2008年07月27日

"SMiLE"とサブカルチャーと淡夢の終わり 05 〜Nearest Faraway Place〜

”キャピトルとの別れとスマイルのチラ見せが始まり・・・”


凄く酷い言い方をしてしまえば、「心を病んでいる人のためのヒーリング・ミュージック」
とでも言えたアルバム『フレンズ』の信じられない失敗によって、十中八九キャピトル
レコードとの契約更新は非現実な物へとなりつつあった。

そうは言っても商売にならないほど売れないのでは困るので、ビーチ・ボーイズは
再度の方向転換に迫られる。

そんな中でマイク・ラブはもう一度サーフィンや西海岸の女性を題材にする事を考え始める。
ある意味での原点回帰とでも言えばよいのか。

結局ポピュラー・ミュージックで出来る最上の仕事と思われる『ペット・サウンズ』では
ファンに戸惑いを与え、サイケとアメリカ再発見を融合させるはずの『スマイル』は
ブライアンのブレイクダウンによって発売中止。

ソウルやロックが力強く響く時代に合わせたとは言え、ある意味パンチ力に欠ける
『ワイルド・ハニー』も、マハリシ傾倒以降の癒しのヒーリングのつもりだった『フレンズ』も
チャート的には全く世間に相手にされないのであれば、結局海に帰るより他は無かった。

だって”ビーチ・ボーイズ”なのだから。

そう言う訳で、マイクはブライアンにこの案を持ちかけ、そしてシングルとして発売されたのが
「ドゥー・イット・アゲイン(恋のリバイバル)」だった。

歌詞はサーフィンや海の女の話で、サウンド的にはシンプルな初期BB5を思わせるような
ロックンロール色のある楽曲だった。
勿論、アレンジの所々には『ペット・サウンズ』以降を思わせるような仕掛けもあるのだけど。

それは端的に言うと、当時にしては珍しいエレクトリック・ドラムのようなサウンドや、
ミドルのメロディに現れているのだけど、基本的には初期的な薫りのする楽曲である。

この曲がベスト20に入るスマッシュ・ヒットになって、取り敢えず前作の信じられない低迷
からは立ち直った。

しかし、相変わらずブライアンは不調で、更には躁鬱が酷くなりつつあり、普段は部屋から
全く出てこないが、ある日は突然元気になってスタジオで作業をしたり、そうかと思えば
それを完成させること無く捨ててしまったりと、もうまともにアルバムに足る楽曲を
揃えるだけの創作力を彼に求めるのは厳しくなりつつあった。

そうは言ってもシングル一曲だけではアルバムは作れない。
という訳で、ブライアンに頼るのではなく、各々が1~2曲の楽曲を用意して、
それを主導したメンバー各自でプロデュースやアレンジを施すという手法で
アルバム制作が進んだ。その結果が69年の『20/20』である。



このアルバムで象徴的なのが、ジャケットにブライアンの姿が無いことであろう。
その位ブライアンの状態は悪化していたということか。

内容的には、他のメンバー達が足りないブライアンの穴を埋めようと必死なのは
わからなくも無いのだが、まだまだどこか未熟な面も有るのと、各々が各々の
やり方でプロデュースや選曲したものを寄せ集めたアルバムなので、アルバムとしては
何処か散漫な印象を受ける。その最たるものが、海よもう一度と歌った「ドゥー・イット・アゲイン」で
アルバムがスタートしながら、最後の曲が、遂にかの『スマイル』セッションからの音源を
そのまま流用した「キャビンエッセンス」で終わることだろう。

単純に方向性が無いのである。

アルバムとしては、中途半端な歌もあったりするが、一曲一曲で見ていくと、興味深いものや
次の名作『サンフラワー』に繋がって行く、開放的な楽曲も聴けたりする。
但し、アルバムに影を落としているのは何よりもデニス・ウイルソンで、いよいよ作曲も
盛んになりだすのだが、実はこの頃デニスは、かの悪名高きチャールズ・マンソンと実際に
付き合いを持ち始めていて、彼の思想に傾倒していた。

ここでチャールズ・マンソンの多くは書きたくないので余り触れないが、
(この辺りのサイトで詳しい話が知れる)
女優シャロン・テートの惨殺事件を初めとする数々の殺人事件や、”ファミリー”と称した
カルト宗教のアイコンとして、60年代の歴史に大きな影を落とした彼の影響が
このアルバムで強く出始めている。日本で言えばオウム的なものだろう。

チャールズ・マンソンに関しては、ビートルズ・ファンにもある意味御馴染の存在だろう。
ビートルズは直接関与しているわけでは無いが、彼らの『ホワイト・アルバム』を勝手に
自らへの”黙示録”と受け取り、歌詞を勝手に解釈していたのは有名な話である。

結局程無くしてデニス本人もチャールズ・マンソンに命を狙われる羽目になり、
その恐怖に慄く最中でシャロン・テート殺人事件によって逮捕されることにより
難を逃れるのだが、本当にこのバンドはブライアン以外もまともではないというか、
やれマハリシだの、チャールズ・マンソンだの勝手に騒ぎに首を突っ込んでいるように思える。

この話はここら辺にしておいて、内容に戻ると、何よりもカールの活躍はそんな中にあっても
輝きを失っていない。初めて自らのセルフ・プロデュースで録音された
「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」は、ロネッツのカバーだが、オリジナルをはるかに上回る
瑞々しいアレンジと中間のアカペラが美しい。外れの少ないカールのヴォーカルの中でも
1、2を争う美しい歌声が堪能できる点でも完璧である。

この曲もシングル・カットされ、24位と中ヒットを記録し、先の「ドゥ・イット・アゲイン」と
併せて一時の低迷はチャート的には抜け出しつつあった。


「I Can Hear Music」('69) The Beach Boys
モノクロのプロモフィルムのようで、映像も綺麗だ。しかし、こう見てみると、リード・ヴォーカルが
何もせずに音楽にのっている様は普通では考え難い上、遥かにギタリストの方が歌が上手い
のに楽器も持たずに平然としているのは、何だか不思議な感じである。


「ニアーレスト・ファーラウェイ・プレイス」は初めて登場したブルース・ジョンストンの楽曲。
元々ブライアンを除けば作曲家としてのキャリアでは他のメンバーよりずっと経験のある
彼だが、ビーチ・ボーイズへの加入経緯自体も”ツアーにおけるブライアンの代役”としての
ものだったので、その点での遠慮などや力関係もあって、中々クレジットに加わることが
出来なかったのだろうが、ようやっと作品を披露する段階に来たということだろうか。
インストでは有るが、彼の流暢なピアノや『ペット・サウンズ』を思わせる深い音像が
堪能できる作品である。

ブライアンはこのアルバム向けにはほとんど新曲を用意していない。
しかし、『スマイル』の残骸を初め、いくつかの楽曲を再利用、もしくは引っ張り出している。
「アイ・ウェント・スリープ」は『フレンズ』セッションの頃の作品をカールがまとめたもののようだ。
確かにサウンドも『フレンズ』的な美しいワルツの小品ではあるが、歌詞やメロディを含め当時の
ブライアンの心情を表していて切ない気持ちになる。

「タイム・トゥ・ゲット・アローン」は本来自らのレーベルであるブラザーからデビューさせる
つもりだったレッドウッドに提供した楽曲だったが、彼らがマイク・ラブと揉めてしまい、
追い出されてしまったので、その時のバッキングを流用したもの。
そんな経緯でありながらも、流れるようなメロディラインと適度なポップ感が心地よい名曲で、
カールとブライアンのヴォーカルも相変わらずの相性の良さを見せている。


Time To Get Alone('69) The Beach Boys
個人的には彼らの楽曲の中でも10指に入る1曲。アレンジも開放的で美しく、
そのまま翌70年の『サンフラワー』に繋がって行くような仕上がりである。
カールのスイートなAメロ、ブライアンのファルセットによるサビの対比も素晴しい。


デニスの楽曲「ビー・ウィズ・ミー」「ネバー・ラーン・ノット・トゥ・ラブ」は前述したとおり、
本人がチャールズ・マンソンのようなカルト宗教にはまっている頃の楽曲でもあり、
また、これらはクレジットこそされていないものの彼との共作曲と言われているので
どこか不穏でおどろおどろしく、歌詞も何やら意味深で聴いていても少々怖いのだが、
それらを取り除いて考えれば、後の荘厳な彼独特のバラード的世界感が完成しつつあり、
才能の開花を思わせる部分もある。

ただ、明らかに曲調に合わない弾きまくりのリード・ギターが炸裂する
「ブルー・バーズ・オーバー・マウンテン」であるとか、
マイク・ラブの時代に対峙していけない焦りすら伺える、彼によるローリング・ストーンズ?風
シャウトをフューチャーした「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ」などは、
完全にこの時期のBB5が路頭に迷っていたことを示す楽曲ではあったりする。

しかし、このアルバムの焦点はコアなブライアン・マニアにとってはやや稚拙で散漫な内容が
目立つアルバム全体ではなくて、遂に『スマイル』の楽曲がそのベールを脱いだことである。

「アワ・プレイヤー」は『スマイル』の冒頭を飾る予定だったアカペラだ。
既にここで聴けるアカペラは賛美歌のような佇まいで、他に無い美しい瞬間である。

「キャビンエッセンス」も『スマイル』の中核をなす楽曲の一つだった曲。
古き良きアメリカを思わせるノスタルジックなメロディから一転、サイケデリックで
うねりのあるパートに突入する対比と、そのサイケ感を独特な音程のコーラスで
聴かせる辺りにブライアンのアレンジ力の妙を感じる。

そして、そこに乗るヴァン・ダイク・パークスの抽象的かつ啓示的な歌詞が
『スマイル』的世界観を代表するような楽曲の一つである。

そう言った好事家達へのアピールもあってか前作よりは順位を戻し68位に
アルバムはチャートインするが、結局これがキャピトルでの最後のアルバムとなった。

このアルバムのセッションでは不調でほとんど楽曲を提供しなかったブライアンだが、
アルバムのリリース直後に突然回復傾向を見せ、いくつかの意欲的な楽曲を
作り出すことになる。

このように、全くアルバムのリリースデートに合わせられない病持ちのコンポーサーを
抱えたまま、彼らは70年代をレーベルの移籍から始める事になる。

そして、そんな中で更に『スマイル』の亡霊はおぼろげな形を見せ続けることになる。
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2008年07月23日

22Dreams

”僕的には久々の傑作、そしてスティーヴ・ホワイトとの別れ”

『22 Dreams』 by Paul Weller

いやはや、とんでも無い油断をしてしまった。

ポール・ウェラーのアルバム、2週間ほど前に出ていたのは知っていたが
何となくいつでも良いなと思ってCD屋まで赴かずにいた。

勿論最近仕事が忙しいと言うのもあるのだけど、土日にまったく休みが
無いと言うわけでも無いので。

彼のアルバムと言うのは新作でも最近は自分の中で予定調和的な
部分があって、慌てて買わなくても大体中身の予想はつくと言う
気分であった。

特に前作『アズ・イズ・ナウ』辺りでそれは顕著で、高い評価と裏腹に、
作品の充実は認めつつも、何処かアルバム全体に既出感ばかり
感じてしまって素直に楽しめなかった。

正直1曲目の「ブリング・アンド・ユー・ウィル・ミス・イット」を聴いた瞬間に
「あぁ、またいつものマイナーロックか」と思ってしまった自分が思い出される。
でも周囲の高い評価と「ジャムみたいな曲が帰ってきて新鮮」みたいな
事も聞いたが、はっきり言って

「ジ ャ ム の 何 処 が 新 鮮 な ん だ」

と古くからのファンには思えて仕方が無かった。

このアルバムに関しては以前ここで書いているのでそちらが
その時の気持ちに忠実だろう。

実際のところ、ライブでの充実したステージングとそこでのアルバム曲の
パフォーマンスの高さに感動して、これはこれでウェラー自身が気力充実で
作り上げたものなのだなと後々納得はしたのだけど。

最もそれ以前のアルバムも『スタジオ150』ではロックサイドのカバーが
勿体ぶっていて、素直にスモール・フェイセズとかやればいいのにとか
思ってしまったし、更に前の『イルミネーション』は明らかに彼に迷いが
見えていた時期だったので作品としてはソロ以降一番厳しいと感じていた。

そういう意味では、個人的には彼の作品に長いこと肩透かしを喰らうような
気分に陥っていたので、新作だと言うことでこちらが高まると言うような
事が無くなってしまっていた。勿論ファンを止めた事も無いし、その間のツアーも
全て行っているので、好きこそ故の厳しいファン目線なのだが。

と言う訳で、新作『22ドリームス』である。



このアルバム、本当に久々の快作と言って間違いないと思う。
何よりも彼のアルバムでこんなに一聴でバラエティに富みつつ清々しく感じる
作品自体が初めてなのではないだろうか。

また、今回のアルバムには今まで必ず有った様な如何にもな”キラー・チューン”が
存在しない。つまり簡単に言えばそれは「サンフラワー」であったり、「チェンジング・マン」で
あったり「ヘヴィー・ソウル」のようなナンバーだ。

こう書くとマイナスのように聴こえるが、少々この手のナンバーが型にはまり過ぎている
傾向があったので、これはこれで潔く感じ、好感を持てた。

また、まだ聴いて浅いのでこれから印象が変わるかもしれないが、アルバム全体が
一つの流れの中で自然と耳に入ってくる、コンセプト・アルバムのようなイメージがある。

一曲、一曲は決して強くないのだが、それが自然と流れて一つの形になるように。

1曲目の「ラスト・ナイト」のストレートなトラッドへの傾倒っぷりの潔さも気持ち良い。
これを聴いたときにまるでエディ・リーダーのトラッド・アルバムのようになるのかと
思ったが、アルバム全体はよりカラフルな世界を見せる。

そう、カラフルと言うのが今までのウェラーの全ての作品でもほとんど記憶が無いのだ。
ずば抜けたキャッチーさは無いのだけどとてもポップなアルバムだと思う。

こういう玉手箱的なポップさはジャムでもスタカンでも余り聴いたことが無い。

続く「22ドリームス」では新進気鋭のモッド・バンド、リトル・バーリーの若々しい
バッキングも清々しい。

今回象徴的なのが、スタカン時代から長きに渡りウェラーを支えてきた
スティーヴ・ホワイトのクレジットが無い事である。
(厳密には一曲のみあるが、そこもクラドックのドラムがオーバーダブされている)

今回の面子は上記のリトル・バーリーや元ブラーのグレアム・コクソン以外は
その演奏のほとんどをプロデューサーのサイモン・ダインとオーシャン・カラー・シーンの
スティーヴ・クラドックが担当している。プロデュースも三人の連名だ。

ウェラーもベースやピアノなどを今回は多く担当しているようだ。

そして、驚きなのが多くのドラムをスティーヴ・クラドックが担当している事!
いやはや、彼がマルチ・プレイヤーなのはオーシャンのファンにはお馴染みだが、
基本的にはリード・ギタリストである彼がドラムでこんなに貢献するとは・・・。

これ程までに良いドラム・プレイが出来るとは思わなかった。
きっとマッカートニーよりずっと上手い(笑)。

第一弾シングルの「ハブ・ユー・メード・アップ・ユア・マインド」のドラムも
彼のプレイによるものだ。


「Have You Made Up Your Mind」('08) Paul Weller

元々スティーヴ・ホワイトの一本調子なドラムはウェラーのソロ以降の
音楽性の広がりの足かせになっているような気が『スタンリー・ロード』辺りから
顕著に感じるようになっていたのだが、クラドックを中心にさまざまなドラマーが
新しい風を吹き込んでいるのも今作の大いなる特徴と言えるだろう。

残念なのは、ホワイトと同時に前作まで参加していた元オーシャン・カラー・シーンの
デーモン・ミンチェラも姿を消しているところか。
個人的に彼のどっしりとしたベースは好みだったのでこの点は少々残念である。

しかし、どちらにせよ、ここに来て熟練と新鮮さを併せ持つ素晴しいアルバムを
提供してくれたウェラーには頭が下がるし、ファンで良かったと思うのである。

また、もう少し聴きこんだら私的なレビューを。
posted by cafebleu at 22:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

"SMiLE"とサブカルチャーと淡夢の終わり 04 〜Meant For You〜

”低迷がもたらしたプレッシャーの無い自由”


『ワイルド・ハニー』からのシングルカットであった「ダーリン」は全米19位と
そこそこのヒットを記録し、この後の彼らのライブにおける代表曲の一つと
なったが、それでもこの時期のビーチ・ボーイズと言うのは、どんどん時代から
期待されない存在へと急激にシフトして行った。

もう誰もストライプの冴えないシャツとサーフィンとカリフォルニア女を賛美する
裕福なアメリカ西海岸の歌なんて聴きたくなくなっていたのだ。

例え本人たちが、その束縛から逃れようとしてもそのイメージから逃げられなかった。

結局『ペット・サウンズ』で海から離れても批判されたし、かと言って海の歌なんて
誰も相手にしない、そういうスパイラルの中にビーチ・ボーイズは埋もれていく。

有名な話だが、英国で『ペット・サウンズ』は2位を記録し、その後の低迷期に
おいても英国チャートではそこそこの成績を上げていく。

それまでの西海岸的なサウンドと言うのは、そう言った気候に無縁のイギリス人には
まるでピンとくるものではなく、まとな注目をされていなかったと言えるだろう。

しかし、『ペット・サウンズ』で時代と対峙して見せたことで、”ビートルズ”を生んだ
イギリスにおいて、逆にこの作品の良さが素直に接することが出来たと言うことか。

今でもポール・マッカートニーやエルヴィス・コステロのようなミュージシャンにとって
『ペット・サウンズ』は最も偉大なアルバムの一つと言わしめている。

そして、『スマイル』のリリースを楽しみに待っていたのもイギリスであった。
この時期、イギリスの音楽新聞では”Genius Brian Wilson”の文字が躍っていたのだ。

smile16beachboyssmile_l[1].jpg
恐らく『ペット・サウンズ』辺りの録音風景だろうか。名作を作っているときの写真と言うのは
不思議なもので雰囲気のある写真になるものだ。『サージェント』辺りの写真もそうであるように。


話は戻って、『ワイルド・ハニー』でも巻き返しを図れなかった彼らは徐々にレコード会社
からも期待をされないようになっていき、後は契約時に取り決められたアルバム数を
消化していくこと位しか要求されていなかったのではないだろうか。

その位時代はどんどん進んでいた。それが60年代と言うものである。

ブライアンは相変わらず『スマイル』ショックから立ち直れずに、基本的には隠遁生活を
送っていて、精神状態もさほど良くなかったようだが、それでも時折ベッドから抜け出しては
意欲的に作曲やプロデュースをする時があったようだ。

この時期の作曲数は以前ほどでは無いものの、それでもやはり彼にしか成し得ない
美しい作品を数多く残しているのがこの時代からの特徴でもある。

勿論『スマイル』の残骸もしばらく顔を出すことになる。
皮肉なことに足りない楽曲数の穴埋め的存在として。

68年に発売された『フレンズ』、今となってはもはや名盤で、特にサブカルチャー時代の
ソフトロック・ファンにとってはこれが一番の名作だと言う輩も多いだろう。
ある意味日本では一番人気のあるアルバムと言ったところだろうか。

サウンド的にもソフトロック的な薫りが漂う辺り、その手におあつらえ向きな感じである。



僕もこのアルバムは大好きだが、決して名作とか言って祀り上げる類の音楽ではないだろう。
とても美しい小品集とでも言えば良いだろうか。どれもこれも曲が短く、あっさりと
終わってしまい、淡々とアルバムが進んでいく。しかしながら久々に良く練られたアレンジも
聴けたりするし、前作『ワイルド・ハニー』のような、自分たちの演奏ではなく、また
『ペット・サウンズ』のようにスタジオ・ミュージシャン中心の落ち着いた演奏に戻っているのも
特徴である。オーケストレイションも派手ではないが彩りを添えている。

何というか、ヒーリング的なサウンドにも聴こえてしまう。

ブライアンが衰えはじめていた中、他の皆もプロデュースや一部作曲で登場回数が
多くなり始めるのもこのアルバムからで、それも良い意味で結束力を高めている。

そして朴訥としつつも凛とした佇まいを見せるデニス・ウイルソンの楽曲が初登場するのも
このアルバムからで、カールの歌声に磨きがかかってくるのもこの辺りから顕著である。

サウンド的には、ここまで続いていた『スマイル』シンドロームがひと段落しているのも
実は特徴である。実際に『スマイル』後から72年の『サーフズ・アップ』まで延々続く、
アルバムの中に『スマイル』の残骸を1曲収録すると言う行為もここでは行われていない。

それ故にアルバムに統一感があり聴き易い。

サウンド的にも、スケールは小さいが、クラシカルなアプローチが再浮上している
所から、『スマイル』より、むしろ『ペット・サウンズ』の方に近いのではないかと思える。

また、地味ながらもビートルズの横風をブライアンなりに受け続けていたようで、
それらはホーン・アレンジなんかにも見え隠れする。
恐らくは「フール・オン・ザ・ヒル」のような曲を聴いていたのではないだろうか。

1曲目の短い導入曲「メント・フォー・ユー」に導かれ、サブカルご用達の「フレンズ」が
ワルツで心地よい。この曲は何とも癒し系な楽曲であるが、実際の作曲の複雑さたるや
物凄く、延々転調を繰り返しながら、ほとんどキーと言う物が楽曲の中で一定しないと言う
ポップ・ミュージックでは有り得ない様な楽曲なのである。


「Friends」('68) The Beach Boys

それで居ながら非常に覚えやすいと言うのだからやはりブライアンの能力は並外れている。

蛇足だが、「フレンズ」は音楽学校の作曲の勉強でも難解な曲の代表例として
題材にあがることがあるそうだ。最もそう感じさせないのが凄いのだが。

ちょっとビートリーなアレンジで穏やかな「ウェイク・ザ・ワールド」は良い曲なのに
2分も無くて中途に終わってしまうのが少々残念。

「ビー・ヒア・イン・ザ・モーニング」もワルツでブライアンとカールのヴォーカルの対比が
とても相性が良くて、個人的にはアルバムのベストトラックである。
ちょっと愛らしいファルセットを聴かせるブライアンと、カールの落ち着いた
ヴォーカルが交互に来て心地よい。

「アナ・リー・ザ・ヒーラー」はミニマルな楽器と楽曲構成でありながらとても美しい。
何でも歌詞はマイク・ラブによるマハリシ賛歌らしいが、そんな事が気にならないくらい
美しいハーモニーと素朴なアレンジを味わえる佳曲である。

「ビジー・ドゥーイン・ナッシン」もファンには人気の曲で、ブライアンの独唱による
元祖ネオアコ・ソングとでも言える様な楽曲だ。
ありそうでそれまでに無かった淡々としたブライアンのヴォーカルも悪くない。

上記のように、小品ながらも佳曲、名曲が揃った好作なのが『フレンズ』の特徴である。
しかしながら、このアルバムはビーチ・ボーイズ史上最低のチャート成績に終わる。
それもちょっとやそっとの失敗ではなく、126位と言う、ベスト100にすら入れない成績である。

ブライアンも少し意欲を取り戻し、他のメンバーも持てる力を少しづつ発揮し始め、
”結束”して取り組んだであろうこのアルバムの商業的失敗により、またしても
ブライアンとビーチ・ボーイズは混迷を極めていくことになる。

失敗の原因は、この時期に企画された彼らのツアーで、マイク・ラブが当時ご執心だった
マハリシ・マヘシ・ヨギを引き連れてツアーを強行し、結果的に1週間で集客率が悪すぎて
中止になり大赤字を出したとか(既にジョンが「セクシー・セイディ」を歌っていた時期である)、
そう言うのもあるだろうが、やはり時代であろう。

今聴けば、”癒しのお洒落ソフトロック”的な今作も、当時の流行はインプロビゼーション
主体の長尺ロックな時代である。ストーンズはサイケの時代から抜け出して、
「ストリート・ファイティング・マン」や「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」で力強くロックへの
躍動を表現していた。そしてあろうことかトイレをデザインにあしらった
『ベガーズ・バンケット』でより一層不穏な雰囲気を漂わせていたのだ。

ビートルズですら「ヤー・ブルーズ」や「ヘルター・スケルター」のような、彼らにしては
相当ラウドなロックを披露していたのである。そういう時代だったのだ。

そんな時期に脱力系癒しポップなどが成功するはずが無かった。

結局ビーチ・ボーイズもそれに気がつき、またもや方向転換するのだが、
ブライアンの状態はここから更に悪化の一途をたどり始めてしまう。

本当に時代とブライアンに翻弄されたバンドである。
posted by cafebleu at 09:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Brian Wilson[Beach Boys] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

"SMiLE"とサブカルチャーと淡夢の終わり 03 〜Aren't You Glad〜

”カールの台頭とブライアン依存からの表層的な脱却”


『スマイリー・スマイル』がチープなアマチュア録音物のような
仕上がりになってしまい、その結果としてチャートでも全米41位と言う、
そこまでトップ10ヒットが当たり前だったビーチ・ボーイズにとっては
屈辱的な結果となったことで、彼らは60年代の象徴するようなミュージシャンから
脱落して言ったのである。ある意味自ら転げ落ちるかのごとく。

つまりはビートルズやシュープリームズ、ジミ・ヘンドリクスやストーンズとは
もうチャートの上で争えるライバルでは無くなったと言う事だ。
それが67年のことであった。そう、『サージェント』の年である。

それでもビーチ・ボーイズは続いていくのだ。

まず、『スマイリー・スマイル』での失敗があったので、早いスパンでの
改善策が望まれた。それらを踏まえて短いインターバルで登場したのが
『ワイルド・ハニー』である。



このアルバムは完成度としては相変わらずアレンジ能力と言うか、プロデュース能力が
低いと言うか、全体的に散漫な部分は拭えないのだが、今後の彼らを占う新機軸なども
見え隠れする点、また、ブライアンが『スマイル』で成し得なかった事をどこかで
再構築しようと試みている点が伺えることが興味深い。

この頃は時代は”ロック”にシフトしていた。それは簡単に言えば
ジミ・ヘンドリクスでもいいし、クリームだってそうだろう、トラフィックも間違いない。

そんな時代の横風を受けつつ、今までのコーラス重視主義から若干のシフトが
伺える。それは1曲目の「ワイルド・ハニー」から顕著で、シンプルなコード展開に
焦燥間?を煽るようなテルミンのリフ、カールのひっくり返りそうなほど若々しくも
力強いヴォーカルなど、この時点で今までのBBとは大きく異なる部分がある。

でも、”ロック”とは書いたが、そこはあくまでもビーチ・ボーイズ、結局作曲の
中心は力を落としているとは言えブライアンな訳で、感じ的には
「パワーのあるポップ」と言った趣向である。

そう、このアルバムはある意味パワーポップ的にも映るのである。

その代表的な好例が、ブライアンの名曲の一つ「ダーリン」だろう。
この曲が90年代の英米パワーポップ周辺の連中に愛されていたのは
ある程度有名な話である。


「Darlin'」(Live Version) The Beach Boys
70年代後半のライブ・バージョンである。
いつ聴いても惚れ惚れするカールのソウルフルなヴォーカルが素晴しいが
パンチのある優れたパワーポップとしても完成度が高い。名曲である。


「ダーリン」と言えば、カールのソウルフルな名唱が光る曲でもある。
このアルバムではスティーヴィー・ワンダーの「アイ・ワズ・メイド・トゥ・ラブ・ハー」も
カールの趣味で取り上げており、彼が次作以降、ヴォーカルだけでなく、
プロデュースや作曲でも台頭していく上で、”ソウル”と言うのは重要な
キーワードになるのでそういった点でも興味深かったりする。

直接『スマイル』セッションの残り物ではないのだが、ここにも『スマイル』の
亡霊は見え隠れする。その最たる例が「カントリー・エアー」では無いだろうか。


「Country Air」('67) The Beach Boys
一聴するだけでも何とも不思議な雰囲気の曲で、その辺りは67年と言うサイケの
時代を思わせる曲だ。ただ、アレンジそのものも途中で諦めてしまったかのような
散漫な印象を、それまでの楽曲に比べて受けるのも事実である。


コンセプト・アルバムとなるはずだった『スマイル』には、地・火・水・風と言った要素を
持つ曲が盛り込まれる予定で、その中の”風”の要素をもつ曲を原型に、このアルバム
の為に再構築したのが「カントリー・エアー」と言われている。

実際”地”の要素曲と呼ばれる「ベジタブルス」、”火”の要素を持つ
「ミセス・オレアリーズ・カウ」、”水”の要素を持ったと言われる「クール・クール・ウォーター」
(04年の『SMiLE』では「イン・ブルー・ハワイ」と言う楽曲に化粧直しされた)
と言う風に、あくまで好事家の推測範囲とは言え、『スマイル』セッションでは
各要素を思わせる楽曲が有ったにも関わらず、”風”を思わせる楽曲そのものは
どれかと言われるとさまざまな議論?が有ったりしたので、「カントリー・エアー」が
『スマイル』の亡霊の一つであるという説も根強いし、実際曲調もそう言った浮遊感の
強い物であることは確かである。

ブライアンが何処かで『スマイル』的な物を再構築、もしくは別の形で試みようと
していたと言うのは、他にも根拠があり、この時期のセッション未発表曲で
「キャント・ウェイト・トゥ・ロング」と言う楽曲がある。この曲が強烈に『スマイル』を
連想させる組曲的な楽曲なので、そう言った意味でもブライアン自身にだって
『スマイル』の未練は有ったのだろう。それは当然のことなのだが。
同時に「アイ・ラブ・トゥ・セイ・ダ・ダ」と言う原題を持つ「クール・クール・ウォーター」の
録音も途中までであるが、この時期に開始しているので、それはあながち間違いでも無いだろう。
(上記2曲は現在だと『30イヤーズ・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ』の4枚組BOXで聴ける)

他にも軽くてポップな「アント・ユー・グラッド(うれしくないかい)」、ブライアン流の
フォーク・ロックなのだろうが、何故か洒落ていてむしろネオアコ的な
「アイド・ラヴ・ジャスト・ワンス・ユー・シー」、ローファイ・ソウルみたいな
「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」、そして70年代にカールのソウルフルなヴォーカルで
甦る「レット・ザ・ウィンド・ブロウ」など、楽曲はどれもコンパクトながらも質は高い。

しかし、統一感や、アレンジ(プロデュース)と言った点で中途半端な感は相変わらず
拭えず、結果として”チープで愛らしいパワー・ポップ”にはなっているのもの、
それが彼らの本領なのかと言われると、そうではないだろうと言う感想である。

ある意味既に古臭いレッテルを貼られつつあった彼らにとっては新機軸だった
『ワイルド・ハニー』だが、これもまた24位に終わり、更に時代から取り残されていくことになる。

『ペット・サウンズ』や『スマイル』の残骸が余りに崇高な完成度なものだから、
それ以降というのは本当に難しいのかもしれない。
それは例えブライアンが病んでいなくても、である。

そう思うと、『リボルバー』『サージェント』に加え同時期のシングルに
『ペニー・レイン/ストロベリー・フィールズ』『愛こそはすべて』をリリースしても
なお飄々と『マジカル・ミステリー・ツアー』や『ホワイト・アルバム』を出していた
ビートルズの底力と言うか、その時期の才能のほとばしりってやっぱり
とんでもないのだなと改めて思ってしまうのも事実である。

次回は今の時代的には1、2を争う人気作でありながら、当時は最低の
セールスを記録して崖っぷちに立たされた『フレンズ』辺りを中心に。
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2008年07月06日

"SMiLE"とサブカルチャーと淡夢の終わり 02 〜Little Pad〜

66年12月リリース予定の『スマイル』は、その後リリースが
延び延びになり、延々と続くレコーディング、ミキシングセッションの中で
既に危うい状態になっていたブライアンの疲弊が進み、更には
共作者であったヴァン・ダイク・パークスが遂にはセッションから去ったことで
(マイク・ラブとの確執があったとされる)、リリース中止に追い込まれた。

アルバム一枚を優に超えるマテリアルを残して、である。

SMILE[1].jpg
決して一度も正式にリリースされていないジャケットであるのにも関わらず、
この世界を知る人にとって、誰もが知っている『スマイル』のオリジナル盤ジャケットである。
今までのビーチ・ボーイズにない、ポップかつ奇妙なジャケットが秀逸だった。
そしてこのジャケットがレトロ音楽サブカル人間にとって大きな十字架となる。


この不毛な名作の最初の亡骸は、67年発表の『スマイリー・スマイル』であった。



名前、発表時期からしても『スマイル』との関連が強いのは誰でもわかることである。
しかし、実際の音源のほとんどは『スマイル』セッション時のものではなく、その後
『スマイル』収録予定だった楽曲陣を、ブライアンのホームスタジオでチープに再録した
ものが中心であった。

しかしこのアルバム、今もって不可解な作品である。
内容的には非常に散漫かつ宅録的、そしてサイケでドラッギーな香りのする
ある意味前衛的な作品なのである。

考えようによってとても現代的で、そのローファイな肌触りや、不思議なアレンジは
今の時代になると非常に"サブカル"的にも映るのだが、今までのビーチ・ボーイズとは
違い、重厚かつクラシカルとも言えた『ペット・サウンズ』でも賛否巻き起こっていた
当時にこの不思議なローファイ・アルバムを、わざわざ『スマイル』のマテリアルを
捨ててまで録音し、リリースした意義はどこまであったのだろうか?

そして『スマイル』の音源に対して「ビーチ・ボーイズに先進なサウンドは要らない」と
考えていたキャピトルは何故考えようによっては『スマイル』以上に体を成さず、
実験的な『スマイリー・スマイル』のリリースを許可したのか?
それは今をもっても謎である。

『スマイリー・アルバム』の中で『スマイル』セッションから直接流用したのは
2曲である。1曲は彼らにとって最後の大ヒット曲となった「グッド・ヴァイブレーション」と
『スマイル』のキー・ソングであった「英雄と悪漢」である。

サウンドそのものはかなり複雑かつ難解な構成である「グッド・ヴァイブレーション」は
ヴァン・ダイクのオリジナルな歌詞ではなく、マイク・ラブがシンプルな歌詞に置き換えた
事と、サビ自体は非常に覚えやすかった事が相まってか大ヒットを記録した。

「英雄と悪漢」は、結局散々構成やアレンジをいじくりまわしたものの、ブライアンが
完成することが出来ず、シンプルに編集されたものがリリースされた。
ここでは有名な「In The Cantina」のパートは挿入されていない。

その他の楽曲も基本的には『スマイル』セッションの再利用、もしくはパートを一部
流用しているものであるが、基本的に再録されたものである。

「ベジタブルズ(ベガ・テーブルズ)」はキーなどは異なるものの、基本的にはオリジナルも
ややチープな作りをしていたので、そんなに雰囲気は変わらないが、後半のコーラスパートが無い。
(後にこのコーラスパートは『ワイルド・ハニー』の「ママ・セイズ」というアカペラ曲に)

「ウインド・チャイムズ」と「ワンダフル」は『スマイル』セッションの中でも美しい楽曲として
後に有名になるが、ここでのこの2曲はどちらもアンニュイと言うか、倦怠感漂うアレンジ
になっていて、途中でしゃべりが入ったり、不思議なオルガン音が曲を支配したりと、
余り曲らしくない感じである(このアルバム全体がこんな調子であるが)。


『スマイリー・スマイル』バージョンの「ワンダフル」である。
異様に低いカールのヴォーカルと不思議な音響、途中で入る不思議なしゃべり
(パート自体は『スマイル』自体の一部であるが)、結構音響的かつ現代的なのが
ある意味凄いが、取りなおした意味がどれほどあるのか。


これはこれで実験的なサウンドとして面白かったりするのだが、この2曲に関しては
『スマイル』セッションでも既にしっかりと完成されたバージョンが存在しており、
何故わざわざこのようなアレンジにしたのか、本当に理解に苦しむ。


こちらが『スマイル』セッションの「ワンダフル」である。
明らかにこちらの方が楽曲として成立している。実際04年にリリースされた
ブライアンの『スマイル』もこのままのアレンジであった。
「キャロライン・ノー」辺りの流れを汲む名曲のひとつと言って良いだろう。


『スマイル』のマテリアルを使いたくないと言うなら「英雄と悪漢」だって使うべきではなく、
そういう確固たるポリシーも見えてこないので、余計に不可解なのである。

全部紹介しているとキリが無いのだが、とにかく『スマイリー・スマイル』は
ある意味『スマイル』を追いかけさせるための誘い水のようなアルバムに、
結果的ではあるがなってしまったような気がしてならない。

結局この当時のビーチ・ボーイズは、ブライアンがこけてしまうと他にアルバムを
取りまとめるような能力を持つものが居なく、結果このような散漫で短編集のような
アルバムになってしまったのかも知れない。

カール・ウイルソンが台頭してくるのもまだまだ少し先の話であるし、基本的には
ツアーにおけるブライアンの代役と言う立場で加入したブルース・ジョンストンが
主張するには早過ぎた。そんな所であろう。

『スマイリー・スマイル』で見られるような散漫さや、構成力の力不足感は
次作の『ワイルド・ハニー』(考えようによっては次々作の『フレンズ』辺りまで)まで
続いていくことになる。

『スマイル』の残した亡霊はこんなものではない。


続く
posted by cafebleu at 06:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Brian Wilson[Beach Boys] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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