2005年12月31日

You Got Me

「90年代初頭のモダニストはアシッドジャズより」 by Corduroy


コーデュロイと言えばアシッドジャズ時代のモッド的な存在。
全盛期の頃のアルバム『ダッド・マン・キャット』がブッカーT&ザ・MGズを
思わせるようなほぼ全編グルーヴィーなインスト・ナンバーだったので
基本的には「インスト・バンド」というイメージが強い。



このアルバムはまさに当時の下北界隈のクラブでかけたりすれば良さそうな
「オサレ」なサウンドのインスト集。嫌いじゃないし、今でもふと聴いたりすると
中々クールで格好良い。生演奏なので変に古ぼけたりしないし。
ま、家でじっくり聴いたりするもんじゃないとは思うけど。

今日の曲「ユー・ガット・ミー」はアルバム
『ザ・ニュー・ユー』に収録された「歌もの」ナンバー。
このアルバムが出た頃にはブームもひと段落して
あまり大きな話題にはならなかったが、彼らにはあまり多くない
「全編歌もの」のこの作品、適度な60年代へのオマージュも感じて
中々捨て難い。

「ユー・ガット・ミー」自体は
跳ねるワウ・ギターのリフと全く跳ねないドラムの淡々とした8ビートが
対照的で聴いてるとクセになるような曲。こういっちゃ身も蓋も無いが、

「モッドな雰囲気」満載な一曲。



再発盤が出るまでアマゾンでもジャケ写真もないわ、
既に新品の在庫も無いわで相変わらずアシッド・ジャズの
雄に対する酷い扱いを感じる。音楽って本当に中々大事にされない。

でもこの曲、ベスト版にも入って無いんだよなぁ。
良質なバンドでもあっという間に淘汰されてしまう
今の音楽業界、もう少し何とかならないものか?
posted by cafebleu at 00:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Corduroy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月30日

King Harvest (Has Surely Come)

「最高でしょう、それだけで十分」 by The Band


70年代というのは「ライブの名盤」が多い。
恐らくは録音技術と演奏技術が良い頃合で
高いレベルになってきてこういう現象が起きたのだと思う。
また、録音技術が高いと言っても後で修正できる箇所なんてのは70年代では
コーラスを加えるとかちょっとギターを一本足しておく位しか出来なかったので
その質の高い「実況盤」に信憑性があったのだろう。90年代辺りになってくると
ライブの音源を元にいくらでも「お色直し」が出来る時代になってしまったので
「ライブ盤」と言ってもどの程度本当に「ライブ」なのか?という感じもしなくはない。
つまりは70年代の音楽背景が「ライブ盤」と合っていたのだと思う。

全く好みでは無いがディープ・パープルやチープ・トリックのライブ盤なんて
異様なくらい評価されている。ピーター・フランプトンに至ってはライブ盤が
今でも「最高のアルバム」という事で落ち着いてしまい、晩年には第二弾まで
リリースしている。

ストーンズの『ゲット・ヤー・ヤー・ヤズ・アウト』『ラブ・ユー・ライブ』辺りも
評価は高い。後者の方、個人的には演奏が荒すぎて付いていけないが・・。
ダニー・ハザウェイのライブもいまだフェイバリットに挙げる人が後を絶たない。
少し前にも紹介したが、ウイングスのライブ盤だって明らかにスタジオ・テイクより
出来の良いものが多い。70年代は『サンフラワー』と一部を除いてロクなアルバムを
リリースできなかったビーチボーイズですらファンキーなリズムセクションを得て
中々引き締まったライブ盤を発表している。

他にも挙げたらキリがないが、
イーグルス、マーヴィン・ゲイ、レオン・ラッセル、エリック・クラプトン、
デイヴ・メイソン等それなりに充実したライブ盤を発表している。

で、ザ・バンドだ。

ザ・バンドのライブ盤としてはなんと言っても有名なのが『ラスト・ワルツ』だろう。
僕もこれを観て初めてザ・バンドに触れたのだが確かに素晴らしいと思う。
でも、『ラスト・ワルツ』は解散コンサート的な趣旨があって、
ゲストとの共演に重きが置かれた企画物である。
ではザ・バンドの「ライブ」を本当の意味で閉じ込めたアルバムは?というと
これは間違いなく『ロック・オブ・エイジズ』であろう。

先に書いておくと、個人的に一番好きな「ライブ盤」は?
と聞かれたら、僕は迷わずこれを挙げる。

はっきり言って初めて聴いた時は「衝撃」だった。

演奏に定評のある、
しかも今では「ルーツ・ロック」
なんて言われ方もする米南部寄りの音楽を
奏でたザ・バンドのライブ、
僕は聴く前にレオン・ラッセルやデラニー&ボニーのような熱いものを
勝手に想像していた。
しかし一曲目「ベイビー・ドント・ドゥー・イット」
での人を喰った様なカバーの幕開けで
そんな想像はすっ飛んでしまった。

演奏はどこまでもクール、
いやもう熱を逆に感じない。彼らは淡々と各自のパートをこなす。
そしてスタジオ版以上に引き締まった演奏とヴォーカル。

それ以上でもそれ以下でも無い、そうとしか言い様が無い。

僕はこんなライブ盤を他に聴いた事が無い。

物語性の強い2ndで後半に怪しい存在感のある
「キング・ハーヴェスト」もこのライブでの
余りのタイトさっぷりでまるで僕にはファンクのように聴こえる。
こんな凄いリズムでこの曲は出来ていたのかといつも感心させられる。

この時期のライブで収録から漏れた曲に
「アイ・シャル・ビー・リリースド」があるのだが、
当初これが漏れたのはロビー・ロバートソンの
リチャード・マニュエルに対する嫌がらせかと思っていた。
このテイクはリチャードの命を削るかのような
ファルセットが胸に刺さるテイクだったから
何故収録されなかったのか疑問に思っていた。

でも良く聴いてる内にこの「情」が
このアルバムのクールさとやや異なるような気がして少しは
納得できるようになった。
リマスタリングCDが発売された際にボーナス収録されたのは良かったが。

ザ・バンド、
この自信に満ちたシンプルな名前がこれほど似合うグループは他にいない。



ザ・バンドをアルバムで、と言うなら月並みだが僕は『ビッグ・ピンク』が好き。
こちらは逆に聴いた瞬間から違和感だらけで何度も繰り返して聴いていた、
そういう麻薬的な名盤。細かい解説はピーター・バラカン氏のライナーノーツで。
posted by cafebleu at 00:34| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | The Band | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

If You Were There

「ヤマタツの70年代をある意味狂わせた魔法の商業ソウル」 by Isley Brothers


ファンキーなものは好きだが深くソウルには入れ込んで無い友人がいて、彼に
「カーティスとかマーヴィン以外だとニューソウルって何聴いたらイケてるかな?」と
聴かれたので、「アイズレーなんかどうよ?」って言ったら

「あ〜、悪くは無いんだろうけど自分みたいなソウルファンとは言い難い人間には何だか濃すぎる」

と一蹴されてしまった。

濃い?確かにキャラが濃い。
「ワーク・トゥ・ドゥ」や「ザット・レディ」などもかなり濃い。
カバーの「イッツ・トゥー・レイト」までずいぶん濃い仕上がりだ。
ファルセットも何だかリアルで艶めかしい。

僕はアイズレーがニューソウルの時代に、
カーティスやマーヴィン、ダニー・ハザウェイや
スライやアル・グリーンにだって負けないくらい
クリエイティブな作品を作ってたと思っている。
ある意味アルバム一枚楽しむという観点で見ると、
偉大な彼らよりとっつきやすい所もあるし、
バラエティに富んでいてとても聴きやすい。

しかしながら、上の人たちに比べてアイズレーは
何だか過小評価されてる気がしてるのだ。
それは何故だろうと最近たまに考えていた。

そんな時に友人の「濃い」と言う一言でピンときた。

何だか音楽そのものよりも怪しいあのグループにイメージ、
知る人ならとうに知っている「同性愛」のキーワード。
その艶めかしさから生まれる?セクシーなファルセットや熱いヴォーカル。

僕も確かにスタイルで音楽を多分に
評価してしまう傾向があるので自戒を込めて書くが、
音楽とはやはりそれだけではなく、「内包する質の高さ」も評価してあげたい。

ジャンルは全然違うが、
ティーンエイジ・ファンクラブなんかは明らかに皆匿名性の高い
「ただの人というか今はもうオッサン」達だが、
その音楽はいまだに瑞々しくてエバーグリーンなポップである。
ポップ好きな人の中で今でも特別な存在である事には変わらない。

そんな事を前の日記でモッズ云々を語っていた自分が書くこと自体が大きな間違いだが。

さておき、「イフ・ユー・ワー・ゼア」、
イントロからしてやや甘く、そこにスウィートなヴォーカルが乗る。
ボンゴ(コンガ?)のミックスが大きいのもリズミカルでご機嫌な感じ。

やっぱりアイズレーのサウンドって素敵だと思う。
トータルではこの時代の音楽としては
一番好きかもしれない。
前の日記と被るがこれも晴れたうららかに日に車のBGMとして
いいんじゃないかな。

ニューソウルが好きなら避けて通れない名作、『3+3』に収録。

posted by cafebleu at 00:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | The Isley Brothers | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

Bring Back The Funk

「ファンキーな音楽は車に合います」 by Paul Weller('05)


今年聴いた数少ない2005年の新作アルバム、『アズ・イズ・ナウ』収録、
ウェラー久々のソリッドなファンク・ナンバー。
アコースティック・ギターをリズミカルに使っているのがアクセントに
なって聴き応えがある。
オーシャン・カラー・シーンのギタリスト、スティーブ・クラドックの弾く
ファンキーなフレーズもツボを得た演奏で好感が持てる。

曲想的にはスタイル・カウンシル時代の「マネー・ゴー・ラウンド」に通ずるものが。
「Pts1&2」なんてサブタイトルが付いてる事からもそれは感じ取れる。
「マネー・ゴー・アラウンド」よりはだいぶ歌も演奏も上手くなったが。

ドライブ中に聴くと自然とスピードも上がるような、そんなクールなファンク・チューン。



ポール・ウェラーの新作は上に挙げた曲以外にもいくつか聴き所はあるが、
さすがにこちらも最近は彼に「予定調和」を
感じるようになってきてしまって正直それほど心に残らなかった。

バラエティにはそこそこ富んでいるのだ。
ジャム時代を思わすような早いテンポのナンバーあり、
スタカンを彷彿させるファンクあり、
セールス的には躓いたがポール・ウェラーなりにクラシックや
ペットサウンズに近づいたようなスタカン末期の
ピアノ組曲を再現したようなナンバーあり、
ソロになってからの定番的な抜けの良いロック・ナンバーありと。

でも、その全てがもう既出のもののような気がするし、何だかすっきりしない。

オリジナル作品としての前作『イルミネーション』よりは
明らかに本人も充実してるのだろうが
聴いてるこちらがそれも傍観してしまうほど
充実していないのは当方のせいだろうか?

「サンフラワー」のような、聴いた瞬間に虜になってしまうような
「キラー・ソング」はもう彼には作れないのだろうか?

『ワイルド・ウッド』で見せた彼なりのルーツ・ロックへの
旅立ちはこちらにも新鮮に映った。
その静かな旅立ちは早くも次作『スタンリー・ロード』で大きな華になり、
その自信が『ヘビー・ソウル』での骨太さに繋がった。
実際この時期のライブは観たが今まで幾多のミュージシャンの
ライブを僕は恐らく100本程度は観てる中でも
ベスト3に入れて良い位彼は自信に満ちていた。

そして自信の後には内省が来るのは当然で、
『ヒーリオーセントリック』での内省的な世界観も嫌いでは無かった。

でも僕が付いてこれたのはここまでなのかもしれない。
僕もその間に大人になったわけで、
価値観だって彼とは同じでは無いわけだし、
彼から離れてるのはそれだけなのかもしれない。

それでも僕は彼を聴き続けるだろうけど。彼のスタイル全てが好きだから。
彼がいなければ僕がモッズに凝る事も無かったから。


さておき、今日の話は「車で聴く音楽」である。
僕は通勤にも車を使用しているので必然的に
車の中で音楽を聴くことが多い。

車の中と言うのは家のように静かなわけではなく、
エンジン音もあるし、周囲の音もある。
また、運転しているので退屈にならないようにする
意味でも音楽を聴いている。
だから「家で聴く」音楽と「車の中」の音楽は自ずと違うようになる。

まず今までの経験で、
車に乗っていてあまり合わない物は「ドラムレス」なもの。
特にアコースティックギター一本で弾き語ってるものなど。
はっきり言って「あまり聴こえない」のだ。
オーディオ・システム次第という人もいるだろうが
それにしたってどんなに良いカー・オーディオ積んでも
周囲の騒音が消えるわけではない。
それに余りに遅いテンポが運転している者のテンポに合わないのだ。

後はダークすぎるものも駄目。
ニック・ドレイクなんてもってのほかだ(笑)。
あと個人的にはヴァン・モリソンも合わなかった。
何だか彼の音楽は「集中しなさい」と
言われてるようなので、
リスニングだけに集中できない運転中にはどうも合わない。

でも、長野の山道をぼーっと走ってる時に彼の
『ヴィードン・フリース』を聴いてたら心に染み入ったので
今回の話は「高速や都市を走る時の音楽」と言う事になるのだろう。

でも、例えばビートルズの「レット・イット・ビー」
のような演奏の音数が少ないわけではなくて、
サビがはっきりあるようなものは口ずさみやすいので
車で駄目なわけではない。

逆に僕のもっている音楽の中ではソウル物、
特にファンクなどは車では良く聴いてしまう。
テンポも程よいし、ノリが良いので運転してると「テンポ」が合うのだ。
ただ余りに展開がミニマルなものだと
催眠効果があったりするので駄目な時もある。

その良い例がトランステクノ。
明らかに「あっち」の世界に連れて行かれそうで
運転していて情緒不安定になる(笑)。
しかもテンポが4つ打ちで早過ぎて異様にスピードが上がってしまう。

つまり、ドライブ中の音楽は「キャッチーさ」と
「そこそこのテンポ」がキーになるのだ。
自分が運転するようになってからドライブ時
にしか音楽を聴かない人が、こう言ってはなんだが
「軽薄」な音楽を好む気持ちが多少わかるようになった。

いくら音楽に詳しかろうが運転してる時に
ヴェルヴェッツの『ホワイトライト・ホワイトヒート』とか聴いて
「このノイズの先にある芸術性が僕の六感をどこかで刺激するんだ」
とか何とか言ってられないものである。
まぁ普段でも僕はこれは聴かないけど、わかりやすく言えば
そういうことだろうし、
だからって運転するようになったからTUBEとかが好きになったりも
しないのだが。

最近運転していて心地良く感じた音楽は
最初に挙げたウェラーの「ブリング・バック・ザ・ファンク」
以外だといくつかある。


”If I Ever Lose This Heaven” Average White Band


リオン・ウェア作のスィートな名曲をAWBがタイトにカバー。
この曲が収録されたアルバム『カット・ザ・ケイク』
からドラマーがこの後セッションマンとして
大いに名をあげるスティーブ・フェローンになった事もあり、
ぐっと演奏力が増している。
Aメロの腰に来るタメの効いたドラムとベースがいつ聴いてもクールだ。
同アルバムに収録された「カット・ザ・ケイク」も
爽快なファンク・チューン。ドライブ向き。

どうやらこのアルバム、
国内版は廃盤なのと全国的にも入手しずらいようなので
ベスト版でもどちらも聴けると思う。


”Up On The Down Side” Ocean Colour Scene


ポール・ウェラーのスタイルをそのまま継承している感もある
90年代を代表する「モッズ・バンド」であるオーシャンの
「モッド」さ全開な名曲。日本では不当に人気が低いがこの曲は
そこそこ売れたようだ。
スタカンの世界観を彼ららしい骨太なグルーヴで再構築したようなこの曲、
何度聴いても胸が躍る。ただし収録されているアルバム『メカニカル・ワンダー』、
この曲以外はヴォーカリストのサイモン・ファウラーの世界を投影した
アコースティックで内省的な曲が続くので要注意。
そちらも悪くないが、一曲目に「アップ・オン・ザ・ダウンサイド」が
あってその後はず〜っと地味なので肩透かしを喰ったような気持ちになる。


”プラスティック・ラブ” 山下達郎


ファンにも人気の高いライブ版で彼は奥さんである
竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をかなりハード・ファンキーにカバーしている。
この演奏力の高さとヴォーカルの安定感、
ある意味ライブとは思えない。そこが日本人らしい。
神経質なまでにバスドラをベースに合わせ、
この超絶さは何だか変態的ですらあるのだが、
これが車で聴いてると何とも気持ちよい。
高速なんかで聴いてるそんな屁理屈以前に
こちらも自然と曲と一体になってスピードも上がってしまう感じ。

ヤマタツの曲、良く肩からカーディガンでもかけてそうな
所謂「業界人」さんが好むがヤマタツ本人も
「業界人に好かれたからここまで活動できた」という趣旨の発言をしている。
これを聴いてるとそれもある意味頷ける。

何だか彼のセンスの良いソウル・フィーリングと
日本人的な歌詞世界が(自作詩でないのもあるが)
業界人がデビューしたてのモデルでも口説いて自らの
BMWとかジャガー辺りにでも乗せてベイ・ブリッジでも
ドライブしているときの音楽に合いそうなのだ。

ヤマタツの息の長い人気の理由が運転中に
わかった気がした今日この頃。
posted by cafebleu at 08:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Paul Weller | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

God Only Knows

「マッカートニーにこの世で一番美しいと言わしめた曲」 by The Beach Boys('66)


洋楽を中心に聴いてると歌詞と言う要素は
ディランやレノンのコアなファンやネイティブ・スピーカーでも
ならない限り一番目に大切な要素であるというのは有り得ないだろう。
もっとも邦楽を聴くにしてもぼくは歌詞よりは明らかに楽曲の方を重視する。

たいした事の無い詩でも素晴らしい楽曲や
ヴォーカルがあればそれは成り立ちやすいが
最低な楽曲にいかに素晴らしい詩が乗ろうとも
それでは「優秀な音楽」としては成り立たないのだ。
特にポップ・ミュージックでは。

詩だけを重視するのであれば僕は詩集や
ポエトリー・リーディングに赴く事を勧めたい。

と、これだけ言っておいてなんだが、
だからと言って詩は決して音楽の中で軽視できないのである。
美しいメロディに素晴らしい歌詞が乗れば言う事は無いのだ。

洋楽を聴く場合、英語によほど詳しい人で無ければ
一聴してその歌詞を読み取るのは不可能だ。
単語とかは1フレーズの歌詞はわかっても全体像は中々つかめない。

また、バラードを聴くと日本人はすぐに
「恋愛などの歌詞」を想像してしまうが洋楽なんかでは
決してそうだとは言い切れない。

例えばブラーの「エンド・オブ・ザ・センチュリー」、
曲調は明らかにメロウだがその内容は
怠惰な生活を送ってる20代後半の女性を
どこか皮肉っぽく描写しているというものでは
無いかと僕は歌詞と訳詞を見ていて考える。

メジャー・ヒットを持つバンドのバラードの歌詞に
このような世界観があるのは邦楽では
あまり考えられない。

こんな風に歌詞を考えてみると色々面白いので
自らが最初に否定しておきながらも
僕は歌詞を見つめてみようかと思う。



僕が一々ここで解説するまでも無いくらい「名盤中の名盤」。
それが『ペット・サウンズ』だろう。
僕も自分の人生におけるフェイバリット・アルバムの
常にベスト3に入るアルバムだが、
詳細な解説は山下達郎氏が国内版のライナーで
書いているのでそれを見れば十分だろう。

今回歌詞として紹介する
「ゴッド・オンリー・ノウズ(神のみぞ知る)」もその中でも
一番有名な曲。

ブライアン・ウイルソンの良きライバルでもあった
ポール・マッカートニーはこう述べている。

「ポップ・ミュージックにおいて"God Only Knows"より美しい曲を僕は未だ知らない」

「僕は大人になった子供たちに『Pet Sounds』を一人一枚づつ渡した。それくらい人生において意義のあるアルバムだからだ」

ポールにこれだけ言わせるブライアンは凄いが、
ビートルズとしてこれだけ成功した人間が相手の音楽を
これだけ素直に評価できると言うのも僕は凄いと思う。

『ペット・サウンズ』における作詞はトニー・アッシャーが担当したのも有名なところ。
つまり作曲はブライアン・ウイルソン、作詞はトニー・アッシャーというわけなのだ。

それでありながらこのアルバムはとても
個人の内側に入り込むような内省的なものになっている。

この事についてはトニー・アッシャーが後にこう述懐している。

「この素晴らしいメロディと『Pet Sounds』が持つ普遍的な愛の始まりから終わりというコンセプトをブライアンがもっていて、かつこれだけ美しい楽曲があったからこそ僕はこの詩を書くことが出来た」

僕は歌いだしの
「I may not always love you」にいつも耳を傾けてしまう。

「僕は君を愛さないかも知れない」とでも書けばよいか。

こんな歌詞で始まるラブソングを僕は他に知らない。
それも何故か否定的には聴こえないのだ。
それは全体で聴けばよりわかることだけど。
シンプルなんだけど、愛を口にするだけが相手を想う事じゃ無い、
そんな風に僕はこの曲を聴いて解釈する。


「God Only Knows」 Brian Wilson - Tony Asher (抜粋)

愛することは無いかも知れない

だけど君の上に星が輝く限り

君が心配する事は何もない

それだけは確かな事なんだ

君なしの僕がどうなってしまうか

それは神のみぞ知ることさ
posted by cafebleu at 08:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Brian Wilson[Beach Boys] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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