2007年09月23日

金属疲労

とても今更なのだがオーシャン・カラー・シーンの新作『オン・ザ・レイライン』を入手した。



日ごろから彼らが自分にとってバンドの理想系の一つであり、憧れであると公言
している自分ではあるが、新作は出たのは知っても中々手が出なかった。

大きな理由の一つは前作(長すぎてタイトルも忘れた)が古くからのファンにとっては
疑問の残るアルバムだった事。特にデジタル処理をしすぎてかえって音質が悪く
聴こえるプロダクションとアレンジには疑問を感じずにはいられなかった。

いつでもナチュラルかつモッドなテイストのあったジャケットも前作ではセンスが悪くて
何だか失望してしまった。それにあのタイトルは無いだろう。

ジョージ・ハリソンのソロから「ワー・ワー」を引っ張り出し、ブラス・ロックへの傾倒を
匂わせ、先行シングル「フリー・マイ・ネーム」でそれを実践してみるところまでは
悪くなかったが、今更オアシスの二番煎じのような楽曲なども入っていてがっかりした。

もう一つは以前ポール・ウェラーの新作を聴く時に、最近どうしても感じてしまう
「前にも聴いたような・・・」と言う既聴感が彼らにも同様に感じてしまう事だ。

オーシャンやウェラーのサウンドと言うのは基本的に土台として”70年代の良質なロック”
と言うものがあって、それを90年代と言う時代やモダニストの目線で再構築したもので
有ると思う。そんなルーツを匂わせる彼等流のソウルフルなロック・サウンドは当時
とてもクールだったし、ある意味で新鮮でもあった。

但し、人間と言うのはわがままで、それを繰り返されると何だかワンパターンにも
思えてくるのである。だからと言って彼らにデジタルな意匠を構えて欲しいとも
思わないし実際にややそういう傾向に走ったウェラーの『イルミネーション』や
オーシャンの前作は、結局そう言ったサウンドに合致するような楽曲作りの
出来ない彼らにはしっくりこないものになってしまうのだ。

繰り返しになるが、何ともファンとはわがままなものである。

ウェラーは既にバンドではなくソロ、しかもジャムやスタカンと言った若き全盛期を
過ぎても、なお一人の表現者として活動している大御所でもあるので、
それはそれで良いのかもしれない。ライブで見せる貫禄もさすがと言ったところだし、
だからと言ってストーンズほど見世物ですよと言う風情でリアリティを
失っているわけでも無い。

オーシャンの場合はどうかと言うと、90年代なかばにバンドとしての全盛期を迎え、
渋い音楽性ながらも時代の追い風も受けてヒットも多く記録した。
個人的にはぞっとするが、それから既に10年以上の月日が流れているのである。
バンドとして良い時期も経験した彼等ではあるが、新しい方向性を打ち出すタイプ
のバンドではないし、数年前にベーシストであるデーモン・ミンチェラも脱退したので
ここらで解散と言う選択肢があっても良かったはずだ。

だからと言って解散してしまったら僕は相当ショックだろうが。

とにかく長年ファンとして付き合っているミュージシャンへの気持が複雑だなんて思う
最近、やっぱり自分が歳をとったんだなと改めて思ってしまうのである。

新作『オン・ザ・レイライン』、先述の通りそれほど期待はしていなかったのだが、
中々良いアルバムである。サウンドは今まででも一番シンプルだろう。12日間で
録音を終えたそうだ。前作での過剰な装飾も、それまでのアルバムにある、
ブレンダン・リンチとマーティン・ヘインズのコンビによる”アナログ感を感じさせつつスペイシー”
な音像とも違う。恐らくはアナログか極力それに近い形、しかもチープな機材で録音
されたと思われる、レトロで飾りっ気の無い”モッド・ロック”なアルバムだ。

詳しくはまたの機会に書こうかと思うが、初期フーなんかを思わせるロックかつメロは
ポップな曲なんかもあったりする。強いてサウンド的に一番近いのは96年の
『モーズリー・ショールズ』だ。そう言えばあのアルバムも16トラックのアナログ録音で
当時契約を失い苦しんでいた彼らにブレンダンやウェラーが協力してシンプルに
作り上げたものであった。

今回のアルバムではウェラーが『アズ・イズ・ナウ』録音の時にボツにしてしまった曲を
取り上げているのだが、その出来も非常に良い事を付け加えておく。

告白すると、このアルバム、ニック・ロウの新作も買いそびれていて、リーダーに貰った
ロウのDVDが素晴しかったのでそろそろ買おうと思いWEBから購入しようと思ったが、
金額が低いと送料サービスの特典が付かず、ならもう一枚くらい購入しようと思って
適当に探していたら思い出したのでついでに購入した次第である。。。
実は『マインド・ゲームズ』のゴールドCDと迷ったのだが、それはアルバムとしては
持っているので今回はオーシャンにしたのだ。酷い扱いである。

期待してなかったから良く感じるのかな?拾い物的な気持なのかもしれない。


さておき、リーダーが最近良く弦を切るそうだ。ギターを弾いているとまぁ
良くある事で、古くなったり、パワフルなアタックやベンドを繰り返していても切れる。
別段珍しい事ではない。

但し、リーダーの楽器はベースである。ベースだって古い弦なんかは切れたりするが、
通常ギターよりはずっと太い弦だし、チョーキングをする事はほとんど考えられないので
滅多に切れる事は無い。それがこの1ヶ月で2本も切れているのだ。しかもここ2ヶ月は
まともにバンドの練習も無い状態なのだ。

勿論疑わしきはリーダー所有のヘフナー500/1だと他に張れる弦がまともに無いと言う
半ば強制的な選択肢でLa Bellaのヘフナー用弦『Deep Takin' Beatle Bass』が
たいがいな品質なのかもしれない。

但し、それだけではない様な気もしてきた。と言うのも、今日僕もギターを軽く30分ほど
弾いた後、弦を緩めていたらいきなり2弦が切れたのである。勿論ギターの場合は
ベースよりはこんな事は起こり得るのだが、それにしたって緩めてるのに何で切れるのかと。
その時にふと、”金属疲労”と言う言葉を思い出した。まぁ正式な理論上の金属疲労と
同じ意味なのかはわからないけど、ギターやベースの弦と言うのは基本的に真直の
「細い鉄の棒」である。それを本体からネックにかけて張ってあるのである。ネックの方に
ペグ(糸巻き)があってそこで”鉄の棒”である弦を巻いていき、チューニングも行う。
結果、糸巻きに巻かれた部分は真っ直ぐではなく、糸巻きの芯に湾曲しながら
巻き込んでいくのである。

僕は以前だと余程しばらく弾かない時以外はギターの弦はほとんど緩めなかったのだが、
こないだES-335で二度目のネック反りをやってしまい、この症状が深刻だったので
今では弾いた後は必ず弦を緩めるようにしている。最もギターのネックにはトラスロッド
と言う、弦に木(ネック)が引っ張られる事を想定して逆の方に力が働く弓なりの鉄棒が
埋め込まれているのだが、それでも弦をずっと張っておくと段々ネックが反ってしまう。

当たり前のことなのだが、以前はギターに対して結構ずぼらだった反省として
最近はちゃんと緩めていた。そうしたら僕も大して弾いてないのに弦が
切れてしまった。しかも緩めている途中で。

そこで金属疲労である。弦はペグに巻かれた部分は曲がってしまっているのだ。
それは当然のことである。通常弾いた後チューニングを変えなければそれはそのままだし、
後日弾く時にチューニングはするとしてもその範囲はそれほど多くは無いはずだ。

それに対して都度弦をある程度緩めると、ペグに巻かれて曲がってしまっている弦が
直線に戻ろうとしてしまう。この繰り返しの結果、弦に金属疲労が発生して
緩めている時でも切れてしまう事象が発生するのだ。

この対策としては、弦を緩める時に余り音程を下げすぎず、程ほどにしてなるべく
金属疲労が起こる範囲を小さくするとかしか無いのかなとも思う。

それにしたってヘフナーの場合はベースとは思えないほどネックが華奢だし、ペグも
強くないのである程度緩めないとネックがすぐにやられてしまう。由々しい話である。

そうは言ってもベースは弦が太い分、テンションがきついので弾いた後に弦を緩める
人はギター以上に多いはずである。それでもブチブチ切れてしまうというのはやっぱり
弦の品質の問題かなとも思うのだが。ビートルズ楽器は弦まで悩ましい。
でもやっぱり僕もヘフナーならラウンド・ワウンドじゃなくてフラット・ワウンドが良いしなぁ。

僕はギターでフラットはさすがに無理なので普通にS.I.TかElixirを使ってる。
S.I.Tは人気無いみたいだけど切れづらくてテンションもあるしとても良い。
Elixirはコーティングが施してあり、僕のように手に汗をかく人間でも錆び辛くてとても
良いのだが、今回切れたのがElixirなのでやっぱりS.I.Tの方が良質なのかな。

まぁ弦でも拘るとつまらないブログになったところでこの辺で。
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2007年09月21日

Black Summer Rain

「英国人クラプトンからザ・バンド、特にリチャードへの憧れを純粋に描いた楽曲」

近日ヲタレンでセッションを予定している。

詳しくはまた機会が有れば綴ろうかと思うけど、今までの自分たちのレパートリーと
違う曲も含まれているので日々通勤車中のカーステレオから、もしくはiPodなどで
繰り返して聴いていたりする日々である。

そんな時に息抜きがてら聴いている内の一つがこの曲である。
76年発表のアルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』はクラプトンがクリーム解散後、
デラニー&ボニーなどとのセッションを経てどんどん”ダウン・トゥ・アース”志向に
走って行き、デレク&ザ・ドミノス〜ソロ活動の中で模索していた集大成と言える
作品であろう、もしくは「そうなるはずだった」としても良いかもしれない。



ダウン・トゥ・アースに対する憧れを露にしたのは1stソロである『エリック・クラプトン』で、
ここでは先述したデラニー&ボニー他、スワンピーなミュージシャンが多数参加して
ファンキーなサウンドを提供した。ややクラプトン本人が肩に力を入れすぎているきらいも
あるのだが、ここで聴かれる「レッド・ワイン」のようなサウンドがそのまま次の
デレク&ザ・ドミノスの『レイラ〜』に繋がっていくし、「レット・イット・レイン」「イージー・ナウ」
のように、クラプトンがようやっと作曲にも本腰を入れ始めたのがわかるような佳曲も
含まれていた。

実際にドミノス結成でこの世界観は花開き、アルバム『レイラ・アンド〜』はルーツ・ロックと
称されるジャンルの中でも名盤の一つと言ってよいだろう。

その後、ドラッグによる迷走が数年続いてしまうのだが、そう言った諸々を乗り越えて
作られた74年の復活作『461オーシャン・ブールバード』はよりリラックスした、そして
ダウン・トゥ・アースな雰囲気をサウンドだけでなく、精神的にも会得したような少し
ルーズで時にファンキーなクラプトン的”レイド・バック”サウンドの完成形と言うべき
アルバムに仕上がった。

更にこのアルバムからのシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の大ヒットで、彼の70年代
の路線はほぼ決まったと言っても良いだろう。

翌年の『安息の地を求めて』ではさらにダルになって、余りに非商業的になり過ぎたのか
ヒットはしなかったようだが、このアルバムの緩いグルーヴが好きだと言うルーツ・ロック好き
の人は意外と多いだろう。僕もこのアルバムが70年代のクラプトンのアルバムでは一番
好きである。最初は寝てしまうくらい緩いのだが。クラプトン作の
「ベター・メイク・イット・スルー・トゥデイ」は名曲だと思うし、ミドルのソロも短いながら
素晴しい。

アメリカ的ルーツ・ロックへの憧れが始まったのはクリームで活動している頃にザ・バンドの
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を聴いて衝撃を受けたからだとクラプトン本人も良く
語っているが、このアルバムが少なくとも当時のミュージシャン達に与えた影響は
計り知れないほどだろう。それくらい当時の、少なくともメジャー・シーンでは耳にしない
ようなサウンドだっただろうと言うのは容易に想像が付く。

話が逸れるが、いつだか『レコード・コレクター』誌でビートルズの
『レット・イット・ビー』特集が組まれた時に、
「このアルバムはどこかでザ・バンド的なニュアンスも狙おうとしていたのではないか?」
と言うような事が書かれていたのを思い出した。
このアルバムでやりたかった「ライブ感のある、そのままのビートルズを伝える」と言う
コンセプトにおいて完全に失敗してしまい、結局フィル・スペクターに体裁を整えてもらう
事になるのでそんな風情は一聴すると感じられないのだが、近年どういう理由かは
知らないが、突然『ネイキッド』が発売された事で、そんな説にも耳を傾けてみたく
なるようなヒントは感じられたと思う。但しビーヲタならわかっていると思うが、『ネイキッド』
はネイキッドでも何でも無く、現代編集技術を駆使して極めて巧妙に”エディット”され、
素晴しいイコライジングを施された編集版に過ぎないのだが。

ビーヲタの話は置いといて、ザ・バンドへの傾倒によりルーツ・ロック的な世界に進んだ
クラプトンであるので、その到達点として彼らとの共演と言うのは自然な流れだったと
言えるだろう。事実『ノー・リーズン・トゥ・クライ』のオープニングは、最も彼がファンだったと
思われるリチャード・マニュエル提供のナンバー「ビューティフル・シング」で幕を開ける。

「集大成となるはずだった」と最初に書いたのがどういう意味かと言うと、このアルバムは
ザ・バンド他多数のゲストが参加して、クラプトンのルーツ・ロック路線に華を添え、
ソロ以降のキャリアの到達点と言っても良かったのだが、実際のところは思うほどマジックは
起きておらず、少々散漫な印象も拭えない作品という見方もできるのだ。

確かに渋いがマニュエル的世界を味わえるタイトル曲も悪くないし、リック・ダンコとクラプトン
で共作した「オール・アワ・パスト・タイムズ」はロマンティックな作品である。
オーティス・ラッシュのマイナー・ブルーズをカバーした「ダブル・トラブル」も迫力がある。
しかしながら、バック・バンドであるマーシー・レヴィ(マルセラ・デトロイト)が丸々歌う曲が
クラプトン名義のアルバムに必要なのかとか、ディランと共演した「サイン・ランゲージ」が
到底両者の良い面を表してるとは思えないとか、上手く行っていない試みも散見している
のである。

今、改めて流して聴いてみるとやっぱり悪くないかなとも思うのだが、やはり前2作ほど
個性的なクラプトンの世界観は通底出来ていない気がするし(セッション色が強いから
当たり前かもしれないが)、単に「ザ・バンドとディランが好きだから一緒にやった」と言う
程度の理由しかここからは推し量れないような気もするのである。

じゃあこのアルバムが嫌いなのかと言うとそんな事は全く無くて、むしろサウンド的には
好きなほうなので本当に評価に困るのではあるが。

一番の理由はもしかすると、本人の楽曲がイマイチだからかもしれない。ザ・バンドや
ディランはどんなにダウン・トゥ・アースになろうとも、本人たちの楽曲ありきでその世界観
が成り立っているのだ。それに比べるとこのアルバムは楽曲提供やカバーが主な曲に
なっていて、本人の姿が余り見えてこない、そんな気もしてくる。どう贔屓目に見ても
「ハロー・オールド・フレンド」がザ・バンドに匹敵するような楽曲だとも思えない。

と、トータルだと何とも評価しづらいアルバムではあるのだが、僕はこのアルバムの最後
(オリジナル盤での話。現行のCDはボーナスがある)に入っている「ブラック・サマー・レイン」
がクラプトン作曲の楽曲の中でもベスト3に入るほど大好きな曲である。

楽曲、アレンジ、クラプトンのヴォーカル共に明らかなザ・バンドへの憧れを体現したかの
ようなナンバーである。イントロのギターの音でほぼこの曲は決まりだろう。

フェンダーのギターとフェンダー・アンプのリバーブでしか成し得ないトーンがはっきりしつつも
潤いのある「贅沢な音」。恐らくはロビー・ロバートソンが弾いていると思われるピッキング
ハーモニクス音もここでは決して耳障りに聴こえない。これこそが本当の意味で
「良いギターの音」と言える物、少なくともギタリストの端くれである僕はそう思う。

楽曲もロマンチックかつメランコリー、クラプトンのリチャード・マニュエルそっくりなヴォーカル。
そのどれも中々味わい深い。そしてそんな彼らの演奏をハモンド・オルガンがふわりと包む。

最後の控えめな二人のギターにおける語らい(バトルでは決して無い)も捨てがたい。

本当に良い曲である。ほとんど何処でも語られていないし、本人も取り上げないので
忘れ去られたようになっているが、間違いなく「影の名曲」である。

このロマンチックさが後に「ワンダフル・トゥナイト」のような英国人らしくある意味歌謡的な
バラードへも発展していくところがクラプトンらしいなとも思う。

実際このアルバム以降クラプトンはすこしづつ自らの原点と言うか、英国的な所に回帰
していく事になり、バンドの面子もアメリカ人主体から英国人主体へと移って行く。

そんな話の続きはまたクラプトンの事を綴る機会が有れば。
posted by cafebleu at 01:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Eric Clapton | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

My Heart Hurts

「とてもシンプルなのに少しもまともではないポップソング」

ヲタレンをやってからと言うものビートリーな話題一辺倒と言うか、途中から
楽器好きの趣味ブログと化していたので久々に”音楽のつぶて”を。

そうは言っても英国のポップ・メイカーのお話である。

ヲタレン・リーダーにニック・ロウが近年BBCに出演した時のDVDを貰った。
そこに居るニック・ロウは近年の渋み溢れるニック先生だった。

lowe07[1].jpg

昔のポップ曲もやるが、そこにはアコースティカルかつニック・ロウのお里でもある
カントリー・フレイヴァー溢れる大人のポップに化粧直しがされている。

しかし、彼の凄いところは本当に無駄のないシンプルで良い曲を書くところである。
「ホワッツ・シェイキン・オン・ザ・ヒル」なんてギターで弾き語られても
本当に名曲なんだなと改めて聞き惚れてしまうのだ。

続いてバンドが入って「ウイズアウト・ラブ」だ。もうファンだと自然に引き込まれる
DVDだと言えるだろう。

カントリーやジャズを思わせる大人のロック。ストイックでもあるけど近年のコステロ
のようにやや遠くに感じるほど高いところに行ってるとは思えないし、ウェラーのように
やや洒落に決めすぎてると言う事も無い。

それはある意味リアルなパブ・ロックなのかも知れない。

どんなに渋みを増してもニック・ロウの何処かに「良いメロディ」が失われる事は無い。
「フェイスレス・ラバー」に卒倒しそうになっても直後に「ロンサム・レヴァリエ」のような
ナンバーをさらりとやられてしまう。

最初ニック・ロウが好きになった頃に既に彼は「シェリー・マイ・ラブ」のように贅肉を
削ぎ落としたようなシンプルなアコースティック・バラードを奏でていて、それは
最初に手を出す『レイバー・オブ・ラスト』で聴かれる様な安くてめくるめくような
ポップスとは違うような気がしていた。自分もまだ若かったのかもしれない。

実際それから数年で彼は来日してくれたので僕はライブに行ったのだ。
確かアルバム『ディグ・マイ・ムード』のツアー時ではなかっただろうか。

そこで聴かれるニック・ロウのサウンドは最近良く観ているDVDと大きく異なる事は無く、
渋みを増して以降のニック・ロウの大人な世界観であった。

ようやっとニック・ロウを観る事が出来た喜びもあったのは確かだけど、
「ローズ・オブ・イングランド」や「恋する二人」、そして「マイ・ハート・ハーツ」のような
カラフルでポップで一癖ある音楽に絆されて観に行ったのでそれしかわかってない当時の
僕には渋すぎたのも確かではあった。

「マイ・ハート・ハーツ」、展開もアレンジもとてもシンプルなのだけど、拍子と歌の入る
タイミングが尋常ではない。一筆書きのように歌っているけどとてもそんな風には書けない
とんでもない歌なのである。こんなテンポでポップに聴かせるこの人はやっぱり変態
なのである。

そんな一面だけを見て僕は彼のファンだとか言っていた様な気がする。

最近リーダーとも話していたのだが、渋みを増してからの彼の楽曲が時を経つにつれ
どんどん心に染み入るように感じるようになってきたのではないかと思う。
それは年齢も関係あるのかもしれない。

随分前の日記で彼の事を書いたときに、僕は彼を
「カントリーの目線からポップを見ている」と評した。

結局こう考えるとブリンズリー時代のザ・バンドへの傾倒も、
ブリンズリー末期の初期ビートルズ風味も、
ソロ初期の「ウイズアウト・ラブ」も、
新作からの「手足の長い女の子」もちゃんと一本の線で
繋がっている。そんな邪推が出来るのだ。

いつだかニック・ロウがコステロやマッカートニーの作曲について、
「彼らは曲にメロディを詰め込みすぎちゃう、僕は一曲にそんな無駄な展開は要らない」
と言っていた。そんないちゃもんがすんなり頷けるのがニック・ロウの凄さなのだと
改めて思うのだ。

リーダーから貰ったDVDはブートなので何処でも手に入るものではないのが
残念なくらい素晴しいスタジオ・ライブである。まぁそうは言ってもどうやら
”ここ”で手に入るようなので興味のある方は是非聴いてもらいたい。

ニック・ロウって本当に素晴しいソングライターだ。結局そんな風に腑に落ちた深夜だった。
posted by cafebleu at 12:52| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Nick Lowe[Brinsley] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

With・・・

30日に投稿した話の続きを。

30代後半かつミュージシャンと思われるバイト君の、サービス業を
馬鹿にしたような対応に過去の自分が少しフラッシュバックしつつ、
色々赴き深い思いで仕事を済ました後、僕らはせっかく板橋まで
来たのだから比較的近くに存在するとある楽器屋まで行ってみよう
と言うことになった。

楽器屋、一般的なメッカは間違いなく御茶ノ水である。
駅を降りれば楽器に興味が無い人間でもわかるくらいそこかしこに楽器屋が
ある事に気付く街である。

意外と渋谷や新宿なんかにも楽器屋はあったりするのだが、何はともあれ御茶ノ水に
行けば新品からヴィンテージまで数多くの楽器と巡り合う事が出来る。

但し、自分は今までも現在も御茶ノ水近くに住む縁が無いので実はそれほど通った
事が無かったりするのだが。

話を戻すと、練馬の繁華街とも関係ない場所にある楽器屋まで何故行ったのか?
この時点で意味がわかる人はビーヲタかつ楽器演奏もする人であろう。
そう、ここはビートルズ系の楽器販売とリペアで有名な楽器店『With』がある
ところなのだ。

環七通りの陸橋にややかかった見えづらい部分に古めかしい3階程度のビルがある。
それがWithである。ビルの全てをWithが占めているので恐らくは自社ビルなのだろうか。

「車で来店の際は店の前に止めてください・・」とWEBでは書いてあったような気がしたが、
店の前に車を付けると大型車が通った時に間違いなく通れなくなるので店の裏側の
路地に止めて僕らは店に入っていった。

外から見たところ楽器が並んでいる様子は無く、入り口からは店主さんと思われる人が
中にいて作業台のような所でギターをいじっている様子。更にはリペアを受けているギター
の持ち主と思われる人が椅子に座ってなにやら話しかけてるようだ。

普通の楽器屋と明らかに違う様子だったがここまで来たので入ってみようと言う事になり
店の扉を開けると開口一番店主さんに、

「いらっしゃい、今日は何の用事でしょうか?」

何の用事???楽器屋に来て初めて言われたフレーズに二人の思考は一瞬フリーズ
したが、気を取り直して僕が

「あ、初めてここを探して来た者です。見学させてもらってよいですか?」

楽器屋を見学とは意味不明だが、取り敢えず口をついたのがこんなフレーズだった。

「そ〜ですか、どうぞどうぞ、楽器は2階にあるから自由に見てください」

楽器は自由に・・・まぁとにかく楽器屋なのだから先ずは置いてある楽器から見るか。

一つ断っておくと僕は決して大手の楽器屋しか行った事が無いわけではなく、
ビーヲタ楽器の拠り所の一つである中目黒のディア・プルーデンスは89年頃の
オープン時から中学生だった僕の地元だったので行ったりしていたし、つい最近も
原宿のマンションの一室、しかも1階の中高生向きアクセサリー屋で女子高生を
掻き分けてエレベーターまで辿り着けないと向かう事が出来ない某楽器屋で
ギターを入手したばかりであるので、決して個人経営の楽器屋知らずと言うわけ
では無い。

普段は保守的で余り知らないところに行かない人間だが、楽器の為なら
毎日だってクロサワ・ベース・センターでリッケンの中古流通を尋ねたりする
楽器屋のお兄さんの迷惑間違いなしなタイプなのである。

話を戻すと、2階は販売されている楽器もされていない楽器も新品、中古問わず
雑多に並べてあった。

先ず階段を昇りきって目に付いたのが10本近く並べてあるヘフナーのベース。
'62や'63のようなレギュラーモデルは勿論の事、高くて有名?なキャバーン・モデルや
ポールの63年製に近いと言われる所謂20/40なんかも置いてあった。
また、「レス・ポール・ベース」なんて言う愛称でも知られる500/2ベース辺りは
日本でポイと置いてあるのを見かけることは少なく、ある意味レアなのではないだろうか。

他に1964台限定生産のポール・シグネイチャー・テキサンとかもあったし、
60年代物のカントリー・ジェントルマン、更にはウォルの5弦ベースのようなビザール物も。
まぁビザールからオールドまでとは言ってもその全てはビートリーな楽器なのだが。

売り物ではないようだがサイケデリック時代の塗装を再現した”マジカル・リッケン”も
置いてあった。

ふと品揃えを見ていて思ったのがどちらかと言うとポール寄りな感じがしたことだろうか。
ジョンの楽器と言うと目立っておいてあったのがJ-160Eくらいだったのではないか。
まぁ展示してないだけかも知れないし、逆を言えばジョンの楽器と言うのはリイシュー
と言う事で考えれば何処でも手に入り易いので余り置いてないだけかもしれない。

しかし個性的と言うかビートルズ専科なラインアップである。

こんな事はありえない話だが、もしWithにビーヲタでない普通のベーシストが
買いに来たとしたら、選べるベースはヘフナー色々か、リッケン4001C64、
後は一品限りのウォル5弦ベースから選ぶことになる。

ここにはプレベもワーウィックもスティングレイも置いてない。
ジャズベはもしかしたらポールが使っていた時期の仕様が置いてある時が
有るのかも知れないが。

まぁそんな幅広い品揃えはWithには必要ではなく、如何にビーヲタを唸らせる
アイテムが置いてあるかなのだ。必要なのはフレイム・メイプルのES-335とかではなく
61年仕様のギブソン・ヘッドのエピフォン・カジノ。そんな感じだろう。

それにしたって徹頭徹尾ビートリーだ。例えばわざわざビートルズの曲名を店名に冠した
『ディア・プルーデンス』でもストラトなどが置いてあるのだから。

コアではあるし、単なる楽器販売が主だった「楽器店」ではないのであろうが
それでもずらりと並ぶヘフナー達等は、僕的にはそれなりに壮観で楽しませてもらい
1階に下りた。

1階ではギターのリペアをしてもらいながらマニア話をしているスキモノそうなお客さんが
いた。そしてTVからは笑点のBGMが聴こえた。

1階にかけてある店主さんの物と思われるギター類がポール好きにはたまらない感じだった。
ギブソンの黒いアコギ、エバリー・モデルや過去にWithでも限定販売した(リーダーに教わった)
61年製、所謂”マッカ・カジノ”リイシュー(本物かもしれないが)などなど・・・。
ちゃんとストラップも則したものが付いているのがポイントだろう。

そう言えばWithはストラップもビーヲタ用に作成していたりした。カジノ用だけでも3種くらい
作られていたのだ。

そう言えばこれもリーダーと話していたのだが、ターコイズに在籍していた寄本さんは
テキサンを弾く時にちゃんとポールが『エド・サリバン・ショー』で使用していたフサフサの
付いたストラップを使用していたのを思い出した。

この前リーダーがパロッツのライブで限定復活した寄本さんに
「寄本さんテキサン弾いてる時ちゃんとフサフサストラップ付けてましたよね〜」
と尋ねたら少しはにかみつつ頷いていた。

これもWithで作ったものなのだろうか。確か本物のヴィンテージ楽器だった
67年製リッケン4001はディア・プルーデンスで入手したとか書いてあったが。

と言う訳で僕らはレアだが音作りが難しくなると評判?なピラミッドの弦を
眺めた後は店を後にした。ピラミッドとは異なるが、リーダーがヘフナーに張った
LaBellaのヘフナー用フラット弦「ディープ・トーキン」は1ヶ月持たずに切れたそうだ。
とても高い弦なのに・・・。でも見たときからフラットの研磨とか意外といい加減だなとか
思っていたのだ。ビートル楽器は弦まで悩ましい。

楽器論は尽きないけど見てるほうは辛いかもしれない。
posted by cafebleu at 03:31| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | With | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

コメダ珈琲下丸子店

今日はブログらしく日々を切り取ってみる。

コメダ珈琲ってご存知であろうか?
恐らく愛知や三重の人なら即答で「YES」、東京近辺の人だと
田園都市線の神奈川方面に居る人以外はほとんど知らないだろう。

僕も全然知らなかった。

ただ今から数年前に神奈川の田園都市に行ったときに親戚の人が
「近所に面白いコーヒー屋出来たんだよ」と言って連れてってくれたのだ。

ログハウスのような木を全面に打ち出した店内、飲み物に必ず付いてくる
ピーナッツのような豆、喫茶の軽食と言う域を完全にはみ出している個性的な
食べ物、そしてデニッシュ・パンの上にソフト・クリームを乗せたコメダの
名物菓子(ケーキ?)「シロノワール」。

僕は一度限りの来店だったし、数店ある田園都市のコメダの何店に行ったのかさえ
今となっては覚えていないのだが、東京の何処にも無いようなその店の雰囲気が
違和感としてとても印象に残っていた。

その後三重出身のコリンゴ☆にこの変わったコーヒー屋の話をした所、
「それは多分コメダ珈琲じゃないのか」と言う事になり、愛知ではメジャーであると言う事、
朝コーヒーを注文すると無条件にトーストとゆで卵が付いてくる事、そして東京では
過剰とも思えるそう言った軽食類のサービスは名古屋近辺のコーヒー屋では珍しい事
ではないことを教えてもらった。あと、愛知のコーヒー屋では「小倉トースト」がデフォルトで
存在する事も聞いた覚えがある。

それから少し時間が流れていたが、何故か突然僕の家から歩いても20分弱の場所である
大田区の下丸子にもコメダ珈琲を建設している事をこの前車で偶然通った時に知ったので
オープンして間もない下丸子のコメダに今日は行ってみることにした。

早速店に入ると日曜とは言え新規開店の話題も手伝ってか非常に賑わっていた。

店内は木材の匂いがしてやっぱりログハウスとかペンションにでも来ている様だ。
そしてメニューを見てみるとかなり個性的である。

SN360001[1].jpg
店内風景

まぁコーヒーの種類が多いのは一応専門店であるからわからないでも無い。
但しやたらとソフトクリームが乗っている飲み物が多い事に気づくし、
そのボリュームも半端ではない。後は「サマージュース」と言う名の一年中販売
しているオレンジジュースのような色合いのジュースがあったりした・・・。

僕は取り敢えず近年こじゃれたコーヒー屋では逆に余り無くなってしまった
「アイス・ウインナー・コーヒー」を頼む事にした。更にご飯を食べていなかったので
お腹が空いたから軽食を頼む事にした。しかしメニューを見ると、

「エビフライ」「ヒレカツ」「ビーフシチュー」などとてもコーヒー屋とは思えないような
品揃えが並ぶ。ビーフシチューの売り言葉が、
”ポテトをたっぷり使ったのがポイント”
見たいな事が書いてあった。普通ビーフシチューにたっぷりとポテトは入れないと思うが・・。

取り敢えずプレートのようになっていたので「ヒレカツ」と言うのを注文した。
そしてコーヒーと共に届いたのが下の写真である。

ice[1].jpg
「アイス・ウインナー」
勿論豆は常駐。マグカップなのが意外と可愛いし良く冷える。
昔の喫茶店で言う銅のタンブラーみたいなものか。

hirekatsu[1].jpg
「ヒレカツ」
・・・もはやコーヒー店とは思えないパーティー・プレートのような風情、というか
プレートそのものである。しかし意外にカツは柔らかくレタスは切り立て新鮮で
おいしかった。ってそれではとんかつ屋にでも行ったような感想である。


とにかく都内に多く構えるスター・バックスやタリーズ、もしくはセガフレードのような
チェーンとは一線を画す個性的な店である。コメダは上記チェーンのように洗練とは
無縁だが、それはそれでとても潔いし、駐車場もあるので車でも安心していける、
更に客席の作りが広くて余裕があるのでゆったりと出来るところもとても良いと思う。

ここに来ると簡単に異文化を味わえるような風情も悪くないと思うので
今後もスタイルを貫いて貰えたらと思う。近いし愛用しそうな予感である。

因みに愛知出身の友人によるともう一つの愛知出身の名物チェーンである
ラーメン屋『スガキヤ』は関東ではメニューでヘンに日和ったので進出に失敗したとか。

僕はお酒を飲む楽しみを知らないと言うか味わえない人間なのでお茶をする、
喫茶店に入ると言う行為をとても大事にしている。色々昔ながらの喫茶や
風変わりな喫茶を知ってるのでまた機会が有れば紹介しようかなと。ブログらしいし。

最初にコメダを知る人は関東には余りいないと書いたが、今日隣の席に座ってた人たちも
シロノワールとか個性的なメニューを頼んで、それを皆で驚きながら写真なんかを撮っていた
ので、段々都内でも有名になりつつあるのかもしれない。そして彼らもブログなんかに
書くのだろう。何でもウィキペディアで調べたら下丸子店は23区内初のコメダだとか。
この賑わいにはそんな事も関係していたのかも知れない。


実は楽器屋『With』に行った時のこととかもだいぶ前から書いてるし、
ポールのまとめとしてリッケン4001の話もと思ったのだが、とにかく書き始めると
何でも長文にしてしまうと言う現代のブロガーの基準からすると一番ダメな人種なので
中々文章が完成しないのだ。今日もコーヒー屋の話の割にはやっぱり長くなった。。。

最後にWEBに掲出していたバンド募集ページにジョージ役で応募が。
早速詳細を見ようと思ったらサーバ障害で見れない。。。

ここまでバンドががたついてからなので複雑ではあるが、リーダーと話して考えてみよう。
posted by cafebleu at 03:34| 東京 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | Days | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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