2009年12月21日

世代

これを途中まで書いてから風邪をひいて寝込んでたので
もう年も瀬だけど、19日はヲタレンのライブだった。

当初この時期の出演は全く予定していなかった。
それも当然の話で、そもそもヲタレンは完全に過渡期で
リーダーが音楽から離れたこともあり夏に脱退してたし、
その後もしばらくは安易にメンバーを増やすのを躊躇って
いたので、しばらくは3人でアコースティックな練習を
適当なスパンで続けている程度で、ライブ自体も来年以降で
十分だと考えていた。

所がコリンゴが大塚Welcomebackで定期的に開かれている
ビートルズイベントの欠員が12月に出たことで出演を
打診されて引き受けたので、事態は一転、この時期の出演となった。
これが決まったのが既に12月初旬、本番まで1カ月を
とうに切っている状態だった。

当初は準備期間が無いと言いつつも、既に3人ヲタレンで
6曲程度アコースティックな曲をカバーしたりしていたので
まぁ何とか出来るのではないかなとは思っていたのだけど、
ジョージ役のMakiMakiさんが仕事の関係で本番まで一切
練習に入れないとの事で、さすがにそれでは人前に見せれる
物が出来るわけも無いし、そんな状態では出たくなかったので
一瞬は出演をとり辞めようかと思ったが、只で無くても出演者に
人気が高くて、ライブの日が決まると30分以内に枠が埋まって
しまうような人気イベントだったのでそれも勿体ないと思うように。

最初はこれを引き受けたコリンゴとのユニットも考えたが
せめてそれならコリンゴもパーカッションだけでなく少し
ギターを弾いてほしい(コリンゴもギターは多少弾ける)、しかし
普段ギターを弾いていないコリンゴにそれを準備してもらうには
今回の期間ではさすがに準備不足、かと言ってドラムとギター
だけと言うのは余りにユニットしては相性が悪すぎる。

僕はいつだかオーシャン・カラー・シーンのヴォーカル、サイモンと
ドラムのオスカーが二人で英国限定でツアーしたものを収めた
限定CD、『Live On The Riverboat』を思い出していた。



この作品、特殊ジャケットと限定販売だったもので入手したが、
アコギとドラムと言う構成で、大したアレンジもせずにオーシャンの
曲をやっているという何とも言えない大味なその内容に落胆した
記憶だけあり、今でも聴くに堪えない代物である。オスカーは
ドラムだけで無くピアノも弾けるので、数曲ではピアノも披露していた
と思うが、せめてピアノを中心に、アレンジもしっかり考えて
欲しかった。普段からオーシャンはストレートなモッドロックに
見せかけて、かなり凝ったアレンジを仕込んでいるのでこういう
雑な構成では非常に残念な結果になった。

閑話休題、上記の様な思い出もあり、ドラムとギターだけで出演
するのは気が進まなかったし、それなら僕がやっているもう一つの
バンド、ヴェセルズで出れば良いのではないかと方向転換した。
ヴェセルズはビートルズをカバーするバンドではなく、オリジナルを
中心としたバンドだけど、元々は中学、高校時代からの仲間と
断続的に続けているバンドなので、お互いのやりたいことはわかるし
非常に柔軟かつ、サウンドのコンセプトはしっかりしているので、
そこに上手く当てはめれれば、アレンジの利いたビートルズなら
何とか出来ると踏んでいた。

所がこちらもやはり余りに急だったのでドラムの子の都合が合わずに
断念せざるを得ない状況に。

流石に万事休したかと考えていたが、良く考えればヴェセルズの
他のメンツ(ベースとパーカッション)は出演可能で、ヲタレンの
ドラムであるコリンゴも当然出演できる訳だから、バンドとしての
ピースは揃っているのである。このメンツで出演すれば何とかなる。
この時点で既に本番まで1週間強、悩んでいる時間は無かった。

勝手な計画だったが皆快くこの特別バンド案を受諾してくれ、急いで
選曲と大まかなアレンジを考えてスタジオを取った。

時間が無いのにアレンジしてやるなんて、と言う考えも有るかも
知れないけど、ヴェセルズの二人は普段からビートルズだけ聴いてる
訳でも、そう言ったコピーバンドに参加している訳でもない。
逆に普段からオリジナルをやっているので自分なり、もしくは
バンドのスタイルに合わせた編曲と言うのを考えてやっているので
変に完コピに近いような事をするくらいなら、自分なりの解釈で
やってもらった方がやりやすいだろうし、僕もそれは同じだった。

コリンゴも元々はオリジナルのバンドをやっていたので、それは
問題無く、まずはアレンジの基礎をヴェセルズのスタイルで考え、
そこにコリンゴの躍動感のあるドラムが乗っていくスタイルを
想像した。それは簡単に言うとファンキーな弦物に、ポップな
ドラムが乗っていくような感じで、実際ヴェセルズとは似て非なるけど
遠くは無い予想できる感じに練習の初回から僕には聴こえていた。

この感じは3人でやっていた頃のヲタレンにも通底するもので、
そもそもリーダーも元々はヴェセルズでやっていたプレイヤーだから
そういうライトソウルなポップ感は昔から共有していたし、
そういう要素が当時やっていた「パーティはそのままに」の
モータウンビートでのアレンジなんかにつながっていた訳で、
その辺りの乗りはそのままヴェセルズの二人にも伝わった。

そこに女の子二人をコーラスに従えて、一部は主パートも歌って
貰ったことで、何となくガールズ・ポップの様な要素も入ってきて
これが今まで一番新鮮に感じた部分ではあった。そしてうちの
二人の女の子はコーラスも時間が無い中で演奏をこなしながら
良く頑張ってくれたので本当に面白いものになってきた。

結果、サウンドとしては

"初期ヲタレン+メジャー7th的ソウル度高め+ガールズ・ポップ"

って言うとても90年代的なアレンジになってきて、最後はそれを
意識しながら全体では2回、全部でも10時間の練習で本番に。

さすがに練習不足は否めず、所々が荒く、コード展開なんかの
イージーなミスも多かったけど、総じては曲が途中で分解して
しまうような事も無く、このメンツらしいビートルズのカバー
と言うのは出来たかなと思っている。

それは繰り返しになるけど、総じて言えば90年代的なサウンドだった。

僕らの世代と言うのは英米問わずロック、ポップシーンが非常に
回顧的なサウンドを奏でていた世代で、それは基本的にビートルズや
ビーチ・ボーイズ、もしくはスモール・フェイセズやキンクスとか
そう言う時代へのカルチャーも含めたオマージュも有ったと思う。
例えばスウィンギング・ロンドンとかそう言うもの。
もっと言えばそこにネオ・モッズやニューウェイブのような次世代も
ミクスチャーされているわけだけど、その辺りは置いておく。

ただ、この辺りのミュージシャンはテリー・ホールやウェラーの
ように90年代でもバリバリ現役だったりしたので、自然と
90年代のミュージシャンの善し悪しを含めた模範にもなっていくのだが。

だからブラー辺りなんかはファッションも含めて非常に6〜70年代の
モッズスタイルを取り入れつつ、それを90年代的に解釈してたり、
音楽だけの枠を越えたムーヴメントでも有ったように思える。


「For Tomorrow」('93) blur
3つボタンにフレッドペリーポロシャツ、ユーズドのデニムに、
マーチンの10ホール。完璧なる90's Modスタイル、
僕にとってこのプロモにはロンドンへの情景が全て詰まっていた。


ぱっと思いつくだけでも、ドッジー、ティーンエイジ・ファンクラブ、
マシュー・スウィート、ヴェルベット・クラッシュ、スーパーグラス
オアシス、ライド、ブー・ラドリーズ、ウィーザー、ジェリー・フィッシュetc..

同世代ではないけどオーストラリアのクラウデッド・ハウスも末期は
大分ビートルライクなアプローチを見せていたし、ポップとは言い難いが
オーシャン・カラー・シーンなんかはウェラー直系の
「60'sミーツ・ダウン・トゥ・アース」なサウンドを聴かせていた(今でもそうか)。
この辺りはセンスの問題で、フリーやトラフィック、果てはザ・バンド
までをモッドなものとして取り込んでいる。

勿論スウェディッシュ・ポップにもこういう要素は潜んでいた。


「Sparky's Dream」('95) Teenage Funclub
僕らにとって瞬時に95年にタイムトリップしてくれるような代名詞的な曲。
カジノとかジャガーとか、ビートルズマニアとは違う意味で使う人が
多かった世代でも有ることも思い出したり。。



「Falling To The Floor ~100mile High City Lynch's Remix~」 Ocean Colour Scene
旧MINIが一杯(笑)。MINIとOCS、鉄板の如きモッドな世界。
何だかこの曲に合わせた映像だと速そうだがそんな事は無い。
やっぱりモッドには古いMINIが正統で、そしてOCSとMINIだけで
雰囲気は出来あがっている。


もう当時のCDを聴き返すこともそうは無いのでこぼれているものも
有るだろうけど、つまり当時英米の違いや、カテゴリー的やファン層が
違うと思われるミュージシャン達でも、一回りすればそれらはそれ程
意味を成さないと言うのが改めて良く分かったりもする。
これらは大きく回顧的なタイプのミュージシャンと考えるのが相当だろう。

つまり何が言いたいのかと言うと、僕らと言うのは60年代のサウンドを
良い所どりしつつも現代的なフィルタ(90年代的)で再構成するのが
リスペクトであると考えている世代でも有ったわけだ。
それはサンプリングも常用化した時代背景と言うのも勿論有ると思う。

クラブ・ミュージックがリフレインをサンプルして多用していたように
ポップ・ミュージックも『ペット・サウンズ』の一要素をアレンジに
織り込んだりして聴かせると言うのがトレンドで、それがレトロでも
クールでも有った訳だ。

だから、僕らの世代でそう言う英米の音楽を好んでいた人間が
例えばビートルズのカバーをやるとしても、本人たちの演奏やスタイルを
そのまま踏襲するのは逆に気が引けるし、余り面白みは無くて、
90年代らしく、「再構成」したい衝動に駆られるし、それがとても
楽しかったりもするのである。それがスモール・サークルな範囲にしか
伝わらないとしても、だ。

勿論これはストレートなスタイルに対する批判ではなく、僕らなりに
無い金を使って必死でWaveだのHMVだのUltraだので音楽を追っかけ
まわしていた僕らの世代かつ、サブカルチャーなレトロポップ好きに
対して(自分も含めて)の正直な感想なんだけど。

やっぱりブリンズリーの4枚目とか、そう言うのの再発見つけた時は
嬉しかったと思う、そこには素敵なビートルズの残り香が有った訳だし。

とにかく、同世代の古い仲間中心に、呼吸を合わせながら短い期間で
アレンジを擦り合わせられた時の集中感や楽しさは代え難いものだったし、
それは単純にライブの出来、不出来を越えて収穫の有るものだった。

それは、ヲタレンが最初にビートルズのカバー限定で取り敢えず
(僕の中では今でも"取り敢えず"なのである、いくらでも他に取り組みたいカバーと言うのは存在するので)
初めてみて、ビートルズ周辺しか出来ない制限故、逆にソロにこんなに
良い曲が有ると再認識したり、こんな風にやってみようと思ったり、
制限は時にアイデアの良き母になるのを再認識したりもしているが、
そう言う要素をここの所忘れてしまって、只初期のビートルズとかを
普通にカバーするバンドになり下がっていたので、自分自身が何を
したいのかも振り返る良い機会になった。

ストレートにカバーするのであれば僕らよりずっと研究し、ストイックに
その姿を求めているバンドが居る訳で、そこには到底僕のジョンへの愛情では
勝てる訳もないし、僕は僕らしく再構成と編曲と選曲こそが音楽の醍醐味と
考えているものをヲタレンであれ何であれ忘れずにいたいとは思うのである。
posted by cafebleu at 02:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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