2006年02月28日

Fish!

「ブライアン・ウイルソンの現在に無くてはならない人」
by Jeffrey Foskett


ジェフリー・フォスケットはビーチ・ボーイズや
ブライアン・ウイルソンをコアに聴いてる人には
説明不要の有名人だが、
逆にそうで無い人にとってはポップに詳しいからと言って
知ってるとは限らないという何だか微妙な位置に居る人だ。

実際に知っていても、ブライアンのツアー・バンドのメンバーで、
普段はビーチ・ボーイズの有名曲をオムニバスで
カバーとかしてるというイメージも付いてたりする。
所謂サーフ・ミュージック周辺の
ビーチ・ボーイズ・フォロワーというものだ。

確かにそういう面もあるのかもしれないけど、
ジェフリーは素晴らしいミュージシャンである。
決してロッキング・オンなどのメジャー洋楽誌では
紹介されないのかもしれないが。

ファンの間で彼の評価を高めたのは
世代によって若干の違いはあるだろうが、やはり
ビーチ・ボーイズやブライアン・ウイルソンの
ツアー・メンバーとしてだろう。元々は80年代前半に
ヴォーカル、ギターの核であるカール・ウイルソンがビーチ・ボーイズの
現状(当時)に呆れ果て、一時脱退してしまったため、
ギターとファルセットの取れる人材をビーチ・ボーイズが
探していた時に白羽の矢が立ったらしい。

当時の作品については後述するが、
とにかくバンドの状態は酷く、明らかにカールはステージでも
苛立ちを隠せずに居たのでこれは当然の結果だと言えるだろう。
とにかくビーチ・ボーイズにとってカールがいないというのは、
ステージにおいてはブライアンはおろか、マイク・ラブがいないことよりも演奏、
ヴォーカル面において大打撃で、その大役をジェフリーは見事に
こなした事で評価が高まったといえるだろう。

そしてその大役はブライアンのカムバック・ツアーに
おいても変わらなかった。はっきり言って昔のように歌うことが
全く出来ないブライアンや、今は亡きカールのパートを
含む過去の名曲を演奏する際に、
ジェフリーがいなかったらどうなっていたかを考えるのも恐ろしい。
それは最初のソロ来日を果たした時から感じたことである。
最初の来日という事で聴くほうもかなり興奮してライブを
観ていた中で気付いたのだからそれだけジェフリーの役目は大きかったのである。

彼のファルセット・ヴォーカルは在りし日の
カールや若き日のブライアンに勝るとも劣らない
素晴らしいものだった。それはライブの中の
「キス・ミー・ベイビー」や「アイ・ゲット・アラウンド」を
聴けばすぐにわかることだ。

そして彼は一人のミュージシャンとしても素晴らしいものを持っている。
それは2004年に発表されたアルバム
『スターズ・イン・サンド』を聴けばわかる。



どうやらこのアルバムがジェフリーにとってアメリカでの
初のまともなリリースになったようで、既存の発表曲も
いくつか含まれている。数年前に日本でドリームズヴィルからリリースされた
『12 & 12』でも聴ける曲があったりする。



どちらも購入可能(『Stars In The Sand』は困難の様子)だが、
全体的な曲や、山下達郎の「踊ろよ、フィッシュ」の名カバーが
入ってる事を含めると、前者の『スターズ・イン・ザ・サンド』の方がおすすめである。

で、その「踊ろよ、フィッシュ」のカバーだが、
これの出来が素晴らしい。そんなに山下達郎本人の
アレンジを変に変えなかったのも良い判断で、
少々80年代色を取り除き、英詩で歌ったという趣向だ。
この曲は歌いだしから高音のファルセットで
入ってくるのだがそのファルセットがヤマタツに
負けず劣らず美しい(この表現を多用しているが)。

こうして英詩でこの曲を聴くと、
やはり山下達郎がブライアン・マニアだという事が逆にわかるという
所も面白い。
英詩で聴いても全く違和感のない曲なんだと思ったりもする。

とにかくこれ以外も『スターズ・イン・ザ・サンド』には
捨て曲がないのでポップ・ファンには是非聴いてもらいたい
アルバムだ。本人中心の作曲曲がどちらかというとビートルズ寄りなのも
聴き所だったりもする。ブライアンのツアー・メンバーだと、
ワンダーミンツの面々の方が有名かも知れないが、正直言って
彼らの作品以上にジェフリーの作品は優れていると僕は思う。
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2006年02月24日

Ain't Nothing Like The Real Thing

「最高のデュオとニューソウルへの架け橋、タミーの愛らしさ」
by Marvin Gaye & Tammi Terrell ('69)


マーヴィン・ゲイが60年代に後半にタミー・テレルと
発表したいくつかのアルバムは今でも最高のデュオとして誉れが高い。
実際にマーヴィンはその後、
モータウンの歌姫ダイアナ・ロスともデュオ・アルバムを発表しているが、
それがタミーとのコンビには敵わないのは皆が知っていることである。

マーヴィンとタミーのデュオはアメリカでは勿論、
当時英国でも評判だったようで、
『ブリティッシュ・モータウン・チャートバスターズ』
なんていうコンピにも彼らの代表曲は収録されていた。
彼らのオリジナル・アルバムは結局3枚リリースされたが、
最後のアルバムになるとタミー・テレルが体を悪くしてしまい、
歌うこともままならなかったので実際はこのデュオの楽曲、
大半を作曲したヴァレリー・シンプソンが代役を務めたようである。

それにしたってタミー・テレルのとマーヴィンの
デュオはいつ聴いても素晴らしい。タミーの歌声は
ソウルフルとかではないのだけど、何だか愛らしくて僕は大好きだ。
モータウンらしいキャッチーな歌が多いのもとても良い。

アシュフォード/シンプソンの作る楽曲も
改めて最近素晴らしいと感心しきりだ。
彼らの作曲スタンスはまだニューソウル的な
サウンドが開花する以前にその雰囲気を
既に感じ取ってるように思える。
僕は勉強不足でアシュフォード/シンプソンの活動自体は
余り知らないのだが今後更にチェックして行こうと思っている。

マーヴィン&タミーのアルバムでも
「プリ・ニューソウル」的傾向は2枚目くらいから
顕著になってくるようになる。
タミーの死後、マーヴィンは暫しの沈黙の後、
美しきニューソウルの傑作、
『ホワッツ・ゴーイング・オン』を作り上げる訳だし。

「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」は
恐らく「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」と
並んでマーヴィン&タミーの代表曲だろう。
どちらも甲乙付けがたい位素晴らしい曲だけど、
「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」の
ややもったりと曲が始まりつつ、曲の流れを
突然変えるかのごとく切れ込んで来る
タミーのソロ・パートが何度聴いても格好良い。
楽曲、ヴォーカル共に最高水準にある一曲だと思う。


ジャケット・デザイン的には上記のベストが好きなんだけど、
最近では彼らの活動をほぼ全てまとめたコンプリート盤が
出ているのでマーヴィン&タミーの全軌跡を知りたいのなら下記の2枚組を。



タミー・テレルは24歳の若さで亡くなってしまったらしい。
マーヴィンとの活動で彼女自身にもソロでのチャンスが
あっただろうに大変に勿体無い話だ。
そして今はマーヴィンもこの世にはいない。
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2006年02月21日

Someday We'll All Be Free

「踊らないソウルの哲学的傑作」 by Donny Hathaway


ダニー・ハザウェイと言えばマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、
スティーヴィー・ワンダー辺りの「ニューソウル御三家?」を
通過した辺りで最初に出てくるソウル・ミュージシャンだと思う。

少しソウルをかじれば誰でも名前や有名な
『ライブ』なんかは知ってるし、実際彼の作品の
クオリティの高さは上の人たちにも劣らない。
ただ、彼の傑作がカバー曲を中心に据えたライブ版だった事もあって、
彼のスタジオ作品の良い部分などが余り語られてないような気もする。

「いつか自由に(Someday We’ll All Be Free)」を
収録したアルバム『愛と自由を求めて』は間違いなく名作
だけど、若い頃これを聴いた時は少し敷居が高く感じた記憶がある。
理論に基づいた作曲と、ゴスペル的なバラード、
そして黒人としてのステートメント。
確かにカーティス・メイフィールドは社会的な歌詞を歌ったし、
スティーヴィー・ワンダーは70年代以降高度な作曲技術を
取り入れていた。ただ彼らはそれを良い意味で「商業」のラインに
乗せる術も60年代からの活動で熟知していたように思える。
それに比べてダニー・ハザウェイの作品はある意味キャッチーな
ショービズとは無縁で孤高な感じがした。

『ライブ』が独特の熱気と有名曲の見事な解釈で
聴いてる方も吸い込まれていくのと対照的に
『愛と自由を求めて』はスピーカーの前でじっくりと、
眉間にしわをよせて聴きこんでいく感じだろうか。
実際に「カム・リトル・チルドレン」なんかは延々
5/4拍子と4/4拍子がめまぐるしく変わる難解なリズムを
持っていて、ここは敢えて聴いてる方にも
音楽的理論を理解して欲しいのだと思う。
「いつか自由に」もゴスペル的で雄大なソウル・バラードで、
16ビートでファンキーなメロディがすっと飛び込んでくるような
所謂「ニューソウル」とは別のものだったりする。

何だか大人過ぎて見えていたこのアルバム、
自分が年齢を重ねる毎に段々近づいてきてくれたような気が
最近していた。いつだかニューソウルは車で流しやすいという話をしていたが、
これは家でじっくりと聴くソウル。少し小難しく考えて良いソウルだと思う。
そして僕はこのアルバムが彼の中では一番好きだ。

ダニー・ハザウェイは結局自ら命を絶ってしまった。
元々繊細でいつも思い悩んでいたらしい。
そして自らの音楽表現でも色々と葛藤があったようだ。
そんな神経質な面もこのアルバムでは垣間見れるような気がする。

彼のソウルは今でも唯一無比の存在として輝いている。

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2006年02月17日

The Butterfly Collector

「実はネクラな曲が良く似合うモダニスト」 by The Jam


僕はリアルタイムだとポール・ウェラーはソロになってからの世代なので、
僕にとって彼のイメージとは70年代辺りの
スティーヴ・ウインウッド(トラフィック)やエリック・クラプトンのような
「米南部をイギリス人なりに見つめる」という言うスタイルの人に見えていた。
先にも挙げたトラフィックの影響を感じる『ワイルド・ウッド』や、
ニューオリンズに向かっていった『スタンリー・ロード』などは
そういう面が顕著なんじゃないかな。
元々彼を聴く前から70年代の米南部よりのロックは
好きだったのでここら辺を「白人なりのソウル」として
解釈してるスタンスは僕もすっと馴染む事が出来たのを記憶している。

こんな渋みのあるロックをやるようになってから
彼に接したので最初にジャムを聴いた時は
正直幼稚加減が気になって好きになれなかった。
実は今でも初期のジャムはあまり聴かない。

初期衝動的な青さが全部ダメというわけではないのだが、
ジャムのそれはモッズというよりも典型的な
ロンドン・パンク・スタイルのように思えて意図的な荒々しさを感じてしまう。
それならば僕にはコステロの1stのように後に繋がる
「初期衝動」を支持してしまう部分が僕にはあるのかもしれない。
まぁそんな事を考えずとも『マイ・エイム・イズ・トゥルー』は名作だけど。

後期は音楽的に広がりを見せるけどたとえば「スタート」と
そのアルバム『サウンド・アフェクツ』は露骨なまでにビートルズの
『リボルバー』してるし、更に後期になるとモータウンやニューソウルが
どんどん表に出てきて、それならばもうジャムのリズム隊では
演奏力が足りないし、こうなるとスタカンに移行していくのは当然の結果
とも言えるわけで、ジャムを聴く必然性って何処にあるのかななんて
僕は思ってしまう。「プレシャス」とかみたいな下手な
ファンクは既にニューソウルに凝っていた自分にはどうにも馴染めなかった・・・。

これだけ書いて何だけど今ではジャムも好き(笑)

結局ポール・ウェラーは変わらないですから。
「ゴーイング・アンダーグラウンド」みたいに弾ける様な
パワー・ポップと彼らのモッド以外何者でもないあのスタイルを
自分が否定するのは難しいものだ。

で、彼の今までも変わらない部分として
「暗い歌でのきらめき」というのを僕は彼に感じる。
その最初の地点がジャム時代の「バタフライ・コレクター」かなと。
きっとこの曲はポール・ウェラー流の
「ルビー・チューズデイ」なんだろうけど、憂いのある
メロディにおける彼の表現力ってちょっと他に無い物のように僕は思える。



この後彼は「リバー・バンク物語」や「パリス・マッチ」、
「ウェイティング」などマイナーを基調とする
佳曲、名曲を残していく。
そしてそれはソロになっても「ワイルド・ウッド」や
「ユー・ドゥー・サムシング・トゥ・ミー」、
「ウィズ・タイム・アンド・テンパーランス」などでも健在。
もっと最近ではカバー・アルバムになった
『スタジオ150』におけるトラッドのカバー
「ブラック・イズ・ザ・カラー」はアルバムの中でも出色の出来だったと思う。

ネクラな歌が良く似合う人です。

話が前後するけど、「バタフライ・コレクター」
アコギ一本弾き語り来日の時に披露してくれて
結構感動してしまった。
この時は「イングリッシュ・ローズ」もやってくれた。
posted by cafebleu at 08:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月16日

LOVE 45

「一瞬も咲き切れなかったブリット・ポップ時代の”ネオ・ネオ・モッズ”系」
by Orange Deluxe('95)



もちろんアマゾンでも新品は入手出来ません、復刻もされないでしょう。
僕だって忘れてたもん。恐らく7〜8年ぶりの再会?は
HDDが吹っ飛んで自分のCDを一からチェックするなんていう
機会に恵まれた?から。

オレンジ・デラックス、僕も正直あんまりはっきりとは記憶に無いのだけど、
確かブリット・ポップが流行ってる頃に登場してきたものの、
その当時ですら大した話題にはなんなかったような気がする。
そんな中でもシングルになった「ラブ45」は
スティーヴィー・ワンダーの「アップタイト」にそっくりなサビのメロディが
中々軽快でモッズ君達の間で少しは聴かれたんじゃないかなぁ?

そういや「アップタイト」ネタだったら後に
オアシスがB面曲で「ステップ・アウト」っていう、やはり
サビが「アップタイト」に良く似たメロディの曲作ってたなと。
でもこちらはスティーヴィー本人からクレーム付いて
作曲者のクレジットにスティーヴィーらの名前を
入れることで解決したんだった気が。

勿論オレンジ・デラックスの「ラブ45」の方が似てますが
こちらはお咎めなしです。バレなかったんでしょうね。

今聴いても全体的に悪くないけどやっぱり印象に残りづらいかな。
音楽全体にポイントが絞れてなくて意図が見えてこないんだよね。
少しピンボケしてるみたいな感じなのかな?
そんな甘いフォーカスも今聴くとなかなか(笑)。

ま、でも「ラブ45」位でいいかな。
アルバムとしてはこれが入ってる『ネッキング』よりは次作
『ウォッカ・ドーナツ・アンド・ドール』の方がまとまってる感じがする。
もし中古CD屋で二束三文で
置いてあったら聴いても悪くないと思う。
「聴いても悪くない」を多用してる、「良い」と言い切れないこの感じ・・・。



少しレヴューの形態を変えていこうかと思う。
一曲を紹介していくつもりがアルバムから前後の活動、
そしてそれに影響を与えた、もしくは与えられたミュージシャンなど、
どんどん広く触れてしまうので長文化がどんどん進んでたので。
レヴューなんてのは音楽聴けば不要な時もあるのではあるが、
音楽自体を聴く前でも聴くきっかけや興味を持ってもらえたら、
という思いで書いてるのでどうしても音楽の代わりに
言葉で表現しようとするとどんどん文章量が増えていってしまう。
これでは最後まで読む気力が失せるだろうからシンプルを
心がけて毎日書いていけるくらいの分量にシェイプしていくよう努力。

でも今はすでに下書きしてあるレヴューなんかも
残ってるのでまだそれらはそのまま上げちゃうかもしれないけど、
新しいものはシンプルを心がける。
posted by cafebleu at 08:22| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Orange Deluxe | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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