僕はクイーンが大好きである。
僕だけでなく、ポップファンやマニアの多くはクイーンが大好きだろう。
そして月9とオリコンのヒット曲しか知らない人だって今ではクイーンは有名人だ。
野球などスポーツ好きなら「伝説のチャンピオン」が胴上げシーンのBGMに
よく使われたりして知ってたりもするだろう。
本当にストレートでベタな展開をするバラードやロックソングに
枯渇したら間違いなくクイーンを聴けばそれは満たされる。
オペラティックな所やフレディの特異なキャラクターばかりクローズアップ
されるのだけど、その実はとても優れたグループで、以前も書いたが
4人とも趣向の違う作曲をしつつも各々代表曲を書いている辺りは
才能に他ならない。そのようなグループはほぼ皆無だ。
クイーンのファンというのは二つに分かれると思う。
一つは耽美的、英国的ハードロックの代表格としてのクイーンである。
サウンド的にはブライアン・メイのギターや楽曲が好きだろう。
アルバムで言うなら何は無くとも『クイーンU』、他には
『オペラ座の夜』と『イニュエンドゥ』辺りが好みだろうか。
もう一つは愛すべきポップメイカーとしてのクイーンのファン。
時折見せるふざけたような楽曲も、ストレートなポップソングも好みである。
実はジョン・ディーコンの楽曲が楽しみである。好きなアルバムは
『ジャズ』『華麗なるレース』『ゲーム』辺りなんてどうだろうか?
僕は間違いなく後者である。
この幅広いファン層こそクイーンの凄みで、ビートルズ亡き後、
少なくとも英国においては国民的バンドの座をクイーンが得ていくことを
踏まえても、クイーンはある意味深いのである。
「ビートルズの後釜なんて・・・」と思う向きも有るかも知れないが、
EMIがパーロフォン・レーベルを復活させたときに、最初にそのレーベルを
与えたのがクイーンだったのが何よりもの証だと思う。これは功労的な意味も
あるだろうが、パーロフォン復活第一弾は88年発表のアルバム『ミラクル』だった。
(後にパーロフォンを冠するのはレディオヘッドやブラーである)
もう一つ付け加えると、英国チャートにおいて、ビートルズの次にアルバムの
チャートで1位を多く送り込んでるのはU2やストーンズではなく
クイーンであることも忘れてはならないだろう。
アルバムにして9枚のチャートNo.1獲得を記録している上、ベスト5まで
と言う事になるならコンピも含め20枚ものチャートインを記録している。
更にはシングルでも23枚ものベスト10入りを果たしているモンスターぶりである。
勿論ビートルズの活動期間はわずか8年ほどで、その後コンピの数を
含めてもクイーンの実働年数である20年強には及ばないのでそれを加味する
必要があるが、例えば同じく20年以上の活動履歴を誇るストーンズでも
実際はこれほどの商業的成功は収めていないのだ。
別に音楽はチャートだけでは決して無いけど、そんなスケールの大きな話が
良く似合うバンドだったし、実際にスタジアム・ライブで見栄えのする人たちであった。
ライブ・エイドでは今でも語り継がれるパフォーマンスを披露したし、結果的に
彼らのラストツアーとなった86年のウエンブリーでの勇姿は今でも観る事が出来る。
中期以降は明らかに「芸術」よりも「
明らかにロックレジェンド的な要素よりも商業的な成功面が強いせいか、逆に
コアに語られることが少なかった彼らにとっての転機となったのは皮肉にも
フレディの病であった。
88年発表の『ミラクル』が比較的ストレートな作品であったにも関わらず、それに
伴うツアーを行わなかった辺りから”噂”は本格化しつつあったようだ。
それはフレディがHIVに感染し、発症しつつ有ると言う噂である。
そして、その噂は誰の目から見ても、耳に入る音からも明らかになる。
そのアルバムがフレディ生前最後の作品で、オリジナル・アルバムとしては
最終作と言って良い91年作『イニュエンドウ』である。
このアルバムは実質上前作『ミラクル』から1年強しかリリース期間が離れていない。
これはこれほどの大御所のリリースサイクルとしてはとても短い。
そう、急がなければいけないのには訳があった。
フレディの体はHIVの発症によってどんどん蝕まれつつあったのだ。
それはプロモーションビデオ等、誰の目から見ても明らかになっていた。
こけた頬、決して大柄では無いものの、しっかりとした体系を維持していたはずの
体が本当に細く、小さく見えた。何よりもあれだけ生気にあふれたオーラを失いつつあった。
正直ファンにとって『イニュエンドウ』は冷静な評価を下しづらいアルバムである。
サウンド的には良く言われるように初期を髣髴とさせるような耽美的ハードロックが
久々に随所で聴かれる。そしてそれ以上にアルバム全体が重苦しく、それは
フレディが諦めと希望の狭間で戦っている姿そのものにも思えてくる。
正直僕の好きなクイーンのサウンドが満載のアルバムとは違うのだが、
やはりこのアルバムを耳にすると、万感に駆られる。
楽曲もさることながら、このアルバムで聴かれるフレディの歌声は人生の最期が
迫っているとは思えないほど透明感があって美しいのだが、その反面どこか
ここまでの力強い彼の歌声と比べると、明らかに線が細く感じる。
僕はこの一枚のアルバムを通して彼は遺書を残したのだと思っている。
これは優れた音楽家にしか出来ない物凄い遺書であり、音楽作品である。
こんな事を言って良いのかわからないのだが、彼の死は突発的なものではなく
徐々に彼を追い込んで行くタイプのものであった。だからこそ彼は壮絶な生き様を
作品に閉じ込めることが出来たのだとも言える。
「ショー・マスト・ゴー・オン」は『イニュエンドゥ』リリース後、シングルとしても
リリースされている。発売日が91年10月で、これはフレディ死去の1ヶ月ほど前だった。
勿論生前最後のリリース作品となったわけだが、この曲をラスト・シングルとすることを
フレディやメンバーの中で既に決めてあったのではないだろうか。
既にここまでアルバム『イニュエンドゥ』からはタイトル曲「イニュエンドゥ」の他に
「アイム・ゴーイング・スライトリー・マッド(狂気への序曲)」「ヘッドロング」がリリース
されていたのだが、結果的に彼の壮大な遺書のようになってしまったこの曲を
最後に回したのはバンドの意思だったのではないかと感じる。
「The Show Must Go On」('91) Queen
プロモ・ビデオ自体もここまでの彼らの映像がふんだんにコラージュ
されたもので、それがまた走馬灯のようで、観る者の心を打つ。
恐らくは既にプロモを撮影できる状態ではなく、結果的にそうなったのだろうが。
楽曲自体は、比較的ステレオタイプな欧州的歌謡ハードロックテイストの
コード進行とアレンジなのだが、やはりこの曲を感動的にしているのは
フレディの砕け散ってしまいそうなそのヴォーカルに尽きるだろう。
そして、自らの現在と重ね合わせられるその歌詞である。
”ショー”を続けなければならない、もしくは続けたかったのは誰よりもフレディ
本人だっただろう。しかしながら、それは既にかなわぬ願いとなりつつあった。
その最中に揺れながらも力強い歌声を、僕は何度聴いても込み上げる物がある。
皮肉にも、”ショー”を今でもやり続けているのは、フレディではなく、ジョン・ディーコンを
除いて、残されたほかのメンバーだった。しかもポール・ロジャーズと言う
有り得ないような選択肢を用いて、である。
僕はフリーが大好きだし、そこでのロジャーズのヴォーカルは素晴しいと思うが。
晩年のドサ周り歌手のような風情の彼を起用する安っぽいセンスに呆れてしまった。
結局のところ、フレディの遺言通り、ショーは続けられて、残されたものは食扶持を
得ているわけである。でもフレディはそれで良いと思っているような気がする。
クイーンは偉大なる”商業芸能”バンドだったのだから、それで良いのだ。
しかしながら僕は今のクイーンを耳にしたいとも全く思わないが。
その点でここに合流しなかったジョン・ディーコンが彼の楽曲同様とてもクールに思える。
僕はこの曲の一番のハイライトは後半に差し掛かる前のCメロ部分だと思っている。
ハードなギター・ソロに導かれ、ややサイケな音響で、他の重苦しいパートから
一瞬解き放たれたかのように聴こえるこのパートの美しさこそ、
この曲を崇高な物にしているような気がするのだ。またこの部分の歌詞も美しい。
空に羽ばたく蝶のように彩られた僕の魂は
昨日のおとぎ話のように色あせることは無い
友よ、僕は飛ぶことが出来るんだよ
僕の好みの音楽の中ではやや異質なクイーン、最初はまぁ音楽的に
自分にも好きなところがあるな、なんて部分から聴くようになったのであるが、
今となっては素晴しい生き様を見せてくれたフレディに対して畏敬の念を持っている。
正直お世辞にも格好良いとは思えないし、余りにもなその風貌にも当初は
嫌悪感すら感じた記憶もあるのだが、彼と言うのは稀有な人で(言うまでもないか)、
その存在で人に希望を与えられる人だったような気がする。
今回このコラムを書くために久々にYouTubeなんかでビデオなんかを観ていたが、
改めて彼の生き生きとしたライブでのパフォーマンスを観るにつけ、彼が亡くなってから
もう17年ほどの年月が経っているのが、何だか今でも信じられない感じもする。
それくらい彼の生前の姿は”生”の躍動に溢れていたのではないかと思う。
正直今観ていると、切れたマイクスタンドのような物を持っている不可思議な
パフォーマンスや”レロ〜”と言って観客を煽るわけのわからない盛り上げも、
上手いが異様にタッチの強いピアノ演奏も、”俺たちは世界のチャンピオンだ”
と言うどうしようも無い歌詞を力強く歌い上げる姿も、
何故だかもうこれを観ることが出来ないと言う気持ちに支配され、
どうにもセンチメンタルな気分になる。
彼はそんな想いにさせてくれる千両役者でもある。
ファンを悲しませ続けることが出来るのはこんな去り方をした
フレディくらいのものだろうと改めて思ったりもした。
またいずれ機会があればクイーンのアルバムについても。
「Somebody To Love」('82 Live At Milton Keynes)
長らくブートでは名演として有名だった82年のミルトン・キーンズにおけるライブでの
「サムバディ・トゥ・ラブ」である。元々ゴスペルの薫りがするこの曲であるが、
スタジオテイクよりも力強く、ソウルフルに熱唱するフレディのヴォーカルが素晴しい。