2006年03月31日

Running On Spot

”Paul Weller 『As Is Now』Tour 2006”
at Nakano Sunplaza 29.03.06

Vocal, Guitar, Piano : Paul Weller
Guitar, Chorus : Steve Cradock
Bass : Damon Minchella
Drums : Steve White

「格好良い事、愛嬌がある事、クールな事、熱気がある事、それだけの事が素晴らしい事」


ポール・ウェラーにとって中野サンプラザは思い出の場所だった。
それは彼がとても嬉しそうに
「26年前に初めて来日した時にここで演奏したんだ、あんま覚えて無いけど」と
照れながら話していたのを聞いて、
今回は古典的なホールである中野サンプラザの公演日を
選んで良かったと思えた。
それ以降も彼はスタカン〜ソロで何度も日本に訪れているが、
少なくともソロになってから中野サンプラザで
ライブを行うのは初めてだったはずである。

そう、彼が中野サンプラザで演奏するのは
ジャム時代に初来日して以来26年ぶりの事だったのだ。

英国では揺るがぬ人気を誇る彼だが、
米国で成功して無いミュージシャンが日本でアリーナ・アクトに
なるのは稀な事である。日本の洋楽は米国中心の社会なのである。
近年こそ必ずしもそうとは言えなくなって来たが。

米国で大きな成功を収めてないミュージシャンが
それなりのハコでやった記憶と言うと、
僕の知る範囲ではブラーが武道館でやったこと
(これはアメリカで全く成功して無いミュージシャンとして画期的だったようで、話題になった)
後はジャミロクワイやオアシスも大きなハコでやっていた。
最もオアシスは直後にアメリカでもチャートで成功を収める。
近年ではタトゥーやらフランツ・フェルディナンドも大きなハコでやっているが・・。


話しがそれたが、そんな事もあって、
本国では間違いなくロイヤル・アルバート・ホールなどで
演奏するポール・ウェラーを日本では
「大型ライブハウス」位のハコで観れる。
これは幸せな事だ。過去にも今は無き赤坂BLITZや
渋谷AXでも彼を観てきた。
一番大きな会場でも確か東京国際フォーラムだったと記憶している。

日本でそこそこの人気ミュージシャンが演奏する
ホールとして中野サンプラザは昔から
利用されてきた。凄く伝統のある場所だと思う。
僕はあの古典的な雰囲気が好きだ。
近年こそライブハウスの大型化もあり、以前ほどは行われなくなった。
過去にはここでB.B.キングやレイ・チャールズなども観た。
ただ最近はまたこの聖地が使われ始めてる気がする。
去年はブライアン・ウイルソンも中野サンプラザで
『SMiLE』のツアーを行っている。

そんなゆかりのある場所にウェラーがま
た戻ってきて何だか嬉しそうにしているのを観ると
こちらも自然と心が綻んでしまう。
僕は26年は年齢的に追えないので途中からだけど、
それでも気づけば10年以上彼を追い続けている。
時間の流れを実感したりした。

今回の公演、あまり理屈は言いたくない。
一言「素晴らしかった」で十分だし、
本当に彼は格好良い。男でも惚れてしまう様な存在感がある。
結局僕は彼が大好きなんだと言う事が
改めてわかったりした良いライブだった。
が、それではレビューにもならないので僕なりに感じたことを。

バンドも過去の来日の中では一、二を争う良い面子で
来日したのもかなり大きかったと思う。
ドラムはいつものようにスティーヴ・ホワイト(更に一回り太った)、
ベースは近年ずっとウェラーをサポートしている
元オーシャン・カラー・シーンのデーモン・ミンチェラ、
リード・ギターとコーラスは現在もオーシャン・カラー・シーンの
核として活動を続けているスティーヴ・クラドック。
正直これ以上望みようの無い面子が揃った。特にスティーヴは
オーシャンの活動が活発になってから、
本国でのツアーこそウェラーを基本的にサポートしたが、
日本にはフェスなどの例外を除いてウェラーのツアーの
ためだけに来日することは無くなっていた。
具体的には『ワイルド・ウッド』辺りのツアーを最後に
ウェラーと共に来日することは無くなっていた。
なのでこれはとても嬉しかった。
キーボードはいなかったが、最高の4ピースだと思うし、
この面子で来てくれた事を感謝したい。

前にも書いたが、『ヒーリオーセントリック』のツアー時には
ギターはウェラーだけで、後は若いベースと若い?ハモンド奏者、
そしてスティーヴ・ホワイトという布陣だった。
この時のバンドの出来がかなり悪く、
正直ベースには閉口してしまったのでライブ自体も
一番心に残らないものとなってしまった。

今回のツアーはその時から引きずり始めたモヤモヤを
一層してくれる素晴らしい「バンド」のグルーヴを見せ付けてくれた。
単に演奏が上手いとかだけでない「和」と言えば良いか、
決めどころ、引きどころをもう長年のコンタクトで
得ているような息のあったコンビネーションを
見せてくれたのは本当に最高だった。

考えても見れば、少なくともこの面子は『ワイルド・ウッド』
辺りからアルバム全てとは言わなくても
良く見られた組み合わせだ。
しかも内二人は別のバンド(オーシャン・カラー・シーン)で長らく
共に演奏してきた仲だ。密度の高いグルーヴを見せて
当然だったのかも知れない。しかしながら日本では
中々この組み合わせでは観れなかったので本当に有難かった。

近年、彼のライブ選曲には徐々に変化が起きていた。
過去にジャムやスタカンの曲はソロ初期の曲が少ない頃を
除けば演奏される事は無かった。
正直に言ってソロ活動でも素晴らしい曲はあるので
僕はそれを不満に思ったことも無かったし、
『ヘヴィー・ソウル』ツアー時にソロ後の曲だけで
2時間のステージを大歓声でこなした彼は誇らしげにも見えた。
でも、ジャムやスタカンの曲を書いたのは紛れも無く彼であり、
それをやってはいけないと僕は思わない。
実際にアコギ一本弾き語りツアーの時に披露された
「イングリッシュ・ローズ」などは表現力が増して素晴らしい
仕上がりになっていて、この曲の良さに改めて気づいたりした。

セットリスト全てを書くのは少し後にするとして、
今回は2曲目にいきなりジャムの曲が飛び出した。
「ランニング・オン・スポット」だ。比較的マイナーな
曲だけどこれは良い選曲だった。

他にも「引き裂かれぬ仲(Thick As Thieves)」みたいな
中期頃の曲もやったのはちょっと嬉しかった。勿論
モータウン・ビートの名曲「悪意と言う名の街(Town Called Malice)」もやった。
この曲がオーラスだったのは何だか格好良かった。

スタカンの曲は一曲だけだが「ロング・ホット・サマー」を
ニューソウル風に披露。ウェラーの弾くエレピが心地良かった。

他には「ポーリシャン・ゴッド〜ギルテッド・スプリンター」の
”ニューオリンズ・メドレー”はインプロビゼーションも長く、
濃厚な仕上がりで、何だかウェラーがハンブル・パイ時代の
スティーヴ・マリオットのようにも見えて微笑ましかった。

最近は定番のアンプラグド?タイムでは名曲
「ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー」で歓声を
受けていた。渋いけどこの曲は皆好きなようだ。
他にも『スタジオ150』でカバーした「ウイッシング・オン・ア・スター」を
アコギ中心に、スタジオ版よりもさらに洒落た感じの
「フォーキー・ソウル」風に解釈していやらしいセンスを
見せ付けていたりもした。

今回は敢えてソロ以降の定番曲をリストから
外していたような気がする。「サンフラワー」「イントゥ・トゥモロウ」
「キャン・ユー・ヒール・アス」「ヘヴィー・ソウル」「ピーコック・スーツ」
などは演奏しなかった。新作からもそれなりにやったが、
結構渋い曲中心だったと記憶している。
ソロ以降名作の一つ『ワイルド・ウッド』から一曲も
(厳密には英盤のみに入っている「フット・オブ・ザ・マウンテン」は演奏した)
演奏しなかったのは初めてではないかと思う。
これは彼なりの挑戦でもあったのだろう。

それでも全体的には充実期である
『スタンリー・ロード』『ヘヴィー・ソウル』辺りからの選曲が
多かったのはやはり彼がこの時期の作品に自信を持っているからだろうか。
逆に『ヒーリオーセントリック』『イルミネーション』からは一曲も無し。
これは何となく予想していた。それにしても、
これだけ引き締まった音を聴いたのは久しぶりだった気がする。
近年観るミュージシャンは比較的ポップ寄りな人たちが多く、
それはそれで良いのだけど、やはり陳腐だとわかっていても
「ロックのダイナミズム」をしっかりと表現できるバンドを
観るとこちらも学ぶところが多い。
4人で表現できる事って一杯あるんだなって思わされた。
え、ストーンズ観たでしょって?やっぱり僕はこっちの方が10倍感動した。
チケット代は半分以下だったけど。

絶え間無く変化し、消費され、消えていく音楽界の中で、
彼は今でも格好良いし、いくら斜に構えたところで
やはり彼が躍動している姿を観ると、
こちらも無条件にその世界に引き込まれていく。
それは宗教的なのかもしれないけど、
少なくとも彼を信じていてそんなに嫌な思いはした事が無いので
これからも彼を僕は応援し続けていきたい。
学び続けている彼から得れる事はまだあるはずだから。



Set List

1.Paper Smile
2.Running on the Spot
3.Out of the Sinking
4.Science
5.All on a Misty Morning
6.Hung Up
7.Savages
8.Fly Little Birds
9.Wild Blue Yonder
10.Up in Suzes' Room
11.From the Floor Boards Up
12.Porcelain Gods〜I Walk on Gilded Splinters
13.The Start of Forever
14.Roll Along Summer
15.Wishing on a Star
16.You Do Something to Me
17.Long Hot Summer
18.The Pebble and Boy
19.Come on / Let's Go
20.Amongst Butterflies
21.Foot of the Mountain
22.Changingman
〜アンコール〜
23.Broken Stones
24.Thick as Thieves
25.I Wanna Make It Alright
26.Town called Malice
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2006年03月23日

You Can't Always Get What You Want

”The Rolling Stones A Bigger Bang Tour 2006”
at Tokyo Dome 22.3.06

「余裕ある人への慰安公演」 ローリング・ストーンズ日本公演・初日


22日は親戚が券を余らせたので、ひょんな事から
ローリング・ストーンズのライブを観に行く事になった。
親戚家族がストーンズのファンなので
毎回の来日ごとに券を大量入手してはだぶつかせてる。
なので下手に音楽を知ってる僕は毎度頭数が
足りなくなるとストーンズの宴に駆り出されるのだ。

正直に言って現在のストーンズの活動自体に全く興味が無い。
新作も聴いてない。それであるにも関わらず、
僕が複数回観ているミュージシャンで最多記録を持っているのは
このストーンズと言う事になる。
90年代初頭の来日からこれまで少なくとも来日毎に一回は
観ている。初来日前後の頃は少なからず
伝説に足跡を残したバンドを観ておこうと、
自分の意思で観に行っていたが、
途中からは完全に「招待」みたいなものである。
そんな僕が毎回アリーナで観ているのだから、
ストーンズの主たる客層の真実が見えてくるというものだろう。

自分の話は後に回すとして、今回の公演だ。
今回も大掛かりなステージ・セットは組まれていたものの、
90年代初頭の頃に比べれば幾分シンプルにまとまってきているか。
ステージ・セットの中に特等席があり、
ここの券を買えばストーンズを上から見下ろして観る事が出来る。
ただ、席数が少ないのと値段が一般販売でも
55.000円するので財力のある方向けだろう。

今回の仕掛けで一番凝っているのはずばり「動くステージ」か。
演奏しながらドラムセットとその周辺がそのまま
ドームの中央まで動く仕組みになっていて、
以前までは離れに設置されていた「2ndステージ」的な
ものまでストーンズ達が移動せずとも
ステージごとドーム中央まで動いてくれるのだ。

まぁ仕掛けについては詳しいわけではないので
これ以上は書きようも無いが、他にもCGを効果的に
導入したりして曲を盛り上げたりと
いくらか現代的な意匠も取り入れられていた。

曲自体は説明も要らない定番の
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」でスタート。
新作からは恐らく2〜3曲しかやってない。これもまぁいつもの事だ。
後はここで書く必要も無いほど有名な曲が盛り沢山。
特に今回はストレートな選曲が多かったように思える。

確かにストーンズのツアーに「ジャンピン・ジャック〜」や
「ブラウン・シュガー」が無ければ成り立たないので
それは構わないのだが、そんな中でも、
ツアー毎それなりにはっとさせられる選曲があったりした。
いつだかなんてネット投票で選ばれた「今日の一曲」なんていうのも
やっていたりした記憶もある(恐らくやらせだが)。
それも今回は控えめで次々これでもかと
ど真ん中の曲で攻めていた感じだった。

個人的には「スウェイ」のカバーが嬉しいところだった。
この曲は70年代前半、黄金期のアルバム
『スティッキー・フィンガーズ』に収録されていた
ミック・テイラーの素晴らしいギターが冴える
ロッカ・バラードだったが、僕はこの曲が彼らの曲の
中でも3本の指に入るくらい好きだったので
この選曲は良かった。
しかし残念ながら後半のロン・ウッドのソロは・・・。

後は今回のツアーで初めて60年代のジェントリーな曲
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を披露したのも
印象的だったか。更に60年代の初期物だと
「ゲット・オフ・マイ・クラウド」の掛け合いの様なサビが
何だか愛らしく聴こえて中々良かった。

今回が初披露ではないが「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」も
中々ダイナミックな仕上がりだった。ロンがエレクトリック・シタールを
用いて雰囲気を出していた。このイントロを聴くと、インド風の服を着て
シタールをビンビン鳴らしていたブライアン・ジョーンズの姿を思い出す。

まぁ個人的にはここら辺の選曲が楽しかったか。

ただ、いつも思うことは何だかやっぱり楽しみつつも
この豪華絢爛さ加減に傍観してしまうのである。
ここにあるのは演奏してる本人達、
いくらかかってるかわからないくらいのセット、
そしてそれを観に来ているオーディエンス・・・。

たまたま券を購入していた従兄弟がそういう
金満でいけ好かない人間なので僕は毎度アリーナで観ているが、
周りの観客は業界人と思われるような人間ばかりだ。

そしてそれも頷けるようなチケット代の高さ、
先述した特別席は数えるほどしかないのでともかくとしても
通常のS席が18.000円もすること。これは高すぎる。
ハコが小さいせいなのか、さいたまスーパーアリーナ公演では
なんと35.000円で席が発売されていたのだ。
これも余ってるらしく従兄弟に誘われたが、
もう結構ですと丁重にお断りしておいた。

そもそもドームという余りに大きな「ハコ」の中で
音楽を聴覚だけでなく、視覚でも満足させるのは
難しいものである。エンターテイメントに
走るのが嫌だからと言って飾り一つ無いモニターもない
ステージでは観てる方は何も伝わらないだろうし、
そこに実在しているのかも疑わしくなる。
過去に見てきたドームでのステージで
エンターテイメントとリアルさが同居していたのは
U2の『ポップ・ツアー』の時だけだったような気がする。
彼らにはどれだけステージでエンターテイメントを
やっても真摯に伝わる「何か」があるような気がした。

どちらにせよ、僕はハコが小さければ良いとは思わないが、
ストーンズのそれは確実に金持ち中高年を対象にした
「慰安公演」に見えてしまうのが複雑だ。
今回はやらなかったが、彼らが「ギミー・シェルター」のような
終末的な思想を歌い、そしてそれを皆が合唱するとき、
そこに歌詞本来のシリアスさや説得力は全く無かったりするのである。

何だか斜に構えた意見ばかりになってしまうが、
ミック・ジャガーは2時間を越えるステージで
休むことなく広いステージを走り、客を鼓舞し、
歌い続けた。彼は60歳も半ばを迎えている初老の人だ。
私的な話だが自分の父親より年上だ。
その父にミック・ジャガーと同じを要求したら身が持たないだろう。
というか既に故人だったりする。
勿論プロだから、と言ってしまえばそれまでだが、
そのプロフェッショナリズムには頭が下がるし、心をうたれる部分もある。

彼らのヒット曲と言うのはここでどうのと書くような
思考的なものではなく、まさしく気分で聴くもので、
そしてそのリズムに合わせて楽しめば良いものなんだろうとは思う。
アーシーなバラード
「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウォント」を
アンコールに持ってきたのも中々良かった。

それでも「欲しいもの全てを手中に収めるのは難しく」
「満足出来ない」と合唱するこの
レディース&ジェントルマンなパフォーマーと
観客に足りないものは何なのだろうか?

その答えは歳を重ねるほど難しくなっている気がした。
posted by cafebleu at 11:06| 東京 ☁ | TrackBack(0) | Live Report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

Brink And You'll Miss It

”ポール・ウェラー 来日前特集その9”

「既に揺るぐキャリアでは無くなった彼の集大成」 ('05)


いよいよウェラーのレヴューを勝手に続けてるうちに
来日も間近になり、最新アルバムまで辿り着いた。
書くことに困らないくらいの情報は持ってる人でも
継続するのは意外と大変なものだ。

先ず最初に書いておきたいのが、
これはこれからウェラーに触れる人には良い作品だと思う。
ある意味で彼がジャム〜スタイル・カウンシル〜ソロと
気づいてきたキャリアの集大成的なアルバムでも
あるので、その点においては
彼の特徴が良く出ているアルバムだと思う。

逆に長きに渡って彼を聴いて来た人間としては、
いささか散漫な印象も持ったのは事実だったりする。
そう、集大成と散漫と言うのは紙一重なものだ。
ある意味僕自身がウェラーに飽和しているのも
あるのだろうが、一聴した感じでは、
どれも何処かで聴いた様な気がしてしまったし、
既出感の方が僕には強く残ってしまった。
確かに先行シングル「フロム・ザ・フロアボーズ・アップ」は
いつに無いアップテンポで、歯切れの良いそのリフと
テンポはまるでストーンズを思わせるところもあったというのは
今までに無いものだったかもしれないが、
ストーンズ的なるもの自体が彼の音楽の中で「想定外」とは
考えにくく、むしろそういう要素は余り表立って
今まで出さずに消化していたのではないか、と
僕は思うので、逆にストレートな表現に
違和感を感じたりはしたのだけど。



トップを飾る「ブリンク・ユー・ウィル・ミス・イット」は
ソロ以降のアルバムのトップに良く出てくる所謂
「マイナー系ロック」で、もうこれはウェラー・ロックの
雛形的な作品と言えるようなスタートだ。
似た曲を探せと言えばいくらでも思いつく。
正直最初聴いた時は格好よさは認めつつも
「またか・・・」という思いもよぎったのは事実だったりする。
まぁ聴き込んでいくといつもと楽器や音作りの
チョイスが少々違ったりもするし、彼のこの手の曲に
外れは無いので嫌いではないのだけど。
単に「サンフラワー」を聴いた時のような感動が無いのは、
こちらもそれだけ聴いてきたからだろう。

セカンド・シングルにもなった「カモン/レッツ・ゴー」は
中々の佳曲だ。テンポや曲想自体はジャム時代を
思い起こさせるがここにある渋みはその頃には無かったもの。

「ヒアズ・ザ・グッド・ニュース」はちょっとビートリーな曲。
どの歌という程の物は無いのだけど、
近年の彼には珍しくやや牧歌的でこの曲は聴いていて楽しい。
ここらへんのソフトな路線は『ヒーリオーセントリック』
辺りから徐々に現れているかもしれない。

「パン」と「ペベル・ザ・ボーイ」は古いファンなら
誰もがスタカンの『コンフェッション・オブ・ポップ・グループ』
を思い起こすほぼピアノだけをバックに
歌われるシリアスな仕上がりの曲。
何故、今になって不遇を囲った『コンフェッション〜』
なんだという気もするのだが、まぁ
「オレは間違っていなかった」と言いたかったのだろう。
自身がコアなファンゆえこんな斜に構えた表現しか
出来ないが、楽曲自体は中々に素晴らしい。
ただ惜しむらくはウェラーのヴォーカルが
年齢を重ねたせいもあって、ややこの手の曲には渋すぎる気もする。

「オール・アロング・サマー」はこれもスタカン時代の
フレンチ・ワルツを思わせるような曲。
近年のライブでは「ダウン・イン・ザ・セーヌ」
なんかもやっていたのでそういう流れでこの曲に至ったのだろう。

アルバムで一番のお気に入りは「ブリング・バック・ザ・ファンク」。
ご丁寧に「パート1&2」なんて付いている辺り、
ソウル・ファンをにやっとさせる。
この曲は「マネー・ゴー・ラウンド」の
現代版と言っても良いのではないだろうか?
それを別にしてもソロになってから、
これほどソリッドなファンク・ナンバーを披露したのは初めてで、
これは素晴らしい出来だ。
7分の長さも気にならず心地良いグルーヴに引き込まれる。
アコースティック・ギターでコードを鳴らしておいて、
細かなミュート・リフでファンク感を出す感じ、
アレンジのお手本はアイズレーのような開放的なもの。
そこに白人的情緒のある歌メロ、
最高のブルー・アイド・ソウルに仕上がった。

カバー・アルバム『スタジオ150』の時にも書いたが、
彼はやはりソウル・フリークとしてのセンスは
只ならぬものをいまだに持っていて、
個人的には彼にそういうサウンドで固めたアルバムを
作って欲しいと願っていたりする。
渋みのあるウェラー的なソウルを聴きたいのだ。

「そんなのいつでもやってるじゃん」という声も
聞こえてきそうだが、実はスタカンの頃は雑多な方向性を
意図としていたのでアルバム単位でそういったものを
探すのは難しく、強いて言えば87年の
『コスト・オブ・ラヴィング』がそうなのだが、
これは80年代的ブラコン臭が強いので、出来れば
今のニュートラルな状態でそういう
「ソウル・フリーク」っぷりを見せ付けて欲しいのだ。

もう一つはファースト・ソロであった『ポール・ウェラー』も
比較的ソウル寄りなサウンドだが、
やはり「全編ソウル」と言うわけでは無い気がするので、
そういった意味では個人的にはウェラーが
「ソウルにこだわる」事を、
ジャムやスタカンを再現する以上に待望していたりする。

それをやってくれなければ、わざわざシスター・スレッジや
ローズ・ロイスのような「B級ソウル」ですら、
気品ある作品にアレンジしてみせた
彼のいやらしさの確信に僕は触れられない。

『スタンリー・ロード』以降、
意欲的な挑戦が見れなくなっている。
それはそれでいいのだけど、
時にオールド・ファンが参ってしまうような「マニアっぷり」を
見せ付けて欲しいと思うのは僕のわがままなんだろうか?

ソウルを追い求めすぎる余り、
スタカン時代のウェラーはジレンマに陥ってしまったようだ。
でも、今の彼なら、もう一度正面きってソウルと対峙しても、
真の意味で「彼のソウル」に成り得るんじゃないか?
僕はそう感じている。

このアルバムは優れている。
余りここまで褒めてないがそれは事実だ。活気のあるウェラーの姿が
透けて見えるアルバムだ。ただ長らく同じ人を追っていると、
こちらだってマンネリしてしまう。勝手なものだけど。
大好きだった人なのにいつからかときめかなくなる、そんな感じだろうか?
僕も彼に感動した最初は10代だったのが今では30代だ。
その間に価値観なんて変わるもの。
同じ人間と同じ関係を保つのにマンネリしたら、
時にはいつものではなくて、変態的な部分なんかも
披露して欲しい、そんなことを思ってしまう
勝手なファンの勝手な妄想なのかもしれない。


これで僕のウェラー・レヴューは一応ひと段落です。
ソロのオリジナル・アルバムを中心に
一気に振り返ってみました。
こうやって振り返ってみると、彼と共に僕も歳を重ね、
そして紆余曲折あって今に至ると言う事を
改めて感じたりしました。

何度か書いてますが、僕はウェラーを
ポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソン、もしくは
スティーヴ・ウィンウッドのような「天才」と思ったことは
一度もありません。また、だからと言って
アンディ・パートリッジのような職人でもなければ、
コステロやニック・ロウのような奇才でも無いと思います。
酷い言い方をすれば格好良くってセンスが抜群。
それだけです。
でもジャムの最初からここまでの彼は筋道が通っていて、
かつ地道な努力と類まれなるセンスで
成長を続けてきた人です。
僕はそんな彼が色々な意味でお手本になっています。

それ自体が悪いことではありませんが、
通り一遍の精神的な音楽世界を醸し出すのではなく、
「音楽的」な事にこだわり続けることによって
「精神的」にも共感を得たこと。これが彼の凄いところなんです。
モッズというのが単に下らないB級モッズバンドを
探し当てるとか、R&Bしか聴かないという意味では
無いことを教えてくれた彼に畏敬の念を抱くのです。
例え、斜に構えた意見を僕が口にしていたとしても。
posted by cafebleu at 10:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

A Year Late

”ポール・ウェラー 来日前特集その8”

「B面にこだわりを見せるところがコレクター気質」


ここまではオリジナル・アルバム、もしくはスタジオ録音盤に
焦点を絞ってレヴューを書いてきた。
『デイズ・オブ・スピード』のようなアコースティック・ライブの
ほかにも『ワイルド・ウッド』に伴うツアーの様子を
収めたライブ盤『ライブ・ウッド』や1st『ポール・ウェラー』から
『ヘヴィー・ソウル』までの足取りを辿ったベスト盤
『モダン・クラシックス』などもあるが
それらは一部を除き既出のものであるのでここで詳しくは書かない。

それらよりも貴重だと思うコンピレーション盤が
コンパクトBOX3枚組の形態でリリースされた
アルバム未収録曲集『フライ・オン・ザ・ウォール』だと言えるだろうか。



正直シングルがマキシ・シングル
(3〜4曲収録されているシングル)の時代になったとは言え、
これだけアルバム未収のマテリアルが10年ほどで
揃ってしまう辺りが、ウェラーの「コレクター気質」を
垣間見せる。そしてそれらアルバムから漏れた楽曲たちは、
決して単なる穴埋めの「B面曲」な
だけではなく、シングルまで追っているファンのためへの
サプライズも多数用意されていた。

優れたB面曲と言えば、
英国ミュージシャンの伝統では無いだろうか?
そう、ビートルズが正にそうだった。
「ドント・レット・ミーダウン」「アイ・アム・ザ・ウォルラス」
「レボリューション」「エリナー・リグビー」「レイン」、
これら有名曲が全てB面曲で、ここに書いた曲のうち
オリジナル・アルバムに収録されたのは
「エリナー・リグビー」(『リボルバー』収録)だけなのだ。
(「アイ・アム・ザ・ウォルラス」が収録された『マジカル・ミステリー・ツアー』は米キャピトルの編集盤)

こんなシングルの重みを良く知る世代であるウェラーは
ジャムの頃からシングルでしか聴けない
楽曲が多かった。アルバム未収に凄まじいマテリアルが
あるミュージシャンと言えば同期のコステロも
そうで、その量はウェラーをはるかに上回ると言うか、
とても追いかけきれないのだが、
やはりビートルズ世代にとって「アルバム未収」に
価値を見出すのは一つの病なのかもしれない。

そういう意味ではこの編集盤の価値は全てのシングルが
行き届かない日本などで大きな意義がある。
これが出るまで「アイ・シャル・ビー・リリースド」が
収録された『アウト・オブ・シンキング』の限定シングルは
とても高価な値段で流通していたし、
「セクシー・セイディ」の見事なカバーはB面だけに埋もれさせるには
余りに勿体無かった。

編集盤『フライ・オン・ザ・ウォール』は単なる穴埋め曲の
寄せ集めでは無く、もう一つのウェラーが
垣間見れる貴重な音源集だと思う。

3枚組なので全てについて書いてると終わらないが、
1枚目がミックス違い中心か。
1st収録の「ニュー・シング」のリミックス・ヴァージョンで幕を開ける。
これがなかなか元気のあるアレンジで結構好きだ。
目玉は「イントゥ・トゥモロウ」の初期ヴァージョンだろうか。
しかしながらこれは明らかにアルバムに
収録されたヴァージョンの方が良かったりする。
「エンド・オブ・ジ・アース」はSSW的な
ピアノが印象的な軽やかな曲。
「ディス・イズ・ノー・タイム」はウェラー流ブルーズと言えば良いか。
ややクラプトンを思わせる。
「ワイルド・ウッド」はポーティスヘッドによるリミックス・ヴァージョンで、
予想通りの「アブストラクト」な仕上がりとなっている。
他にもブレンダン・リンチの音響感覚が
冴え渡るインストなどが入っている。

2枚目は「B面曲」らしいB面曲か。
「シュート・ザ・ダヴ」はザ・バンドのロマンチズムをウェラーなりに
解釈した歌と言った感じ。
「エブリシング・ハス・ア・プライス・トゥ・ペイ」は
映画『フェイス』の主題歌として使用された歌で、
この映画のハードボイルドな
雰囲気にぴったりの渋いアコースティック・ソングだ。
「リバー・バンク」はジャム時代の「リバー・バンク物語」の
再録。ジャム時代よりも60年代的ソフト・サイケ感を
強くしたような仕上がりで、繊細な雰囲気がとても良く、
オリジナル・ヴァージョンよりも個人的には好きだ。
「ア・イヤー・レイト」は凛とした佇まいが印象に残る
お得意の「マイナー」系の歌でウェラーの
ネクラなヴォーカルが冴え渡る。
彼のアコースティック・バラードの中でも1、2を争う
名曲だと思う。有名曲ではないにも関わらず、
大事なイベントなどでは取り上げているので
本人もお気に入りなのでは無いだろうか?

3枚目はB面で聴けた貴重な「カバー」たちだ。
これらを目当てにこのアルバムを買った人も多いのでは
無いだろうか?ここでは『スタジオ150』とは違い、
わかりやすく、彼らしいチョイスのカバーを
素直にやっていたりするので、その率直さが逆に良かったりする。
「フィーリング・オールライト」はトラフィックのカバーで
はっきり言ってほとんどそのまんまである。
歌い方もデイヴ・メイスンのようだ。
「オハイオ」は言わずもがなのニール・ヤング。
ギンギンの「オレ流」ロックに仕立ててある。
「ブラック・シープ・ボーイ」は60年代のフォーク・シンガー、
ティム・ハーディンのカバー。
これはスモール・フェイセズがやはり彼の「レッド・バルーン」を
カバーした事に対する「モッズなりの敬意」を表している
ような気がする。こういうところが「コレクター」。
「セクシー・セイディ」はこれも説明不要なビートルズのカバー。
オリジナルの持つ良い意味で不穏な雰囲気を一掃し、
勝手に米南部的にざっくり仕上げてるのだが、
これがかなり素晴らしい出来で難しいとされる
ビートルズのカバーをセンスとビーヲタ心?でこなしている。
「アイ・ウッド・ラザー・ゴー・ブラインド」は
エッタ・ジェイムズのカバーなのだが、このR&Bのカバーが
僕は一番好きだったりする。ジャムの頃の青さが
いけないとは思わないし、それも素晴らしいのだけど、
そんな青くて、初期のカバーなどでは正直「?」という
感じの出来もあったウェラーが少しづつ
歳を重ね、こんな渋いR&Bを物にしているさまを見ると、
なんだか感動してしまう部分がある。
歳をとるのも悪くないな、と。

他にも色々聴き所はある。ウェラー・ファンなら
買って損をする内容ではないので是非。
posted by cafebleu at 10:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

Black Is The Colour

”ポール・ウェラー 来日前特集その7”

「素直な白人勢とコレクター魂全開の黒人勢」 by Paul weller('04)


ウェラーのカバーはいつも中々センスを感じる。
例えば「セクシー・セイディ」であったり、
「ドント・レット・ミー・ダウン」であったり
「アイ・ウッド・ラザー・ゴー・ブラインド」だったり。

そしてそれらはシングルのB面などに収められ、
ファンの間でも楽しみの一つだった。
彼のお里を知るチャンスでもあったわけだ。

彼は演奏者である前にリスナーでもある人なので
聴いている音楽量はかなりのものだろう。
事実スタカン結成前夜辺りはとにかくソウルなどの
カバーが多かった。そしてそんな中にも
カーティス・メイフィールドなどの大御所だけでなく、
シャイライツのようなマニアックなチョイスも
忘れなかった。そして僕らはそれを聴き、手がかりにして探すのだ。

逆にイメージが定着しているような有名曲でも彼はセンス良くカバーした。
上にも挙げた「ドント・レット・ミーダウン」などがそうだ。
あれはビートルズを良く知らなくてもすぐに
ジョンのシャウトが思い出されるような曲なので
色々な意味でカバーするのは難しいと思う。
それにやるほうだって気恥ずかしいし勇気もいる。
それをウェラーはややソウル寄りに解釈して軽やかに披露してみせた。
技術的にはmaj7コードを用いることによって具体的に「ソウル感」を出している。

前々からカバーには定評があり、
かつ、既に一度過去にはオアシスやブラーなどの曲も取り上げた
カバー・アルバムをリリースするという噂もあったのだが、
これはどうやら流れたらしい。もっとも僕は彼がオアシスやブラーの
曲をカバーするのは別に興味が無かったのでそれはそれで良かったのだけど。

そしてだいぶ時間が過ぎた後、
発売されたカバー・アルバムが『スタジオ150』だったと言う訳だ。
これは少々今までB面でカバーしてきた曲とは
違う趣旨のカバー・アルバムだったように思う。
ある意味B面で行われるカバーと言うのは、
彼の活動に直結するヒントみたいな位置づけだったと思う。
彼のギターが最近熱いなと思っていればニール・ヤングの
「オハイオ」をカバーしたりしてこちらも「なるほど」と
頷いてしまうようなヒントだったのだ。

それに比べると『スタジオ150』は、
確かにギルスコット・ヘロンやディランにニール・ヤング、更に
カーペンターズ、そして前々から噂のあったオアシスの曲も取り上げているのだが、
そこにあるのはオリジナリティへの敬意と尊重と言うより、
自己の中でどれだけ消化してオリジナリティのあるものに出来るか?
という部分に力が注がれているような気がする。

顕著なのがカーペンターズの「クロス・トゥ・ユー」で、
この曲のセレクト自体はバカラック作品と
捉えれば合点がいくのだが、そのアレンジはかなり砕けていて、
最初しばらく聴いていてもこれが「クロス・トゥ・ユー」だと
気付かないくらいリズムも楽器構成もアレンジされていたりする。

先行シングルだった「ウィッシング・オン・ア・スター」も
ローズ・ロイスと言う70年代に活躍した女性ヴォーカルを
フィーチャーしたファンク・ソウルバンドの曲だったので、
それ自身はウェラーらしいチョイスなのだけど、
まるでいつもの自分の曲のように聴こえる。
逆を言えばそれだけ影響があって彼は
曲を作ってると言えるのかもしれないが。
それにしたってローズ・ロイスなんて結構いやらしい選択していて、
ソウルオタクっぷりを如何なく発揮してるような気がするけど。

彼の「センスの良さ」というか、マニア的ないやらしさを
もう一つ感じたのがシスター・スレッジのカバーである
「シンキング・オブ・ユー」。これはカバーの出来も素晴らしいし、
素晴らしいセレクトだと言いたくなるけど、
まるでフリーソウルのような選曲で、彼のいやらしさが存分に味わえたりする(笑)。



そしてもう一つ重要なカバーと言えるのがトラッドに
正面切って挑戦した「ブラック・イズ・ザ・カラー」だ。
これはアルバムの中でも出色の出来で、
やはりマイナーコードが絡んで来る時のウェラーの表現力は
他では味わえない張り詰めたものを感じ取ることが出来る。
そしてこのトラッドへの挑戦は、
彼が『ヒーリオーセントリック』辺りから意識し始めた「トラッド的」なる
ものへの一つの答えだったと言うことが出来る。

編曲的には、中間のインスト・パートにおける
フィドルのソロの入り方、フレーズなどが強く胸を打つ仕上がりで、
この曲をぐっと引き締めている。前作『イルミネーション』のレヴューでは
近年のプロデューサーであるサイモン・ダインについて批判的な意見を述べたが、
今回のアルバムでは全体を通して良い仕事をしている事も付け加えたい。

それにしてもウェラーのこの手の曲の表現力の
高さは最近改めて評価している。暗い曲、メランコリーな曲は
たいがいのミュージシャンで多少なりとも聴く事が出来るものだが、
彼の真摯な表現力はこの手の曲でこそ一層輝くのではないかと
最近感じたりする。もっと言えばそれだけウェラーが
「ネクラ」な人なんじゃないかって思うのだが。

このアルバムで余計だなと思ってる部分が例のオアシスのカバーだろうか。
実際にその仕上がりはアレンジの妙もあって、
不自然無くアルバムに収まっているのだが、
出来る事ならウェラーにオアシスのカバーはしてもらいたくなかった。

せっかくシスター・スレッジなんて言う、
日本だったら下北界隈のアナログDJがやりそうな
いやらしいチョイスを見せ付けてるくらいなんだから、
安易にオアシス辺りに手を出して欲しくなかった。

ただ、格好良いようで不恰好な事もするのがウェラーだったりするのだけど。

題に書いたとおり、僕はこのアルバムの選曲傾向を
「有名な白人」と「マニアライクな白人」に
分けて捉えている。つまり、ディランはいてもマーヴィン・ゲイはいないし、
カーペンターズ(バカラック)はいてもダニ・ハザウェイはいないのだ。
ここらへんが考えようによっては面白く、やはり精神的に
モッドな人間にとっては黒人音楽、
つまりソウルこそ安易な選曲はしないよ、なんて言うプライドも
見て取れるような気がする。
出来る事ならダニー・ハザウェイの「ラブ・ラブ・ラブ」辺りのカバーでも
披露して欲しかったな、なんて思ったりもする。
あ、あとは白人だがヴァン・モリソンなんかも。
ヴァン・モリソンに至っては、自分でやる勇気が無いのか(笑)、
カーリーンに「フー・ワズ・ザット・マスクド・マン」なんていう
マニアックな曲をカバーさせてるし。
これ、絶対カーリーンのチョイスじゃないと思う。
ウェラーが選んで来たに違いない。

どちらにせよ、オリジナル・アルバムではないので
派手さは無いのだけど、じっくり振り返ると
選曲の過程、編曲など、面白い要素のあるアルバムだと思う。
posted by cafebleu at 02:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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