2010年06月22日

Hello Goodbye

"活動再開と活動休止"

僕が活動しているバンドは昨年くらいまで活発に活動していた
ものだとビートルズ・カバー・バンドであるヲタレン(Water Lane West)
がその一つであるが、もう一つバンドを続けている。

そのバンドはヴェセルズ(The Vessels)と言うバンドで、断続的には
17歳の時からコアメンバーは変わっていなかったりする。
英国か何処かに近年ではVesselsというバンドがいるそうだけど、
僕らがこの名前を付けたのは93年頃だから、そのバンドは
居ない頃で、全く由来には関係ない。

高校の時分から初めて、97年頃に当方が長野に一旦越したので
活動は事実上休止していたが、99年頃に戻って活動再開、その後は
結成メンバーの3人にもう一人増えて4人で活動していた。

その後も多少の変動はあれど、それなりにコンスタントな活動を
続けていたが、2003年4月のライブを最後に、結成メンバーで
幼馴染でも有るドラムの子が諸事情でパーマネントな活動が
出来なくなって、ここで一旦正式に活動休止した。

ちょうどその頃は当方も今の仕事のやり始めの頃で、音楽に集中する
のがしんどく感じていた時期でもあったので、彼だけが活動休止の
理由というわけではない。要するに皆大人になって、音楽だけ、
しかもオリジナルを作って、デモを作って、それを世に問うべく
定期的にライブ活動をするなんて言う余裕が無くなったと
そういう事でもあるだろう。でも10年余り続けたことは少しだけ
誇っても良いんじゃないかと思うけど。

それから7年、当時の面子にまた一人新しいメンバーを加えて
ヴェセルズは再び活動をボチボチ再開していた。

ちょうど去年くらいから少しづつと言う感じだろうか。

勿論若い頃のように毎週時間をかけて、録音して、ライブしてと言う
活動ではなく、時間のある時に、ちょっと皆で集まって思い出しながら
と言う大人(社会人)の活動形態ではあるのだけど。

久々だったし、曲も少しづつオリジナルを思い出しながらと言う
ものなのだけど、いずれかライブをボチボチやっていけるような、
そんな活動をしていければと思っていた。

皆の日程も一筋縄では行かないので、再開ライブまで時間がかかったが
6月下旬に取り敢えずライブハウスでのライブと言う点では、7年ぶりの
ライブが決まったので、そこに向けて最後の仕上げをしていたら、
諸事情で再度ドラムの幼馴染がバンドを継続出来ないと言う事になり
再開ライブがいきなり休止、もしくは最後のライブになってしまう
と言う事になってしまった。

以前一度アコースティックなミニライブなら活動再開後にやった
のだけれど、今回は本当の意味での活動再開ライブだったので
少々残念ではあるが、それ相応に皆事情もある年頃だし、
幼馴染が再度集まって、こうやって一度でももう一回ステージに
立てると言う機会と仲間に恵まれたのだから、楽しもうと思う。

Vesselsについてはブログやサイトも作ろうかなと思っていたけど、
取り敢えずライブまでの情報は僕のブログで発信しようかと。

とは言ってももうすぐなんだけどね。場所も友人任せで
まだ良く分かっていないのだが。
posted by cafebleu at 00:11| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

星の王子さまに会いに行きませんか

"かんじんなことは、目にはみえないんだよ"

〜星の王子さまは、はやぶさの事でした〜

大好きなはずのワールドカップが始まったというのに、
僕は相も変わらずはやぶさの帰還の感動と、地球がまだ
誰も成し得ていない偉業を遂げて故郷まで帰ってきたのに
流れ星になってしまった彼に対する感傷が残っている。

元々宇宙は子供の頃に熱中したが、再燃したのは今年に
入ってからのこと。些細な事で悩む自分にとって宇宙に
想いを馳せるのは一時の現実逃避であり、宇宙はまだ見ぬ
リアルな現実も存在していて僕には塩梅が良かった。

色々書物やWEBで自分なりに研究しているうちに、プラネタリウムや
ハッブル宇宙望遠鏡で見る美しい宇宙も素晴らしいけど、どうして
人類はこれだけの発展を遂げられたのかとか、光速でも余りに
遠い太陽系の彼方には、理論的には人類は到達出来ないだろうとか、
火星で2004年から健気に探査を続けてるオポチュニティとスピリット
の活動報告や、人類が知らない「原始の地球」に良く似ていると
言われる土星の衛星タイタンへのホイヘンズ・プローブによる着陸の
映像みたいな、まだ見ぬ世界観や理論に心惹かれてしまった。


土星の衛星"タイタン"に探査機ホイヘンス・プローブが着陸した映像
誰も知らない未見の星に舞い降りたリアルなドキュメントとしても感動的な瞬間だ。


その辺りは他で詳しく説明しているので良いとして、
はやぶさの帰還から、色々と物想いに耽っていた僕は2003年当時、
はやぶさが宇宙に飛び立っていった頃の情報を調べていた。

その頃、はやぶさが向かう小惑星「イトカワ」がとても小さな小惑星
だったことにかけてか、『星の王子さまに会いに行きませんか』と言う
キャンペーンを展開していたらしい。要するに参加者の名前を載せた
ターゲット・マーカーをイトカワに残そうと言うものだ。

http://www.planetary.or.jp/muses-c/pc/campaign.html

当時はそんなことまるで知らなかったし、キャンペーンの当時を
僕も思い出してみれば、ちょうど今のようなネットワークの仕事を
始めた頃だった。今は統合されたとあるISPでの監視がスタート地点。
あの頃はなんにも知らないでこの世界に飛び込んでホントに大変だった
そういう記憶しかない。宇宙に想いを馳せる以前の状態だったね。

さておき、「そんなキャンペーンがあったんだ」と言う風に当時の
情報を見ながら、僕はふとした想いが過ぎった。

人間の英知の結晶ではあるけど、地味だったこの探査機はやぶさが
紆余曲折を経て地球に戻って、皆に色々な事を教えてくれて、最後には
姿を消してしまった。これこそが小説『星の王子さま』の真意で、

「かんじんなことは、目には見えないんだよ」

と言っていたことなんじゃないかなと。だからはやぶさこそが
星の王子さまだったんじゃないかなって。

ちょっとロマンチックに、感傷的に考えすぎなのかも知れないけど
そんな風に思えてきて、僕は悲しいけど星の王子さまを見つけられた
気がしてちょっとはやぶさにまた感心させられてしまった。

ただの宇宙バカなのかも知れないけど、やっぱりはやぶさが写した
最後の地球って言うのは、このプロジェクトに命をかけた人たちの
魂も宿ってる物凄いものだし、はやぶさに地球を見せてあげたいと言う
純粋な愛情を感じずには居られず、時間が経つほど直視出来ない。
それくらい力強く美しい。
※これを書いた後、ハレーション(ノイズ)部分を修正した地球写真も
公開されたけど、不思議と元の写真の方が美しいような気がする。


ありがとう。


星の王子さまについては以前も書いているので

http://blog.cafebleu.me.uk/article/151619783.html
posted by cafebleu at 01:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

Lilac6

"踊ろう、影から出る時だから"



『Lilac6』 The Lilac Time (2001)

最初に断ると、個人的なライラック・タイム作品のベストは
今回紹介する『Lilac6』である。とは言ってもライラックの作風は
多少の時勢を取り入れつつも、基本的に変わることが無いので
その時の気分によって私的"名作"が入れ替わることがあるのだけど、
少なくともこの作品は上位から転げ落ちることは無い。

前作『ルッキング・フォー・ア・ディ・イン・ザ・ナイト』リリース後
ダフィは一時音楽生活からの引退を考えていたようである。

その理由まで当方は知る由もないが、想像するならここまで孤高とも
言うべき美しい作品をライラック・タイムであれ、ダフィの個人名義で
あれ作り続け、それらはコアなファンや音楽仲間からは愛されつつも、
決して商業的成功からは程遠く、例え小さなヒットを飛ばしたとしても
その後にはすぐ彼自身にコマーシャリズムが足りないと判断され、
アルバムを作成している最中にレコード契約を切られてしまったりと、
ちょっと信じられないような不遇を囲い続けていたと言うのも遠因に
なりはしなかっただろうか。

事実、前述した前作('99)と、その前年に発表されたダフィのソロ名義
である『アイ・ラブ・マイ・フレンド』はリリース自体も紆余曲折を
経て何とかリリースされたものだった。日本の配給元が当時インディペンデント
なレーベルと言えたクアトロ・レーベルからだったことを考えても
それは間違いの無い事だと思う。

本作も国内でのリリースはBeat Recordsで、当方はこのレーベルに
ついて詳しいわけではないが、どう考えても他のコンセプトに比べて
浮いているように思えたし、渋谷のHMVのような比較的マイナーな
ミュージシャンでもプロモーションが有るような場所でもそれ程
プッシュされていたような記憶も無く、当時既に音楽のリリース情報を
必死で追うような事をしなかった当方にとって、しばらくリリースさえ
気づかないと言うような状態だった。

因みに英国でのレーベルはクッキング・ヴァイナルで、このレーベルは
当時XTCなんかも居たりした。現在ではオーシャン・カラー・シーンや
スザンヌ・ヴェガ、プロディジーなんかも籍を置いていたりしていて、
決して最先端の人気アーティストがいるようなメジャーレーベルでは
無いのだが、僕は意外とこのレーベルの作品を目にすることが多い。

そんなこんなで「気づいたら買った」と言う類のものなので、購入当時
の記憶もたいして存在せず、しばらくはなんどか聴いただけで放ったらかしていた
作品であるのだが、後ほどじっくり聴いてみると、これ程粒ぞろいで
程良いキャッチーさを持ち合わせたライラック・タイム作品というのは
他に思い当たらず、よく考えたらこのアルバムが一番素敵なんじゃないかと
そんな風に最近は思っている。

その鍵は、彼が所謂"ブリットポップ"の時代である90年代半ばから後半
にかけて行った一連のソロ活動がヒントであると思う。

この事は、前回のダフィ特集の序章に記したことと同じことなのだが、
彼にしては華やかでポップでエッジの効いたソロ活動を行ったことが、
ライラック・タイムのサウンドにも明瞭さを持ち込んだことである。
所々で気の利いた現代的な意匠を散りばめ、単に英国的でストイックな
アコースティック・フォークポップと言ったような風情では無くなり、
アレンジにも幅を持たせた結果、聴きやすさがそれ以降のライラックの
作品でグッと増したような気がしてならない。

それは前作から始まっていた事なのだけど、その明瞭さ(Clarity)は
本作で完成の域を見たと行って過言では無いと思う。

このアルバム自体の動機は引退との狭間で生み出されたと言ったような
決して明るい時期のものではないのに限らず、むしろメディアなどでも
「終わった人」的に扱われた事で、彼の強いモチベーションが芽生えた
と、そんな風に考えても良いのがこの作品の華やかさではないかと思う。

因みにこの頃は自伝を執筆していた頃のようで、それらも何らかの
作用を及ぼしたようである。確かに振り返るものは沢山ある人で。

とにかくこのアルバムはアレンジがさり気無く利いていて
そういう面で聴いていても楽しい。彼の作品の中で近いものを
敢えて探すというなら、興味深いのが98年作のソロ作品
『アイ・ラブ・マイ・フレンズ』がアレンジの質感的に一番
近いような気がする。

楽曲に目を移すと、1曲目「ダンス・アウト・オブ・ザ・シャドウ」が
アルバムのイメージを決定づける力強い名曲で、リズムなんかは
結構モダンだったりするのだが、芯の強いイントロダクションになっている。

2,3,4曲目も軽やかなサウンドで、ここ辺りでもさり気ない打ち込みなどを
効果的に利用して伝承的な部分とモダンさを上手く共有させている。
3曲目の「カム・ホーム・エヴリワン」は父の死について、4曲目の
「マイ・フォレスト・ブラウン」も絶望から希望への転化について
歌われていると言ったような、決して明るい世界観では無いのだが、
それがサウンドにわざとらしく滲み出ていると言うような事もなく
淡々としているのが逆に好印象を与えているのではないだろうか。

6曲目の「Jupe Longue」は兄のニック・ダフィが書いたインスト。
この兄のインスト・シリーズはここまでのライラック作品で必ず
1曲程度は収録されていて、いつもライラックの世界観により
引き込まれるようなミュージックホール的な作品で、いつも良い
アクセントになっているのでファンには人気だろう。

7曲目の「ジーンズ+サマー」も軽快なポップソングで、開放的な
サウンドがこのアルバムの雰囲気を象徴している。

8曲目の「ウェステッド」もマイナーなAメロからブリッジなしに
一気にサビへと開けるようなシンプルながらも力強い楽曲である。

歌ものとしては最後の楽曲になる11曲目の「ザ・ラスト・マン・オン・ザ・ムーン」
はタイトルの通り宇宙(月)について歌われたもので、イントロからして
過去作品の『アストロノーツ』を思わせる楽曲だ。

とにかく最初から最後まで楽曲の質が高く、それがかえって平坦な
印象を与えてしまう事があるので目立ちづらいのかも知れないが、
個人的にはライラック・タイムのベストに推薦したい、そんな作品だ。

こんなに爽やかなヴェールに包まれたような作品はそう無いと思うし、
それがライラック・タイムのピュアなアコースティック・サウンドと
とってもマッチしている。この辺りは聴いてみないと伝わらないかな。


「Come Home Everyone」 The Lilac Time
posted by cafebleu at 01:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Duffy[Lilac Time] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

Hayabusa spacecraft

はやぶさ、帰ってきましたね。おかえりなさい。

宇宙開発史初の月では無い天体からの地球帰還。
小惑星イトカワへの着陸は自律的に行ったとか。

途中通信不能になって宇宙を永遠にさまよってしまうかと
思いきや通信が復活したり、エンジンが何度も不調に
なっても立て直したりと、何だか感情移入したくなる人工探査機で、人気者に。
(元々障害に対する自律的な復旧というのも組み込まれていたようだけど)

何と予定よりも3年も遅れて地球に戻った上、その飛行時間は
7年を数えたはやぶさ、何だか筋書きの無いドラマって素直に感動させます。

はやぶさが大気圏に突入して流星になる直前に、
最後の力を振り絞って撮影した地球の写真が泣かせます。

http://osaka.yomiuri.co.jp/science/news/20100614-OYO8T00279.htm

ちょっとノイズみたいなのが入ってる上、写真の下側が
無いのですが、この写真を送信している間に通信が途切れたらしく。
満身創痍の中で最後の大仕事だったのかと。

Twitter夜中まで見てて、何だか童心に帰ったよ。
いや、何度見ても最後の地球の写真は感動的だし、美しい。
posted by cafebleu at 07:11| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

僥倖

"不器用なりに救われる時もある"

今の勤務先における繁忙期のピークと言うのは4月がそれにあたり、
実際の勤務形態もシフト形式になるというか、土曜や祝日も
出勤日となる。よって、4月下旬から始まるゴールデン・ウィーク
と言うものは一般の人に比べて最低でも半分程度は削られる。

だからうちで働いている者の多くにとってGWと言うのは少ないし
4月のハードなシフトが一段落して少しでも体を休めたい時期なので
余り遠くに旅立つといったようなアクションを取る人は少ない。

いきなり何の話だよ言ったところだろうが
そういう仕事をしているので4月は毎度忙しいと言うことだ。

GWの後もしばらくの間繁忙期は続くわけだけれど、
勤務形態は通常に戻り、ボチボチ落ち着いてくるのが例年。
所が、今年は延々続いている案件の構築なんかもあって
本来この案件の主要メンバーのつもりは無いのだけれど、
比較的社内のネットワークには通じて方になってしまうので
そちら側からモノを言える、見える人間として最後まで付き合った。

結果、数回に渡る深夜の移行作業とか、そんな変則シフトもあって
落ち着くはずの5月も変わらず慌ただしく、それでなくても
他にも仕事だってそれなりに積み上がってきているのにデスクに
座っていることが出来ないので思うような仕事が出来なかった。

まぁね、構築系の現場作業も楽しいこともある。
自由だし、現場の場所にも恵まれているのでおいしいご飯も食べれるし。

でも、僕の問題と言うのはそういう事ではなくて、
自分との戦いに気付いてしまったことである。

以前から手紙は来ていたのでそうかとは思っていたけど、
何かと忙しいものだし、強いて言えば自分にとってのプライオリティが
一つ下のものだったので気にかけないように自分でしていた部分もある。
しかしながら4月下旬に届いた手紙が思わず自分の視界に入ってきた。

あなたの資格有意性期限は2010年6月3日です」

あ、そうか、もう一ヶ月くらいしか無いなと。

LPICは僕が取得した頃と資格の有意性が若干変わった。
一つには有意性の期限が10年から5年に縮められたこと、
これは当時資格を取得した者にも適用されるのである。
もう一つはRedHat系、Debian系と言ったディストリ毎に
若干異なる試験を受けれた制度が廃止された事である。

僕はLPICを取得する前からLinuxの構築や運用のエンジニアとして
既に就業していたけれど、この資格を取得するきっかけとなったのは
能動的な理由ではない。

元々当時居たデタラメ・ベンチャー会社が思い付き?でスクールを
始めると言い出して、僕が持っていたCisco系だけだとネットワーク
だけで格好が付かないから、出来ればオープン・ソースの資格を
取得出来ますみたいな宣伝を打ちたい、後ほどLinux向けの講師は
別途雇うから取り敢えず僕もLPICを受けてみてくれないかと、
そう言った動機もデタラメのような感じで取得したのであった。

勿論既にOSであればLinuxを比較的得意としていたので
それ自体は独学で取得するのは可能であろうと思ったが、
想像した以上にLPIC-1はLinuxの運用に重きをおいた資格で、
比較的サービス(デーモン)の構築を得意としていた当方には
勉強も苦戦の連続であったと記憶している。まぁ余り覚えてないが。
実際のサービスの問題は当時としては旧時代的な感じもして
何となく頭にも入らず、とにかく試験に対してのテンションも
上げづらいと考えていた。

元々ネットワークの方がどちらかと言うと勉強としては好きなのも
有って、この資格に対して愛着が湧かないと言うか、個人的には
もう少し違う問題の出し方が有っても良いのではないかと、
そんな風にLPICに対しては思いつつ、しょうがなく勉強していた。

そうは言っても取得して欲しいと頼まれていた納期?は迫っていたので
取り敢えず一ヶ月毎に一つ(LPICは複数試験を受けて一つの資格である)
受けていった。

結果としては101試験が550/800点 102試験が530/800点で合格し、
無事に資格取得と相成った。

しかしこの時点でわかるように、僕の取得点数はお世辞にも高いとは
言えず、どちらかと言えばこの試験のおおらかな合格点(概ね62.5%)
にも助けられての資格取得と言えるだろう。

実際に受験時も解き倒しているようなカタルシスは全く得られず、
Cisco系試験が上手く行ったと手応えがある時の様な充実感は
得られず、時間の最後まで取り敢えずは何度も何度も見直して、
取り敢えずこれ以上は考えても答えがでないのでギブアップ、
と言ったような心持ちで試験終了のボタンをクリックしていた。

そんな自分の不甲斐なさと、この試験に対する疑念と言うか、
職種によってはもっと突き詰めて欲しい部分が足りていないと
言ったような不満ばかりが残った資格で、今回の更新も何処かで
要らないのでは無いだろうか?という慢心が有ったのではないだろうか。

で、結局会社に頼まれて取得したこの資格をスクールだか何だかで
活用する機会は全くなかったし、そんな企画も資格を取った頃には
半ば頓挫していると言う体たらくだけが会社では待っていたが。

それから早5年、今の仕事先で特にLPICを持ってなさいとは全く
言われてないのだが、悩んだ挙句、残り1ヶ月で何処迄出来るか
分からないけど、やれるだけやってみようと言うことになった。

この繁忙期のクソ忙しい時に。

既に取得しているのはLPIC-1なので、LPIC自体を維持するなら
Level-1の再受験でも良いわけだが、当方が比較的明るい分野は
どちらかと言うとLevel-1よりはLevel-2であった。

特にLinux版シスアド的な要素の強いLevel-1は当方のように
取り敢えず自宅サーバでも構築してみるか的なデタラメ手順で
インストールは取り敢えず済まして、デーモンの設定に走って言った
輩にはしんどい部分が多いと感じた。

それは当方のオープンソースとの出会いがホスティング系の
プロバイダでデーモンの設定を知ることから始めた自分にとっては
当然で、考慮した結果、時間が少ないならサービス(デーモン)系の
出題が多く、勘が働くかもしれないLevel-2を受験した方が得策だろうと。

しかし、既に5月も1週間ほど過ぎ、201、202と二つの試験を受けなければ
資格更新が叶わないと言う状況は相も変わらず、取り敢えず週末を中心に
勉強へと雪崩込んでいく。それはひたすら問題集ベースで解いていく
と言うもので、まぁ問題集だろうが参考書だろうがとにかく問題を
解いていくと言う身にならない手法である。

それは分かっているし、為にはならないのだけど、資格が無くなるか
否かが今回のポイントと割り切った。先述の通りこの資格は好きじゃない。

先ず2週間ほどの勉強で201を受験。これは辛くも530点で切り抜ける。
(800点中、最低合格点500点)
点数は低く、相変わらずやっていてこんなんで受かるのかと言う感想
なのだが、運が良ければ・・・との思いで試験終了ボタンをクリック、
上記点数でまずは最初の関門を突破である。

しかし、この201試験を受験した時点で5/17。

つまり、後2週間しか当方に202受験を受ける時間は残っていなかった。

ここまで来ると正々堂々なんて気持ちは更に遠くの銀河に消えさり、
残りの日数とリテイク・ポリシー(受験に落ちた時の再受験出来るまでの間隔)
を良く考えてみた。

LPICのポリシーはある科目に落ちた場合、1週間を空ければ同じものを
一度に限り再受験出来る。それ以降は大きなウェイトがかかるので
そんなものは今回関係ない。

つまり、上記を鑑みると、仮に17日週の週末を勉強に充て25日までに
一度202試験を受験する、この25日の試験は勉強が完璧でなくても
試験傾向を知るためにわざと不完全でも受けるのだ。
そしてここで試験に落ちてもリテイク・ポリシーで同試験を一週間後に
もう一度だけ再受験出来る。ここで最後のスパートをかけ、試験傾向も
抑えた上で受験すれば、何とか滑りこむ可能性が出てくるのではないか。

勿論一度受けた試験で同じ内容な訳も無いが、傾向を知れるというのは
これ程大きいことは無いだろう。そういう訳でこの方法でギリギリの
日程を最大限活用することとした。

そこで17日の週、平日は早く帰れる日は少しでも、そしてその
週末である22日と23日は集中して問題を解く。
202の試験範囲はWEBサービスであったり、メールサービス、
ファイルサーバ等実務でも多くの経験があるサービス群である、
自己暗示をかけつつ少ない時間に集中する。

そして、24日はこの週にある深夜作業の準備もあったので、25日に
202試験の"1回目"を受けることにした。

比較的受かる受験会場のゲンは担ぐので、近年Ciscoやこの前の
LPIC201で受験して受かっている品川の会場は敢えて使わなかった。
そのくらい今回は落ちても落胆しないように心がけ、武蔵小杉の
利用したことのない会場に赴く。行ってみたら近いしこじんまり
しているけど設備も整っていて何となく良いヴァイブレーションを
受け取ったのだけれど。

実際に試験が始まると、出題の範囲は思ったよりは想像内だが
いかんせん勉強時間が少なすぎて(実質週末2日間)、あ、この場合は
どうだったかと言うのがおぼろげだったり、思い出せなかったり。。

まずは駆け足で最後の問題まで進めて、その後一問目から見直す。
LPICの場合、CCNP系のように一度解いてしまうと二度と
戻れない一方通行な試験でないのがせめてもの救いだったり。

どういう得点配分なのかは公表されていないが、純粋に60問の
問題中、これは間違ってないだろう、もしくは概ね合っているだろう
と言うものを数えてみると、20問強・・・これでは半分も行ってない。。。

もう一度良く考えて、思い出したり、もう少しまともな解答を
導き出せた物も含めて再度数えても30問強、これで半分と少し。
LPICのボーダーラインである"6割強"と言うところに届いているのか
いないのか、、、そういうステータスなのは自分でもわかっていた。

比較的問題の中で当方には与し易いと考えられたWEBサービスや
Mailサービスの出題率が比較的低く、Trouble ShootingとSystem Securityが
多めだった。

しかし、このように自分で回答に自信が無いからと言って、選択肢や
解答をころころ変えてしまうと、かえって結果が悪くなる時がある。
分からなかったり曖昧であるなら、どちらを選んでも間違いと言うことも
あるし、結局わかってないのだから特に選択系の問題で解答をいたずらに
変えることは止めて、残り10分くらいでこれ以上は無理と判断して
試験終了をクリック。

最初に書いた通り、今回の試験は落ちて当然の勉強日数で、
試験の傾向を知るため、そう思えば十分に得るものが有ったと。

結果が出てきた。コンピュータで受ける試験だから
結果が一瞬で出てくるのがいつも緊張感を誘ってくれる。

あなたの得点「500点」 必須合格点 「500点」 結果「合格」

・・・・・??

・・・・・えっと、これは???
・・・・・何だか得点と合格点がまるで一緒だけど、、、

・・・・・???合格ってでも書いてあるな。。。
・・・・・orz。。。ってそうじゃないか、合格か。。(脱力)

しばらく混乱していたけど、要するに最低合格点そのもので
お釣りなしの合格をしたようである。

LPIC2.jpg
誇張でないことを示す試験結果用紙

あと一問の間違いも許されない状態での試験通過、即ちそれは
運に恵まれたことを意味するものである。

まぁ今回は付け焼刃とは言え、Linuxなりネットワークなんてもの以前に
10年前はパソコンの触り方すら分からなかったのが自分で、その頃
友人がCD-Rを焼いていたりしたのをみて、何をしているのか
さっぱり分からず、どうしてあんな無印のCDを持っているのだろう?
(CD-Rはマクセルとかのロゴしか書いてなかったので・・)、あれは
どういう機械で作るのだろう?と本気で狼狽していたり、
では自分でもPCを触ってみようと、ヤマダ電機か何かのネットコーナー
に置いてあるiMac(液晶になる前の丸いやつ)を触ったらフリーズして
しまい、それをどうして良いのかも分からず、後ろには順番待ちを
している列が見えて、それがPC音痴には恐怖にすら感じて、泣く泣く
電源コードをぶち抜いて逃げて行ったこと(滅茶苦茶だが)、
そんな事が走馬灯のように自分の頭を過ぎった。

少なくともSEになろうして、もしくはなってからも、勉強だけは
時間をみては頑張ってやり続けては居るわけで、そういう地道で
真面目な事を続けていれば、運にも恵まれる時があるのだなと
そんな風に思えた試験ではあった。

仕事も深夜作業が連発して忙しい時だったし、同じ試験を何度も
受けなくて済んだのは本当に助かった。

いつもの受験記はもう少し内容に触れるけど、それすら余り
覚えていないので、今日は精神論?について。

社会に出ている大人の勉強ポイントは、気合と運だと思う。
勉強出来ない理由はいくらでも作れてしまうので、そこから
自分で逃れられるか、そして運が微笑んでくれるか。

後日行ったInterop2010でも無事にLPIC資格者にくれる
"少し大きい"LPICちゃんを貰いました。。。

IMG_0226.jpg
右がLPICちゃん、左は関係ないがSuicaペンギン。。。
Suicaペンギンがこれ程までに完成度の高いキャラクターなのかと
言う事がLPICちゃんによって思い知らされました。
でも、大事にしますよ(笑)。
posted by cafebleu at 15:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | LPIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。