リストにはなかったけどふざけて僕がスタジオで歌っていた「ワインカラーの少女」を
元リーダーが「それ結構トラッド風にしたらいいよ!」って言ってくれたので
それを今度は二人で煮詰めて行ったら確かに一番締りのある出来になったし、
僕らのセットリストの中では真っ当な曲なので最後の曲にした。

こんな感じで、ポールでも特にウイングス中心という選曲が今回のお題で、
正直ウイングスならそれこそバンドで出たかったし、バンドでこそ楽しそうな曲が
多いのだが、「制約こそ創造の素」という僕のスタンスにはある意味ぴったりで
リーダーとアレンジや役割を考えたり変えながら練習するのは楽しかった。

最初は二人でやるの5年ぶりくらいなので、結構しっくりくるのに少し時間がかかって
二人とも「あれぇ?」みたいなのは有ったのだけど、そこは10年以上一緒に音楽を
やってる仲間なので、段々と感覚も戻ってきた。アドリブソロで終わるような曲でも
絶対に終わり間違えたりしないのは僕らの長い付き合いが紡ぎ出してる"息の有ってる所"
だと思う。手前味噌だけど。まぁ職場でもアイコンタクトで喋ってるとか言われるしね。

本番会場だった『下北沢Breath』もとても綺麗で、ビートルズ系のライブカフェの割に
偏執的にビートルズ的なこだわりは感じず、むしろちょっとでも好きならウェルカム
って感じがして素敵な場所だった。ホントジョンの写真やビートルズのアルバムが
無ければ小洒落たライブも聴けるカフェって言う風情で、こういう所で最近は
やりたいなって思っていたので会場も願ったり叶ったりで。

僕はモッドな青春時代を過ごしたくちなので、サブカルの街、下北にはそれなりに
想うところも有ったし。本当にずーっと来てなかったので久々の下北はすごい人の
数だなと狼狽してしまったけど。。でもアクセスもそこそこ良いし来てくれる人にも
良いのではないかと思ったり。

イベントは満員で、McClaines(WINGSFAN)とビートル系イベントの人気には頭がさがる。
僕ビートルズ系のカバーイベントに参加するようになってから、スカスカの会場で
やったことが無い。よほど自分が若い頃のライブのほうが人が居なかったもんだよ。。
人がいっぱい見てくれるところで演奏できるのは幸せである。

McClainesの全曲演奏も堪能させてもらった。アルバム全曲演奏ってすごく大変で、
絶対アルバムの中には普段聴かない曲とか有る訳で、そこも含めパッションを
全編に保つって言うのは大変なこと。更にバンドでやるのには不向きな曲だって有る。
『バンド・オン・ザ・ラン』はポールが前作『レッド・ローズ〜』で固まったメンツで
バンドサウンドを追求するためにやろうとしたのにドラムとリードギターに
逃げられてしまって、半ばヤケになってほとんど一人で作ったアルバムだと思う。
その火事場のクソ力がこのアルバムをグルーヴ感溢れる名作に昇華させたのでは
無いかと。だからソロ1作目から時折登場する"ポールの多重録音"系アルバムの中では
最もバンド的でロックなアルバムだと思う。だから主要な曲はバンドでやっても
ロックで決まるのだが、やはり多重録音らしくだらしないアコースティック曲や
意味不明?な音響効果も多いのがこのアルバムだ。それを覚えたりアレンジを
考えるだけでも大変なことである。

その情熱とポール、『バンド・オン・ザ・ラン』への愛情が感じられるステージだった。
McClainesの熱演のおかげで、改めて『バンド・オン・ザ・ラン』ってやっぱり
良いアルバムだなって思いを新たにした夜だった。最後の「1985年」の疾走感や
イカしたピアノ・リフ、分裂症的な展開、その全てがポールにしか生み出せない
素晴らしさだなと。

実は名盤とは分かっていても僕はウイングスのアルバムで『バンド・オン・ザ・ラン』
が決して好きなアルバムではなかった。「バンド・オン・ザ・ラン」や「ジェット」
がライブで重要ナンバーなのは百も承知だし、「ブルー・バード」「ノー・ワーズ」は
名バラード、「ミセス・バンデビルト」は大好きな曲であるにも関わらずだ。

何となく前半にパワーが集中しすぎて後半がだらしないのせいかも知れないが
それもコンセプト的に捉えるとそういうものなのかとか、単にだらしないにしても
それこそがポールらしさなので最後は強引に「1985年」で解決する所は
やっぱり格好良いんじゃないかとか、何よりもポールのロックで雑なドラミングこそ
このアルバムの最大の聴きどころだったりとか分かってくると楽しい。

そんな事を教えてくれたMcClainesの熱演だった。

機会を与えてくれたWINGSFAN、McClainesの皆さん、下北沢Breathの皆さんには
心から感謝しつつこれからもよろしくお願い致します。


-Set List-
1.Some People Never Know
2.Driving Rain
3.No Words
4.So Bad
5.Daytime Nightime Suffering
6.Only Love Remains
7.Letting Go

ダイスケ(Vo,Guitar)
カワセ(Vo,Guitar)



「1985」 Paul McCartney(Live on 'Later with Jools Holland'2010)
必殺ジュールズ・ホランド・ショーでのライブ演奏。2010年のである。
若き日のポールが「1985年がどんな時代になるか分からず」作った曲を
68歳のポールが1985年から25年も過ぎた2010年にこの歌を歌ってしまうこと
自体が感動的だし格好良い。長生きしてね、本当に。
posted by cafebleu at 23:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Wingsfan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

ノルウェイの森と情念

12日は忙しい一日だった。

ま、プライベートでだから自分の責任なんだけど、そのせいでややこしい事に。

昼に出て、車をメンテナンスに出すので東中野まで。3時間程度で出来ることなので
預けて新宿まで総武線で二駅。ここまでは予定通り。

既に大分陳腐になっていた僕のメイン携帯であるiPhone3G(Sではない)を前々から
どうにかしたかったので一直線に小田急ハルクのビックカメラへ。

当初は何も考えずiPhone4にするつもりだったのだが、初代iPhoneも白だったので
伝統的?に白いiPhoneが欲しかったのだが、待てど暮らせどいつまでも"技術的理由"で
白モデルを出さないわざとらしいアップル社の策略や、電波の不具合を叩かれたときに
ご丁寧にBlackberryや他社スマートフォンを持ち出して大人げないパフォーマンスを
しているスティーブ・ジョブズとこの会社の精神に嫌気がさしてきたのでiPhoneから
思い切って離れようと思った。

アンチ・アップルみたいな感じになってしまったが、実はそれは大した事でもなく
最もな理由は形がどうも好きになれなかったというのが一番だけど。
タッチ・モバイルはオーバルスタイルの方が絶対持ちやすいと思う。PDAの昔から。

ならばやっぱり日本でも一気に知名度と汎用度を高めつつあるAndroidでしょう。
特にiPhoneを獲得できなかったドコモとAUの気合は半端ではなく、Experia、Galaxyと
キラー・マシンを立て続けに発表しているドコモと、端末規格のせいで出遅れたAUは
日本ならではの「ガラパゴス」なスマートフォンを作らせたらWillcom時代の
Windows Mobile端末から敵なしのシャープと組んで、オサイフケータイ、ワンセグ付きの
IS03を凄まじい宣伝費用を使って展開している。

実はソフトバンクもAndroidは充実。何せGoogle純正の端末、『Nexus One』の共同開発
メーカーであるHTCの製品はソフトバンクが押さえているのだから。

そのソフトバンクはDesireの後継機種、『Desire HD』をいち早くリリース。
宣伝はiPhoneへの気遣いで全然投入されて無いのだが、前機種『Desire』からの
スパンはかなり短いし、他にはこれまたSharpの『ガラパゴス』やDell初の
スマートフォンで5インチ超えモニタのラージサイズな『Streak』の発売も
待ち構えている。

余談だが、シャープのAndroid端末への気合は半端ではなく、ガラパゴスが出ることで
主要3キャリアでシャープ端末が出揃ったことになる。
(DoCoMoのLynx、AUのIS01,03、SoftBankのガラパゴス)
この辺り古くからWillcomでWindows Mobile端末(W-ZERO3シリーズ)を作り続けてきた
知識とソーシャルモバイルと銘打たれながらも2ヶ月で販売を終了した
マイクロソフトの『KIN』に対する相当な不信感を感じずにはいられない。
(KINの端末開発はシャープが行ったが、2ヶ月でプロジェクトを畳まれて相当な不採算に)

話は戻るがDesireシリーズはAndroidのパワーユーザ達にも概ね好評の機種でもある。

iPhoneからは離れようと思ったものの、またしてもキャリアを跨ぐのは少し気乗りせず
(相方とキャリアを合わせるというのもあるし、iPhoneにした時に10年以上使ってきた
AUからMNPで乗り換えたので何度もキャリアを移動したくない)
SIMフリーの動静を見てからキャリアのことは考えたかったのと、そこが進まないのなら
今後もiPhoneという選択肢は残しておきたかった。正直SoftBankの電波には
全く満足していないのだが。

とは言え、土日の新宿携帯売り場を当方はだいぶナメていたようで、
先ず機種変更手続きの待ち時間だけでも1時間以上かかって、購入手続きも更に
1時間、その他諸々でビッグカメラの店内に3時間近く拘束されることに。

その間座るとこもなく店内に居させるってどうなんだろうと少し考えた。
これはテナントとして入っているビッグカメラが悪いのか、そもそも小田急ハルクの
方に問題が有るのか、更に店舗サービスの悪さでは定評のあるソフトバンク・ショップ
の方がいけないのかなんとも言えないが、チケットをとって待つ間の待ち合う施設が
無いくせに、ハルクの店内の喫茶店で待つことも許さない。
(電話で呼んでくれる事すらしてくれない)

携帯は割賦で買っている人も多いので意識が薄い人もいるが、本体だけでも新機種だと
普通に8万前後したりする上に、回線使用料だってずっと支払う訳だ。
だからユーザサービスって本当に大切だと思うのだけど、近年の携帯需要や
スマートフォン百花繚乱時代で飛びつく人間も多いせいか、そういうサービスの基本が
蔑ろにされているのはどうなのかと思う。特にソフトバンクは前からショップ店員の
サービスや教育が悪いと思うので良く考えて欲しい。iPhoneだけが電話ではないし、
安かろう悪かろうという時代では無くなっているのだから。

そうは言っても初代Desireの時は生産数も多くない上、評判の高さにパワーユーザーが
こぞって手に入れたせいか、ずーっと品薄の状態が発売開始後続いていたのを
知っているので少し我慢してでも在庫がある内に入手したかった。
何度も店員に「iPhoneから他機種にしてしまって良いのですか?」と聞かれたけど
Android製品が各キャリアで、しかもまっとうな端末で出揃った今が買い時だろう。
メジャーな部分はGalaxyやIS03が引っ張っていってくれればソフトウェアは自ずと
充実していくだろうし、HTC端末にしか無い良さもDesireは兼ね備えている。

購入後、触ってみて改めてその処理速度の速さや、軽々と重い自動車メーカーの
Flashサイトを再生してしまう能力には感心しきりだ。Snapdragon1GHzのCPUに
768MBのRAMを持つDesire HDはハードウェアスペックでも最上位になるのだけど
それだけでなく、HTCがGoogleの純正端末『Nexus One』を手がけたプライドも
伺える。言葉では表現しづらいが、非常に良くチューニングされており、アプリも
安定している。この数日利用しただけだが、アプリで不安定になったのは
自分でインストールしたファイラーである『CRKO Commander』が一度落ちたのみ。
iPhone3Gでメモリに余裕が無く、しょっちゅうメーラーやブラウザが落ちていたのとは
雲泥の差がある。やはりハードウェアの2〜3年って日進月歩だと実感する。

後はどう考えてもユーザフレンドリーで型にはめつつもUI上手なAppleの
iPhoneOS(IOS)はともかくどうしてAndroidが良し悪しはともかく実績のある
Windows Mobileに比べて採用されるのかというのも触ってみて分かってきた。
単にLinuxベースだとかそういうだけではない自由さが開発側にあるのだろう。
アプリはJavaベースというところも開発しやすいだろう。
端末に合わせたチューニングもしやすそうである。
その分キャリアやメーカー毎に全く異なるUIになりつつあるのが多少気になるが。

正直DoCoMoが出した国内初のAndroid端末であるHT-03の頃は動き以前にOSとして
まだ成熟してない印象があり、さすがにもう少し待とうと思ったし、そもそも
端末のデザインが余りに質素でもう少し頑張って欲しいなという思いもあったが
そこから1年半程度の間にここまで"使えるOS"に進化した事は特筆に値すると思う。

しかし、それを考えるとスマートフォン市場におけるMSの衰退ぶりは気にかかる。
PDAの昔からモバイルOSの開発はしてきたし、現在のWindows Mobile6.5辺りは
完全にその系譜である。元々僕だけでなく多くの人が最初にPDAと携帯が一つになれば
良いのにって思い始めたのはClieやZaurusみたいなPDAがビジネスやニッチな層で
流行っていて、そこにはSymbianやWMのPDAもあり、そう言うのを操作しているときに
多機能化が著しかった2000年前後の携帯と結びつけば便利だろうと考えたはずである。
その答えの一つがWillcomのW-Zero3で、その格好は不恰好だったけど、現在における
携帯の答えの一つはそこにあったと今でも思うのだけど。

でもPDA時代に縛られずに自由に開発できたAndroidと、PDAの遺産を引き継ぎつつ
"PDAには必要でも携帯には不要なもの、逆にPDAには不要でも携帯に必要なもの"
を同時進行で考えなければならなかったWindows Mobile系は逆にPDAでの知識が
足かせになっていたのかも知れない。スタイラスや画面サイズ、キーボード
なんかは試行錯誤の結果が今のようなタッチパネルスタイルで、最終的に
ソフトキーボードの充実に落ち着いたのはiPhoneの成功によるところが大きい。

MSはWindows Phone7でエンドユーザへの展開が失敗したら、完全に
ビジネス用に移行するだろうと見ている。

最初にAppleのやり方にキレたものの、僕はアンチマカーでも、アンチMSでも無いし
Google信者という訳でも無い。PCのWindowsはどこにでもあってやっぱり便利だし、
iPhoneはなんだかんだ言っても優れた端末なので今回離れるのに随分悩んだし、
Googleの先進的で魅せる事も上手な技術とエンターテインメントのバランス感は
感心させられることが多い。要は中庸なのである。

今回はまだ触ってなかったAndroidを触りたい。って欲求が基本的には何も変わらない
iPhone4を超えたというだけ。でもIOSも手元に置いておきたいのでiPod Touchは
買おうと思っていたりするし。まぁDesireでどこまでMP3を便利に管理できるかに
かかっているけど。iTunesでMP3を管理してしまうと他のソフトに移るのは余りに
億劫なので(後にこれはとても簡単だということに気づいたがそれは次回以降に)。

しかしこの1週間ほど触ってみたが、先述のようにAndroid端末の進化には
驚かされる。まだまだ荒削りな部分は有るかも知れないが、その辺りはパワーユーザ
として楽しめば良いし、Androidマーケットの使い勝手はiPhoneのそれをほぼ踏襲
しているので何ら悩むことは無い。アプリもiPhoneに比べて自由というか、規制が
少ないのでかなり良し悪しには幅があるがネットで探せばいくらでも便利なアプリが
出てくるし。だからroot化とかそんな事までしなくても普通にスマートフォンが
使いたいというユーザーなら楽しむ事が出来るのではないかと考えている。
肝としては、iPhoneから移行してきた人のことをちゃんと意識しているということ。
この辺りがGoogleのしたたかさでもある。

WMはWindowsのようなPCをそのまま持ってこようと言う感じだった。ソフトは
インストールパッケージを用意して自分でインストールしてみたいな感じだ。
そもそもあまりカスタマイズさせることを意識していないというか。
それが最大の失敗で、パワーユーザーのみがいじり倒せるマニアックな端末へ
結果的になっていた。iPhoneは逆にスマートフォンでありながら決してある意味
自由なところは多くなく、デスクトップも基本はショートカットのみだし、JB
でもしない限りはアプリのインストールも自由ではない。しかし、それ故
エンドユーザへの理解は進みやすかったし、逆にコネクティビティはExchangeとか
そういうビジネスシーンにも目配せしていたので決して劣るものではなかった。
また、アプリも厳しい敷居を作ることで逆に開発力を上げることができたし、
それを通過したものには商売になる体制も整えられたと思う。これはブランド力だろう。

Androidはちょうどその中間にいるというのが僕の感想である。この位置取りも
一番後発だからこそ考えての事だろうと推察される。

メーカー特有のUIを乗せやすいことで逆に操作そのものは各社ともそれなりに考えてる。
それ故に一貫性がなくなりつつあるのが多少気にかかるが、少なくともDesireの
場合はHTCの独自UI『HTC Sence』が搭載されていて、これが個人的にはなかなか
使いやすいと感じている。普通にショートカット置いてiPhone的に使ってもよし、
ウィジェットも充実しているのでそういう置き場にしてもよし。
この辺りはWM時代から独自UIを試行錯誤していただけあって良く出来ている。
しかもWM端末のようにUIを乗せても動作がもっさりしないのがAndroidの強み。
詳しいことはまだ分からないが、この辺はLinuxのX Windowとかに近いのだろうか。
Galaxyなんかは完全にiPhoneを意識したUIが採用されていたりする。

また、『HTC Sync』が簡単便利にiTunesやOutlookとデータを同期できるのも良い。
何も難しいことは考えずに同期出来るって大きい。変に本体OSのサブセット化が
出来上がっているWM端末ではかえってやり辛い部分ではないだろうか。
そしてこういう部分に気が利いてるのはスマートフォン専科な端末メーカーである
HTCならではだと思う。

ちょっとしたファーストインプレッションのつもりがだいぶ長くなったけど
これから楽しんでいこうかと思う。夏にWM端末では最強と思われるIS02(Dynapocket)も
入手しているのでそれとの比較も含めて。WM機も仕事で一時どうでも良い部分ばかり
調べさせられてうんざりしていたのだが、基本的にオンリーワンな環境を作るときには
それなりに楽しい部分もあるので。

3時間以上かけてようやく機種変更も済んだので急いで車を取りに戻って今度は
映画鑑賞である。現在公開されてサブカルな人たちの間で話題になっている
『ノルウェイの森』の劇場版である。松山ケンイチと菊地凛子が出ているのだから
ちっともマイナーではないのかも知れないが。

実際渋谷と新宿の劇場はどこもほぼ満員でどうしたものかと思ったが、
BIGFUN平和島のドン・キホーテと併設の映画館ではがらがらとの事で東中野から
首都高速で一気に向かうことにした。

実は村上春樹氏のアンニュイでナルシスティックな作風があまり好きではないのだが
映画には合うのではないかと思ってみたところ、実際映画自体もかなりアンニュイで
映像的には非常に美しい作品だった。色彩そのものがとても美しい作品で、それがまた
90年代のサブカルチャー時代を思わせるようなものだった。時代背景や内容そのものは
日本映画そのものなのに、まるでフランス映画を観ているかのような錯覚に陥るのは
映像効果も去る事ながら、脚本そのもののアンニュイさによる所もあるのかと。

実際作品そのものは、小説全てを表現できるわけでもないので、その焦点が僕には
「性」に集約されているような感じがした。それが過ぎているので芸術的エロス映画
のような風情になっていて、これはどうなんだろうと思った。何か高めの年齢層を
対象にしてるようなエロが多いのも多少気にかかる。

元々のイメージも長く読んでいないので忘れてしまったが、とにかく
僕には「きれいで、アンニュイで、エロで、悲惨で」残らない映画だった。

レコード店の店主が細野晴臣さんとかそういう気の利いたところは悪くないけど。

後は「ノルウェイの森」って言いながら、レコード店の映像とかで最初に
出てきたのはビーチ・ボーイズの『20/20』とか、最後にも一瞬『ペット・サウンズ』が
映るとか、明らかにそれらを選択したのは90年代のサブカルチャー達のような感じが。
逆にビートルズは1枚も飾られているショットが出てこないのはどうなんだろう。
「ノルウェイの森」を軽く扱われているような感じがした。客寄せパンダというか。
タイトル・ソングだから仕方ないのだが。

サウンドが何か暗いなと思ったらレディオヘッドのギターの人が担当していたり。。

改めてエンドロールで「ノルウェイの森」に耳を済ませたら凄い名曲だなと思ったけど。
Bメロのメロディがゾクゾクする。レノン・マッカートニーのマイナーの使い方は
やっぱり半端ないのである。

まぁ、とりとめもないがボリュームのある一日だったということで。
posted by cafebleu at 23:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月08日

(Forgive Me) My Little Flower Princess

毎年この日はやってくるので、僕は毎年必ずしも思い出すわけでは
無いのだけど、今日はジョンが去ってから30年目の日である。

30年、僕がビートルズにのめりこんだ初めての時が10歳前後だった
はずで、その時点では85〜6年ということになるから没後5年程度だった。
更に細かく言えばジョンのソロを聴きこんでいたのは高校生位だっただろうから
その時は15〜6歳で、それでも90年前後だから没後10年程度。

時の流れを感じずにはいられない。毎年彼を思うたびに時は流れるのだけど、
その哀悼の回数も自分ですらもう20回を超えるかどうかという所だから
僕も大分歳を取りました、ジョンさん。

だいたい毎度こんな感じのこと書いてるし、何か言うのではなく
じっくりと彼の歌声でも聴いていればそれが一番なんだけれど
去年は確か触れてないはずなので今年は思い出したし、せっかくなので。

ポールを半官贔屓してるけど、ジョンが嫌いだなんて一言も言ったことは無い、
だから悪口は聞きたくないよって感じなので。

強いて言えば狂信的に宗教扱いするファンが相容れないだけなのかな。

ビートルズというよりもジョン信者なのがジョンファンで、
ビートルズ・ヲタなのがポールのファンである意味これもしょうもない(自分もそうだが)
ビートルズ嫌いだけどジョージの一枚目が好きだとか言っちゃう人はUnionへ、
ビートルズや周辺を制覇してもリンゴは手を出してないというマニアも意外といる。

しかし、ジョンってやっぱり柔らかい歌、けだるい歌が本質をついているようで
良い気がしてしまうのだけど。有名なのなら「夢の夢(#9 Dreams)」や「ハウ?」とか。

アルバムは前から言ってるとおり『イマジン』と『マインド・ゲームス』が
兄弟的でありながら英国勢と米国勢のミュージシャンが固めているということで
凄く対照的で音楽的だし、間違いなく良い作品。

という訳で今日は「マイ・リトル・フラワー・プリンセス」でも。
明らかに未完の作品『ミルク・アンド・ハニー』から。
ちょっとリズムがイカしてるよね。マイナーコードだけど全く湿っぽくない。


(Forgive Me) My Little Flower Princess('80) John Lennon

関係ないけど、息子のショーンがホンダフリードの宣伝に出てるけど、
絶対フリードには乗らないだろうお前とツッコミを入れたくなるが
地味に音楽活動も続けているようで。派手にやる理由を見つけるのが難しい
だろうけど、そこそこに頑張ってもらいたいような気も。宣伝の歌はいいよね。

そうですね、宣伝にさりげなく登場して小遣い稼ぎも忘れない。



何だか伯父の話も有ったので続いてしまったね。まぁ誤解を恐れずに言えば
人を想う事を意識するよい機会でもあると。
posted by cafebleu at 01:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | John Lennon | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。